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第一部 キミのこないクリスマス・イヴ
第三話 想いと思い込み
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――好きだ。
――結婚を前提に
――おれとつきあってくれ。
結婚を前提に、友也と、つきあう?
言葉のひとつひとつを噛みしめるように、沙樹は頭の中で繰り返した。誰が聞いても疑いようのない告白であり、プロポーズだ。
たしかに友也とは気が合う。何でも気兼ねなく話せる男友達のひとりだ。仕事に対する情熱も思いも方向が同じで、それを知ってからはますます親近感を抱くようになった。
ただそれは異性に対する感情ではなく、あくまでも友情にすぎない。沙樹は、友也を男として、ましてや恋愛対象として意識したことは一度もなかった。
友也も同じだと考えていたのに、まさかそんな目で見られていたとは。予想を遥かに超えていた。
沙樹は両手を膝に置き、そこに視線を落とす。
「知ってるよね、あたしにはつきあってる人がいるってこと」
「ああ、前に聞いたからな」
「じゃあどうしてプロポーズなんてするの?」
友也は一瞬の間を置き、眉をひそめて沙樹を上目遣いに見る。
「彼氏ってえのがどんなやつか知らないけど、沙樹を悲しませてるからさ」
「あたし、悲しんでなんかないよ」
「ウソつくなよ。今日だって結婚のこと考えて、寂しそうな顔してたじゃねえか」
図星だ。
中途半端な今の関係をこのまま続けていいのだろうかと、三十歳を手前にして思わない日はない。加えて芸能界に身をおくワタルのまわりには、魅力的な女性がたくさんいる。いつ心変わりされてもおかしくないという不安は、沙樹の心にずっと巣食っていた。
でも長いつきあいの中でワタルの誠実さを何度も見ている。何があっても裏切らない人物であることは、他の誰よりも理解しているつもりだ。
「そんなこと……ないよ」
沙樹は唇を噛み、膝においた両手を強く握りしめる。
「ほら、そうやって暗い顔になる。誰がそうさせてんだ? 彼氏だろ」
不安に思う部分を突かれ、返す言葉がなかった。
「本当に結婚する気があるのかよ、そいつ」
あるよ、と断言できない。
「男の中にはいるんだよ。本命の彼女や奥さんがいるくせに、上手いこと言ってセフレをつなぎ止める狡いやつ。沙樹はそいつに都合のいい女にされてるんじゃねえのか」
なんの事情も知らない友也がどうしてそんなことを言えるのか。
黙って聞いていたらあまりの言い草に、沙樹は唇を震わせる。
「友也、今のは言い過ぎだよ」
「おれなら沙樹を悲しませない。絶対に泣かせない」
「絶対なんて、無責任に言わないでよ」
「おれは本気だ。思わせぶりでずるずるつきあうだけの彼氏とは、さっさと別れちまえよ。おれが必ず幸せにするから」
ワタルは沙樹のことを都合のいい女だなどと思っていない。そんな人ならとっくに別れている。
自分たちの事情も知らずに推測で決めつけている友也に、沙樹は怒りが湧いてきた。
「彼のこと何も知らないのに、いい加減なこと言わないで。友也のこと嫌いになるよ」
「不倫なんだろ?」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
「……なんて言ったの?」
「存在すら知られたくない相手って、不倫しか思いつかねえ。そうなんだろ」
友也の視線に哀れみが混じる。沙樹はそれを敏感に感じ取った。
「あたしのこと、そんなふうに見てたんだ。かなわぬ恋に溺れている莫迦な女って思ってるんだね」
「いや、そんな訳じゃ……」
「じゃあ何? 友也は自分のことを、だまされてるかわいそうな女を助けにきた白馬の王子様だとでも言うつもりなの?」
友也は返す言葉に詰まり、自ら視線を外した。沙樹の頬は熱くなり、膝に置いた手が小刻みに震える。
信頼できる友達だと思ったから、彼氏がいるかと聞かれたときにイエスと答えた。相手がオーバー・ザ・レインボウのワタルだと明かさなかったのは、バンド活動に支障が出るといけないという配慮からだ。
沙樹のそんな辛さも知らないで、友也は自分勝手にシナリオを書いている。
今にして思えば「彼氏がいるのか?」という問いかけは、「おれとつきあわないか」という言葉の前振りだったのかもしれない。
すべては後の祭りだ。もうここにいたくはない。友也の顔など金輪際見たくなかった。
沙樹は立ち上がり、水の入ったグラスを手にする。そして友也のそばまで移動し、頭の上で引っくり返した。
「わっ。冷てえっ」
友也の悲鳴が店内に響き、客の視線が自分たちに集中した。静かで落ち着いた店内が、急にざわめき始める。
店の雰囲気を壊してしまった。こんな場違いな場所に初めから来るべきではなかった。すべては仕事の相談だと思ってついてきた自分の判断ミスだ。後悔の念と怒りで、沙樹の全身が震える。
「あたし帰る。食事代の請求書、忘れずにまわしといてねっ」
騒ぎを聞きつけてソムリエが顔色を変えて飛び出してきた。彼からコートと荷物を受け取り、沙樹はテーブルを離れる。
「っと待てよ。沙樹っ」
友也の呼びかけを無視して、沙樹は足早に店を跳び出した。
「仲谷、大丈夫か?」
ソムリエがタオルを渡しながら、心配そうに問いかける。
「ああ。断られるのは予想してたが、こんなことまでされるとは思わなかったぜ」
友也は髪の毛を拭きながら答えた。
「プロポーズするって話だから、とっくにいい関係になってると思っていたんだがな。まさかまだ片思いだったとはね。おまえらしいよ」
「いいんだよ今は。今日の結果も計算のうちだが、まさかこんな反応が返ってくるとはね。でもいつか沙樹を絶対にふりむかせるからな」
「それにしても、なかなか感情表現の豊かなお嬢さんだ」
ソムリエは苦笑まじりに友也に感想を述べる。
「だろ。あの激しさがたまらないね。ますます惚れちまったぜ」
友也は不敵な笑みを浮かべ、走り去る沙樹をガラス越しに見つめた。
――結婚を前提に
――おれとつきあってくれ。
結婚を前提に、友也と、つきあう?
言葉のひとつひとつを噛みしめるように、沙樹は頭の中で繰り返した。誰が聞いても疑いようのない告白であり、プロポーズだ。
たしかに友也とは気が合う。何でも気兼ねなく話せる男友達のひとりだ。仕事に対する情熱も思いも方向が同じで、それを知ってからはますます親近感を抱くようになった。
ただそれは異性に対する感情ではなく、あくまでも友情にすぎない。沙樹は、友也を男として、ましてや恋愛対象として意識したことは一度もなかった。
友也も同じだと考えていたのに、まさかそんな目で見られていたとは。予想を遥かに超えていた。
沙樹は両手を膝に置き、そこに視線を落とす。
「知ってるよね、あたしにはつきあってる人がいるってこと」
「ああ、前に聞いたからな」
「じゃあどうしてプロポーズなんてするの?」
友也は一瞬の間を置き、眉をひそめて沙樹を上目遣いに見る。
「彼氏ってえのがどんなやつか知らないけど、沙樹を悲しませてるからさ」
「あたし、悲しんでなんかないよ」
「ウソつくなよ。今日だって結婚のこと考えて、寂しそうな顔してたじゃねえか」
図星だ。
中途半端な今の関係をこのまま続けていいのだろうかと、三十歳を手前にして思わない日はない。加えて芸能界に身をおくワタルのまわりには、魅力的な女性がたくさんいる。いつ心変わりされてもおかしくないという不安は、沙樹の心にずっと巣食っていた。
でも長いつきあいの中でワタルの誠実さを何度も見ている。何があっても裏切らない人物であることは、他の誰よりも理解しているつもりだ。
「そんなこと……ないよ」
沙樹は唇を噛み、膝においた両手を強く握りしめる。
「ほら、そうやって暗い顔になる。誰がそうさせてんだ? 彼氏だろ」
不安に思う部分を突かれ、返す言葉がなかった。
「本当に結婚する気があるのかよ、そいつ」
あるよ、と断言できない。
「男の中にはいるんだよ。本命の彼女や奥さんがいるくせに、上手いこと言ってセフレをつなぎ止める狡いやつ。沙樹はそいつに都合のいい女にされてるんじゃねえのか」
なんの事情も知らない友也がどうしてそんなことを言えるのか。
黙って聞いていたらあまりの言い草に、沙樹は唇を震わせる。
「友也、今のは言い過ぎだよ」
「おれなら沙樹を悲しませない。絶対に泣かせない」
「絶対なんて、無責任に言わないでよ」
「おれは本気だ。思わせぶりでずるずるつきあうだけの彼氏とは、さっさと別れちまえよ。おれが必ず幸せにするから」
ワタルは沙樹のことを都合のいい女だなどと思っていない。そんな人ならとっくに別れている。
自分たちの事情も知らずに推測で決めつけている友也に、沙樹は怒りが湧いてきた。
「彼のこと何も知らないのに、いい加減なこと言わないで。友也のこと嫌いになるよ」
「不倫なんだろ?」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
「……なんて言ったの?」
「存在すら知られたくない相手って、不倫しか思いつかねえ。そうなんだろ」
友也の視線に哀れみが混じる。沙樹はそれを敏感に感じ取った。
「あたしのこと、そんなふうに見てたんだ。かなわぬ恋に溺れている莫迦な女って思ってるんだね」
「いや、そんな訳じゃ……」
「じゃあ何? 友也は自分のことを、だまされてるかわいそうな女を助けにきた白馬の王子様だとでも言うつもりなの?」
友也は返す言葉に詰まり、自ら視線を外した。沙樹の頬は熱くなり、膝に置いた手が小刻みに震える。
信頼できる友達だと思ったから、彼氏がいるかと聞かれたときにイエスと答えた。相手がオーバー・ザ・レインボウのワタルだと明かさなかったのは、バンド活動に支障が出るといけないという配慮からだ。
沙樹のそんな辛さも知らないで、友也は自分勝手にシナリオを書いている。
今にして思えば「彼氏がいるのか?」という問いかけは、「おれとつきあわないか」という言葉の前振りだったのかもしれない。
すべては後の祭りだ。もうここにいたくはない。友也の顔など金輪際見たくなかった。
沙樹は立ち上がり、水の入ったグラスを手にする。そして友也のそばまで移動し、頭の上で引っくり返した。
「わっ。冷てえっ」
友也の悲鳴が店内に響き、客の視線が自分たちに集中した。静かで落ち着いた店内が、急にざわめき始める。
店の雰囲気を壊してしまった。こんな場違いな場所に初めから来るべきではなかった。すべては仕事の相談だと思ってついてきた自分の判断ミスだ。後悔の念と怒りで、沙樹の全身が震える。
「あたし帰る。食事代の請求書、忘れずにまわしといてねっ」
騒ぎを聞きつけてソムリエが顔色を変えて飛び出してきた。彼からコートと荷物を受け取り、沙樹はテーブルを離れる。
「っと待てよ。沙樹っ」
友也の呼びかけを無視して、沙樹は足早に店を跳び出した。
「仲谷、大丈夫か?」
ソムリエがタオルを渡しながら、心配そうに問いかける。
「ああ。断られるのは予想してたが、こんなことまでされるとは思わなかったぜ」
友也は髪の毛を拭きながら答えた。
「プロポーズするって話だから、とっくにいい関係になってると思っていたんだがな。まさかまだ片思いだったとはね。おまえらしいよ」
「いいんだよ今は。今日の結果も計算のうちだが、まさかこんな反応が返ってくるとはね。でもいつか沙樹を絶対にふりむかせるからな」
「それにしても、なかなか感情表現の豊かなお嬢さんだ」
ソムリエは苦笑まじりに友也に感想を述べる。
「だろ。あの激しさがたまらないね。ますます惚れちまったぜ」
友也は不敵な笑みを浮かべ、走り去る沙樹をガラス越しに見つめた。
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