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20話 最も可能性のある人
ゴロゴロと喉を鳴らし、手に擦り寄るタヌキっぽい猫を撫でながら突然のアルドルの言葉に反応を見せず、穏やかな微笑を浮かべるフィデス。花壇の上でゴロンと寝転がった猫のお腹を撫でつつ、冷静な声色で返した。
「どうして私が?」
「生粋の貴族の娘が一カ月半も行方の欠片を残さず失踪するのは、必ず誰かの手助けがあってのことだと俺は見ています」
「私もそう思うよ。ウェリタース家もフィービーと親しいアシュフォード男爵令嬢も、誰も、フィービーの行方に心当たりがない。余程、念入りに計画を練ったのだろうね」
フィービーを逃がした張本人と知るアイが此処にいたら、きっと白々しいという視線を投げていた。フィデスの模範的な回答にミゲルは表情を曇らせるもアルドルは変わらない。
「大叔父上の許に彼女はよく来ていたと聞きました」
「フィービーだけじゃない。そこにいるミゲルだってよく来るよ」
「俺も人のことは言えませんが、貴方に相談すると何でも解決してくれると思い込んでしまうもので」
「私はただの人間。神を祀る教会の司祭なんてやってるけど、それだって私が皇族で兄が皇帝の地位に就いたから回って来たお鉢に過ぎないんだ」
「お祖父様は、自分よりも貴方が怖いと俺によく話していましたよ」
孫に何を吹き込んでいるのだと内心嘆息し、顔には出さないフィデスは猫の腹を撫でつつ漸く視線をアルドルにやった。自分をやっと見たとアルドルは不敵な笑みを見せ、あることを切り出した。
「大叔父上、もしもウェリタース侯爵令嬢を逃がしたのが貴方なら、簡単に尻尾を掴ませるヘマはしません。現にちょっとの手掛かりさえ見つからない」
「アルドル。君は私がフィービーを逃がしたと思っているけれどね。仮に私がフィービーを逃がしたとして、私に何の得になるの?」
フィデスの優しいが一瞬垣間見せた冷たい言葉にゾッとしたミゲルは一理あるそれに俯いた。民の良き相談相手としてフィデスを頼る人は多い。実際ミゲルも、何ならアルドルだってフィデスの許を訪れては悩みや愚痴を聞いてもらっている。貴族の娘を一人、誰の目にも触れさせず逃がすのは念入りな準備と強い警戒心を持って行わないと成立しない。フィービーが頼み込んで逃亡の手助けをフィデスに求めたとして、それで彼が得られる利益とは何か。ミゲルは考えるが浮かばない。
しかし。
「幾つか予想はあります」
「どんな?」
「これは俺個人も思っていることですが……例えば、皇后に頼り切りなローウェル公爵夫人や皇后の身内という立場を使って好き勝手するダイアナやジェイドを排除したいとか」
「他には」
「後は、妹に頼られると断れない皇后とそんな皇后の頼みを聞いてしまう皇帝の失脚。大叔父上は、前々から陛下の失脚を願っていそうな気がしてならなかった」
平然ととんでもない言葉を言ってのけるアルドルを驚愕の眼で見つめるミゲルとは反対に、お腹を見せたまま寝てしまった猫の顔を撫でるフィデスは何ら変わらない。ただ、薄ら寒い気配を纏った。
「まるで私が謀反を企てていると言いたげな台詞だね」
「実行するかはあの人達次第でしょう? でも、俺の予想はある程度当たっていますよね?」
外れてもいるが当たっている予想に自信を持つアルドルの黄金の瞳は、話すまで逃がさないと雄弁に語り。アルドルの後ろにいるミゲルも緊張しているが此処に留まる意思を込めた眼でフィデスの返答を待っていた。
一カ月半……フィデスの脳内は北の教会支部のある町が浮かんでいた。帝都は風の冷気がそろそろ強くなっていて、北の町はより冷たい風が吹いている。来週辺りには雪が降る。その前に北の教会支部に行ってオルドーを迎えに行かないとならない。
「ミゲル。アルドル。確かに私がフィービーを逃がした」
「!」
「やっぱり」
あっさりと白状したフィデスは無意識に足を前に出して口を開こうとしたミゲルを制した。まだ喋らせない為に。
「ミゲルとの関係、ミゲルとダイアナの関係、そしてウェリタース侯爵や兄君との確執。あの子はもう限界だったんだ。友人のアシュフォード男爵令嬢に相談出来ないことをよく私に話していた」
場所は言えないがフィービーは安全に暮らしていると伝えるとミゲルはあからさまに安堵した。フィデスが事情を伝えた協力者が時折フィービーの近況を報せるのだとも話した。
「大叔父上の協力者か……一人すごく心当たりのある人がいるな」
「気のせいさ。——時にミゲル」
不意に名前を呼ばれたミゲルがフィデスと目を合わせると——優しい司祭の形相を消した、先帝を陰で支えた皇弟の顔がそこにはあった。
一気に増した緊張感が口内の水分を急速に奪い、喉がカラカラになる。
「私が君にフィービーの居場所を今教えるとしよう。君はどうする? フィービーを連れ戻すのかい?」
「っ……」
口に出し掛けた言葉をミゲルは咄嗟に飲み込み、苦し気に首を横に振った。
悩んで悩んで、悩んだ挙句フィービーは家出を決行したのだ。生半可な覚悟ではしていないとミゲルにだって分かる。連れ戻しに行ったところでフィービーはきっと戻らない。また、フィービーを連れ戻すとなるとアリアージュ家に潜んでいる内通者に知られかねない。ミゲルが出す答えは既に決まっている。
「フィービーに会いに行く前に……ダイアナのことをどうにかします。そうしないと……私にはフィービーに会う資格はありません」
「良かった。君が何も考えずに連れ戻すと言ったら、私は絶対に話さなかったよ」
あの時口を閉ざして良かったと心底安堵するミゲル。
不意にアルドルがあることをミゲルに問うた。
「ミゲル、お前がダイアナに気を遣うのは、お前が見舞いに行かなかったせいでダイアナが何度か死にかけたせいなのは俺も知ってる。ただ、これについてウェリタース侯爵は何も言ってこなかったのか?」
婚約者のフィービーを差し置き、幼馴染のダイアナを優先し続ける姿勢をウェリタース侯爵は否定するどころか肯定してきた側だと知っているミゲルは、ずっと黙っていた秘密を話す決意をした。
「ウェリタース侯爵は私とフィービーの婚約を全く歓迎していなかった。亡くなった侯爵夫人の意思を尊重するだけだと」
初めてフィービーと会う何日か前にウェリタース侯爵が一度アリアージュ家を訪問した。ミゲルはアリアージュ公爵夫人と対応し、途中で別件の用が出来た夫人が退席するとウェリタース侯爵の空気が一変。娘が婚約者と会う前に父親である侯爵が来たものだと思っていたミゲルの予想は大きく外れていたとこの時知った。
『ミゲル様。フィービーは貴殿との婚約を前向きに考えているが、それは亡き母の意思を尊重しているだけ。私も妻の意思を尊重しているが、貴殿にはダイアナ=ローウェル公爵令嬢がいる。何れフィービーとの婚約は解消されますのであの子とは最低限の距離を保っていただきたい』
嘗てミゲルがウェリタース侯爵に告げられた本心を聞かされたアルドルとフィデスは信じられない気持ちで瞠目していた。
初めて顔を合わせた時フィービーはずっと俯いたままだった。侯爵の言う通り、亡きダイアナの意思を尊重しているだけで仲良くは出来ないのかと不安を抱いたまま、アリアージュ家の庭を案内しようと手を差し出すとフィービーへの印象は変わった。俯いていたのはただ緊張していただけで……ミゲルが差し出した手を取るとはにかみながら愛らしく笑うフィービーが可愛く、この時フィービーを好きになったと自覚した。
「アリアージュ夫妻に言わなかったの?」とフィデス。
「子供ながらに言っては駄目なものだと錯覚してしまって。もしも母の耳に入れば、亡き友人の夫がそんなことを思っていると知ってフィービーと会えないまま終わっていたかもしれない」
ウェリタース侯爵はああ言っていてもフィービーとミゲルの婚約は成立した。もっと慎重に、警戒心を持っていれば良かったと後悔しても後の祭り。
「フィービーが侯爵の本心を知っているとは思えません。最後にフィービーに会った時、二人の関係は破綻していると知りました……」
愛する妻を失った侯爵の悲しみは深いと言えど、フィービーだって愛する母を失って辛い思いをした。元気に振る舞ったのも母に父と兄のことを託されたからだ。
お前が死ねば良かった等と父に冷たく吐き捨てられ、兄にも冷遇されていたフィービーの心情は計り知れない。
「……なあミゲル」
不意にアルドルに呼ばれたミゲルが目を向けると端正な顔立ちがどこか引き攣っていた。
「お前がウェリタース侯爵令嬢と会う時、必ずダイアナの具合が悪くなって邪魔が入ると言っていただろう? お前やアリアージュ家は、ローウェル家に情報を流す内通者の仕業だと考えているが違うんじゃないのか?」
「どういう意味なんだ」
「ウェリタース侯爵令嬢とお前が会う情報を知るのはアリアージュ家だけじゃない」
アルドルの言葉に「まさかっ」と嫌な予感が生まれた。
デートの日取りはミゲルやアリアージュ家だけが知っている訳じゃない。
フィービー、それにウェリタース家側だって把握している。
「……私とフィービーが上手くいかないように、ウェリタース侯爵がローウェル家に情報を流していたのか?」
「あくまで俺の予想だがな」
けれど、一向に見つからない内通者の正体がアリアージュ家にはおらず、ウェリタース侯爵ならば納得は出来る。先程のミゲルの話から見るにウェリタース侯爵は二人の婚約を快く思っておらず、ミゲルにはダイアナ=ローウェルがいると口にしている程。
「当たっているかもしれないね」とフィデスの声にミゲルとアルドルは意識を向けた。
「フィービーは亡くなった侯爵夫人に瓜二つだ。おまけに声までそっくりときた。私でも偶に間違えてしまいそうになる。私がこれなんだ、ウェリタース侯爵がフィービーに亡き夫人を重ねて見ているならミゲルと仲違いをさせたい理由に説明がつく」
ダイアナが何度か生死の淵を彷徨った原因がミゲルにあってお見舞いに行かないという選択肢を選べないのを良いことに、幼馴染の関係に嫉妬するフィービーを叱責しミゲルは正しい行いをしていると刷り込ませ、二人の関係を破綻に導いていたとするならウェリタース侯爵の言動には納得がいく。特に侯爵を知っているミゲルは腑に落ちたとフィデスの予想を否定しなかった。
「娘を嫁入りさせず、ずっとウェリタース家に縛り付けるのが目的か。はあ……そんなのが父親だなんてウェリタース嬢も不運だな」
「私が知っている一番不運な人はクリストファー君かな」
「ローウェル公爵? どうして。叔母上とはずっと夫婦仲が良くてジェイドやダイアナも公爵を慕っているのに」
「知らないのは無理もないよ。だって彼は本当は……」
フィデスにローウェル公爵の過去を聞かされたミゲルは呆然とし、アルドルに至っては元凶が叔母や両親と知って空を仰ぎ見た。
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