あやかしどもは、もどかしい

寿司

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第1話 押し付けられ体質は損だ

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 7限終了のチャイムが鳴り響き、「じゃあ今日はここまで」という先生の声を合図に私たちはせっせと教科書を片付け始める。

 窓側一番後ろの席の私は、ちらりと外に視線を向けた。辺りはすっかり暗くなっていて、陸上部の人たちが片付けをしているのがわずかに見えるぐらいである。

  そんなどうでもいい日常に思いを馳せている私の名前は日野 紬ひの つむぎ。神代高校特進科に通う2年生だ。まぁ特進科と言っても特別頭が良いわけでもなくて、地元でそこそこの頭脳を持った真面目な人たちが通うまったりとした高校だった。

「今日の日朝は日野と……あぁ瑠花か。ちゃんと日誌書いとけよー」

「え~、めんどくさーい」

 可愛らしい声で文句を垂れているのは深沢 瑠花ふかざわ るか。綺麗な栗色をしたセミロングを丁寧に巻き、皆が隣に並びたくないほど小顔で愛らしい容姿をした誰もが認める美少女だ。

 本人もそれを重々分かっているらしく、存分にその容姿を活用していた。

 一方の私はと言うと化粧のけの字もない地味な顔立ちに、焦げ茶色の髪を肩の辺りで切り揃えた地味な女だった。皆はよく私の下の名前を忘れたし、私もつむぎ! だなんて呼ばれたらぞわぞわ鳥肌が立ってしまうのだ。

「ちぇっ、一緒に頑張ろうねひーちゃん! 」

 瑠花がこっちを見てウインク一つ。ひーちゃんなんて呼ぶのは彼女だけだ。聞き馴れないワードに周りの子達がくすりと笑う。

「おいおい、お前全部"日野さん"に押し付けてサボるなよ? 」

 次に声をあげたのはクラス一イケメンと言われている加藤 翔馬かとう しょうま。甘いマスクと誰とでもすぐに仲良くなれるそのコミュニケーション能力は確かに羨ましい。

「も~~! 私サボったりしないもん。しょーま、いじわるばっか」

 そしてこの美男美女はお察しの通りカップルなのである。翔馬に私を庇おうなんて気はさらさらない。ようは私は二人がいちゃつく出汁にされたに過ぎないのだ。

 私は口を挟むタイミングを逃して、ただ困ったように笑みを浮かべてみせるのだった。

◇◇◇

「ふー、今日も2-Eには大きな事件もなく平和でしたっと」

 日誌の今日の一言欄にそう書き記した私はようやく一息つける。
 案の定いつの間にか瑠花の姿はなく、私はほんとは二人でやるはずの仕事を一人でやる羽目になったのである。

 彼女が真面目に仕事をしてくれるなんて初めから思っていないので別に良いのだけど、たまに真面目な自分に嫌気が差すことがある。

 瑠花みたいに嫌なこと、めんどうなことは全部放り投げて好きなことだけで生きていけたらどんなに人生楽しいだろうとは思う。

「ま、私には無理だな」

 天上人の真似事なんてしたって火傷するだけだ。私みたいな下民は真面目に大人しく生きていくのが一番幸せに違いない。

 すると、きゅるるるると情けなくお腹が鳴った。腕時計を確認するともう9時近くを針が指し示していた。

「やば、早く帰ろ」

 私は乱暴に鞄を掴むと、教室の電気を消し、一目散に職員室に駆け出そうとするのであった。すると、微かに人の声が聞こえてきた。

  それも一人や二人ではない。こんな時間に一体どこの団体だろうか? 運動部は校内に残ってるはずないし文化部だってとっくに部活動の時間は終わっているはず。

 寒々しい廊下にペチャクチャと響く何者かの声に私の肌は微かに泡立つ。泥棒だろうか……?  それならば早く職員室に知らせにいかなければならない。

 私はそっと足音を消すように歩くとその声のする教室へと向かった。私のクラスは2-Eで隣は2-Fのはず。しかし、F組の教室を覗いてみても誰もおらず、ぴっしりと整列した机だけが並んでいた。

「教室が……増えてる? 」

 私たちの学年はF組で終わりでその先は壁だったはず。しかし今、私の目の前にはあるはずのないもう一つの教室があった。

 クラスを確認すると"あやかし"と汚い字で書かれている。あやかし? あやかしとは一体どういう意味なのだろうか。

「お待ちしていました」

 不意に後ろから男の声がした。弾かれたように振り向くと、そこには思わず目が離せなくなるぐらい美しい少年が柔らかい笑顔を浮かべてそこに立っていた。

 絹のように滑らかな白髪は胸の辺りまで伸び、少女とも間違えそうなほどの顔立ち。そしてその衣装は歴史の教科書で見たような古めかしいものだった。

 間違いなくこの学校の生徒ではないのは確かだった。

「誰!? 」

「まぁまぁ自己紹介は後でにしましょう、さあ入ってください。皆貴女のことを待っていますよ」

「え、ちょ、ちょっと! 」

  ぐいと強い力で引かれる腕。私ははんば無理やりそのあるはずのない教室に押し込まれたのだった。

 そこの教室にいたのはたった四人。しかし皆人間離れした容姿をしており、どことなく異質な空気が漂っている。

 彼らの目が一斉に私の方を向いた。その鋭い眼光に私は思わず生唾を飲み込んだ。

 こんな生徒たち見たことない。もしや私が知らないだけでこの学校に定時制みたいなものがあったのだろうか?

 そして私を連れてきた白髪の少年が一度ぱちんと手を叩く。

「さぁ、皆さんお待たせしました。ようやく先生を連れてきましたよ」

「は? 先生? 私が……?」

 理解が追い付かないこの状況に頭が混乱してくる。

「はい、貴女には僕たちの先生になって頂きます」

「ちょっと待ってよ、私、ただの学生だよ? 何の教科も教えられないし誰かと勘違いしてるよ!」

 すると白髪の少年がゆるゆると首を振ると、他の人たちに何やらこそこそと言っている。

「私たちは別に数学だの歴史だのを教えて貰おうとしているのではありません。貴女には"人間"というものを教えて頂きたいのです」

「人間……? 」

 すると少年の指ぱっちんを合図に皆の姿がぱっと変化した。

 猫の化け物に、雪女、足の透けた少年、吸血鬼……。

 彼らがこの世の者ではないことは頭の良くない私にも分かった。

「こ、こ、こ、コスプレよね……? 」

「いいえ、コスプレなんかじゃありません。貴女もこのクラスの名前を見たでしょう? ここはあやかしクラス。あやかしたちが人間社会に溶け込むための常識を学ぶクラスなのです」

「私がそれをこの人たちに教えろと……? 」

「簡単に言うとそういうことになりますね。あ、私の名前はそねみと言います。全力で先生のサポートをさせて頂くのでよろしくお願いします」

 そうやって微笑むそねみだが、目は笑っていない。その証拠に私が逃げないように扉の前に立ちはだかっている。

 これは夢だ夢だと、私は一人呟くのだった。
 
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