【完結】あなたの幻(イリュージョン)を追いかけて

須賀マサキ(まー)

文字の大きさ
9 / 46
第一章

三. 見えてきた手がかり(二)

しおりを挟む
 沙樹の部屋に入ったとき、哲哉はごく身近にいる人の空気を感じた。ふと正体を知りたくなって、遠慮ぎみに中を観察した。
 テレビのそばに置かれているステレオに見覚えがある。少し考えて、ワタルが学生時代に使っていたものだと気がついた。
 もしかして、という予感の中で小さな食器棚を見る。ペアの食器がある横に、バーボンの瓶をみつけた。出されたコーヒーはモカ。どちらもワタルの好みだ。
 本棚に並んだCDはワタルの好きなアーティストのもので、そばには白い楽譜がある。バンドメンバー全員が映ったポスターとは別に、ワタルだけの写真が本棚に飾られているのを見て確信した。
 ここにはごく自然にワタルの跡が残っている。
 哲哉の中で、熱愛報道に抱いていた違和感がさらに強くなり、最後に出てきた結論は、ワタルの彼女は沙樹だということだった。
 
「ワタルは西田さんにも行き先を告げてないのか」
 沙樹は申し訳なさそうにうなずいた。哲哉は首を左右にふり、軽く息を吐く。
「おれもゆうべ、弘樹と一緒に心あたりに電話をかけまくったんだ。けど手掛かりなしだよ」
「ワタルさんの実家も、行き先をご存じないの?」
「真っ先に電話したんだけど、だれも知らないってさ」
「隠してるってことはないよね」
「親父さんたちは、少なくともバンドメンバーには嘘や隠し事をしないさ。それどころかあっちにレポーターが押しかけたのがきっかけで、初めて熱愛報道を知ったんだって。おばさんが迷惑がっていたよ」
「相手が浅倉さんじゃなかったら、ここまでの騒ぎにならなかったのにね」
 哲哉は沙樹の言葉に軽く頷いた。
「和泉さんが、だれかのリークじゃないかって言ってたの。思い当たるようなことがある?」
「うーん……」
 哲哉は最近のワタルについて、変わったことがありはしないかと記憶をたどる。
「そうだな……言われてみれば、ゴールデン・ウィークに入ったころから、浅倉さんがやたらとワタルを訪ねてきては、親しそうにして――」
 途中まで言いかけて、哲哉はあわてて口をつぐんだ。
「すまない……こんな話、聞きたくねえよな」
「気にせずに続けて。あたしも詳しいことを知りたいもの」
 沙樹の笑顔は、無理して作っているのが解るくらいに痛々しい。ここまで傷ついた笑い方は今まで見たことがなかった。
「解ったよ。でも辛くなったら、いつでも止めてくれよ」

 哲哉はカップを手にし、残ったコーヒーを一口飲んだ。いつのまにか冷めて、苦みだけが口に残った。
「浅倉さんとの出会いは、彼女の歌手デビュー前でね。日下部さんから直接ワタルに、曲を提供してくれって話がきたんだ。五~六曲作って渡したら気に入られたみたいで、それからは西田さんも知っての通り、彼女の歌の半分くらいはワタルが作ってるんだよ」
 哲哉は一息ついて、沙樹の表情をさりげなく確認した。今は静かに耳を傾けている。
「レコーディングに立ち会ったのがきっかけで、ワタルは仕事以外でも何かと世話を焼いてたようなんだ。歌番組で共演したときも、彼女の方から積極的に話しかけてきてたよ。浅倉さんは甘え上手だし、ワタルは頼られると邪険にできない性格だろ。少なくともワタルはいつもの対応だったから、おれたちみんな、つきあってるなんて発想すら湧いてなかったんだ。それなのにいきなり熱愛報道ときた。あのふたりがどういう関係だろうと、お互いが納得してるならおれたちが口出すことじゃない。けどせめてワタルに事情を訊きたくて連絡したら、事務所にも詳しい説明もないまま雲隠れだ。いったいどういうつもりなんだか」
 哲哉は深いため息をついた。沙樹とのつきあいもそうだが、浅倉梢との仲についても何も教えられていなかった。自分がそこまで信用されていなかったのかと気づき、相当のショックを受けている。
「何も知らされてないのは、あたしだけじゃなかったのね……」
 沙樹がわずかに安堵の表情を見せた。
「で、思いつく限りをあたったというのは、初めに話した通りさ」
 一番大切な人にまで何も告げずに、ワタルはどこで何をしているのだろう。
「恋人なら居場所を知ってると思ってたのに。これじゃあ本当に八方塞がりだよ」
 捜索はふりだしに戻った。次の一手をどう打てばいいかと考えていると「浅倉さんなら何か知らないかな」沙樹がつぶやいた。
「彼女が? どうしてだよ」
「だって。恋人が居場所を知っているかもしれないんでしょ」
「ただの予想だよ。みごとに外れてた。西田さんは何も知らなかったんだろ」
「あたしが知らなかったのは、ワタルさんがあたしのことを、もう、恋人とは思って……思ってないから……」
 哲哉は思わず立ち上がり、大声で沙樹の言葉を遮った。
「っと、待てよ。西田さん、自分で言ってること、解ってるのか?」
 テーブルが揺れ、カップが倒れる。沙樹は哲哉を見上げ、弱々しくうなずいた。
「どうしてそんなつまらねえこと言うんだよ」
 倒れたカップからこぼれたコーヒーが、すぐそばを走る電車の音にかき消されながら、小さな音を立てて床に滴を落とす。
「でも――」
 沙樹からいつもの気丈さが消えていた。冷静に聞いていると思って、余計なことを話したのではないか。哲哉はいたたまれなくなって、つい沙樹の肩をつかんだ。
「しっかりしろよ。ひとりで変な結論出すんじゃねえっ」
「そんなこと言っても、これが現実なら受け入れなきゃ……」
 沙樹がすがるように哲哉を見上げた。唇がかすかに震え、瞳から一筋の涙が静かに流れ落ちた。
 崩れてしまいそうな弱さと折れてしまいそうな脆さを、沙樹は無理して隠していた。やはり話すべきではなかった。思慮の浅い自分を後悔しても遅い。それよりも今はほかにやるべきことがある。
「おれはワタルと、物心ついたときからずっと友達なんだぜ。なぜだと思う?」
 沙樹は目を閉じてゆっくりと首を横にふった。
「あいつが誠実だからさ」
「誠実?」
 自分がワタルの代わりになれなくとも、信頼を取り戻させることはできるはずだ。
「そうだよ。あいつはお人好しが過ぎて、面倒ごとを押しつけられるだろ。適当にこなせばいいのに丁寧に対応するから。『芸能界いい人ランキング』に名前が載るんだぜ。おまけに人好きのする性格でだれとでも親しくなる。八方美人だって中傷するやつらもいるけど、裏を返せば誠実で本当にいいやつってことなんだ。簡単に人を裏切らない。だから西田さん、ワタルを信じて待っててくれないか」
 沙樹の肩をつかむ哲哉の手に力が入る。沙樹は涙をぬぐい、わずかに笑みを浮かべた。
「うん――ありがとう」
「一番つらいのは西田さんだって解ってるからさ」
「あたしこそ、得能くんたちの苦労を考えてなかった。ワタルさんがいなくなって大変な思いしてるのは、みんなも同じなのにね」
「バンドの方は気にすんなって。西田さんは自分のことで手一杯で当たり前だろ」
 哲哉は沙樹の肩から手を下ろし、壁に貼られたオーバー・ザ・レインボウのポスターを見た。
「みんなどうして途方にくれるんだろうな。ワタルがここまで偉大なリーダーだなんてさ、夢にも思わなかったぜ」
「いなくなって価値の解るタイプね」
「おれにとっちゃ、空気みたいな存在かもな。一緒にいて当然で、いなくなるとどうしていいのか解らなくなっちまう。重要なことは全部ワタルがやってくれてたんだって、やっと気づいたよ」
 哲哉とワタルは家が近所だったこともあり、物心ついたときは隣にいる存在だった。意見の衝突や喧嘩は数えきれない。常に真剣に向き合ってきたからこそ、親友と呼べる友になり絆も生まれた。
 苦しさに耐え切れず道を誤りそうになった哲哉に、希望の光を見せ、正しい方向に呼び戻してくれたのはワタルだ。
「そんな話聞かされると、得能くんに嫉妬しちゃうよ」
「こら。おれは西田さんの恋敵じゃねえよ」
「本当に?」
「信じてないのか? 彼女なのに」
 沙樹はほんの少し目を丸くし、やがて細めて微笑んだ。
「うん。信じてる」
 哲哉もつられて口元が緩んだ。
「でも、まいったな。西田さんの涙、初めて見たよ。高校生のころから知ってるけど、絶対に泣かないタイプだと思ってたぜ」
「血も涙もない人に見えてたの?」
「うん」
 即答すると、沙樹は肩を落とし小さくため息をついて、上目遣いで恨めしげに哲哉を見た。
「冗談だよ。強いて言えば、お母さんかな。悪いことするといつも怒られてただろ。でもそれ以上に世話焼いてくれてさ。お袋さんってこんな雰囲気なのかなって思ってたよ」
 哲哉にとって沙樹は、口うるさいが面倒見のいい母親のような人だ。
「だからさ、西田さんとワタルがつきあってるって解って、おれマジで嬉しかったんだぜ。なのにあんなこと言って、弱気になるんだから……」
 柔らかな頬を濡らす涙を思い出し、哲哉は言葉を詰まらせた。
 しばらくの間、ふたりを沈黙が包む。風に乗って電車の音が静かな部屋でかすかに響いた。
 やがて沙樹は吹っ切れたような笑顔を浮かべ、
「そうだね。弱気になるなんて、あたしらしくないね」
 そう言うと席を立ち、食器棚を開けてグラスを二個出した。
「今日はもうボイストレーニングや打ち合わせとか、ないんでしょ?」
「ああ」
「よかった。準備した料理が無駄にならなくて」
 沙樹はキッチンに入ると白ワインとアンティパストを持ってきた。
「ここ二、三日あまり作らなかったから、久しぶりにがんばっちゃった」
 カルパッチョにマリネ。ガーリックトーストにはサーモンのパテが添えられている。出されたチーズをおつまみに白ワインを楽しんでいると、ほどなくしてオリーブオイルをたっぷりと使ったブロッコリーとベーコンのペペロンチーノが出てきた。チーズの焦げる匂いもする。ピザを焼いているのかもしれない。
 バンドメンバーみんなも一緒だったらよかったのに、と哲哉は思う。アマチュア時代は仲間で何度も集まった。料理好きのワタルが中心になって、みんなでわいわいやりながら、将来のことを熱く語りあった日々が懐かしい。
 沙樹はバンドメンバーではないが、だれもが六人目の仲間だと思っている。この中のだれが欠けてもいけない。沙樹とワタルの間に何か問題があるなら、絶対に修復する。まだ間に合うはずだ。いや、間に合わせてみせる。
 ただがむしゃらに走っていた懐かしい日々に思いを馳せ、哲哉はその日を取り戻そうと決意した。

   ☆   ☆   ☆

しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness

碧井夢夏
ライト文芸
<第五回ライト文芸大賞 最終選考・奨励賞> 住宅街とオフィスビルが共存するとある下町にある定食屋「まなべ」。 看板娘の利津(りつ)は毎日忙しくお店を手伝っている。 最近隣にできたコーヒーショップ「The Coffee Stand Natsu」。 どうやら、店長は有名なクリエイティブ・ディレクターで、脱サラして始めたお店らしく……? 神の舌を持つ定食屋の娘×クリエイティブ界の神と呼ばれた男 2人の出会いはやがて下町を変えていく――? 定食屋とコーヒーショップ、時々美容室、を中心に繰り広げられる出会いと挫折の物語。 過激表現はありませんが、重めの過去が出ることがあります。

シンデレラは王子様と離婚することになりました。

及川 桜
恋愛
シンデレラは王子様と結婚して幸せになり・・・ なりませんでした!! 【現代版 シンデレラストーリー】 貧乏OLは、ひょんなことから会社の社長と出会い結婚することになりました。 はたから見れば、王子様に見初められたシンデレラストーリー。 しかしながら、その実態は? 離婚前提の結婚生活。 果たして、シンデレラは無事に王子様と離婚できるのでしょうか。

サトシ先生は美しき十代の乙女に手を出さない

白神ブナ
恋愛
高校一年一学期から三年三学期まで続く長編です。気になるサブタイトルを見つけて途中からでもお楽しみいただけます。 女子校あるあると、先生あるある、受験あるあるを描く学園恋愛ドラマ。 佐藤サトシは30歳の独身高校教師。 一度は公立高校の教師だったが心が折れて転職し、私立白金女子学園にやって来た。 一年A組の受け持つことになったサトシ先生。 その中の一人、桜井美柑はガチでサトシ先生に恋してしまった。 サトシ先生は、桜井美柑という生徒の存在を意識してしまいつつ、あくまで職務に忠実であろうと必死に適度な距離を保とうとするが……

出逢いがしらに恋をして 〜一目惚れした超イケメンが今日から上司になりました〜

泉南佳那
恋愛
高橋ひよりは25歳の会社員。 ある朝、遅刻寸前で乗った会社のエレベーターで見知らぬ男性とふたりになる。 モデルと見まごうほど超美形のその人は、その日、本社から移動してきた ひよりの上司だった。 彼、宮沢ジュリアーノは29歳。日伊ハーフの気鋭のプロジェクト・マネージャー。 彼に一目惚れしたひよりだが、彼には本社重役の娘で会社で一番の美人、鈴木亜矢美の花婿候補との噂が……

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

10年引きこもりの私が外に出たら、御曹司の妻になりました

専業プウタ
恋愛
25歳の桜田未来は中学生から10年以上引きこもりだったが、2人暮らしの母親の死により外に出なくてはならなくなる。城ヶ崎冬馬は女遊びの激しい大手アパレルブランドの副社長。彼をストーカーから身を張って助けた事で未来は一時的に記憶喪失に陥る。冬馬はちょっとした興味から、未来は自分の恋人だったと偽る。冬馬は未来の純粋さと直向きさに惹かれていき、嘘が明らかになる日を恐れながらも未来の為に自分を変えていく。そして、未来は恐れもなくし、愛する人の胸に飛び込み夢を叶える扉を自ら開くのだった。

結婚直後にとある理由で離婚を申し出ましたが、 別れてくれないどころか次期社長の同期に執着されて愛されています

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「結婚したらこっちのもんだ。 絶対に離婚届に判なんて押さないからな」 既婚マウントにキレて勢いで同期の紘希と結婚した純華。 まあ、悪い人ではないし、などと脳天気にかまえていたが。 紘希が我が社の御曹司だと知って、事態は一転! 純華の誰にも言えない事情で、紘希は絶対に結婚してはいけない相手だった。 離婚を申し出るが、紘希は取り合ってくれない。 それどころか紘希に溺愛され、惹かれていく。 このままでは紘希の弱点になる。 わかっているけれど……。 瑞木純華 みずきすみか 28 イベントデザイン部係長 姉御肌で面倒見がいいのが、長所であり弱点 おかげで、いつも多数の仕事を抱えがち 後輩女子からは慕われるが、男性とは縁がない 恋に関しては夢見がち × 矢崎紘希 やざきひろき 28 営業部課長 一般社員に擬態してるが、会長は母方の祖父で次期社長 サバサバした爽やかくん 実体は押しが強くて粘着質 秘密を抱えたまま、あなたを好きになっていいですか……?

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

処理中です...