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本編

昨夜の記憶

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怖い、と彼女は言った――

あんな風に誘い、あんな言葉を口にするから、慣れているのだろうと思ったのだ。
自分のことは棚に上げて、少々面白くない気持ちと、本人には全くそのつもりはなかったとしても焦らされた苛立ちをぶつけるようにして、桜井は実里を抱いた。

彼女の性格からいって、付き合った男と必ずしもこういう関係を持ったわけではないのだろう。
思い返してみれば、やけに初心な反応をしていたというのに、アルコールとあの「オルキデ」の香りに煽られて、桜井は柄にもなく我を失いかけていたのだ。

追い詰めて、焦らして、そしてまた、追い詰める。
そんなことを何度も繰り返すうちに、桜井の腕に実里の爪が強く食い込んだ。

「……っは、ま、待って……待って、誠さんっ」

ぐ、と腰を更に進め、桜井は言う。

「待たない」

すると、悦から逃れようと身体をしならせた実里から、泣きそうな声が聞こえたのだ。

「あ、怖い……」

桜井は我に返って、自分が組み敷いている実里を見下ろした。
腕に食い込んだ爪の痛みを、突然に意識する。

「怖い? 何故?」

実里の頬をそっと撫で、問うてみる。
あやす様に、額に、頬に、唇に、キスを落としていくと、食い込んだ指から、ゆっくりと力が抜けていくのがわかった。

「身体が、私を置き去りにしていくみたいで。私が、私でなくなってしまう……」

身体はこんなにも従順に自分を受け入れているというのに、まだ、気持ちの上で抗おうというのか、と桜井は可笑しくなった。
頼りなくそう言う彼女をくっと抱きしめ、桜井は耳元で囁いた。

「随分余裕があるじゃないか、そんなことを考えていられるなんて」

え? と実里が目を見開く。
桜井はニヤリと笑って、再び律動を開始した。

「きゃっ、嘘、やだっ」

繋がったままだった身体は、簡単にまた上昇していく。

「やだ、じゃないだろう。いいんだろう?」

よすぎて、どうしていいのかわからなくなるんだろう?
乱れまいと、踏み止まろうとする実里を、桜井は執拗に攻めた。
手加減なしで抱いているくせに、大事に抱きたいとも思う。
いっそこのまま、自分に溺れてしまえ。

「お前が何を守ろうとしているのかわからないが、こうなった以上諦めて全部俺に明け渡せ」

今度は喰らいつくようなキスをして、桜井は容赦なく実里の身体を貪った。

――俺から、何を守ろうというのだ? 全部寄越せ、俺に――

桜井は、いつになく自分も追い詰められていることを自覚していた。
全部だ。
お前の全部を、俺に。

相手の全てを欲しがる者は、実は既に己の全てを相手に捧げているのだ、ということを、桜井はこの時まだ、理解していなかった。

 
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