ローランの歌

N2

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ー角笛のあとさきー

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148.

殺されゆく仲間たちを前にして、ローランは戦友オリヴィエに呼びかける。

「おお友よ、何としたこと!勇将烈士、ことごとく地に伏し息絶えてしまったか、フランス国の命運は尽きたか!国を支える貴族たちをこうも失ってはのう!ああ、わが君、いずこにおわすぞ?どうか教えてくれオリヴィエ、この有り様、シャルル王に如何に復命すればよい?」

「王に伝えるすべなどないが」オリヴィエは言う「ひとつはっきり言えるのは、事ここに至ったからには、じたばたするより死んだ方が早いな」


149.

ローランは言う「かくなる上は“角笛オリファン”を鳴らそうではないか、シャルルの帝はちょうど峡谷を越えたところ、この音色を聞こしめせば、フランク勢ひきいてすぐにでも御帰還あるだろう」

「何をいまさら」オリヴィエがさえぎった「愚かなことを!全滅まぎわに角笛吹くなど、そんな無様な話を聞いたことがあるか。残される君の一族を考えてみろ、終生後ろ指さされる羽目になるぞ。そもそも先だって俺が吹けと言ったのを、何もせなんだのは何処のどいつだ?もう知らん!吹きたければ好きにするがいいさ、こんな男が剛勇の士とは聞いて呆れるが……」

ふと友の両手に目をやった彼は、そこから先を継げなかった。「どうしたその腕は、肩口まで真っ赤じゃないか」

「だろうな」とローラン「幾たび斬り結んだか分からんわ」


150.

「敵は手強い、形勢もはなはだ悪い。角笛を吹けばかならず帝のお耳に届くだろう」

「ローラン、それが君の騎士道か、それで臣道を全うしたつもりか。俺が三度も願ったとき、君はあえて吹かなかったではないか。あの時決心しておれば、シャルル王は今ごろ我らを救うて下されたものを。そこに横たわる味方の者どもに、何か言い訳のひとつでも言ってみよ。この顎髭あごひげにかけて伝えおく、よし生き延びてわが優しき妹オードにまみえようとて、二度とその腕に抱くこと許さん!」


151.

「どうしてそこまで怒るのだ?」

「まだ気付かぬかローラン、すべては君の成したことだ。勇気と狂気をはき違え、誇りと節度をはかりにかけるのを忘れたな。君の蛮勇に従ったためにフランク軍二万は犬死にだ。俺を信じて吹きさえすれば、帝はここに来たりてともに敵討ち果たし、憎きマルシルなんぞも引っ捕えるか首刎ねてやれるものを。
ああ、わが友ローラン、君の武功への執着が、破滅を呼んだのだ。俺たちは二度と帝に仕えること叶わぬ。惜しいかな、最後の審判の来たるまで、これほどの勇士は現れぬほどに!君は玉砕できて本望かも知れんが、宮廷騎士パラディンを欠いたフランスは一朝にして威勢を失うだろう。俺たちの友の契りもどうやら今日限りだ。夕暮れまでには悲しい別れになるだろう」


152.

チュルパン大僧正はこの諍いを聞きつけるや金拍車をはっしと刻むと、愛馬を飛ばして二人のあいだに割って入った。

「これローラン卿にオリヴィエ卿、神の名にかけて争うなかれ!今さら角笛を鳴らしても無駄じゃ、誰も助からん。だが吹かぬよりは吹いた方がようござろうな、風にのって音色が届けば、シャルル王が戻っておいでになる、さすればかならず弔い合戦になろう。スペイン勢を喜び勇んだまま家路に返すわけにはいかん。
馬を下りたフランク本隊は、そこで殉教した我らを見つけるだろう。棺桶に入れ、騾馬ラバの背にのせ、安らかな墓所に横たえるに違いない。我らのために泣いてもくれよう。どうだ、狼や豚や犬の餌食にならんで済みそうだぞ」

ローランは答える「さすがは大僧正、ことわりの通った申されようだわ!」


153.

ローランは取り出したる角笛に唇をあて、力いっぱい息を送り込んだ。

決死の覚悟に天地も応えたか、音色はイスパニアの山峡をかけ渡り、殷々いんいんと鳴り響いて、三十リューさきまで届いたという。シャルル王もこれを聞こし召された、いや王ばかりではない、フランス本軍だれもみな、しかと聞いたのである。

「どこかで戦が始まっておる!」帝の不安げなお言葉に、ガヌロンが答えた「まさか!帝の仰せでなくば、とんだ虚言そらごとと申すほかありませんな」


154.

ローラン伯は苦しみと悔悟にさいなまれながら、ただひたすらに角笛を鳴らす。あまりに強く吹いたせいだろう、口からは鮮血がほとばしり、こめかみが裂けて激痛が走った。

笛の音はどこまでも響き渡り、やがて山裾をゆくシャルル王に、大公ネームに、すべての兵士の耳にまで届いた。「ローランの角笛じゃ、あれは戦のほかに戯れに笛吹くような男ではない」

「戦ですと?」ガヌロンが言う「戦などよもや有りようもなし!わが君にはいささかお歳を召されましたな、おぐしもすっかり白うなられ、お言葉にいたっては幼児おさなごの昔に戻られたよう。
ご一同もしかと顧みられい、ローランの増上慢は何もいまに始まったものにあらず、むしろ今日まで神の裁きなきことは不思議でござった。ご存じであろうが、かつて彼奴は勅命を待たずノープルの街に兵を進めおった。当然サラセン方は城より撃って出る、そこをローランめは散々に殺して回った次第。あまつさえ奴は川の水を戦場に流し、血の跡をすっかりぬぐってしもうたのでござる。ことの露見を恐れてのう!
それにローランは一匹の兎を追って日がな一日角笛鳴らすような男、供する十二人衆の奴ばらと語らって、此度こたびもたちの悪い冗談にござろう。お考えあれ、奴を相手に戦しかける勇者なぞ、どこに居りましょうや?
さ、さ、本国への帰路を急がれませ。ひと騒がせな笛の音で行軍に遅れが見られまする、麗しのフランスはまだ遠うござるぞ」


155.

ローランはすべてを忘れ、いまは一心に角笛を吹く。口からは血がしたたり、こめかみの脈は破れて両耳まで真っ赤に染まる。苦しげな笛の音は山こえ渓こえ、はるかに木霊してシャルルの帝とフランク兵たちに味方の危難を訴えかけた。

「なんと長々と響くことよ!」ネームが答える「愚考いたしまするに、ローラン殿は戦いの真っ最中かと。かの地で戦端が開かれたこと、もはや疑いようもござらぬ。お気をつけめされよ、ここに至って転進をさえぎるは、あるじをあざむく裏切り者の所業と申すべきもの。さ、武具をご用意なされ、鬨の声を挙げるのです。来た道を取ってかえし、高貴なるご一門を救うておあげなされませ。ローラン殿はいま危機に瀕しておりましょうから!」


156.

シャルル王はただちに進軍の合図を御命じになられた。

ラッパが鳴り響くと、フランス兵は一斉に武装を始める。胴丸を着込むもの、鎖帷子に袖とおすもの、黄金の剣を佩くもの――すがたは様々ながら、みな盾と丈夫な槍を持ち、赤白青トリコロールの旗印を風になびかせた。指揮官たちは新しい馬に飛び乗り、先頭切って峠道を突き進む。将士はこぞって言い合った。「急げ、ローラン卿を死なすまじ、無事彼と合流したあかつきは、一丸となりて敵を粉砕せん!」

ああ、その願いは叶わなかった!すべてが遅すぎたのだ。


157.

ようやくあたりは暮れ始め、西にかたぶく太陽が激しい光を放っていた。つわものどもの鎧の端に、盾の上に、槍の穂先に、また金糸編みの吹き流しに、残光が踊ってきらきらと燃え上がる。

シャルルの帝は怒りに任せて悍馬を進められ、フランクの将兵ともに悲壮にみちて後に続く。その胸中にローランを浮かべれば、死の予感をぬぐうことは難しい。彼のために苦しみの涙を流さぬ者はなかった。

皇帝はガヌロン伯を捕縛され、その身柄を後にのこす兵站部隊に委ねられた。加えて厨房長ベスゴンなる男を招じられ、こうご下命あった。「よいか、この者は大逆の罪人ぞ。けして逃すな。鎖でいましめておけ!」

かくして大貴族ガヌロンは、どう見ても行儀良いとは言えぬ輸卒ども百人の監視のなかに放り込まれたのである。兵隊やくざたちは面白がってガヌロンの口髭をちぎるあご髭をぬく、拳骨を四杯も食わす、取り囲んで薪や棍棒でさんざ殴りつけるなどやりたい放題。ついには包丁職人どもが鎖を首にまわして枷をはめ、まるで熊でもあつかう様にぐいぐいと引っ張って苦しめる。あわれガヌロン、そのまま駄馬の背中にくくられて、シャルル王のご帰還まで長く晒し者にされたのだった。


158.

山々は遥かな高みにそびえ、谷間には滔々とうとうと水が流れる。フランク軍は前に後ろにラッパを鳴らして角笛に応え、暗い峠道を急ぐ。帝は怒りを露わに駒を駆られ、フランク勢は悲嘆に暮れてつき従う。

誰の目にも涙があふれ、「神よ、どうか我らとくつわを並べるまでは、ローランの生命を救いたまえ」と一心に祈る。「さすれば一同そろって討ち死にするも恨みなし!」

だがそれも無駄であった。援軍が間に合うことはない、あまりに多くの時が空しく費やされてしまったがゆえに――


159.

シャルルの帝は憤りも激しく兵馬を進められ給う。鎧のうえに豊かな白髯が流れ落ちる。帝国の臣将たちは懸命に主人あるじの後を追った。サラセン兵と対峙するローランの傍らに、自らの姿がないことを彼らは恥じていた。

――あるいは既に、ローランの魂は幽冥の門を叩いているやも知れん。そうなれば味方は一兵たりとも生きて帰れまい。なお三人の名将がおるにせよ!――

はたしてフランス後衛は討ち死にのすえ六十騎まで数を減らしていたが、そもこの六十騎こそ屈指の勇兵、かつて地上のいかなる王公も、これ程までの精鋭を得たことはないだろう。


160.

角笛を吹き終えたローラン、ふと戦場を見渡すと、何たること!野に山に、おかに平野に、列をなして横たわる数多のむくろ!

ローランは男泣きに泣いて言う「神よ!どうか御慈悲、御はからいによって、フランスの将士に天上の国を得さしめたまえ、身を憩う清らなる花のうてなを与えたまえ!思えば貴公らほどの勇将はなかった。長年にわたって俺に仕え、シャルル王のために戦して縦横に国を従えてきたものよ。ああ、かような最期のために、そなたらに扶持ふちしてきた訳ではない!
フランスよ、栄光極まりなき国よ、それも今日までだわ。かかる大難にあえば丸裸も同然ぞ。生命を捧げて仕えてきたつもりだったが、それでも力が足りなかった。護ってやることが出来なんだ。せめてみな神の救いを受けて欲しい、神こそは偽りなき御方なれば!――オリヴィエよ、友よ、ずっと俺の側を離れるな。敵の太刀を受けずとも、別離の苦しみの為に死ぬこともあろうからな。さあいざ、戦を再開しようではないか!」


161.

ローランはふたたび敵中に身を躍らせた。切れ味鋭いデュランダルで、ル・ピュイのファルドロンを真っ二つ、ついでサラセンの勇士を二十四人も血祭りにあげる。復讐の鬼神と化して暴れるさまの恐ろしさよ!異教の兵どもは猟犬に出くわした仔鹿のごとく逃げ回った。

チュルパンが勇躍して声をあげる「さすがはローラン殿、古今無双の男だわ!騎士たるもの、こうでなくてはのう!平時にあっては馬を養い、戦に遭うては完全武装して誰よりも力強くあり――さなくんば我らの如きでくの坊、ぜに四文の値打ちもないわ。出家させて僧院に入れ、明け暮れ御魂の供養でもやらせておくのがせいぜいのところよ!」

ローランがさけぶ「いざ討て!生命を惜しむなかれ!」フランク勢はふたたび異教徒に向かっていったが、衆寡敵せず、隊列はひとり欠けふたり欠け、次第に数を減らしていった。


162.

捕虜を取り、身代金を得る騎士の争いならば、わが身大事に防戦につとめることもできよう。だが一方が壊滅するまで続く非情の戦となったからには、フランク勢は怒れる獅子となって突撃をくり返すしかなかった。

そのとき、ついにマルシル王が前線に姿をあらわした。跨がる愛馬の名は番犬號ゲィニョン。威厳あたりを打ち払い、さすがは兵馬の長といったところ。さっそくディジョンとボーヌの領主ブヴォンを討たんものと刃を向ける。鋭い槍の切っ先は盾も鎧も貫き通し、たちまち馬上のブヴォンは串刺しとなって、どうと倒れて生命を失った。イヴォンとイヴォワールの両将も瞬く間に斬られ、ルッションのジェラールも討ち取られた。

遠からぬ処でこれを見たローラン、怒りに震えて「おのれ、よくも俺の目の前で友を殺しおったな!貴様のような外道は永遠に呪われてあれ!俺が裁きをくれてやる前に、この剣の名を覚えてゆけ!」言うやいな風のように躍りかかり、剣がわずかに光を放ったときには、もうマルシルの右手首は切り離されて地を転がっていた。金髪の王子ジュルファルーが父を救わんと駆けつけたが、返す刀で首を刎ねられる。

サラセン勢は主人の負傷に驚きあわて、「マホメットよ、救いたまえ!神よ、シャルルマーニュに復讐を与えたまえ!何たる悪魔どもを残していったのか、奴等は生命尽きるまで戦場に居座りつづけるつもりらしい」やがて誰彼なしに声があがる「逃げろ!逃げろ!」

十万の異教徒は雪崩をうって逃げまどい、もはや呼べど叫べど一兵たりとて踏み止まる者はなかった。
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