【完結】あなたの幻(イリュージョン)を追いかけて

須賀マサキ(まー)

文字の大きさ
46 / 46
エピローグ

エピローグ(二)

しおりを挟む
 その日、沙樹はワタルと久しぶりにデートをした。
 SF好きのワタルに連れられて映画を観たのち、大型書店に入る。読書家のワタルは、デートそっちのけで大量に本を買い込む。沙樹は英語の学習を兼ねて、洋書を一冊購入した。
 行きつけのレストランでシーフードを食べたのち、ふたりはワタルのマンションに帰る。部屋に入るとワタルはビル・エヴァンスのアルバムを流し、ソファーに座って買ったばかりの本を読み始めた。
 沙樹はコーヒーを淹れるとマグカップをテーブルにおき、ワタルの隣に座る。
「何を読んでるの?」
「SFだよ。古典だけど新訳が出たから買ってみたんだ」
「旧訳は持ってる?」
 沙樹の目が輝いた。
「中学のときに読んだから、実家にあるはずだよ」
「今度借りてもいい? 原書を読んだあとに、両方の訳を読み比べてみたいな」
「英文科卒はそういうところが気になるんだな。親父のところに行ったとき、持って帰るよ」
 ワタルは本を閉じ、テーブルにおいた。沙樹の肩に腕をまわし、そっと抱き寄せる。
「あ、あのワタルさん、コーヒーが冷める前に飲まない?」
「そうだな。でもコーヒーより甘いことしようよ」
 ワタルの右手が沙樹のあごに触れた。
「ちょっと。違う。コーヒーは甘くない」
「たしかにそうだな」
 ワタルは微笑み、沙樹の顔に自分の顔を近づける。
 そのときスマートフォンに着信が入った。ワタルは着信音を気にすることもなく、沙樹にキスをする。ところが発信者も負けていない。留守番電話に切り替わったらすぐにかけ直してくる。しつこさに負けたワタルは沙樹から離れた。
「ワタルさん、出た方がいいんじゃない? 急用かもしれないよ」
「そうだな」
 ワタルは沙樹の肩を抱いたまま、空いた手でテーブルにおいたスマートフォンを取り、発信者を確認する。なるほど、しつこいはずだ。
「どうしたんだ、こんな遅い時間に……。これから? 今どこにいる?」
 このタイミングで押し掛けられるとは思わず、ワタルは我知らず立ち上がった。
「よ……よろしくって。おい、ちょっと」
 通話を終えたワタルはソファーに座り直し、深いため息をついた。
「だれから? 仕事関係?」
「ハヤトだよ。バンド仲間と一緒に、最寄り駅まで来てるって。あと十分もすれば到着だよ。でもこの時刻だと……」
 ワタルは出窓に置いた時計を見る。
「どうやら終電で来たみたいだな」
「ハヤトくんたちが? こんな遅い時間にわざわざ来るなんて。この近くにホテルなんてあったかな」
 沙樹の問いかけにワタルは首を横にふった。
 コーヒーを飲んで頬杖をつくワタルを残し、沙樹はキッチンに立った。コーヒーメーカーをセットし、自分が買い置きしているクッキー缶を棚から出す。
 ちょうどコーヒーができたタイミングで、ハヤトたちが到着した。
「兄さん、こんばんは」
「遠くからよく来たね」
 涼しい顔をしているハヤトと違い、バンド仲間は恐縮しながら部屋に入る。それぞれキャリーケースを引っ張っていた。
「あ、沙樹さんもいたんだ。もしかしてぼくたち、邪魔しちゃたかな」
「そんなことないよ。会えて嬉しいもの。明日の件で上京したんでしょ?」
 沙樹はコーヒーとクッキーをテーブルにおいた。
「明日の件って?」
 ワタルはコーヒーカップを持ち、ソファーを移動しながら問いかけた。
「あたしの作った企画が通ったって話したでしょ。地方限定で活動しているインディーズ・バンドを紹介するって番組」
「覚えてるよ。確か一回目のゲストがハヤトたちのザ・プラクティスに決まったって言ってたな」
「そゆこと。だからみんなで上京してきたんだ」
 ハヤトが自慢気に答える。
「でもどこに泊まってるの? この近くにホテルなんてあったかな」
 沙樹とワタルにも、心当たりがない。
「ところが一軒だけあるんだよ、これが」
 不敵な微笑みがハヤトの口元に浮かぶ。ワタルは首をかしげながら、タバコを取り出してくわえた。
「どこなの?」
 沙樹の問いかけに、ハヤトは「ここ」と床を指さした。
 一瞬遅れて、ワタルがライターを落とす。
「まさか……」
「そのまさかだよ。四人まとめてよろしくね、兄さん」
「まてっ、おれは何も聞いてないぞ」
「そんなこと言わないでよ。ぼくたち貧乏学生なんだよ。リビングの隅で雑魚寝するから追い出さないでっ」
 両手を合わせ、上目遣いでハヤトが頼み込む。あとの三人はその後ろで、肩をすぼめてうつむいた。
「何もワタルさんちに泊まらなくても、宿泊費と交通費は出すってことになってるのよ。この際だから、いいホテルに泊まるかと思ったのに」
「でも一泊だけでしょ。ぼくら春休みだし、せっかく上京したんだから、東京を観光したいんだ」
 なるほどね、と呟いてワタルは腕を組む。
「でも四人分の布団もないし、どうすればいいんだか」
「それなら大丈夫、寝袋持ってきたからね」
 沙樹は思わず噴き出した。
「ここまで準備してるんだから、泊めてあげたら」
 ワタルは床に落としたライターを拾い、たばこに火をつけた。そしてフゥ、とため息とともに煙を吐き出した。
「泊まるところがない学生を追い出せないよな。明日の朝いちばんに、布団のレンタルを頼めよ。費用はおれが持つから」
「やったー! ありがとう、兄さん」
 ハヤトを初め、バンドメンバーも口々に礼を言う。満面の笑みを浮かべながらハイタッチをする四人を見ていると、沙樹は自分のことのように嬉しくなる。
「じゃあおれたちは、これで退散しようか、沙樹」
「え? 退散?」
 言葉の意味を沙樹は理解できない。ワタルは吸いかけのタバコを灰皿でもみけし、ソファーから立ち上がってクローゼットのコートを手にした。
「ここはハヤトたちに占領されたから、おれは沙樹の部屋に泊めてもらうよ」
「あたしの?」
「広いといっても、大人の男五人が寝泊まりするには窮屈だから。それにおれがいない方がハヤトたちもリラックスできるだろ」
「あ、そうなの……」
 沙樹は人差し指で頬をかきながら答える。
「そんなあ。プロのバンドについて話を聞きたかったのに」
「解った。それなら明日の仕事あとに時間を取ろう。空いてるメンバーがいたら連れてくるよ。でも今はだめだ。沙樹を送らないといけないからな」
「ラジャーッ! 兄さんたち、くれぐれも芸能記者には気をつけてね」
 ハヤトの忠告にウィンクで返事をして、ワタルは車で沙樹のマンションに移動した。


 ふたりはカウンターテーブルの前に並んで座り、改めて沙樹が淹れたコーヒーを飲む。灰皿にはたばこがおかれ、部屋中にほんのりと紫煙を漂わせていた。
「急に出てきてマンションを占拠するなんて、ハヤトくんらしいよね」
「そうだな。でもハヤトのおかげで、しばらく沙樹と一緒に住めることになったよ。少しは感謝するか」
 ワタルは沙樹の肩を抱き寄せる。
「あ、ハヤトくんの忠告忘れてる。芸能記者に気をつけてって言ってたでしょ」
 沙樹はカーテンの開いた窓を指さし、苦笑するワタルの腕をすりぬけた。
 窓を開けると冷たい夜気が入ってくる。街灯りに邪魔されてはいるが、夜空は雲ひとつなくきれいだ。だがワタルの故郷で見た星空とは比べものにもならない。
 沙樹はあのとき見た、降るような星空を思い出した。
「沙樹、どうしたんだ?」
 すぐうしろにワタルが立っていた。ふりむきかけた沙樹の肩に手をそえる。
「夜の空気はこんなに冷たいのに、もう春の星座が見えるのね。あの騒動は秋の終わりだったのに。いつのまに季節が進んだのかなって」
「時間の流れが速いのかもしれないな。子供のころは、一日や一年はもっと長いと思ってた。それが今じゃ、あっという間だろ。それだけ大人になったってことだよ」
「そうね。毎日忙しいものね、お互い」
 不意に部屋の明かりが消え、星空が少しだけ見やすくなる。沙樹は夜空を見上げ、春の星座を探した。北斗七星の柄から、うしかい座のアルクトゥルスとおとめ座のスピカをたどる。春の大三角形を作るあとひとつはどれだろう。
「それだけにおれは、一分一秒を無駄にしたくないね」
 沙樹のうしろから耳元でささやいて、ワタルは窓とカーテンを閉めた。
「これで写真に撮られる心配もなくなったよ」
 ふりかえった沙樹に、ワタルはキスをした。

しおりを挟む
感想 4

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(4件)

にけ❤️nilce

面倒見の良いワタルに、ダメだよ、まずいよと心の中で呟きながら読みました。
親切で責任感が強いからこそ起きたことだったのでしょうね。
早合点することなく真実を追い求めた沙樹は強い女性だと思いました。
ハッピーエンドでよかった!
ありがとうございました。

2022.09.21 須賀マサキ(まー)

にけさん、

最後まで読んでくださっただけでなく、感想まで書いていただき、ありがとうございました。

そうなんですよね。
ワタルは責任感とお節介のかたまりなので、自分から厄介ごとに飛び込んでしまうところがあります。
それがわかっていないと、カノジョにはなれませんね(汗)。沙樹は確かに強い女性です。

ハッピーエンドは沙樹が行動することでたどりついた結果ですね。
書いている私も相当苦労しましたが、要求以上の行動をしてくれました。

こちらこそ本当にありがとうございました。

解除
葵衣
2022.05.18 葵衣
ネタバレ含む
2022.05.19 須賀マサキ(まー)

葵衣さん、最後まで読んでくださって、ありがとうございました!
バンドのリーダーであるが故に、人を思いやり、邪険にすることのできないワタルです。
このままではいつか潰れてしまわないかと心配なところもありましたが、とうとう今回はそのような状況に陥ってしまいました。
しばらく考える時間を持てたことと、沙樹をはじめとする仲間のサポートにより、自分自身を取り戻すことができたのだと、著者自身も思っています。
哲哉の歌い方は、実際に別の小説でも書いています。今はなろうにしか載せていませんが、いずれ別のところにも転載する予定ですので、またよかったらお読みくださいませ。
本当にありがとうございました😊

解除
葵衣
2022.05.04 葵衣

こんばんは。
沙樹にこんな思いをさせてワタルは何やってんだ〜と思いますが、彼には彼の事情があるんだろう……。だがしかしやっぱり「ワタルめ!」と思ってしまいます笑
沙樹はいい人達に恵まれていてよかったなあ。

2022.05.04 須賀マサキ(まー)

葵衣さん、いつもありがとうございます♪

沙樹さん、本当に友人に恵まれています。
その分、ワタルに振り回されて苦労しているというか…。

彼も彼なりに、表には出さない苦労をしているんですけどね。今回は、そんな姿を書いてみました。
苦労話は後半に出てくるので、ぜひ最後までお付き合いいただけると嬉しく思います(^^)

解除

あなたにおすすめの小説

美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness

碧井夢夏
ライト文芸
<第五回ライト文芸大賞 最終選考・奨励賞> 住宅街とオフィスビルが共存するとある下町にある定食屋「まなべ」。 看板娘の利津(りつ)は毎日忙しくお店を手伝っている。 最近隣にできたコーヒーショップ「The Coffee Stand Natsu」。 どうやら、店長は有名なクリエイティブ・ディレクターで、脱サラして始めたお店らしく……? 神の舌を持つ定食屋の娘×クリエイティブ界の神と呼ばれた男 2人の出会いはやがて下町を変えていく――? 定食屋とコーヒーショップ、時々美容室、を中心に繰り広げられる出会いと挫折の物語。 過激表現はありませんが、重めの過去が出ることがあります。

シンデレラは王子様と離婚することになりました。

及川 桜
恋愛
シンデレラは王子様と結婚して幸せになり・・・ なりませんでした!! 【現代版 シンデレラストーリー】 貧乏OLは、ひょんなことから会社の社長と出会い結婚することになりました。 はたから見れば、王子様に見初められたシンデレラストーリー。 しかしながら、その実態は? 離婚前提の結婚生活。 果たして、シンデレラは無事に王子様と離婚できるのでしょうか。

サトシ先生は美しき十代の乙女に手を出さない

白神ブナ
恋愛
高校一年一学期から三年三学期まで続く長編です。気になるサブタイトルを見つけて途中からでもお楽しみいただけます。 女子校あるあると、先生あるある、受験あるあるを描く学園恋愛ドラマ。 佐藤サトシは30歳の独身高校教師。 一度は公立高校の教師だったが心が折れて転職し、私立白金女子学園にやって来た。 一年A組の受け持つことになったサトシ先生。 その中の一人、桜井美柑はガチでサトシ先生に恋してしまった。 サトシ先生は、桜井美柑という生徒の存在を意識してしまいつつ、あくまで職務に忠実であろうと必死に適度な距離を保とうとするが……

出逢いがしらに恋をして 〜一目惚れした超イケメンが今日から上司になりました〜

泉南佳那
恋愛
高橋ひよりは25歳の会社員。 ある朝、遅刻寸前で乗った会社のエレベーターで見知らぬ男性とふたりになる。 モデルと見まごうほど超美形のその人は、その日、本社から移動してきた ひよりの上司だった。 彼、宮沢ジュリアーノは29歳。日伊ハーフの気鋭のプロジェクト・マネージャー。 彼に一目惚れしたひよりだが、彼には本社重役の娘で会社で一番の美人、鈴木亜矢美の花婿候補との噂が……

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

10年引きこもりの私が外に出たら、御曹司の妻になりました

専業プウタ
恋愛
25歳の桜田未来は中学生から10年以上引きこもりだったが、2人暮らしの母親の死により外に出なくてはならなくなる。城ヶ崎冬馬は女遊びの激しい大手アパレルブランドの副社長。彼をストーカーから身を張って助けた事で未来は一時的に記憶喪失に陥る。冬馬はちょっとした興味から、未来は自分の恋人だったと偽る。冬馬は未来の純粋さと直向きさに惹かれていき、嘘が明らかになる日を恐れながらも未来の為に自分を変えていく。そして、未来は恐れもなくし、愛する人の胸に飛び込み夢を叶える扉を自ら開くのだった。

結婚直後にとある理由で離婚を申し出ましたが、 別れてくれないどころか次期社長の同期に執着されて愛されています

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「結婚したらこっちのもんだ。 絶対に離婚届に判なんて押さないからな」 既婚マウントにキレて勢いで同期の紘希と結婚した純華。 まあ、悪い人ではないし、などと脳天気にかまえていたが。 紘希が我が社の御曹司だと知って、事態は一転! 純華の誰にも言えない事情で、紘希は絶対に結婚してはいけない相手だった。 離婚を申し出るが、紘希は取り合ってくれない。 それどころか紘希に溺愛され、惹かれていく。 このままでは紘希の弱点になる。 わかっているけれど……。 瑞木純華 みずきすみか 28 イベントデザイン部係長 姉御肌で面倒見がいいのが、長所であり弱点 おかげで、いつも多数の仕事を抱えがち 後輩女子からは慕われるが、男性とは縁がない 恋に関しては夢見がち × 矢崎紘希 やざきひろき 28 営業部課長 一般社員に擬態してるが、会長は母方の祖父で次期社長 サバサバした爽やかくん 実体は押しが強くて粘着質 秘密を抱えたまま、あなたを好きになっていいですか……?

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。