君と僕の 記憶の円舞曲

渚月 ネコ

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第1章

第6話 Echte Figur

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   気がつけば日は完全に暮れていて、東京駅に着く頃には街灯に光が灯っていた。
   昼とはまた違う雰囲気を醸し出していて、これはこれで一つの出来上がった景色のように思えた。道を行き交う人は多種多様で、まるで僕が集団の中に入って、自分が自分でないような、そんな気がした。

   僕が思いに耽ていると、彼女が現実に強引に引き戻した。


   「で!こんな時間だからもう終わりだけど、トイレ事件、まだ完全に償えてないから!」

   「むしろ貴方に非があると言っているのですがね」

   「うるさい!とりあえず今日はこれで終わり!また会った時に覚えていることね!」

   「綺麗さっぱり忘れていたらどうします?」

   「罰金、思い出すほどの恐怖を刻む、頭蓋骨強打、どれが良い?」

   「その時は罰金でよろしくお願いします」


   今日は偶然にも楽しむことができた。他者との関わりを限界まで絶ってきた僕にとって、彼女と駄弁るのは、この上ないリフレッシュとなった。この日は僕にとって大切な日となるだろう。そして、一つ賢くなった彼女も、僕は多分忘れない。昔の僕とは違い、僕はちゃんとここに居るのだから。
   
   心の中で『僕』を意識しながら、心に刻む。大丈夫だ。僕はここに居る。彼女のことをちゃんと覚えている。


   「とりあえず、礼じゃないけど、これを貴方にあげる」

   「?」


   自分に意識を向けていたせいか、彼女の行動を把握できていなかった。目覚め時のように、頭が働かなかった。


   ………一体何をするのだろう?


   彼女が近づいて、自分の髪留めを取った。蒼い宝石が煌めく綺麗な髪留めだ。

   明らかに自分のパーソナルスペースに侵入しようとしていた。


   これ以上は………ダメだ。


   「そんな前髪じゃ前が見づらいでしょ。無理に切れとは言わないけれど、これで留めてなさいよ」

   「えっ……あ……」


   僕は己を守る為にルールを決めた。色々とあるが、そのルールに則って僕は生活をしている。

   その中に、己を喧騒に巻き込まれないようにする為に変装をバレてはいけないという一目がある。


   ………だから、これ以上は、近付かないで。


   前髪の下には、碧眼がある。
   本当はダメだ。銀髪と同じで、これがバレると自分のルールを大きく脱却してしまう。今までルールを緩めた分これから厳粛にしなければいけないのに、これさえバレるとなると本当にルールを破ることになる。それは、自分を否定しているのと一緒だ。

   なのに彼女の顔を見るとなぜか拒否できなかった。

   ただ、これには理由があるからと断ればいいだけ、それができなかった。自分でもわからない。突っ立っていることしかできなかった。ただ、目の前で僕に髪留めをつける彼女を、見ることしか。


   「…………!貴方まさか」

   「……ええ。碧眼ですよ。珍しいですよね。日本人なのに」


   苦し紛れの言葉。ここまでバレたのに自分をまた偽った。

   もう自分に嫌気がさす。素直になれない僕に、他者を受け入れようとする僕に。
   だが、これでいいのだろう。これ以上彼女にルールを許せば、彼女が『偶然親しくなったただの他人』でなくなってしまう。自分の中で、彼女が一線を超えてしまう存在になってしまう。
   だからこれでいい。自分でも確かな事はわからないが、このままでいいのだ。

   ポーカーフェイスが得意でよかった。
   もし、苦手だったら彼女は僕から何かを感じて、怪しい目でこちらを見るだろう。それは多分僕の精神にダメージを与える。
   そういう意味では、自分の表情のなさに感謝した。喜怒哀楽の表情が豊かな彼女には羨ましい気持ちも湧くが、今は無表情な自分に感謝した。
   

   「また会ったら、その減らず口、叩き直してあげるんだから!」

   「その宣言は100年後くらいに達成しそうですね、僕が老死するという形で」

   「うるさい!」


   いつのまにか彼女の近くには黒い車が停めてあった。多分、彼女の送迎車だろう。一応車種とナンバーは覚えた。低い可能性だが、もしかしたら誘拐を企てる輩かもしれないからだ。


   僕は働かない思考の中、車へ案内され入っていく彼女を見送った。誘拐者ではなく、送迎者だった。


   そして、僕は人ごみの中に消えていった。





   さて、彼女のせいで沢山の時間を使ってしまった。これから夜だ。バスにはたしか夜行運転もあったはず。いや、東京駅にいるのだから、電車で帰った方がいいだろう。その方が早いし、お金もかからない。

   僕は東京駅の、地元へ帰る道順を確認した。どうやら、乗り継ぎ一回で行けそうだ。


   「4000円也……高い」

   
   切符売り場で値の張る切符を買った後、ホームへ向かった。番線を確認するのは忘れない。出発時間にはまだ余裕があった。今度こそは間に合おう。たとえ予期せぬ事態が起きようとも。

   と、その前にトイレに行くことは忘れない。僕はに向かった。

   
   東京駅の個室トイレは広かった。しかも清潔で、都会の資金力の高さを思い知った。
   個室トイレに入った後、鍵を確実に閉める。壊れていないか確認もする。もうあんな事件は懲り懲りだ。


   「ふぅ………」


   便座に座る。お花を摘んでいる間にカツラを取る。
   バサリと銀髪が流れた。結んでいたはずの銀髪が解けていた。これまでよくはみ出さなかったものだ。 
   カツラから髪留めを取り、銀髪に付ける。


   「あー…これは念入りにケア必要かな」


   髪が荒れていた。やはり長時間カツラなど被るものではないのだろう。僕の銀髪は寝癖等には縁が無いが、負荷をかけると直ぐに傷んでしまう髪質だった。

   正直、これ以上髪を傷めたく無い。

   なので僕はカツラを鞄にしまって、目元の髪をサイドに分けた。

   完全に変装を解いているが、ここは地元から大きく離れ、知り合いがいても僕とは気づかないだろう。

   荷物を纏め、トイレの水を流す。そして、僕はホームへ向かった。



   ホームへ行くと、人がほとんどいなかった。
   
   偶然見つけた自販機で飲み物を買い、僕はベンチに座って飲んでいた。

   今は帰宅ラッシュが終わり、サラリーマンや学生等が自宅で夕食を食べている頃だろう。そのため周りに見える数少ない人たちは、帰宅ラッシュを嫌った学生などしかいなかった。僕はもう卒業生なので授業はなく、春休み真っ最中だが、高校生は部活等で忙しいんだろう。来年、僕もそうなるのかと思うと、少しのわくわく感と、めんどくさい気持ちになる。


   ぼーっと虚空を見つめていたら、右側から眩しさを感じ、電車が来たことを悟った。
   目の前を進み、徐々に速度が減っていく。そして、目の前にドアが来たところで止まった。

   ドアが開く。

   僕は電車に乗った。


   電車の中は、見事に空いていた。ガランとした内装の中、空のペットボトルが一つ落ちていて、帰宅ラッシュの後の哀愁というものを感じた。虚しくカランコロンと転がるそれは、寂しい気持ちを呼んだ。
   とりあえず、4人席が並ぶ中で端っこの方にある2人席に座った。もう一つの席に荷物を載せて、見知らぬ人が僕の隣に来ることを阻止した。といっても周りは空席だらけ。この状態で僕の隣に座るのはあまり良い趣味とは言えないと思う。もしもそのような人が居たらの話だが。
   
   途中、寄ったコンビニで買った弁当を食べる。見た限り周りに人はいないが、電車の中で食事をするという行為に身が引けたため、なるべく音を立てずに早く食べた。

   食べ終えた弁当をレジ袋に入れ、僕は小説本を取り出した。最近買った、まだ読んでない本だ。

   本は奥が深い。
   物語をどのように工夫して伝えているか、作者が読者に何を伝えたいのか。それを探すのがとても楽しい。特に面白い本は、自分をその世界へ誘ってくれる。現実など関係なく、作者が生み出した世界に自分がいるような感覚になる。
   その時こそ、初めて僕は『自分』を感じられる。『僕』がその世界に入り、作者の意図を考え、この本を読んでいる事が実感できる。元々本は好きだが、自分を保つ意味でも、本は僕にとって大切な物だった。

   電子書籍にも良作はあるのだが、スクロール形式で読んでいると些かその世界への侵入度に欠ける。やはり小説を読むとしたら、紙で見た方がいい。

   つい癖でブルーライトカットのメガネをしてしまった。特に問題はないので、そのままにした。

   良作を読んだのは大体二ヶ月前くらいだろう。果たしてこれは、良作といえる程のものなのか。

   僕は小説本を読み始めた。
  


   1時間小くらいだろう。その間、僕は本の世界にどっぷりと入っていた。

   充分にこれは良作であった。文章の構成、語呂の多さ、臨場感。全てにおいて高品質であった。自分がいつもよりもとても、嵌っていることに気が付いたのは、乗り換えの駅のアナウンスが聞こえたからだ。
   読書状態の時は至近距離で話しかけられても気付かないのに、このようなアナウンスはすぐに脳に到達するのだから不思議だ。なんらかの考察はあるのだろうが、特に不便はなく、逆に便利な事しかないのでほっといている。


   ホームを移動し、ドアが止まるであろう位置に立ったら、電車が来た。この電車は30分くらいの間隔で運行しているので、運が良かった。
  
   僕は電車に乗った。

   もう時間帯は遅く、先程の電車と同じく人は全くといっていいほどいなかった。
   並ぶ席に一人だけポツンと座る。寂しくはなかったが、寒いような気がした。

   
   『えーこの列車はぁ全て禁煙となっておりますー。喫煙はご遠慮くださいー』


   とてもやる気のない声。人が少ないからだろうか。


   『この列車はぁ、〇〇、〇〇、〇〇、蚊奈落と順に止まりぃ、終点〇〇まで全ての駅に止まりますー。次は〇〇ー。〇〇ー。』


   仕事としてはダメなのだろうが、僕からしたら何か安心するアナウンスだった。全てのアナウンスがこれならいいのに。


   小説本は読まなかった。十分程度で着く。そんな短時間では読むのに集中できない。あとは明日などに家でゆっくり読むとしよう。


   僕は耳にイヤホンをねじ込み、外の世界の情報を遮断する。そしてクラシックを聴く。

   聴覚は遮断されたので、僕はずっと電光板を見続けた。



   予想通り10分程度で蚊奈落駅に着いた。
   最後にやる気のない蚊奈のアナウンスを聞いたあと、僕は車掌さんに切符を渡し、駅を出た。

   見慣れない東京とは違い、見慣れた街、蚊奈落。
   
   僕の家はここから徒歩数分のところにある。近くにコンビニがあり、飲食店が数件並ぶ道のすぐ傍だ。

   歩いていれば、ほら、すぐに見えてくる……




   家に着くなり、僕は戸締りを確認して、風呂の湯を溜め始めた。

   運動はしてないが、やはり日帰りでも旅行や外出は疲れる。実際、僕の脚はもう棒になっていて、明日は確実に筋肉痛になるという事がわかる。この病弱な身体では、まともな運動も出来ない。悲しいことに中学の時の体育はその事情により全て見学。ならばテストでいい点数をと猛勉強したらいい成績をくれた。他の生徒からは恨まれたが、僕だって運動できない分テストを人並み以上に頑張ったのだ。運動は楽しいものあるし、僕が恨まれる筋合いはないはずだ。
   だがもう過去の話。高校ではもしかしたら少しなら体育に出れるかもしれない。それはこの身体がどこまで大丈夫なのかによるが、その時はその時だ。今は風呂に浸かって疲れを癒すのだ。

   お湯が完全に溜まったところで僕は脱衣所へ向かった。上着や服、下着類を全て外し、最後にを取り外す。髪をお湯につけないように纏めれば準備完了だ。

   裸体になって風呂場へ行き、蓋を開け、まずは溜まっているお湯を桶ですくい、身体にかけた。


   「ふぅ……」


   身体がだいぶ冷えていたためかお湯が設定温度よりも熱く感じられた。だがその熱さが疲れ切った身体をほぐすのには最適であった。
   湯気が立ち上る。風呂場内の温度と湿度が急激に上がっていくのがわかる。

   僕は足から脚、胴、腕、と順に湯船に浸かった。
 
   最後に首元まで浸かると、大きいため息が出た。


   「はぁぁぁぁ~~……」


   風呂といえば何か、と問えば、多くの人が『娯楽』と言うだろう。或いは、心身共に癒す場所であり、唯一この世で安心できる場所だと。全くもってその通りだ。このお湯が完全に己を包む感覚、身体がじんわりと温まる感覚、温泉とは一味違うマイホーム感。良い事尽くしなお風呂を嫌いな生物は居ないんじゃないかと思う。水場が苦手な者、又は動物を除いて。

   故に僕は堪能するのだ。のぼせないギリギリを狙って。



   …
   
   ふと見た風呂場に取り付けてある鏡。


   そこには少女が映っていた。


   光流れる綺麗な銀髪に、ガラス細工のような碧眼、ふっくらピンク色の唇。


   元は白いであろう紅潮した肌に、か細く華奢な手脚。大きくもなければ小さくもない胸は、女の子らしさを強調していた。



   触れたら壊れてしまうんじゃないかと思うほどの儚いその姿。



   これが僕の本当の姿。



   そして、勝手に彼、彼女から奪ってしまった、借り物の姿。




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      Echte Figur   本当の姿


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