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加護
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畑なんかをやっていると、害虫駆除には色々と気を遣う。
育てている作物を食われるのは勿論、場合によっては病気の元となることもある虫の対策には、古今東西、様々な手が取られてきている。
農家がアイドルやってる某番組で一気に知られた木酢液なんかもその一つだが、昔ながらの野菜に優しい天然の除虫薬というのは色々とある。
虫よけに関しては、俺も魔術で似たことはできるが、これは持続性のないものなので、畑に使うのは向いていない。
伝統的なものだと、唐辛子の辛み成分を水に溶けださせたものなんかは、農薬が主流になった現代農業でもまだ使う人間はいるほどで、先人の知恵というのはまだまだ通じるのだと感心することも多い。
タミン村で作られた虫除け薬も、この唐辛子系のものと似ていて、無色透明のやや粘性がある液体といった感じのそれは、刺激の強い薬草をいくつか混ぜ合わせており、ある程度育った段階の作物に希釈した薬を噴霧して使う。
なお、噴霧には専用の器具を使うそうだが、生憎俺は持ち合わせておらず、パーラの風魔術で似たようなことができるため、そこは頼らせてもらった。
現代の農薬ほどではないにしろ、これもやはり薬であるため、大量に使えば作物の生育や薬効の残留による人体の影響なども皆無とは言えず、扱いは注意が必要だろう。
希釈は勿論のこと、散布する時間や間隔などを考え、綿密な計画を立てなくてはならない。
現在、俺がアルメラ村の近くの山に勝手に作った畑では、少し前に植えた種が順調に育っており、既に立派な葉を見せている。
一カ月強しか経っていないにもかかわらず、ここまで成長したのは、やはり土がいいのだろう。
今回は畝間を意外と狭くとったのに、間引き以外は追肥すらせずにこれだ。
あと十日ほどもしたら食べ頃の小カブが出来上がるだろう。
長さ20メートル強の畝で3列分、収量にすれば60キロといったところか。
小カブは煮てよし焼いてよしの、調理のしやすい野菜だ。
どこに持って行っても売れるだろうから、畑を拓いてまず作る作物としてはいいチョイスだと思っている。
ちなみに、実験的に植えた砂糖人参は育ちが悪く、このままだと多分失敗に終わる。
原因はいくつか考えられるが、どれも次の栽培で解決できそうなので、なんとか生育を補助して種を採取したら、続きは来年に持ち越しだ。
作物的にはもう虫食いに神経質になる段階ではないが、せっかくなので虫除け薬を試してみたら、これが中々良好な結果となった。
もっとも、害虫も益虫も関係なく全ての虫に効果があったため、使い方にはやはり注意が必要だ。
朝から畑の様子を見に来て、少し余計な草を抜いているとあっという間に時間が経ち、太陽が真上に着た頃に、畑を後にした。
飛空艇へ戻ってくると、まずは被っていた自作の麦わら帽子を適当な場所に引っかけ、入り口で体に付いた土や誇りを簡単に払ってから中へ入る。
「ただいまー。今戻ったぞー」
―おー、おかえりー。
そう声をあげると、壁を隔てたどこかからリッカが返事を返す。
声の出どころにあたりをつけ、パーラの部屋へと向かい、ノックをして許可を貰って扉を開けると、そこではベッドで横になっているパーラと、枕元に座るリッカの姿があった。
リッカは神妙な顔をしており、目を閉じて荒く息を吐いているパーラを見守っている。
「ようリッカ、パーラの様子はどうだ」
「さっき寝たとこだ。熱は高いままだけど、食欲はしっかりあるな。アンディが用意してった朝食は全部平らげたぞ」
俺の声にも反応しないパーラは、かなり深い眠りの中にいるようだ。
ベッドに近付いてその顔を覗き込んでみれば、今朝方に見た時とさほど変わりはない。
熱で赤らんだ顔と、吐く息が少し荒いそれは、見方によっては風邪かインフルエンザにかかった時の様子と似ている。
今のパーラは苦しそうではあるが、特に命の危機にあるというわけではなく、暫く休めば元通りに回復すると、リッカから説明を受けている。
何故パーラがこうなっているのか、説明するために三日ほど時を戻そう。
あれは俺達がタミン村から戻ってきて少し経った頃のこと。
いつものようにパーラが俺にくっついて畑仕事を手伝っている最中、突然体調の変化を告げて頽れてしまったのだ。
喘息のような荒い呼吸に加え、尋常じゃない熱を出したパーラに緊急性を覚え、急いで担ぎあげると飛空艇へ戻った。
駆けこんできた俺達の様子にただごとではないと気付いたリッカも、ダラけていた姿から一転して真剣さを見せ、ベッドに寝かしつけたパーラを神妙に眺めていく。
一緒に暮らすようになって病気らしい病気にならなかったパーラの突然の豹変に、俺も動揺を隠しきれず、家庭医学に毛の生えた程度の知識ではただの風邪かそれとも未知の病気なのかの判断もつかないまま、とりあえずの応急的な対処だけしか出来なかった。
高位の魔術師等に代表される魔力保有量が多い人間は、普通の人間に比べて寿命が長く、病気にもかかりにくいと言われている。
それこそ、大昔には伝染病が確認された時代で、発生源でバタバタと人が死んでいく中、魔術師や戦士といった魔力保有量の多い人間だけは生き残ったという逸話があるほどだ。
パーラも普通の人間は勿論、並の魔術師と比べてもかなり魔力保有量は多い方だ。
少なくとも俺が知る限りでは、魔術を使えるようになってから風邪を引いたところを見たことが無い。
そんなパーラがこれほどの高熱を出すとなれば、魔力による抵抗で防げないほどの、それこそ命に関わる重病なのではないかと不安を覚えてしまう。
体を冷やさないようにしつつ、熱で苦しむのを和らげるために濡らしたタオルをパーラの額に置くなど、俺にはそんな程度のことしかできなかったが、結論としてパーラの容体は深刻な病気などではなく、時間の経過で回復する類のものだとリッカから説明された。
なんでも、今のパーラは本来持っている魔力に変化が起きている最中のようで、それに体が順応するために高熱が出ている状況なのだそうだ。
リッカ曰く、『あの狼野郎が、パーラ個人に向けて一方的に加護を与えたせいで、本来なら長い時間かけて行われる魔力の変質が、恐ろしく短い時間で起きたことによる反動が出たらしい』と。
どうやらパーラのこの状況には、前に歌で交感の機会を持った転真体、例の白い狼が関わっているようだった。
あの狼とは奇麗なお別れをしたと思っていたが、まさかパーラをこうも苦しめるとは。
少しどころではない憤りを覚えたが、リッカの見立てではこれも悪気があってのことではないという。
あくまでもパーラを気に入り、力を与えて守ってやろうという、そんな思いから加護を与えた結果、パーラは高熱でぶっ倒れたわけだ。
この世界では、神やそれに準ずる強い力を持った何某かが、人間に加護や祝福といった形で力を授けることが稀にある。
お伽噺に出てくる英雄なんかが、よくピンチや修行の果てなどで強さにブーストがかかるのは、この祝福等が与えられることによるものだ。
そういったケースの場合も、パーラのようにいきなりのことに体がついていかないということは起きたはずだが、お伽噺ではそこは必要ないと削ぎ落されたのではないだろうか。
勝手に力を与え、それで苦しむことへのアフターケアがないのは、力ある存在の傲慢れかとも思えるが、今回のパーラの場合は祝福ではなく加護だからこの程度で済んでいるとリッカは言う。
祝福と加護、どちらであっても与えられるだけでその人の人生に大なり小なり影響を与えるとされる力だが、その二つには明確に違いを分ける定義がある。
どちらも神や精霊といった超常の存在が与えるという点では同じだが、祝福が『目的を果たすための力を与える』のに対し、加護は『なんとなく身を守る力を与える』といった感じだ。
ちなみに、加護か祝福を手にした人間は、魔術師でなくとも寿命がグンと伸び、病気にかかりにくくなるというおまけがつく。
長生きがしたい権力者は、特に欲しがるため、過去の事例に習って加護を得ようと神や精霊に祈る習慣が、宗教の礎になったとも言われている。
その昔、北風の祝福というものを手にした若者が、戦争で敵国を電撃的に攻める侵攻ルート確保のため、湖を丸ごと凍らせたという逸話があるほど、祝福というのは莫大な力を秘めている。
一方で加護の方はというと、正直パッとする逸話は多くない。
せいぜい、食べ物で腹を下すことがなくなったとか、体の成長がよくなったとかだ。
これだとまるで加護が祝福の下位互換のようにも思えるが、両方を比較すると加護の方が与えられるチャンスが気持ち多いため、ちょっと便利な能力と長寿命に健康な体がもらえる加護の方を欲しがる人間は多いらしい。
まぁ大いなる力には大いなる責任が伴うし、ほどほどの能力でいいというのは賢い考え方だと俺には思える。
そういった力がパーラに与えられるのなら喜ばしいことだが、せめてそういうのを与えると事前に言っておいて欲しかったものだ。
知っていれば、高熱で倒れた際も泡食って騒ぐこともなかっただろうに。
なお、ペルケティアでは七歳になる子供が教会で祝福を受けることになっているが、この祝福はあくまでも宗教的なものであって、特別な力が与えられるようなものではない。
子供の魔術師としての素養を調べるというのが目的のためであり、本来の祝福とは別物だ。
パーラの部屋から居間へ移動し、昼食をとりながら俺がいなかった間のパーラの様子なんかをリッカから聞きだしていた。
実は本来ならリッカは、今頃はもう郷に帰っている予定だったのだが、パーラがこうなったために残ってくれて、色々面倒を見てくれていたのだ。
発熱の原因が加護を与えられたことによるのを見抜いたのもリッカで、その時のアドバイスは実に分かりやすい見事なものだった。
リッカ自身、加護を受けた人間を見るのはこれが初めてなのだが、話として聞いたことがある知識と妖精ならではの魔力に敏感な感覚を駆使し、派手に動揺する俺を叱責した姿は頼もしかった。
「あたいの見立て通りなら、明日には熱も下がるだろうな。そしたらパーラの奴、ああなったことの原因を知りたがるだろうから、そこんとこよろしく」
熱にうなされていたパーラには、まだ詳しいことは話していなかったのだが、あれの性格上、治ったらあれこれと知りたがるはずなので、その辺りの説明は必要だろう。
「よろしくったって、詳しい説明はリッカがするんだろ?俺がやることってなんかあんのか?」
「んー…特にねぇな。まぁ快気祝いに美味いもんでも用意すりゃそれでいいさ」
「快気祝いねぇ…。そこにはリッカに対するお礼も含めてってとこか?」
「いっひっひっひ、分かってんじゃん。別に今回のことは、あたいがいなくても時間が経てば解決しただろうけど、お前のあの慌てようからしたら、あたいがいて気持ち的に随分助かったろ?」
まるで魔女のような笑い方だが、リッカには自分の分も催促する権利はある。
リッカの働きの大きさは疑うべくもない。
「まぁそうだな。改めて、礼を言っとく。リッカがいてくれて助かったよ」
「おう。しっかり感謝して、美味いもん用意しろよ!」
昼飯を食いながら、快気祝いの食事を想像するとは、リッカもパーラに負けない食いしん坊だ。
実際、リッカがあれこれと説明してくれなかったら、あの時の俺はあたふたした無様な姿をさらしていただろうから、リッカへの感謝の念は忘れない。
リクエスト通り、リッカにも旨い食事を用意してやろう。
「しかし、あの狼野郎がまさか加護を与えるとはな。ちょっとあたいも予想できなかったね、こりゃ」
昼食を平らげたリッカが、なんとも複雑そうな顔でスプーンを弄りながらぼやく。
その表情からは、余計なことをしたというあの狼への非難と、安堵が混ざっているように感じられる。
「へぇ、リッカから見ても予想外と。あの転真体ってのは、そうそう加護を与えないって存在だったりするのか?」
「つーか、転真体ってのは確かに強大だが、そもそも加護を与えられるってほどじゃない。加護をどうこうって出来るのは、従属神とか亜精霊あたりから上の位階の連中だけだしな」
従属神というのは、数多くいる神に必ず一人は付いているという、所謂付き人的なものだ。
力は現役の神ほどじゃないが、神という文字がつく以上、当然ながら俺達よりずっと格上になる。
神に選ばれた者が御使いとして功績を積むと、この従属神へと昇華できるといわれているが、実際どうなのかは分かっていない。
亜精霊というのは、従属神の精霊版みたいなものだが、その多くは謎に包まれており、精霊以上に不明な点が多い、名前と概念だけが知られている存在だ。
どちらもお目にかかることができれば、一生の話のタネに困らない上に、下手をしたらヤゼス教から聖人認定をされる可能性もあるかもしれない。
それほど神聖視されるのが、従属神と亜精霊なのだ。
そりゃあ加護だって、与える奪うも思いのままなんだろう。
「けどあの狼はパーラに加護を与えたんだろ?ならその二つと並ぶんじゃないのか?」
リッカのいいようだと、あの狼は加護を与えられるほどの存在じゃないようだが、実際パーラは加護を貰って苦しんでいるのだから、事実としてそれだけの力があったに違いない。
「まぁ理屈だとそうなんだが…。あいつ、加護を与えたって時点でもう精霊一歩手前って感じだし、あと五十年もしたら、いっちょまえに精霊になってるかもな」
「五十年とはまた長いな」
「人間からしたらそうだろうけど、あたいら妖精にしたらすぐさ。落ちたる種も転真体も正確な寿命はわかっちゃいないが、それでもそう短いもんでもないはずだし、力のある存在がそんぐらい経てば位階も上がらぁな」
サラリーマンが定年まで勤めあげて、ようやく精霊として正規雇用されるみたいなもんか?
…この例えはよそう。世知辛い。
「加護か…。なんで俺にはくれなかったんだろうな」
ふと気になっていたことをリッカに話してみる。
別に不満だとかいうわけじゃないが、純粋に疑問に思っていた。
リッカはともかく、結構俺とも仲良くなったと思っていたのだが。
「そりゃ歌ってたのはパーラだしな。あの狼野郎からしたら、パーラを気に入ったってだけの話さ。あと気紛れなんだよ、加護を与える奴ってのは」
「そういうもんか」
力のある者が一方的に与えるという点では、加護というのは身勝手なものだと言えなくもないが、もらう側には十分なメリットもあることを考えれば、その気紛れに巻き込まれるのを望む人間もさぞ多いことだろう。
加護が欲しいとかではなく、もし俺に加護が与えられていれば、今パーラが苦しむことはなかったのではないか。
…いや、そうなると今の俺の立場がパーラに代わるだけだ。
今度はパーラを心配させることになると考えれば、どっちがいいかというのは考えるだけ無駄だ。
まぁ今はとにかく、パーラが快癒するのを待つとしよう。
リッカの言う通りなら、明日には元気になっているはずだし、今から仕込みをしてご馳走を用意してやるか。
ちょうど今日、試しに抜いてきたカブがあるし、少し小ぶりだがこのカブで一品考えてみよう。
―ヒィァアーーっっ!!
「…んがっ」
突然聞こえてきた絹を裂くような声で、眠りの中にあった俺の意識が現実に引き戻された。
まだ夜が明けていない早朝に鳴り響いた絶叫に、眠気の抜けきらない頭のまま発生源であるパーラの部屋へと向かう。
すると、扉越しに聞こえてきた声で中には既にリッカがいると分かる。
パーラの悲鳴を聞いて、真っ先に飛んできたのだろう。
一声かけて中へ入ると、そこではリッカに詰め寄るように立つパーラの姿があった。
どうやらすっかり体調は戻ったようで、立ち姿に熱にうなされていた時のようなあぶなっかしさは見られない。
しかしそのパーラだが、最後に見た時とは明らかに違う部分が目立つ。
「どういうことさ!なんで私の頭にこんなのが生えてんの!?」
「落ち着けって。あたいに言っても仕方ねーだろ。あと頭だけじゃねーぞ。顔もちょびっと変わってんな」
「え……あ、ほんとだ」
リッカに言われ、部屋に置いてあった鏡を覗き込んだパーラは、自分の顔と頭をペタペタとさわり、たったいま顔にも起きていた変化に気付いたようだ。
「お、アンディ。お前も来たか」
そして入り口に立つ俺にようやく気付いたのか、リッカが声をかけてきた。
「まぁあんだけでかい声を上げればな。それでパーラの奴、何が起きてんだ?なんであんな…」
いまだ鏡の前でモソモソと動いているパーラを指さし、耳打ちするようにしてリッカへ尋ねる。
この場でパーラの変化に一番戸惑っていないのはリッカなので、恐らくその原因も知っているに違いない。
「いや、あたいもついさっき来たばっかでびっくりしたんだけど、ほら、例の加護。多分あれのせいだ」
「…加護ってこんなことも起きるもんなのか?」
「そりゃあ加護だからな。普人種を獣人種に変えちまうぐらいの力はあるだろうよ」
そう言われ、改めてパーラの姿を注視すると、やはり大きく変わった部分にどうしても目が行く。
なんと、今のパーラの頭には犬のような耳が生えているのだ。
狼系統の獣人では珍しくないそれは、根っからの普人種であるパーラには本来ないものなのだが、時折ピクピクと動いている様子から飾りではないのは明らかだ。
おまけに、顔だちも狼のそれにやや近づいている。
口回りが少しだけ前に伸びたような感じで、鼻も人間よりはどちらかというと犬に近く、顔全体に産毛が見られるのも実にそれっぽい。
この世界の獣人種と比べて、やや狼寄りに見えるのは加護による影響か。
獣人種も、頭に耳が残っているだけのほぼ普人種と変わらない者や、全身毛深く顔も動物に近い、二足歩行する動物レベルの者までいろいろと幅はあるが、今のパーラは人6に犬4の割合といったところだ。
昨日までパーラを苦しめていた加護がこうしたのだとすれば、リッカから聞いた話にはなかったこの変化は、果たしてメリットなのか、それともデメリットとなるのか。
いずれにせよ、もう少し詳しいことをリッカから聞きだすべく、少し早いが俺は朝食のために台所へと向かった。
「加護ぉ~?それってあの…なんだっけ、なんか凄いやつ?」
「ざっくりしてんな。まぁその通りなんだが」
用意した朝食をつつきながら、犬顔のパーラが呟いた大雑把な感想に、なんとも言えない顔でリッカが返す。
リッカの説明によれば、今パーラの身に起きていることは、加護によって引き起こされた副作用のようなものだという。
加護に体が慣れたことで、パーラの内にあった特殊な力が体の一部を変化させたという見立てだが、正直、こういった現象はリッカをして寡聞にして知らず、見るのも聞くのも初めてのことだそうだ。
「じゃあその加護を貰ったせいで、私が狼の獣人になったってこと?」
「まぁそうなんだが、獣人になったってのとは少し違うな。あたいの見たところ、お前のそれは幽星体の延長みたいなもんだ。今はまだ馴染んでないだけで、その内元の体に戻る…と思う」
少し歯切れの悪いリッカだが、これは今のパーラの状況がリッカにとっても理解に乏しいものだからだろう。
妖精として生きてきた中で手にした知識の中には、これに関するものはほとんどないのかもしれない。
「…ほんとに?ちゃんと戻るの?」
「多分な」
「多分!?ちょっとリッカ!人の体のことだからって適当にっ…」
「仕方ねーだろ。あたいだってこんなの初めて見るんだから。けど、妖精としての感覚がお前のそれに幽星体の強い気配を見つけたんだ。となれば、そいつは一時的な変化ってことになる」
幽星体に関してはまだまだ分からないことが多いが、妖精の感覚とやらでそうなるとリッカが感じ取ったのなら、それを信じるしかない。
こんなのでもリッカは超常の存在に分類される生き物だ。
不思議現象に関することでの見識は俺達よりよっぽどあるリッカには、一定の信頼を置ける。
というより、信じるしかないというのが現状ではあるが。
「そのうち戻るってんなら、もうちょっと待ってみるしかないな。それよりもパーラ、その体になってからなんか問題とかあるのか?」
話題を変えるというわけではないが、リッカの言葉に不満そうなパーラへ不調がないかを尋ねてみる。
今は普通に会話も食事もできているが、パーラの身に起きていることを考えれば、何かトラブルが潜んでいる可能性もありうる。
そういったことは、やはり当事者に聞かなくてはな。
「問題って…別にどっか痛んだりとかはないけど。むしろ、やっと高熱から解放されて、気分は最高によかったよ。こうなるまでは」
そりゃ目が覚めて頭に犬耳がついてたら、気分もハイからローまで直滑降だろうな。
ケモナーなら歓喜してるけど。
「てことは、別に不便はないんだな?」
「うん、ないね。耳だって、頭のこれとは別に元のがちゃんとあるし」
ほら、とパーラが顔の横に垂れていた髪を持ち上げると、そこには人間の時の耳がそのまま残っている。
どうやら頭に生えている犬耳は後付けなだけで、普通にあった耳が変形したりはしていないようだ。
しかし、犬耳のほうはピクピクと動いている様子から、完全な飾りというわけではなさそうで、つまり今のパーラは耳が2セットある状態なのだろう。
「てことは、音が倍拾えてるのか?」
「倍っていうか、六割増しって感じかな。まぁ立体的に音を拾えて便利っちゃー便利だけど」
異なる位置にある耳が同時に音を拾うと、それを頭の中で処理するときに音源を立体的に捉えるとでも言うのか、俺にはわからない感覚だが、まだこうなって短いなりに、便利に使えてはいるらしい。
しかし耳は倍になっても、聴覚はそのまま倍増しないのは、脳みそが一つのままだからだろう。
人間、急に感覚器官が増えたところでそのまま生かしきれるものではないという証拠だ。
「それよりさ、なんか今日匂い多くない?食べ物以外にも色々匂ってくるんだけど」
「そうか?あたいは別に気になんねーけど」
「いや、リッカ。この場合はパーラの嗅覚が鋭くなってんだろ。狼ってほら、そういうのがさ」
「あー、なるほど。そういうことか」
野生動物の中でも、狼は嗅覚に優れた種族だ。
あの狼の加護によって、その能力が付加されたというのは十分考えられる。
「えー?じゃあ私だけなの?二人はこの匂い気にならない?」
『全然』
俺とリッカはそろってそう返す。
言われて改めて鼻を鳴らしてみても、今目の前にある朝飯以外、気になる匂いは感じられない。
今のパーラにはどういう風に室内の匂いが感じられているというのか。
まさか、酷い臭いだったりするのだろうかね。
少し気になるが、聞くのも少し怖い。
「あれ?アンディ、誰か来たみたいだよ」
不意にパーラが耳をヒクつかせてそんなことを言い出す。
そして、少し遅れて外から飛空艇の扉を小さく叩く音が聞こえてきた。
どうやら狼化による優れた聴覚で、外の何者かの接近をいち早く察知したらしい。
しかし客とは妙だな。
既に陽は昇っているとはいえ、ここは人の寄り付かない山の奥だ。
旅人がたまたまやってくることはまずないし、知り合いにこの場所を教えてもいない。
遭難者がやってきたパターンはあり得るが、だとしたらもっと慌てたノックをしていたはず。
その違和感を抱えつつ、まだ病み上がりのパーラをリッカに任せ、俺が飛空艇の扉の前に立つ。
来訪した人物が必ずしも敵対するとは限らないが、警戒するにこしたことはなく、何かあればいつでも魔術が使えるように身構えつつ、ゆっくりと扉を開く。
すると、そこには扉をノックした主と思われる人物が確かにいた。
…いたのだが、少し予想とは違っているせいで、俺は一瞬思考を忘れて固まってしまった。
「どうも、早朝に失礼します。実は友達を探していまして、こちらでお世話になっていると思うのですが」
そう尋ねながら俺の目の前までやってきた少女だが、そのサイズは人間のそれではない。
容姿こそ人間と酷似しているが、その背丈は子供が遊ぶような人形程度の大きさと、背中には虫を思わせる羽。
この特徴を持つ生き物を俺は一つしか知らないし、何だったら今朝見たばかりの種族だったりする。
つまり妖精だ。
それが今、俺の目の前で浮かんでいる。
図らずも、パーラ狼化の騒動の締めくくりに、リッカ以外との妖精の邂逅となってしまったのは、間がいいのか悪いのか…。
育てている作物を食われるのは勿論、場合によっては病気の元となることもある虫の対策には、古今東西、様々な手が取られてきている。
農家がアイドルやってる某番組で一気に知られた木酢液なんかもその一つだが、昔ながらの野菜に優しい天然の除虫薬というのは色々とある。
虫よけに関しては、俺も魔術で似たことはできるが、これは持続性のないものなので、畑に使うのは向いていない。
伝統的なものだと、唐辛子の辛み成分を水に溶けださせたものなんかは、農薬が主流になった現代農業でもまだ使う人間はいるほどで、先人の知恵というのはまだまだ通じるのだと感心することも多い。
タミン村で作られた虫除け薬も、この唐辛子系のものと似ていて、無色透明のやや粘性がある液体といった感じのそれは、刺激の強い薬草をいくつか混ぜ合わせており、ある程度育った段階の作物に希釈した薬を噴霧して使う。
なお、噴霧には専用の器具を使うそうだが、生憎俺は持ち合わせておらず、パーラの風魔術で似たようなことができるため、そこは頼らせてもらった。
現代の農薬ほどではないにしろ、これもやはり薬であるため、大量に使えば作物の生育や薬効の残留による人体の影響なども皆無とは言えず、扱いは注意が必要だろう。
希釈は勿論のこと、散布する時間や間隔などを考え、綿密な計画を立てなくてはならない。
現在、俺がアルメラ村の近くの山に勝手に作った畑では、少し前に植えた種が順調に育っており、既に立派な葉を見せている。
一カ月強しか経っていないにもかかわらず、ここまで成長したのは、やはり土がいいのだろう。
今回は畝間を意外と狭くとったのに、間引き以外は追肥すらせずにこれだ。
あと十日ほどもしたら食べ頃の小カブが出来上がるだろう。
長さ20メートル強の畝で3列分、収量にすれば60キロといったところか。
小カブは煮てよし焼いてよしの、調理のしやすい野菜だ。
どこに持って行っても売れるだろうから、畑を拓いてまず作る作物としてはいいチョイスだと思っている。
ちなみに、実験的に植えた砂糖人参は育ちが悪く、このままだと多分失敗に終わる。
原因はいくつか考えられるが、どれも次の栽培で解決できそうなので、なんとか生育を補助して種を採取したら、続きは来年に持ち越しだ。
作物的にはもう虫食いに神経質になる段階ではないが、せっかくなので虫除け薬を試してみたら、これが中々良好な結果となった。
もっとも、害虫も益虫も関係なく全ての虫に効果があったため、使い方にはやはり注意が必要だ。
朝から畑の様子を見に来て、少し余計な草を抜いているとあっという間に時間が経ち、太陽が真上に着た頃に、畑を後にした。
飛空艇へ戻ってくると、まずは被っていた自作の麦わら帽子を適当な場所に引っかけ、入り口で体に付いた土や誇りを簡単に払ってから中へ入る。
「ただいまー。今戻ったぞー」
―おー、おかえりー。
そう声をあげると、壁を隔てたどこかからリッカが返事を返す。
声の出どころにあたりをつけ、パーラの部屋へと向かい、ノックをして許可を貰って扉を開けると、そこではベッドで横になっているパーラと、枕元に座るリッカの姿があった。
リッカは神妙な顔をしており、目を閉じて荒く息を吐いているパーラを見守っている。
「ようリッカ、パーラの様子はどうだ」
「さっき寝たとこだ。熱は高いままだけど、食欲はしっかりあるな。アンディが用意してった朝食は全部平らげたぞ」
俺の声にも反応しないパーラは、かなり深い眠りの中にいるようだ。
ベッドに近付いてその顔を覗き込んでみれば、今朝方に見た時とさほど変わりはない。
熱で赤らんだ顔と、吐く息が少し荒いそれは、見方によっては風邪かインフルエンザにかかった時の様子と似ている。
今のパーラは苦しそうではあるが、特に命の危機にあるというわけではなく、暫く休めば元通りに回復すると、リッカから説明を受けている。
何故パーラがこうなっているのか、説明するために三日ほど時を戻そう。
あれは俺達がタミン村から戻ってきて少し経った頃のこと。
いつものようにパーラが俺にくっついて畑仕事を手伝っている最中、突然体調の変化を告げて頽れてしまったのだ。
喘息のような荒い呼吸に加え、尋常じゃない熱を出したパーラに緊急性を覚え、急いで担ぎあげると飛空艇へ戻った。
駆けこんできた俺達の様子にただごとではないと気付いたリッカも、ダラけていた姿から一転して真剣さを見せ、ベッドに寝かしつけたパーラを神妙に眺めていく。
一緒に暮らすようになって病気らしい病気にならなかったパーラの突然の豹変に、俺も動揺を隠しきれず、家庭医学に毛の生えた程度の知識ではただの風邪かそれとも未知の病気なのかの判断もつかないまま、とりあえずの応急的な対処だけしか出来なかった。
高位の魔術師等に代表される魔力保有量が多い人間は、普通の人間に比べて寿命が長く、病気にもかかりにくいと言われている。
それこそ、大昔には伝染病が確認された時代で、発生源でバタバタと人が死んでいく中、魔術師や戦士といった魔力保有量の多い人間だけは生き残ったという逸話があるほどだ。
パーラも普通の人間は勿論、並の魔術師と比べてもかなり魔力保有量は多い方だ。
少なくとも俺が知る限りでは、魔術を使えるようになってから風邪を引いたところを見たことが無い。
そんなパーラがこれほどの高熱を出すとなれば、魔力による抵抗で防げないほどの、それこそ命に関わる重病なのではないかと不安を覚えてしまう。
体を冷やさないようにしつつ、熱で苦しむのを和らげるために濡らしたタオルをパーラの額に置くなど、俺にはそんな程度のことしかできなかったが、結論としてパーラの容体は深刻な病気などではなく、時間の経過で回復する類のものだとリッカから説明された。
なんでも、今のパーラは本来持っている魔力に変化が起きている最中のようで、それに体が順応するために高熱が出ている状況なのだそうだ。
リッカ曰く、『あの狼野郎が、パーラ個人に向けて一方的に加護を与えたせいで、本来なら長い時間かけて行われる魔力の変質が、恐ろしく短い時間で起きたことによる反動が出たらしい』と。
どうやらパーラのこの状況には、前に歌で交感の機会を持った転真体、例の白い狼が関わっているようだった。
あの狼とは奇麗なお別れをしたと思っていたが、まさかパーラをこうも苦しめるとは。
少しどころではない憤りを覚えたが、リッカの見立てではこれも悪気があってのことではないという。
あくまでもパーラを気に入り、力を与えて守ってやろうという、そんな思いから加護を与えた結果、パーラは高熱でぶっ倒れたわけだ。
この世界では、神やそれに準ずる強い力を持った何某かが、人間に加護や祝福といった形で力を授けることが稀にある。
お伽噺に出てくる英雄なんかが、よくピンチや修行の果てなどで強さにブーストがかかるのは、この祝福等が与えられることによるものだ。
そういったケースの場合も、パーラのようにいきなりのことに体がついていかないということは起きたはずだが、お伽噺ではそこは必要ないと削ぎ落されたのではないだろうか。
勝手に力を与え、それで苦しむことへのアフターケアがないのは、力ある存在の傲慢れかとも思えるが、今回のパーラの場合は祝福ではなく加護だからこの程度で済んでいるとリッカは言う。
祝福と加護、どちらであっても与えられるだけでその人の人生に大なり小なり影響を与えるとされる力だが、その二つには明確に違いを分ける定義がある。
どちらも神や精霊といった超常の存在が与えるという点では同じだが、祝福が『目的を果たすための力を与える』のに対し、加護は『なんとなく身を守る力を与える』といった感じだ。
ちなみに、加護か祝福を手にした人間は、魔術師でなくとも寿命がグンと伸び、病気にかかりにくくなるというおまけがつく。
長生きがしたい権力者は、特に欲しがるため、過去の事例に習って加護を得ようと神や精霊に祈る習慣が、宗教の礎になったとも言われている。
その昔、北風の祝福というものを手にした若者が、戦争で敵国を電撃的に攻める侵攻ルート確保のため、湖を丸ごと凍らせたという逸話があるほど、祝福というのは莫大な力を秘めている。
一方で加護の方はというと、正直パッとする逸話は多くない。
せいぜい、食べ物で腹を下すことがなくなったとか、体の成長がよくなったとかだ。
これだとまるで加護が祝福の下位互換のようにも思えるが、両方を比較すると加護の方が与えられるチャンスが気持ち多いため、ちょっと便利な能力と長寿命に健康な体がもらえる加護の方を欲しがる人間は多いらしい。
まぁ大いなる力には大いなる責任が伴うし、ほどほどの能力でいいというのは賢い考え方だと俺には思える。
そういった力がパーラに与えられるのなら喜ばしいことだが、せめてそういうのを与えると事前に言っておいて欲しかったものだ。
知っていれば、高熱で倒れた際も泡食って騒ぐこともなかっただろうに。
なお、ペルケティアでは七歳になる子供が教会で祝福を受けることになっているが、この祝福はあくまでも宗教的なものであって、特別な力が与えられるようなものではない。
子供の魔術師としての素養を調べるというのが目的のためであり、本来の祝福とは別物だ。
パーラの部屋から居間へ移動し、昼食をとりながら俺がいなかった間のパーラの様子なんかをリッカから聞きだしていた。
実は本来ならリッカは、今頃はもう郷に帰っている予定だったのだが、パーラがこうなったために残ってくれて、色々面倒を見てくれていたのだ。
発熱の原因が加護を与えられたことによるのを見抜いたのもリッカで、その時のアドバイスは実に分かりやすい見事なものだった。
リッカ自身、加護を受けた人間を見るのはこれが初めてなのだが、話として聞いたことがある知識と妖精ならではの魔力に敏感な感覚を駆使し、派手に動揺する俺を叱責した姿は頼もしかった。
「あたいの見立て通りなら、明日には熱も下がるだろうな。そしたらパーラの奴、ああなったことの原因を知りたがるだろうから、そこんとこよろしく」
熱にうなされていたパーラには、まだ詳しいことは話していなかったのだが、あれの性格上、治ったらあれこれと知りたがるはずなので、その辺りの説明は必要だろう。
「よろしくったって、詳しい説明はリッカがするんだろ?俺がやることってなんかあんのか?」
「んー…特にねぇな。まぁ快気祝いに美味いもんでも用意すりゃそれでいいさ」
「快気祝いねぇ…。そこにはリッカに対するお礼も含めてってとこか?」
「いっひっひっひ、分かってんじゃん。別に今回のことは、あたいがいなくても時間が経てば解決しただろうけど、お前のあの慌てようからしたら、あたいがいて気持ち的に随分助かったろ?」
まるで魔女のような笑い方だが、リッカには自分の分も催促する権利はある。
リッカの働きの大きさは疑うべくもない。
「まぁそうだな。改めて、礼を言っとく。リッカがいてくれて助かったよ」
「おう。しっかり感謝して、美味いもん用意しろよ!」
昼飯を食いながら、快気祝いの食事を想像するとは、リッカもパーラに負けない食いしん坊だ。
実際、リッカがあれこれと説明してくれなかったら、あの時の俺はあたふたした無様な姿をさらしていただろうから、リッカへの感謝の念は忘れない。
リクエスト通り、リッカにも旨い食事を用意してやろう。
「しかし、あの狼野郎がまさか加護を与えるとはな。ちょっとあたいも予想できなかったね、こりゃ」
昼食を平らげたリッカが、なんとも複雑そうな顔でスプーンを弄りながらぼやく。
その表情からは、余計なことをしたというあの狼への非難と、安堵が混ざっているように感じられる。
「へぇ、リッカから見ても予想外と。あの転真体ってのは、そうそう加護を与えないって存在だったりするのか?」
「つーか、転真体ってのは確かに強大だが、そもそも加護を与えられるってほどじゃない。加護をどうこうって出来るのは、従属神とか亜精霊あたりから上の位階の連中だけだしな」
従属神というのは、数多くいる神に必ず一人は付いているという、所謂付き人的なものだ。
力は現役の神ほどじゃないが、神という文字がつく以上、当然ながら俺達よりずっと格上になる。
神に選ばれた者が御使いとして功績を積むと、この従属神へと昇華できるといわれているが、実際どうなのかは分かっていない。
亜精霊というのは、従属神の精霊版みたいなものだが、その多くは謎に包まれており、精霊以上に不明な点が多い、名前と概念だけが知られている存在だ。
どちらもお目にかかることができれば、一生の話のタネに困らない上に、下手をしたらヤゼス教から聖人認定をされる可能性もあるかもしれない。
それほど神聖視されるのが、従属神と亜精霊なのだ。
そりゃあ加護だって、与える奪うも思いのままなんだろう。
「けどあの狼はパーラに加護を与えたんだろ?ならその二つと並ぶんじゃないのか?」
リッカのいいようだと、あの狼は加護を与えられるほどの存在じゃないようだが、実際パーラは加護を貰って苦しんでいるのだから、事実としてそれだけの力があったに違いない。
「まぁ理屈だとそうなんだが…。あいつ、加護を与えたって時点でもう精霊一歩手前って感じだし、あと五十年もしたら、いっちょまえに精霊になってるかもな」
「五十年とはまた長いな」
「人間からしたらそうだろうけど、あたいら妖精にしたらすぐさ。落ちたる種も転真体も正確な寿命はわかっちゃいないが、それでもそう短いもんでもないはずだし、力のある存在がそんぐらい経てば位階も上がらぁな」
サラリーマンが定年まで勤めあげて、ようやく精霊として正規雇用されるみたいなもんか?
…この例えはよそう。世知辛い。
「加護か…。なんで俺にはくれなかったんだろうな」
ふと気になっていたことをリッカに話してみる。
別に不満だとかいうわけじゃないが、純粋に疑問に思っていた。
リッカはともかく、結構俺とも仲良くなったと思っていたのだが。
「そりゃ歌ってたのはパーラだしな。あの狼野郎からしたら、パーラを気に入ったってだけの話さ。あと気紛れなんだよ、加護を与える奴ってのは」
「そういうもんか」
力のある者が一方的に与えるという点では、加護というのは身勝手なものだと言えなくもないが、もらう側には十分なメリットもあることを考えれば、その気紛れに巻き込まれるのを望む人間もさぞ多いことだろう。
加護が欲しいとかではなく、もし俺に加護が与えられていれば、今パーラが苦しむことはなかったのではないか。
…いや、そうなると今の俺の立場がパーラに代わるだけだ。
今度はパーラを心配させることになると考えれば、どっちがいいかというのは考えるだけ無駄だ。
まぁ今はとにかく、パーラが快癒するのを待つとしよう。
リッカの言う通りなら、明日には元気になっているはずだし、今から仕込みをしてご馳走を用意してやるか。
ちょうど今日、試しに抜いてきたカブがあるし、少し小ぶりだがこのカブで一品考えてみよう。
―ヒィァアーーっっ!!
「…んがっ」
突然聞こえてきた絹を裂くような声で、眠りの中にあった俺の意識が現実に引き戻された。
まだ夜が明けていない早朝に鳴り響いた絶叫に、眠気の抜けきらない頭のまま発生源であるパーラの部屋へと向かう。
すると、扉越しに聞こえてきた声で中には既にリッカがいると分かる。
パーラの悲鳴を聞いて、真っ先に飛んできたのだろう。
一声かけて中へ入ると、そこではリッカに詰め寄るように立つパーラの姿があった。
どうやらすっかり体調は戻ったようで、立ち姿に熱にうなされていた時のようなあぶなっかしさは見られない。
しかしそのパーラだが、最後に見た時とは明らかに違う部分が目立つ。
「どういうことさ!なんで私の頭にこんなのが生えてんの!?」
「落ち着けって。あたいに言っても仕方ねーだろ。あと頭だけじゃねーぞ。顔もちょびっと変わってんな」
「え……あ、ほんとだ」
リッカに言われ、部屋に置いてあった鏡を覗き込んだパーラは、自分の顔と頭をペタペタとさわり、たったいま顔にも起きていた変化に気付いたようだ。
「お、アンディ。お前も来たか」
そして入り口に立つ俺にようやく気付いたのか、リッカが声をかけてきた。
「まぁあんだけでかい声を上げればな。それでパーラの奴、何が起きてんだ?なんであんな…」
いまだ鏡の前でモソモソと動いているパーラを指さし、耳打ちするようにしてリッカへ尋ねる。
この場でパーラの変化に一番戸惑っていないのはリッカなので、恐らくその原因も知っているに違いない。
「いや、あたいもついさっき来たばっかでびっくりしたんだけど、ほら、例の加護。多分あれのせいだ」
「…加護ってこんなことも起きるもんなのか?」
「そりゃあ加護だからな。普人種を獣人種に変えちまうぐらいの力はあるだろうよ」
そう言われ、改めてパーラの姿を注視すると、やはり大きく変わった部分にどうしても目が行く。
なんと、今のパーラの頭には犬のような耳が生えているのだ。
狼系統の獣人では珍しくないそれは、根っからの普人種であるパーラには本来ないものなのだが、時折ピクピクと動いている様子から飾りではないのは明らかだ。
おまけに、顔だちも狼のそれにやや近づいている。
口回りが少しだけ前に伸びたような感じで、鼻も人間よりはどちらかというと犬に近く、顔全体に産毛が見られるのも実にそれっぽい。
この世界の獣人種と比べて、やや狼寄りに見えるのは加護による影響か。
獣人種も、頭に耳が残っているだけのほぼ普人種と変わらない者や、全身毛深く顔も動物に近い、二足歩行する動物レベルの者までいろいろと幅はあるが、今のパーラは人6に犬4の割合といったところだ。
昨日までパーラを苦しめていた加護がこうしたのだとすれば、リッカから聞いた話にはなかったこの変化は、果たしてメリットなのか、それともデメリットとなるのか。
いずれにせよ、もう少し詳しいことをリッカから聞きだすべく、少し早いが俺は朝食のために台所へと向かった。
「加護ぉ~?それってあの…なんだっけ、なんか凄いやつ?」
「ざっくりしてんな。まぁその通りなんだが」
用意した朝食をつつきながら、犬顔のパーラが呟いた大雑把な感想に、なんとも言えない顔でリッカが返す。
リッカの説明によれば、今パーラの身に起きていることは、加護によって引き起こされた副作用のようなものだという。
加護に体が慣れたことで、パーラの内にあった特殊な力が体の一部を変化させたという見立てだが、正直、こういった現象はリッカをして寡聞にして知らず、見るのも聞くのも初めてのことだそうだ。
「じゃあその加護を貰ったせいで、私が狼の獣人になったってこと?」
「まぁそうなんだが、獣人になったってのとは少し違うな。あたいの見たところ、お前のそれは幽星体の延長みたいなもんだ。今はまだ馴染んでないだけで、その内元の体に戻る…と思う」
少し歯切れの悪いリッカだが、これは今のパーラの状況がリッカにとっても理解に乏しいものだからだろう。
妖精として生きてきた中で手にした知識の中には、これに関するものはほとんどないのかもしれない。
「…ほんとに?ちゃんと戻るの?」
「多分な」
「多分!?ちょっとリッカ!人の体のことだからって適当にっ…」
「仕方ねーだろ。あたいだってこんなの初めて見るんだから。けど、妖精としての感覚がお前のそれに幽星体の強い気配を見つけたんだ。となれば、そいつは一時的な変化ってことになる」
幽星体に関してはまだまだ分からないことが多いが、妖精の感覚とやらでそうなるとリッカが感じ取ったのなら、それを信じるしかない。
こんなのでもリッカは超常の存在に分類される生き物だ。
不思議現象に関することでの見識は俺達よりよっぽどあるリッカには、一定の信頼を置ける。
というより、信じるしかないというのが現状ではあるが。
「そのうち戻るってんなら、もうちょっと待ってみるしかないな。それよりもパーラ、その体になってからなんか問題とかあるのか?」
話題を変えるというわけではないが、リッカの言葉に不満そうなパーラへ不調がないかを尋ねてみる。
今は普通に会話も食事もできているが、パーラの身に起きていることを考えれば、何かトラブルが潜んでいる可能性もありうる。
そういったことは、やはり当事者に聞かなくてはな。
「問題って…別にどっか痛んだりとかはないけど。むしろ、やっと高熱から解放されて、気分は最高によかったよ。こうなるまでは」
そりゃ目が覚めて頭に犬耳がついてたら、気分もハイからローまで直滑降だろうな。
ケモナーなら歓喜してるけど。
「てことは、別に不便はないんだな?」
「うん、ないね。耳だって、頭のこれとは別に元のがちゃんとあるし」
ほら、とパーラが顔の横に垂れていた髪を持ち上げると、そこには人間の時の耳がそのまま残っている。
どうやら頭に生えている犬耳は後付けなだけで、普通にあった耳が変形したりはしていないようだ。
しかし、犬耳のほうはピクピクと動いている様子から、完全な飾りというわけではなさそうで、つまり今のパーラは耳が2セットある状態なのだろう。
「てことは、音が倍拾えてるのか?」
「倍っていうか、六割増しって感じかな。まぁ立体的に音を拾えて便利っちゃー便利だけど」
異なる位置にある耳が同時に音を拾うと、それを頭の中で処理するときに音源を立体的に捉えるとでも言うのか、俺にはわからない感覚だが、まだこうなって短いなりに、便利に使えてはいるらしい。
しかし耳は倍になっても、聴覚はそのまま倍増しないのは、脳みそが一つのままだからだろう。
人間、急に感覚器官が増えたところでそのまま生かしきれるものではないという証拠だ。
「それよりさ、なんか今日匂い多くない?食べ物以外にも色々匂ってくるんだけど」
「そうか?あたいは別に気になんねーけど」
「いや、リッカ。この場合はパーラの嗅覚が鋭くなってんだろ。狼ってほら、そういうのがさ」
「あー、なるほど。そういうことか」
野生動物の中でも、狼は嗅覚に優れた種族だ。
あの狼の加護によって、その能力が付加されたというのは十分考えられる。
「えー?じゃあ私だけなの?二人はこの匂い気にならない?」
『全然』
俺とリッカはそろってそう返す。
言われて改めて鼻を鳴らしてみても、今目の前にある朝飯以外、気になる匂いは感じられない。
今のパーラにはどういう風に室内の匂いが感じられているというのか。
まさか、酷い臭いだったりするのだろうかね。
少し気になるが、聞くのも少し怖い。
「あれ?アンディ、誰か来たみたいだよ」
不意にパーラが耳をヒクつかせてそんなことを言い出す。
そして、少し遅れて外から飛空艇の扉を小さく叩く音が聞こえてきた。
どうやら狼化による優れた聴覚で、外の何者かの接近をいち早く察知したらしい。
しかし客とは妙だな。
既に陽は昇っているとはいえ、ここは人の寄り付かない山の奥だ。
旅人がたまたまやってくることはまずないし、知り合いにこの場所を教えてもいない。
遭難者がやってきたパターンはあり得るが、だとしたらもっと慌てたノックをしていたはず。
その違和感を抱えつつ、まだ病み上がりのパーラをリッカに任せ、俺が飛空艇の扉の前に立つ。
来訪した人物が必ずしも敵対するとは限らないが、警戒するにこしたことはなく、何かあればいつでも魔術が使えるように身構えつつ、ゆっくりと扉を開く。
すると、そこには扉をノックした主と思われる人物が確かにいた。
…いたのだが、少し予想とは違っているせいで、俺は一瞬思考を忘れて固まってしまった。
「どうも、早朝に失礼します。実は友達を探していまして、こちらでお世話になっていると思うのですが」
そう尋ねながら俺の目の前までやってきた少女だが、そのサイズは人間のそれではない。
容姿こそ人間と酷似しているが、その背丈は子供が遊ぶような人形程度の大きさと、背中には虫を思わせる羽。
この特徴を持つ生き物を俺は一つしか知らないし、何だったら今朝見たばかりの種族だったりする。
つまり妖精だ。
それが今、俺の目の前で浮かんでいる。
図らずも、パーラ狼化の騒動の締めくくりに、リッカ以外との妖精の邂逅となってしまったのは、間がいいのか悪いのか…。
応援ありがとうございます!
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