世の中は意外と魔術で何とかなる

ものまねの実

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復活のアウトリガー

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常夏の国と言って差し支えのないソーマルガでは、気温の変化で季節の移り変わりは感じにくい。
『最近暑いなぁ。あ、夏か』ぐらいの感覚でしか分からないため、気が付けば一カ月二カ月過ぎているということも十分にあり得そうだ。

そんなある日、二の村へ行った日から十日ほど経った現在、どういうわけか俺はアイリーンの執務室で彼女の書類整理を手伝わされている。

「アンディ、ここの数字ですけど、おかしくありません?」

「どれですか……いえ、これで合ってますよ。変に思えるのは、こっちのと纏めたせいでしょう。ほら、こことここ、こことここが合計されてるんですよ」

「ああ、なるほど。そういうことですのね」

時折、手を止めたアイリーンから書類の確認をさせられるのだが、部外者にこういう書類を見せるのは大丈夫なのかと心配になるのは俺だけだろうか。

そもそもこういったアイリーンの補佐役には、数少ないながらいるここの文官やレジルなどが担っていたのだが、今その人たちは昆布を領外に売り出すための書類作りや、魚醤の製造法を紙にまとめる作業などに回されており、自動的にマンドリンを呑気に奏でて過ごしている俺に白羽の矢が立ってしまった。

アイリーンも領主として日々書類を処理するのは慣れているが、やはり自分以外の目も欲しいということで、俺が補佐に着くことを特に反対はしなかったそうだ。
まぁ俺もそこそこ暇だったので引き受けたわけだが、正直アイリーン達からすれば俺の事務能力にはそれほど大きな期待はしていなかったらしい。

ところが俺はやらかしてしまった。
まず任されたのは大量にある陳情書や報告書の類を纏めるという作業だったのだが、俺はこれをざっと読んで重要度順に分類し、さらにその中でも急ぎかそうでないかという風に仕分けをしていった。

もちろん、これぐらいは普通の文官でもやることなのだが、俺はこれにさらに一手を加えていた。
重要度が高く、かつ急ぎの書類に関しては赤く印をつけた紙をしおり代わりに挟み、急ぎではないものには白いものを挟むといった具合に、いわゆるトリアージをしていったわけだ。
これなら積み上げられた書類の山の中からでも、優先して手を出すものが分かりやすいと思ったからだ。

するとそれが原因なのかどうかは分からないが、アイリーンの仕事が格段にスピードアップしてしまい、本来かかるはずの半分程度の時間で仕事が終わってしまった。

日がな一日書類仕事に追われることも少なくないアイリーンにとって、俺の補佐で自分の仕事が圧倒的に早く終わったことは感動的だったらしく、片付けられた執務机を見て一筋の涙を流したのを見た時はちょっと引いてしまった。

それからというもの、俺が補佐に着くと書類仕事がすぐ片付くということに味を占めたアイリーンは、臨時雇いの文官として俺を使うようになった。
そこそこの報酬を提示され、飛びついた俺は浅はかだったと今なら言える。

一度様子見に現れた文官が俺の仕分け法を見た時は、自分達も導入しようと興奮気味に執務室から走り出していったのは印象的な出来事だった。

そんなわけで、今の俺はアイリーンの秘書的な役割を担っているわけだが、最近では書類作りまでさせられているのには参っている。
幸い、マルステル男爵領は村を三つ抱える程度の規模なので、難しい案件などはほとんどなく、あったとしてもアイリーンと正規の文官達で処理するので、俺に任されるのは細々としたものだ。

ただし、小さなこととはいえ領地運営に関わる案件である以上、適当に処理するわけにはいかず、その割には量だけはあるのが面倒くさいことこの上ない。
最近では書類と格闘して一日を終えることも多く、こんなことなら報酬につられて引き受けるんじゃなかったと後悔する時間も随分増えた。

「そう言えば、魚醤の方に進展があったそうですわね?」

書類に目を走らせながら何気なく呟かれたアイリーンの言葉に、俺の意識は現実へ引き戻された。

「え、あぁ、なんかそうらしいですね。俺はパーラからちらっと聞いただけですが、どうも意外と発酵が早いようで、予想よりも大分早く出来上がるかもしれません」

俺がパーラから聞いた様子だと、発酵の具合は二・三カ月は進行した感じで、酷い匂いは相変わらずだが、明らかに塩漬けの魚の入った壺の中に変化が見られたそうだ。

魚醤に限らず、醤油をはじめとした発酵食品の多くは完成に至るまで長い時間がかかる。
半年一年はざらで、中には数年仕込みで完成するものもあるとか。
食材を菌によって変化させる以上、それぐらいの時間がかかるのは当然なのだが、それはあくまでも地球での話だ。

これはこっちの世界で味噌を作った時の経験からだが、どうもこちらの菌は発酵の速度が地球のものよりも早い気がする。
日本だと味噌作りは優に一年かかるとされているのだが、この世界では明らかにそれよりも短い時間で出来上がっている。
勿論、ちゃんと味噌と名乗ってもいいものに仕上がるので、菌としての性質は疑ってはいない。

何が原因でそうなるのか分からないが、魔術が存在する世界だけに、何か魔力的なものが菌にも働いて発酵速度が違うという予想を密かに立てている。

そんなわけで、魚醤の方も発酵はかなり早く進むと見てはいたため、パーラから変化があったと聞いた時は『だろうな』という感じだった。
実際に魚醤造りをしたことが無い俺には完成までの過程を正確に判断することはできないが、本職の料理人がしっかりと管理しているはずなので、やばくなったらその都度相談にのるぐらいのスタンスでいる。

「レジルが一度魚醤造りの現場に顔を出したそうですが、酷い匂いだとか」

「まぁ製法が製法なんで、どうしても強い匂いは出ますよ。いつぐらいに完成とか聞いてませんか?」

「さあ?そこまでは」

恐らくこの世界初と思われる魚醤造りは、多くが手探り状態だ。
多少俺が助言できることもあるが、それでも限界はある。

ミーネの腕にかかっている魚醤造りは、その完成までの過程にどれだけの時間と手間がかかるか未知数だ。
俺が大豆から作る醤油でかかった手間を、そのまま魚醤造りに当てはめるのは正しくないことぐらいは分かる。
なので気長に待つとしよう。








昼を少し過ぎた頃、書類仕事から解放された俺は、暑さが極限に達しているこの時間の中、ジンナ村の中を歩いていた。
空調が効いていて快適だとは言え、ずっと屋内にいた俺の体は日光を欲しているのだ。
灼熱の太陽であっても、日光を浴びることで体の奥底から沸き上がる、シュワっとしたあの何とも言えない感覚が嬉しい。

この時間だと、気温は30度を優に越えているのだろう。
ギラギラとした太陽は狂気のような熱を地上へと放っているが、湿度があまりないことと、時折海から吹く風のおかげで日陰に入ると意外と過ごしやすい。
これがまた日本の夏よりもずっと快適でいい。

ヒートアイランドなどと無縁の世界では、こういうちょっとしたことでも十分涼が取れるのだから、地球での人間の罪というのは実は取り返しがつかないほど深いのではないかと背中が寒くなってしまう。

そんなことを考えつつ、時折日陰を梯子しながら散歩などしゃれこんでいたら、いつの間にか浜まで来てしまっていた。
すると、ある一角に漁師達が群れを成しているのを見つける。
陸に揚げられた船の周りで何やら話し込んでいるようだが、少し見えた表情には苦悶のようなものが浮かんでいる。

集まっているのは誰もジンナ村の漁師では若手と呼べる者ばかりで、年寄りが一人も含まれていないのが少し気になった俺は、そちらへと声を掛けてみることにした。

「こんちわ。こんな暑い中に皆さん、集まって一体何を?」

「あん?…なんだ、アンちゃんか」

俺の呼びかけに反応して振り向いたのは、ずんぐりむっくりとした体型の若い男だった。
この中では一番身長は低いが、それだけ重心が低くとれるため、揺れる船の上で作業をする漁師として見れば、向いた体型だと言えるだろう。
立ち位置からしてこの集団のリーダー的な存在であるその若者、名前はワンズという。

彼は今俺のことをアンちゃんと呼んだが、これは別に兄ちゃんから転じたものではなく、アンディの頭をとってアンちゃんと呼んでいるらしい。
この呼び方は最初、あのマンドリンを聞かせたときにいた村の子供達の間で流行った呼び方だったのだが、なぜかその後村中に浸透してしまい、今や俺はアンちゃんという呼ばれるばかりとなった。

なお、パーラは普通にパーラちゃんやパーラ、嬢ちゃんなどと呼ばれており、その扱いの差は何なのか一度じっくりと問いただしたいと思っている。
まぁ今はそれはおいておくとして。

「この船がどうかしたんですか?」

「ん、あぁ。いや、実はさっき倉庫を片付けてたら見つけたんだがよ、見ての通り古い船だ。こいつをどうするかって話し合ってたんだ」

ワンズが手の甲で叩くその船をよく見てみれば、確かに全体的な古さは目立つし、あちこちに腐食の痕跡も見られる。
素人目から見ても、これで海に漕ぎ出そうという気にはならない。

「大分傷んでるみたいですね。薪にするしかないのでは?」

「俺らもそう思ったんだがよ、村の爺さん方がなぁ…」

「何か言われたんですか?」

「『かつてこの村一番の漁師だった者が愛用した船を、薪にするなどとんでもない!何とかして乗れるように直せ!』…ときたもんだ」

溜め息を吐くワンズに同調するように、その場にいる全員も困った様子をそれぞれ態度に見せる。

英雄視とまでは言わないまでも、件の漁師の凄さを知っている老人がワンズ達に船の再生を依頼したという形なのだろうが、正直こうして見た感じではどれだけ手を入れることになるのか読めない。

木材というのはそれなりに長持ちする素材ではあるが、船として使われていたとなると海水で傷んでいるはずだ。
そもそも長年放置されていたことで大分古びているこの船は、果たして見事に復活を遂げられるのか?
何とも面倒なことを任されたものだと、ワンズ達に同情の念を禁じ得ない。

「大変ですね。一応聞きますけど、この船はちゃんと浮かぶんですか?」

「まぁ浮かびはする。だがどうにも安定が悪くてよ。さっき試し乗りした奴は船をひっくり返しちまった。波が穏やかな湾内はともかく、ちょっと沖に出た途端に揺れが一気に増してな」

そう言って視線を横に向けるワンズに倣うと、他と比べてやや濡れた格好をしている男が目に付く。
どうやら彼が試し乗りをした人間のようだ。
船乗りとして転覆を恥じているのか、苦笑いを浮かべて腕を組むその仕草には男くささがにじみ出ている。
濡れた服もこの日差しならすぐに乾くと放っておくそのワイルドさも、流石海の男と言いたい。

「見ての通り、この船は俺らが使う船よりも高さがあるし、正面から見れば全体が船底に向かって細くなる造りになってる。これじゃ揺れを上手く制御できなきゃすぐにひっくり返っちまうよ。せめて船体がもっと大きければもう少しましなんだがな」

遂には唸り声をあげだしたワンズの言葉で、俺も船の正面に回って全体を見てみるが、確かに竜骨を軸にして船底が弧を描くようなフォルムをしており、そのせいで陸ではまっすぐ立つにはパランスがとれず、片側に倒れるようにして置かれている。

少し離れた桟橋に係留されている船を遠目に見て、次に目の前の船に再び注目する。
ジンナ村で使われている船はどちらかというとカヤック寄りの形をしている。
そちらの方は低い位置に重心を置くことで転覆を防いでいるようだ。
こうして見ると二つの船はその形の違いがハッキリと分かりやすく、扱い方もやはり違いがあるのだろう。

安定性を増すなら、ワンズの言う通り巨大化させればいいのだが、それをするとこの船は一から作り直しになり、全く別の船が出来上がるだけだ。
老人からの注文は再生させろということなので、それではまずい。
許されるのは多少の改造程度で、船体は修復したとしてもこの形を保つ必要がある。

「波が横に当たると左右に揺れていき、最終的には転覆する…と。根本的に手を入れられないなら、アウトリガーでも付けるしかないな」

「…ん?なんだ、そのアウトリガーってのは」

なんとなく呟いた言葉に、いつの間にか俺の背後に来ていたワンズが反応する。
船の扱いに困っていたワンズ達は、俺の言葉に何かを見出したのか、好奇心の籠った目で俺を見てきた。

ワンズの反応を見ると、この世界ではアウトリガーは使われていないのだろうか?
まぁソーマルガで一般的ではないだけで、他では使われている可能性もあるが。

「アウトリガーというのは舷外浮材とも言い、乱暴な説明では船の横腹に外付けする小船のようなものです。主となる船体の横に腕木のような保持器を付け、その先に長さのある浮きを付ける感じですね」

分かりやすいように足元の砂に簡易の図を描き、自分の腕を船体に見立ててジェスチャーを交えて説明する。
俺も別に根っからの漁師というわけではないので、この説明で通じるか、そして正確に性能を伝えられているのかは分からないが、時折投げかけられる質問に答えながらアウトリガーの詳細を話していった。

「つまりはだ。船がそのアウトリガー側に傾いた時はその小さな浮きが支えて、反対に傾いた時はアウトリガーがその重さで傾きを抑える。そんな感じだな?」

「…ええ、その考え方でいいかと」

恐ろしきは漁師の船に対する理解度だ。
初めはよく分からないアウトリガーに対して懐疑的な反応もあったが、アウトリガーによって船体にもたらされる影響を俺の拙い説明だけで掴むと、瞬く間にその原理と有用性を理解して、周りと共有していった。
これがじっせんを知る者の思考か。

「ふむ、それなら手を加えるのは最低限で済むな。誰か、倉庫までひとっ走りして適当な浮き具を探してこい」

ワンズの声に、集団の中から一人が駆けだしていく。
どこか足取りが軽いように思えるのは、自分達をさっきまで悩ませていた難題に光明が見え始めたからか。

「次は腕木か。なんか使えるのはないか?」

「長さと強度は必要なんだよな。補修に使う板から削り出すか?」

「いや、確か壊れた櫂があっただろ。先が割れちまって処分するって言ってたやつ。あれを使ったらどうだ」

「あれか。いいかもしれん」

動き始めるとワンズ達の決断はとにかく早いもので、俺が口を挟む暇もなくアウトリガー制作のための素材集めはトントン拍子に進んでいく。
この感じだとこれから作り始めそうな勢いではあるが、流石に今から手を付けても日が落ちるまでに完成とはいかないだろう。

熱くなり始めた男達の会話にそろそろ見切りをつけ、パーラ達の方に顔を出そうかと思った俺は、聞こえてはいないであろうワンズに一言を告げてその場を後にした。

これからワンズ達はアウトリガーを作り、それを船に取り付けてから進水式となるわけだが、実際に正式な運用が出来るまで一カ月はかかると思った方がいい。
既存の船に手を加える以上、何度か調整と使用を繰り返して不具合を潰していく必要がある。

まぁ造り自体はそう凝ったものではないので、そうそう下手な失敗はしないと思うが、ちょくちょく顔を出して助言なんかしていこう。










と、そう思っていた翌日のこと。
いつものようにアイリーンの書類仕事を手伝っていると、使用人の一人が俺を呼びに来た。
なんでもワンズが俺に会いたがっているそうで、半ば脅されるようにして伝言を頼まれたそうだ。

「アイリーンさん、俺ちょっと出てきてもいいですか?」

「そうですわねぇ……いいでしょう。少し早いですが、昼休憩としましょうか。ちゃんと午後には戻ってくるのですよ?」

はーいママーン。

アイリーンから許可をもらい、先を歩く使用人の後をホイホイと着いていくと、屋敷の玄関先にはソワソワと佇むワンズがいた。

「お、来たか。悪いな、仕事中に呼び出して」

俺の姿に気付くと、ややテンション高めな調子でそう話しかけてくるワンズだが、言葉の割にその態度は悪びれている感じがない。
何かを喜んでいるようであるが、俺をこうして呼び出したということは、アウトリガーに関することで何かあるのだろう。

「ほんとですよ。まだ処理する書類は山ほどあるのに…。で、用件はなんですか?」

「おう。昨日言ってたアウトリガーな、あれ完成したからちょっと見てくれや」

「もう!?」

この村の漁師の技術力はどうなっている?
昨日話してから一日しか経っていないというのに、もうアウトリガーを作っちまうとは。

「へ…へぇ~。意外と早かったですね。もう例の船には取りつけたんですか?」

「それは今浜でやってる。一応そこそこの出来だとは思うんだが、お前の目で見ておかしなところはないか聞きたいんだ」

「なるほど。そういうことなら、お供しましょう」

言い出しっぺである責任を多少感じているというのもあるが、それ以上にこの世界の船に自分の助言で手が加えられた姿を見たいという好奇心を抑えられない俺は、急ぎ足で歩き出したワンズの後に続き、浜辺へと続く道を進んでいった。

辿り着いた先では、波打ち際に置かれた船を遠巻きで囲むようにして眺める村人達の姿があった。
どうやらアウトリガーという新しい器具の取りつけられた船の進水式を眺めようと集まったようだ。
珍しいものを見るような眼をしているものが大半の中、そこに混じっている老人達の何人かは疑わしげな顔を浮かべている者もいる。

その視線の先には、当然アウトリガーの取りつけられたあの古びた船がある。
いや、古びたという表現は今ではもう正しくはないか。
あれからしっかりと手入れをしたのか、黒ずんでいた船体は磨かれて木目が分かる程度に綺麗になっているし、破損個所は新しい木材で修復もされていて、傍目にはちょっと古びた船という程度にまで回復したと言っていい。

そして、そんな船の左側からは二本の棒が緩くカーブを描いて伸びており、その先には船体よりも二回りは小さい細長い浮きが取りつけられている。
俺の想像しているアウトリガーとしてはちゃんとした形となっており、こうして見た感じではほぼ完ぺきに再現できているのではないだろうか。

興味が八に対して懐疑が二という割合の視線が注がれるその船は、村の老人達が言うには伝説的な漁師が使った伝説の船ということになるので、下手な扱いをされているかどうかを見る老人達の目は厳しいものだ。
しかし、表立って文句を言うことをしないということは、アウトリガーの取りつけに関してはある程度認めてもらえたということだ。
そこにはワンズ達の説得もあったのかもしれないが、こうして形になっている以上、アウトリガーの効果をしっかりと知らしめる必要がある。

そんな村人たちの輪を断つようにして船の元へと立つと、若手漁師達が揃って到着したばかりの俺達へと注目した。
というか、ほとんどは俺に向けての視線だったことから、この船の出来を早く見ろと急かされている気分になる。

「見てくれ。大体は言われた通りにやってみたが、いくつか俺達で手を加えてみた。浮きの高さやら横腹からの離れ具合なんかは皆で話して、丁度いい位置を当てられたと思うんだが…」

「まぁ実際に船を扱う人がそう決めたならそれでいいと思いますよ。昨日も言いましたが、俺は船大工じゃありませんので、絶対にこうだという意見はあまり言えませんし」

ワンズが若干不安げな顔をしてそう言うが、正直俺は漁師でも船大工でもないので、このアウトリガーは間違っているとかを断言はできない。
あくまでもアウトリガーの完品を知っていて、船に取りつけたらこんな感じだろうというふんわりとした考えしかないのだ。

ただ、全体の雰囲気というか、水に浮かべた時の動きというのはある程度想像できる。
これはテレビやゲームなんかでかなりの数の船の動きを見てきたからというのもある。
最近のゲームは現実世界の環境を忠実に再現したものも多いし、テレビではディスカバリー的な番組だと船のことを事細かく視聴者に説明してくれるのだ。
そういった知識から見て分かるものなど些細なことだが、全くのゼロではないのは助けになるというもの。

「…ざっと見た感じだと、取付位置も問題なさそうな気がしますね。あとは実際に浮かべてみないことには何とも」

「それはそうだ。一応、後から調整が効くように作ってあるし、とりあえずやってみるか。おい!」

ワンズが挙げた声に、何人かが船に集まり、一人が船に上ると残った人間が一斉に船を海へと向けて押し出していった。
流石漁師の膂力だけあって、船は砂の上とは思えないほどにスムーズに進んでいき、あっという間に引き戻す波がその船体を沖へ向けて引っ張っていく。

ワンズをはじめ、浜で見守る村人達の多くの視線が注がれる中、少し進んだ先で船は三角の小さな帆を張り、そこに風を受けると緩やかに速度を上げて海面を走り出した。
危なげなく海を行く船の姿に、歓声を上げたのは見学をしていた子供達で、大人達はまず安堵の息を吐いたのちに再び緊張した目を船に向ける。

ここまでは上手くいった。
一応船としてはまっすぐ走るだけの機能はあると、昨日の時点では分かっていたのだし、操船するのも猟師として一人前の人間なのだ。
そうそう下手な姿は晒さないだろう。

問題は船が曲がる時だ。
船が転覆する状況というのは、大波を横から食らってひっくり返るか、曲がろうとして傾いた船体がそのまま戻れず倒れるというケースが多い。
今回、アウトリガーを取りつけたあの船が鋭角に曲がっても転覆しないということを示すことで、ようやくワンズ達が加えた改造は意義のある物として認められるのだ。
恐らく、次が見せどころとなることだろう。

そして、船は少し進んだところで、その進行方向を急激に右へと向ける。
アウトリガーが取りつけられたのは船体の左側なので、左に曲がるのには不安はない。
浮きが支えとなって倒れることが無いからだ。

しかし、右に曲がるとなると話は違う。
浮きが無い方向へとが傾けば、支えのない船体はそのまま倒れこんでしまう、そういう危険を想像しているからこそ、今あの船は右に曲がってその性能を示そうとしている。

案の定、船は急激な旋回を行ったせいで、遠目にも帆柱が海面に向けて傾き始めたのがはっきりと見えた。
ある程度なら船の復元性で持ち直せるが、漁師としての経験がある人間からすれば、そのボーダーラインというのはなんとなく身に着いているのだろう。

「いかん!ひっくり返るぞ!」

誰かが挙げたその言葉は、アウトリガーのない普通の船ならば正しい。
けど今回はそうはならなかった。

帆柱が海面に対して鋭く角度を描いていた船は、まるで見えない巨大な手が引き戻したように、一気に元の安全な位置へと復帰していた。
アウトリガーの重さが、傾き過ぎた船体を逆側に引っ張る力となって働く、そんな性能を見せつけられた老人達は、声をあげることなくただただ目を見開いて海を見ているだけとなってしまった。

「…凄いもんだな。あれは」

隣から聞こえたワンズの声は、感嘆に染まったものであると同時に歓喜も混ざっていた。

「普通、あそこまで傾いちまうともうどうにもならん。運良く風でも吹けば復帰できるかもしれんが、まず無ぇ。自力で陸まで泳いで帰ってくるか、誰かに助けに来てもらうしかないが、どっちにしろ魔物に襲われないことを祈るしか出来ん」

地球でも大海原で船が転覆したら、まず助からないと言われているが、こっちの世界だと海にも魔物というのがいるせいで、その危険度は比較にならない。
そういった危険と隣り合わせの仕事をしているワンズ達にとって、このアウトリガーは正に画期的な道具だと言えるのかもしれない。

チラリと他の村人達の様子も窺ってみると、子供達はたった今起きた船の立て直しが面白かったのか、笑い声をあげながら砂浜を走り回っている。
一方の大人達はリアクションこそ薄いが、船の安全性が高いことはわかったようで、それによって漁の危険が軽減されることを素直に喜んではいるようだった。






古びた船の復活に新しい試みを盛り込むという今回の企みは、見事成功を収めたと言っていい。

アウトリガーの有用性は村人達の多くが認めるところとなり、後日、保有する船のほぼ全てにアウトリガーを取りつけるのが、ジンナ村の漁師の総意で決定された。
なお、そのアウトリガーを作るための材料である大量の木材の手配すべく、アイリーン達の元へ嘆願書が送られてくることになるのだが、その原因が俺にあるとバレて小言を食らうのはもう少し後のことである。
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