ローランの歌

N2

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ー一騎討ー

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272.

バリガン大将軍は長駆して野を抜け、やがて伯爵ギヌマンに狙いを定めた。心臓めがけて放たれた一撃は銀の盾を砕き、鎖帷子くさりかたびらの網目を容赦なく断ち切る。ああ無惨!ギヌマン卿の胴体は左右のあばらを結ぶように引き裂かれ、馬は主人の上半身をふり落としながら走り去っていった。

バリガンの闘いようは凄まじい。ノルマンディーの領主リシャール老、さらにロラントとジェボワンの三人を瞬く間に血祭りにあげ、なお敵を求めて戦場を闊歩する。異教徒たちの歓呼がこだました「おお、将軍の佩剣プレシューズこそまこと大業物おおわざものよ!皆の衆、いざ討ちかかれ、神の加護は間違いないぞ!」


273.

アラブの騎士、とりわけオクシア、アルグイユ、バスクルの男たちの戦ぶりを見てみれば、なんと勇敢なことだろう。槍も折れよと振り回し、あるいは敵兵を串刺しにせんものと挑みかかる。

フランス方もよく守り、一歩たりとも引くことがない。攻撃は反撃を呼び、激しい応酬の果て、暮れ方には両軍ともに死屍累々の有り様を呈していた。ことに数に劣るフランク諸侯の損耗ははなはだしい。このまま戦闘が長引けば、日をまたがずして双方さらなる悲劇に見舞われようことは、誰の想像にも難くなかったのである。


274.

フランク、アラビア両者ともにいまだ戦意は衰えず、裂けた槍、折れた矛の膨大なること、到底数えるべくもない。
夕陽に映えて輝く盾が粉微塵に砕けるのを目にした者、鎖鎧の金輪が弾けとぶ音を耳にした者、槍先がしたたかに兜を打ちすえる音を聴いた者、昏倒した騎士が鞍から崩れ落ちる姿を見た者、そして大地のすべてが、死と、死を呼ぶ咆哮に呑まれる様を眼に焼きつけた者は、この惨禍を忘れることはないであろう。

――まこと、耐えがたい戦となった。

バリガンは守り神マホメット、アポリン、テルヴァガンに呼びかける「諸々の神よ!我ら一日とて供物を絶やしたことはござらぬ。いまこそ霊験をお示しあれ!もし我らをしてシャルルに打ち勝たしめば、黄金の神像を寄進いたしましょうぞ!」ああ!しかしちょうどその時、寵臣ジェマルファンが悲しい報せを携えてやって来たのである。

「バリガン閣下に御注進!御嫡子マルプラミス殿、さきほど武運つたなく討ち死になされたるよし。残念ながら弟君カナベウス殿もおなじく。お二方を討ったうえ、なおも生き長らえた悪運の持ち主は、ふたりのフランス人でござった。その片方は、拙者の考えまするところ、皇帝そのひとに間違いないかと。容貌、風格はまさに王者のそれであり、春の花のごとき豊かな白髭が見えました故」

大将軍の兜がわずかに傾いた。顔ばせはかげり、悲しみのあまり今にも死んでしまうかとまで思われた。やがてバリガンは腹心たちの中から異邦人ジャングルーを呼び出した。


275.

大将軍は口を開いた「ジャングルー近う寄れ!よいか、腹蔵ふくぞうなく答えよ。そなたは勇気と思慮をふたつながらに持っておる。それゆえ儂は長年そなたの助言に従うてきたつもりだ。この戦、アラビア勢とフランク勢いずれを有利と見るか?そも我が方に勝機はありや、なしや?」

ジャングルーの答えには「さらば率直に申し上げましょう。お味方はもはや死に体にござる。万能の諸神も、こたびは殿を見限ったやに存じます。シャルルの歩兵はいまだ精強を保ち、騎兵は剽悍ひょうかんたぐいなし――正直これほどの戦狂いくさぐるいどもに遭うたことがありませぬ。かくなる上はオクシアの諸侯、トルコ人、巨人兵、さらにはアラブとアフリカの部隊にも急ぎ呼びかけなされ。一兵でも多くかき集め、乾坤一擲の勝負に賭けるしかござらん。遅れてはなりませんぞ!」


276.

大将軍が鎧の胸元を緩めると、いばらの花が咲きこぼれるように立派な白髭があらわになった。何があろうと逃げ隠れはせぬ覚悟の表れである。喇叭ラッパに口づけ、天に向かって高らかに吹き鳴らせば、聞きつけた異教徒たちが四方より続々と参じ来たりて、我先にと突撃してゆく。

オクシア人のどよもしはロバのごと、馬のごと、アルグイユ人の鬨の声はさながら犬狼の吠える様であった。敵中へ裂帛れっぱくの気勢をこめて躍り入ると、あたり構わず斬りまくる。フランク方は陣営を失う者あり、討たれて散り散りになる者あり、このひと押しで七千名の兵たちが落命したという。


277.

デーンびとオージェ殿は騎士のなかの騎士、彼より優秀な武人は宮中に見当たらず、生まれてこのかた怯懦きょうだの振る舞いをさらしたことがない。フランクの陣構えが蹴散らされるのを目にすると、アルゴンヌ公ティエリー、ジョズラン伯、そしてアンジュー公ジョフロワを呼びにやった。

連れ立ってシャルルの帝に拝謁すると、さっそく厳しい口調で主張を陳べる。「ご覧なされわが君、この混乱を!異教徒どもの成すがままではありませんか。かかる恥辱を受けながら復讐のひとつもせぬ御心積おこころづもりならば、神はいつかその王冠を叩き落としてしまうでしょう!」

するどい叱責に場は水を打ったように静まりかえった。――御返答は言葉ではなく、行動であった。帝も諸侯も馬上の人となって、手綱をゆるめ愛馬のひ腹を蹴り上げ、成すべきことを成さんと敵陣深く突入していった。


278.

シャルル王は勇気を振り絞って戦われた。オージェ卿、大公ネーム、王の旗手たるジョフロワ卿も敵の戦意をくじかんと大いに奮戦する。

とりわけ活躍はなはだしいのはデンマルクのオージェ殿。彼方に竜の旌旗せいきを見つけると、勢いつけて拍車を蹴りくれ、疾走する馬の上から旗の持ち手に一撃を見舞う。アラブの将アンブールはどうと倒れ、竜旗も馬印もその場に落ちて野に塗れてしまった。

バリガンは自らの旗印が打ち捨てられる様に目を凝らしていたが、気付けばマホメットの聖幡せいばんも消え失せて見当たらぬ。ここに至って彼は悟った――天意はもはやおのれになし、神はシャルルを是としている――と。アラビアの異教徒軍も、いまや勢威を失いつつあった。

皇帝の御声が響く「皆に、皆に問う!神の名においてわれを助ける者はあるか!?」

フランク人こぞって返答するには「主上おかみよ、情けなきお尋ねかな!ここに我らの控えて居りますものを。諸君、いざ行かん、力を尽くさぬ者は呪われてあれ!」


279.

ようやく日は傾き、黄昏どきとなった。異教徒とフランク人は変わらず剣を交えている。兵を闘わしめる戦の張本人ふたりはいまだ健在、それぞれ雄々しく鬨の声をあげ合う。バリガンが「プレシューズ!」と大音声に叫んだかと思えば、シャルル王はかの名高き「モンジョワ!」を響かせる。その声の澄みきった気高さに、ついに両雄は対手あいての居場所を知ることとなった。

夕闇せまる戦場のただなかに、駒を進めて互いをみとめ合う。と、早くもふたりは馬を駆り、真正面より突進しつつも盾の上から鋭い槍を撃ちつけた。鋲止めしたるじゃの目紋様の盾はふたつに割れ、鎖帷子は千々に引き裂かれて鉄輪がきらきらと舞い散った。両者とっさに身体をひねって避けたがために、穂先は危ういところで空を切って致命の傷を与えられぬ。流れた槍が馬の腹帯を断ち切って、たちまち鞍は真っ逆さま!天が地となり、地は天となり――皇帝も大将軍ももんどり打って野に投げ出された。

されど二将は剛の者、跳ね飛ぶように起き上がり、剣を抜いてふたたび向き合う。もはやふたりをわかつ術はなく、この闘争の終わりには、どちらかの死を見ることになるだろう。


280.

豊かの国フランスをべ給うシャルルは強者のなかの強者、対する大将軍バリガンは恐れを知らず、一歩たりとも引かぬ覚悟。たがいに白刃抜いて高々と振りかざし、半ば壊れた盾をねらって猛然と相撃つ。張り革が破れて二層に重ねた木が裂ける。鋲は砕け、留め金具は弾けとぶ。身を隠す術を失ったふたりは鎧めがけて剣と剣で斬り結べば、刃は磨き上げた兜にきしめり火花を放つ。

両王の力はまさに伯仲、決戦はいずれかが非を認める他にはむことなど有り得ぬほどに思われた。


281.

大将軍が呼びかける「シャルルよ、どうだ思い直せ!ここで自分のして来たことを悔いてみせよ。息子を殺したのはお前だろう、知らぬとは言わさんぞ。お前が不当に奪ったこのスペインは、そもそも儂が治めるべき土地だ。さあ詫びを入れて家来になれ、東方に伺候しこうして玉座にぬかづけい。かならず儂は許すであろう」

シャルル答えていう「出来ぬ!それはフランスへの裏切りと同じじゃ!此度こたびのことでよう分かった、異教の者に愛だの和平だのと申すのがそもそもの間違い。お主こそ神の啓示されたる教えを学び、キリストの信仰を受け入れよ。さすれば友誼をもって応えてやろうではないか。わしとともに天なる全能の王に仕えよ!」

バリガン怒って「言わせておけば無駄口を!お前の説教など聞きたくもないわ!」
かくして両雄ふたたび剣を構え、ためらいなき死闘へと戻っていった。


282.

大将軍は剛力ごうりき衆を抜き、技量並ぶ者なき勇者である。総身の力を込めた一撃は見事シャルル王の頭部に命中し、鋼の兜は大きく割れ裂ける。刃は髪と皮膚を貫いて、手のひら大ほどの肉塊を大地に削ぎ落とした。痛ましや、傷口からは頭の骨さえ露わになっている。血汐は吹き出し、視界はかすむ。さしものシャルル皇帝も二歩、三歩とその場によろめき、あわや気を失ってお倒れになるところであったが、神はそれを許さなかった。急ぎ天使ガブリエルを遣わして、帝を死の運命から救ったのである。

聖ガブリエルは問いかける「おお大帝シャルルよ、何としたことか!?」


283.

「最早これまで!」と思し召されたシャルル王。だが仰いだ天の彼方から、にわかに御使みつかいの言葉がふり来たるではないか。祝福にも似たその声音こわねを聞くうちに、不思議と死への恐怖は薄れ、幽冥の境にあった御心も立ち直り、ご本来の力と正気を取り戻された。

帝はフランス鍛えの愛剣を振り上げ、くらえとばかりにバリガンの脳天に突ッ立てられた!刃は豪奢な兜に吸い込まれる。飛び散る宝石の数々!兜を砕き、頭蓋に大穴を開けて脳漿をぶちまけ、そのまま髭のあたりまで顔を縦一文字に切り裂いた。こうなってはひとたまりもない、大将軍バリガンはどうと崩れてついに生命を失った。

「モンジョワ!」シャルル王の勝鬨が響く。それは味方を呼集する掛け声でもあった。ネーム大公がタンサンドールのくつわを取って参上すると、王はひらりと愛馬に跨がり給う。

総大将のあえない最期に、異教の兵は一斉に浮き足立った。神も彼らが戦場に留まるを良しとせず、敵軍は算を乱して潰走をはじめる。勝利は成った!フランク人はようやく本懐を遂げたのである。
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