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第七話 にゃんにゃんの誘惑

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 何とか宿屋まで帰って来た俺こと上山賢治ですが、老夫婦の視線が痛いです。

 あらあらまあまあ。こんな美人を二人も連れ込んで。

 そんな会話が背に聞こえるのです。いや、間違ってはないんだけどさ。そんな生暖かい目を向けられると流石の俺も木っ恥ずかしいのよ。
 と、そうだ。

「この二人、今日から新しく此処に泊まるので。俺の両隣の部屋の鍵ください。これ、宿代です」

 老夫婦に宿代を支払い、鍵を受け取って二階へ上がる。
 俺の部屋の前まで来た所で、付いて来ていた少女二人に鍵を渡せば、信じられないという顔をされた。

「どしたの? 部屋、逆の方がよかった?」

「いえ、そうじゃなくって。良いんですかご主人様?」

 え? 何が?

「私達は奴隷です。その私達にそれぞれ部屋なんて……いえ、そもそも部屋は別、なんですね?」

「いや、そりゃそうでしょ。俺、別に奴隷だからって酷い扱いするような、特殊な性癖は持ち合わせてないのよね。部屋が別なのは当たり前でしょ、二人共俺と一緒なんて嫌だろうし、俺だって部屋は一人の方が楽だし」

「……そんな事より、鍵。早く寝る」

 掠め取った鍵を妹に手渡し、ククナさんが右の部屋に消える。
 此方を窺うように何度も見ながらも、スピカちゃんが左の扉に手を掛けた。

「あ、今日はもう遅いから良いけど。明日から本格的に働いてもらうからそのつもりでね。お姉さんにも言っといて~」

「は、はいっ。頑張ります!」

 本当は色々と話して交流を深めたかったのだが、帰路の襲撃のせいでもうヘトヘトだ。
 ククナさんじゃないがもう寝たい。これからどうするかとか、二人の仕事についてとか、それ等は全部明日の自分に分投げる。

「じゃ、お休み~」

「はい。お休みなさい、ご主人様」

 パタン、と閉まる扉。
 自室のベッドに飛び込んで、素早く布団に潜り込む。

(あー、風呂入ってないや。まぁ良いか、明日の朝でも。それにしてもそうか、二人も同行者が増えたのか。それじゃあ次は、マイホームでも目指すかな……)

 その為には新たな稼ぎが必要だ。
 競売で目立ってしまった事だし。エトランジェだけでは言い訳には弱いだろう。

 次の商売を考えながら、俺の意識はゆっくりと闇に溶けて行く。

 ~~~~~~

 皆、信じられないかもしれないけど聞いてくれ。一大事だ。
 深夜にね、目を覚ましたんですよ。ぐっすり眠ってたはずなのに、ふと起きちゃったの。
 そしたらさぁ……同じベッドに居るのよね。下着姿の黒猫が。

(あぁ、これは夢だ。欲求不満の脳みそが作り出した、都合の良い妄想だ)

 だったら良かったのにね。残念ながら感じる体温も柔らかさも本物なんだなぁ。

 現実逃避するように一度天井を見上げ、木目を七つほど数え、再び視線を下に戻す。
 そこにはやっぱり、黒猫――っていうかククナさんが居た。布団に潜り込み、俺の身体に重なるように乗って、真紅の瞳で此方を見上げている。
 僅かに見える身体にはやっぱり黒い下着以外に何も付けていない。カーテンの隙間から差し込む月光に照らされて、染み一つ無い白肌が薄っすらと輝きを放ち、貧相な身体なのに色気がばっちり。

「まず聞こう。何故此処に居る?」

 トイレにでも行って部屋を間違えたのだろうか。
 んな馬鹿な。だとしてもベッドに入れば流石に気付くだろう。寝ぼけてるって様子でもないし。

「……?」

「いや、そんな『何言ってんの?』みたいな顔されても。明らかに普通じゃないでしょこの状況」

 股間がぞくぞくするよー。尻尾で太腿をスリスリするのを止めてくれー。

「猫だから」

「はい?」

「寒いの、嫌い。人肌、温かい」

 えぇ……。だからって他人の布団に潜り込みます、普通?

「っていうかそれだったら妹さんの所に行けば良いでしょ。俺の所に来る必要はなくない? 俺、男よ。しかも今日会ったばかりの」

「……スピカは、体温低い」

「あ、そうなの。俺は確かに昔から『子供みたいな体温だねぇ』って言われ続けてたしな。それなら納得だぁ。……んなわけあるか!」

 天に向かって小声で吼える。深夜だしね、騒音には気を付けないと。

 しかし実際辛い。俺はね、寝る時パンツ一丁で寝る性質なんですよ。実は今もそうなの。
 だからさ、触れ合うわけですよ。素肌と素肌が。凄いスベスベだぁ、触れてるだけで気持ち良いー。
 いかん。局部に血液が集中しそうだ。この状況でそれだけはいかんっ。

「とにかくさ。多少体温が低くても、スピカちゃんのとこ行きなよ。それが一番、ザ・ベスト」

 あぁ良い匂いがする。サラサラの黒髪が肌に当たってこそばゆい。
 俺の理性という名のダムを、本能が機関銃の如くノックする。糞、負けるかっ。俺のダムは頑丈なんだ、壊したければロケットランチャーくらい持って来い!

「…………」

「ひぎゃぁぁ! 首筋を舐めるな、首筋を! ざらざらしてるぅ~」

 何でこの子はこんな煽るような行動をするんですかね。
 ううう、襲ってなるものか。ヘタレと呼ばれても構わん、こんないたいけな少女を襲うなど、天が許しても俺の倫理観が許さないっ。

(奴隷買っといて倫理観とかウケルー。って突っ込みは無しだ。俺は本能に負けないぞっ。あんな事とかこんな事とか、妄想こそしてたけど、実際やったらただの鬼畜だ!)

 今夜は辛い夜になりそうだぜ……。
 真顔で煩悩と戦いながら、俺は必死に誘惑を撥ね退け眠りに付いた――。

 ~~~~~~

 寝られるわけないよね。あの状況でさ。

 あー寝不足だ。差し込む朝日が鬱陶しくて堪らない。
 そんな俺を余所にククナさんは気持ち良さそうに眠ってるし。今だけはその端整な顔が恨めしい。

(はぁ。どうせ働かなくても良いんだし、昼寝でもするか)

 まさか昼寝にまで潜り込んで来る……って事はない、よね?
 不安になりながらククナさんを起こさないようにベッドを抜け出すと服を着る。

 あーあー。今日は新しい商売を探すつもりだったんだけどなぁ。これじゃあ無理だなぁ、残念だけど宿でごろごろするしかないなぁ。

「……どうして」

「うひゃお!? ビックリしたぁ。ククナさんか、起きたのなら言ってよ。後今こっち見ないで、着替え中!」

「……ん」

 ちらりと後ろを窺えば、布団に潜り直す黒猫の姿が見える。
 まったく心臓に悪い。俺は心は案外乙女なのだ、女の子に着替えを見られたらまず真っ先に悲鳴を上げる位には乙女なのだ。

 しかし『どうして』か。一体何の事だろうね。俺の下着にプリントしてあるにゃにゃ丸君の絵が気になったとか? それならどうしてとは言わないか。

 考えている間に着替え終え、部屋の扉に手を掛ける。
 振り向けば、まだ布団はこんもり丸まったままで。

「ククナさーん。もう直ぐ朝飯だからちゃんと服着て下に来てね~。色々話すこともあるからさ、ついでにスピカちゃんも連れて来てよー」

「……分かった。それと、さん」

「ん?」

「さん、は無くて良い。ククナ」

「了解ー。俺もそっちの方が楽だしね。じゃ、よろしくククナ」

 欠伸と共に部屋を出る。
 ククナが二度寝しないか心配だが……まぁ良いか。その時はスピカちゃんに起こしてもらえば良い話。

(あ、でも。俺の部屋で寝てるのを見つかったら不味いのでは……?)

 些細な悩みは、老夫婦の声と美味しそうな匂いに押されて消えた。

 ~~~~~~

「だからさ。まず二人の武器を用意するべきだと思うんだよ」

 朝食を食べ終え宿の一階で。
 彼女達の役目――家事や護衛――を伝え終えた俺は、まずそう提案した。
 正直、年下の少女達を護衛として戦わせるのは申し訳ないが、背に腹は代えられない。俺のような貧弱青年は槍で一突きされただけで死んでしまうのだから。本当ね。

 俺の言葉に、スピカちゃんが同意するように深く頷く。

「そうですね。昨日みたいな事があると不味いですしね。武器は必要だと思いますっ」

「でしょー。そういうわけだから、はい」

「? えっと……この袋は何ですか、ご主人様?」

「え? 金だよ。武器代。それで適当に良い武器買って来てよ、二人で」

「二人で、ですか? でも、そうするとご主人様の護衛が……出来る事なら一緒に来て頂いた方が……」

 いや、俺もそうしようと思ってたんだよ? 昨夜までは。
 でも、どこぞの猫さんのおかげでその計画が破綻したわけでしてね。

「悪いけど今日の俺には大事な予定があるんだ。活動能力の低下した脳みそを癒すという外せない予定がな。大丈夫、その間の護衛は此方の……」

「ジョニーです。よろしくお願いします」

 突如現れたマッチョメンに、スピカちゃんが「うひゃあ」と可愛い悲鳴を上げる。
 たっぷり眠ったはずなのに半眼だったククナさえ、目をまん丸に見開いていた。

「彼に任せるから。だから安心して行って来てくれ」

「え、えっと。分かりました、不肖スピカ! ご主人様の期待に応える為頑張ります!」

 張り切るスピカちゃんに微笑ましい気分になりながら席を立つ。
 そうして宿の前へ。姉妹、手を繋ぎ街へ繰り出す彼女等を大手を振って見送った。

「あ、一応言っておくけど、そのお金は全部使って良いからね~! 変に遠慮して安い武具とか買われたら、こっちが困るから! もし余ったら好きに使って良いよー」

「は、はーい! 分かりましたー!」

「……(グッ)」

 ククナのその親指は任せろという事で良いのだろうか。
 ま、心配は要らないだろう。簡単なお使いだし。もし何かあっても、二人の実力なら切り抜けられるだろうし。

「さーて、じゃあ寝るかー。ジョニーは適当に宿の中で寛いでてよ」

「……中庭で、鍛練をしていても?」

「ああ、別に良いよ。どうも最近物騒でさ。警戒よろしくねー」

 生真面目なジョニーに苦笑を一つ。
 俺は何度目かも分からぬ欠伸を浮かべて、柔らかなベッドに飛び込んだ。

 ……ククナの残り香にドキドキして、中々寝付けなかったのは秘密である。
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