ローランの歌

N2

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ー御前会議(Ⅱ)ー

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20.

「わが騎士たちよ」王は続けられた。「されば推薦いたせ、並みいる将士のなかでマルシルを前にして立派に役目を成すだろう者を――」

「ならば」とローラン「継父ガヌロンはいかが。まさに最適の人材かと」

これにはフランス人も納得して「それがよい、彼以上の適任は望むべくもないでしょう!」

これを聞くが早いかガヌロン卿は怒髪天、首にうちかけたてんの毛皮をかなぐり捨て、シルクの上着をさらして立ち上がる。灰色の瞳は豪気な顔の真ん中で不満をはらんで燃え上がり、大柄な四肢とみごとな胴体が怒りに震える。その堂々たる体躯に、居並ぶ諸将も思わず見入ってしまった。

「気でも狂ったか!」ローラン目がけて叫びを放つガヌロン。
「忘れた訳ではあるまい、わしとそなたは義理とはもうせ父と子、よくぞ行くばかりで帰る道のない任務を押し付けおったわ!それが息子のやる事か!もし神の助けを借りて無事もどって来れたならば、いいか、誓っていうぞ、貴様の息の続く限り、地獄を見せずにおくまいことか!」

ローランすぐさま答えていわく「これは義父おやじどのにしては可笑しな物言い、さような脅しは毛ほども効きませんぞ。だいたいが比類なき賢者にふさわしい仕事と思ったゆえ推挙したまでのこと。さまでお嫌ならふたたび王に願い出て、私が代わりに行ってもよろしいか」


21.

ガヌロン瞋恚しんいを込めていうよう、「わしの代わりに?それこそ片腹いたいわ!お前に差配される身分になった覚えはない。シャルル王の御下命ありし今となっては、サラゴサ行きの運命はくつがえせぬのだ。だがこの恨みは忘れぬぞ、かならずどこかで晴らしてくれようのう!」

ローランはといえばまったく意に介さず、天を見上げてからからと笑うばかりだった。


22.

ローランの高笑いはガヌロン卿の心の痛みを十倍にも二十倍にも膨らませ、胸もはり裂け、気もふれんばかり。

義息の方をキッ、とめつけ「おのれ憎しやローラン、よくも不当な方法で選んでくれおった!
……さあ万乗の君、わたくしめはここに控えおります、どうぞ御使いの大命を下さいますよう」

シャルルはこれを嗜められた「ガヌロン、少々怒りが過ぎようぞ」


23.

主上おかみよ、拙者けしてお使者の任に不服はござらん。誰かがサラゴサにゆかねばならぬこと、もはや覚悟は決めてござる。さりとてサラゴサより生きて戻ったものがないのも周知の事実。
ここに至って気がかりなのは、わが妻すなわち陛下の御妹君おんいもうとぎみと、その生み育てた嫡子ボードワンの行く末でございます。陛下、あれはまこと良き騎士、忠義の臣になり得ましょう、私はあれにすべての封地と栄誉を継がせる腹づもりだったのです。どうか、どうかボードワンをお見捨てなきよう、もはや今生でわが子に会えぬ父親の、最後のお頼みと思し召されませ……」

これには厳然たるシャルルの帝もお心を動かされてか「そちにかような優しい心根があったとはのう、、したが王命じゃ、行ってもらわんことには困るぞ」


24.

シャルル王は威儀を正され、ついに使命を下された。「忠良なるガヌロン卿に告ぐ、王マルシルに立ち合ってよろしく以下を言上すべし。

――なんじが進んで軍門にくだり、キリストの教えを受け入れるならば、スペイン全土の半分は呉れてやってもよい。残りの半分はローラン伯のものじゃ。もしこの取り決めを反故にいたさば、朕はただちにサラゴサ城下に攻め寄せなん。街を十重二十重とえはたえに囲んでひと呑みにしてやろう、なんじを捕らえ、高手小手に縛り上げ、エックスなるわが玉座の前まで引き据えてゆこうではないか。そして裁きをくわえ、生命の灯を吹き消すであろう!痛みと恥辱にまみれた最期を迎えたくなくば、よくよく思案のうえ返答せよ――

このことしかと書簡にしたためてある。必ずあの異教徒の手に渡してくれよ」


25.

「ガノよ」帝の声は、いまはもう優しかった。「近うよれ、そして手袋と杖を受け取ってくれ、この大役は一同よりの指名なるぞ」

「いいや、これはローランめの仕打ちにござる。この恨みは生涯にわたって消えますまい。オリヴィエ、貴様も奴の友ゆえ同罪じゃ、いや仲間の十二人衆、お主らもローランを慕うものなら許しておかぬ!ああ、侮りきったうぬ等のその横っ面に、今ここで挑戦状を叩きつけてやれたなら!」

「これガヌロン、怒りを鎮めよ」シャルル帝のお言葉。「朕が一旦命じたとあっては、是が非でもゆかねばならんぞ」

「承ってござる。されどサラゴサに向かえば生命長らえる保証はどこにもござらん、バザンとバジールがそうであったように――」


26.

シャルルの帝は右手を差し出された。手袋をご下賜なさるときの振る舞いである。

受け取るガヌロンはしょうじき気乗りがしない。と、そのとき、ふたりの呼吸が合わなかったのか、手袋ははた、と地面に落ちてしまった。

「あっ!これは面妖なり!」フランク人は怖気おぞけを感じて声をあげる「まずいぞ!このお使い、あるいは悪魔を呼び込むものかも知れん」

素早く拾ってガヌロンいう「わが君、かならず生き延びて復命いたしまする」


27.

「さ、もはや一刻の猶予もありますまい、いまはおさらばにございます!」

「キリストの御名こそ称えられよ!さらばじゃ!」大帝は十字を切って祝福し、ガヌロンに親書と王杖を託された。


28.

自らの幕営に立ち帰ったガヌロン、いまだ怒りは収まり切らぬが、とまれ出立の支度をせねばならない。これが死装束とばかり、愛蔵の品から最高の武具甲冑を選び出した。

名剣ミュルグレを腰にき、金の拍車が足元にひかる。うち跨るは駿馬しゅんめターシェブロン、その鐙を支えるは叔父ギヌメール。ことの顛末をきいた家来、郎党がぞくぞく集うが、誰の目にも涙が溢れていた――

「殿様!」郎党どもは口々さけぶ「なんたる禍々しい日よ!王のおそばにいと長く列せられ、廷臣のなかでも別格の御方に、かくの如き仕打ちとは……!」
「憎きはこたびの任を仕組んだ輩よ、いつの日か、いや遠からずシャルルマーニュも御見捨て給うだろう」
「ローラン卿はどうかしておいでじゃ、帝のお血筋ゆえ怖いものなしか――」
「さ、さ。我らも連れて行ってくださりませ」

「ならぬ」ガヌロンもいまは観念したか、静かに部下に語りかける。
「これこそ神の定めたもう運命というもの、死ぬならわしひとりでじゅうぶんだ。そなた等はまことの勇士、あたら生命を粗末にするでない。生きて夢に見たフランスに帰るのだ。妻によろしくたのむ、僚友ピナベルにものう……心残りはボードワンだ、わしのせがれだ、あれをどうか盛り立てて、立派な領主にしてやってくれよ」

名残りを打ちはらうように鞭をくれ、ひとりサラゴサへと旅立っていった――
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