狼になりたい

須賀マサキ(まー)

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第4話 直貴、狼になれる……かな?

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 駅前の待ち合わせ場所まで自転車を走らせる。
 さっきまでの高揚感がすでに幻のように消え、代わりに胸を支配するのは目をそむけたいほどの不安、いや絶望だ。
 駐輪場に自転車を預け、直貴は駅前の噴水広場まで全速疾走した。
 約束の時間はとうに過ぎている。予想通りどんなに目を凝らしても奏音の姿は見つけられない。携帯に電話をかけてみたが、電源が切られている。ピアノコンサートに行っているなら当然だろう。
 直貴は噴水の縁に力なく座った。駅前の広場はたくさんの学生や家族連れでにぎわっている。どこかでハロウィンパーティーでもやっていて、そこに行くのだろうか。直貴はそんな人たちを、ぼんやりと見るでもなく見る。

 ハロウィンの認知度が上がっても、さすがに仮装したまま通りを歩く人はいない。たまに小さな子供が魔女やヒーローの格好をして、はしゃいでいるのを見かける程度だ。
「奏音ちゃんもぼくを待っているあいだ、こんなふうに歩く人をみつめていたのかな……」
 最初に三人組に蛍光灯の交換を頼まれたとき、全力で断ればよかった。
 でもそれが大家のおばさんからだと言われると断るなんてできない。三人組はそうやって直貴のお人好しに目をつけて、何度断っても押し切られてきた。気の強い女子にノー! と言えない自分が本当に嫌になる。
 すべてを彼女たちの押しの強さ、気の強さのせいにしてきた。でも本当にそうだったのか。わがままを受け止めるのは優しさではない。優柔不断で、自分が悪者になりたくないだけだ。意識していなくとも、心の底にはそんな気持ちがあった。だから最後は、彼女たちのいうことを聞いてきた。
 面倒な仕事を押し付けられる被害者でいたほうが、周りからも同情される。そのほうが楽だと、無意識のうちに悟っていたのかもしれない。

 そんなことを考えていると、直貴はまた三人組に対して怒りが湧いてきた。さっきのライブで抱いた感動なんて、その場限りの見せかけにすぎない。
 その結果がこれだ。
「流されるままに動いてきたから、大切な人を不幸にしたんだ……」
 奏音を傷つけた原因は、すべて自分の中にある。片方でいい人を演じた結果、別の場所で酷い人になってしまった。自分のしたことをふりかえり、足元に視線を落とす。
 直貴はしばらくの間そこに座っていた。帰宅する奏音が通りかかるのではないか、そんな淡い期待を抱いていた。

 三十分ほど過ぎたころだ。落とした視線の中に人が立ち止まる。
「よお、直貴。こんなところで何してんだ?」
 頭上から不意に声をかけられる。見上げると、浩太が直貴を見下ろしている。
「何してるかって……遅刻して、会えなかったんだよ、奏音ちゃんと」
「だろうな。彼女、電話にも出てくれないって落ち込んでたぜ。ピアノコンサートに行くこともやめるっていうから、おれが直貴の代わりに一緒に行ってきたよ」
 浩太はふりかえって改札を見た。つられて直貴もそちらを見ると、そこには奏音がいた。遠目で表情まではわからないが、目が合ったと思ったとたん、背を向けられた。

「彼女、本当に直貴のことが好きだったんだ。ギリギリまでおまえを待って、何度も電話をかけて……。それなのに一度も出なかっただろ? あの子、半べそでスマホの画面を見つめていたんだぜ。悔しいけどそれくらい直貴が好きで、ずっと待っていたんだ。たまたま通りかかったおれは、もう見ていられなくて声をかけた。で、一緒にコンサートに行ったんだ。いまの奏音ちゃんは直貴のことでいっぱいだよ。でもおれ、ふりむいてもらえる日が来るのを待つ。だからもう、奏音ちゃんには近づかないでくれ」
「でも……」
「もともとそんなに気があったわけじゃねえだろ。つきあう気もないなら中途半端なことをするな。期待させるのは罪だ」
 厳しい口調でそう言うと、浩太はきびすを返し、奏音の待つ改札口に向かった。

「自己嫌悪だ……」
 直貴はますます自分のとった行動に嫌気がさしてきた。
「ぼくは、いい人になりたかったわけじゃないんだ……」
 浩太から奏音への想いを聞かされたとき、自分の気持ちを素直に話さなかったのがいけなかった。
 大家さんを出されたために、深く考えずに用事を引き受けるんじゃなかった。
 お化け役を押し付けられたとき、流れに押し切られて断ることができなかった。
 相手を傷つけまいとしたことが、結果的に傷つけることになる。
 同じ狼でも、ロンリーウルフになってやる。ひとりでいたら、だれも傷つけることはないのだから。
「……狼に、なりたい」
 奏音をエスコートする浩太を見ながら、直貴はポツリとそうつぶやく。


   ☆   ☆   ☆


 気落ちした直貴がとぼとぼと自転車を押して寮に帰ったとき、女子三人組のコンサートはすでに終わっていた。数人の男子が後片付けをしている。女子寮の前を素通りし、直貴は男子寮にある駐輪場に自転車を停めた。大きくため息をついて振り返ったそのとき。
「トリック・オア・トリート!」
 自転車の間に隠れていたのだろう、三人組が決まり文句とともに飛び出してきた。直貴が帰るのをずっと待っていたのだろうか。
 直貴のおかげで楽器が弾けるようになったなどとしおらしいことを言ってたが、後片付けをほかの人にさせるところなど、今までと変わっていない。
 直貴が解放された代わりに、ほかの執事を見つけたということか。
 気の毒だとは思うが、その立場に戻りたいとは思わない。いい人でいるのはもうやめた。
 呑気に彼女たちの相手をする気になれず、直貴はそのまま男子寮に向かう。

「トリック・オア・トリート!」
 無視していると、もう一度三人組が声をかけてきた。横目でちらっと見ただけで、直貴はそのまま通り過ぎようとした。するといきなり、
「うわっ、冷たいっ」
顔に水をかけられた。
「命中っ。大成功だな」
 驚いて顔を上げると、千絵里が大きな水鉄砲を構えて、直貴を見ている。いたずらトリック用に準備していたようだ。
「何するんだ、いきなり」
「だってナオくん、無視するからさ。こんなかわいい女子大生に声をかけられたのに」
 かわいくないんだよっ、と心の中で悪態をつき、直貴はハンカチでぬれた顔をふく。
「……後片付けは手伝わないからね」
「もうほとんど終わってるから、いいわよ」
 優香がいつものアニメ声で答える。
「今まで裏方をしてくれてありがとう。これはお礼」
 薫が手提げ袋から何かを取り出し、直貴の頭にかぶせた。
「人の頭をおもちゃにするんじゃないっ」
 かぶされたものを乱暴な態度で外して手に取り、直貴はわが目を疑った。

「おいっ、これはなんだよっ」
 成人済みの男子大学生が使う代物とは思えない。
「猫耳カチューシャ。これからのステージ衣装だよ」
「おいっ。ぼくにこれをつけて、オーバー・ザ・レインボウのライブをやれっていうのかい?」
 何の権利があってこんなことを勝手に決めるんだ。三人組が彼女たちのバンドでどんな衣装を着るか決めようと、それは直貴には関係のないことだ。
 だが猫耳カチューシャはロックバンドにどう考えても合わない。オーバー・ザ・レインボウはコミックバンドではないのだから、観にきてくれた人たちをガッカリさせてしまうようなことはしたくなかった。
 いくらお人好しの直貴でも、絶対に譲れない線はある。

「違うよ、これはあたしたちのバンドの衣装さ」
「あたしたちのって……だったらぼくにはもう関係ないだろ」
「昨日、これからのバンド名考えてたら、いいのがひらめいたの。『ニャオくんズ』っていうのよ。リーダーのナオくんと、猫の鳴き声を混ぜたの」
 優香が興奮を抑えきれないように、両手を頬に当てて答える。
「『ニャオくんズ』? 何だよそれ。センスない……」
 とそこまでつぶやき、直貴は言葉を切って一瞬のうちにすべてを悟った。
「おい待て。だれがリーダーだって?」
 三人組がそろって直貴を指さす。
「言ってたじゃないか。『ナオくん、これまで本当にありがとう!』って。エアバンドから演奏できるバンドになったから、ぼくがいなくてバンド活動ができるだろ。なのにどうしてリーダーがぼくなんだよ。ぼくは要らないはずだろ」
「違うわよ。ナオくんが要らないんじゃなくて、ナオくんの裏方が要らなくなっただけ。ひとりだけ生演奏されるのは嫌だったけど、あたしたちもできるようになったことだし。これからは一緒にステージでライブを楽しみましょうね」
 優香の笑顔が悪魔の微笑みに見える。かわいい顔をしているけれど、この三人はハロウィンの夜に地上に出てきた悪霊たちだ。化けの皮をいだら、ジャック・オ・ランタンか魔女がいるのではないか?
「ね、だからこれからもよろしくね」
 三人組の声がみごとにハモる。魔女たちの大合唱だ。

「待て。ぼくはそんなこと認めな……」
「てことで、今週末もスタジオで練習するから。次バイトに行ったら年内の土曜日は全部スタジオ予約しておいてね。あ、これが予定表よ」
 薫が直貴にA4の紙一枚を押し付ける。反論する間もなく、三人組は女子寮に戻っていった。
「なんだって? 何が嬉しくて彼女たちの世話をしなきゃならないのか?」
 予定表を叩きつけて断ってやると思っても、パーティー終了後の女子寮には立ち入れない。
「知らない、知らないっ。スタジオの予約なんてしてやるもんかっ」
 と叫んだまではよかった。だがなぜだか不意に、三人の寂しそうな顔が、手の中の猫耳カチューシャに重なる。
 表現方法はいびつだが、彼女たちも音楽を愛する仲間だ。一生懸命な彼女たちの練習する機会を奪う資格が、自分にはない。
 いい気味だと思うより、罪悪感の方が強くなった。
 直貴の意地悪がもとで練習できなくなったら、せっかく伸び始めた技術が台無しになる。それが原因で音楽好きを減らすのは不本意だ。
 直貴に彼女たちの楽しみを奪い悲しませる権利はない。

「……今回だけはしかたないか」
 猫耳カチューシャを捨てるに捨てられない。リーダーを引き受けるという話は別にしても、もう少し面倒を見ないとだめだな。とりあえず予約が取れる日だけでも抑えてやるか。
 これで少なくとも今は彼女たちをがっかりさせることはないだろう。
 直貴は部屋に戻ると、三人組に渡された予定表を写真に撮った。奏音のときと同じ失敗を繰り返したくない。
「……あっ」
 ふと直貴は、根本的なことに気がついた。

 つまり自分は、いい人でいたいのではなく、悪い人になれないタイプなのだ。

「だめだっ。このままじゃぼくは、一生執事のままだっ」
 机に置いた狼男のゴムマスクと、猫耳カチューシャを見比べ、どちらが自分をに適しているかを考える。直貴自身がなりたいもの、本当に目指すものはどっちだ?
「狼になりたい。ぼくはやっぱり、狼になりたいっ」
 直貴の叫び声が、部屋に流れる音楽をかき消した。



 子執事の女難はまだまだ続く。
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