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41話 会ってしまった
三日前、北の教会支部から出発したフィービー達は、途中休憩を挟みつつ無事サンディス領に到着した。一面雪に覆われたサンディス領を見るのはこれが初めて。亡くなった母が療養に来ていたのは春から秋までの間。冬は一面銀世界に包まれ、とても綺麗なのだとは話で聞いていたが、実物を見ると本当にそうだ。北の教会支部がある町の景色も綺麗だったが、サンディス領は上をいっている。雲一つない快晴の下に広がる白銀の世界は異世界に足を着けている錯覚を抱かせる。感嘆とした吐息を漏らしたフィービーを視界に入れつつ、もうすぐ先代侯爵夫妻が住む別荘に到着するのに胸騒ぎがするオルドーは内心不安を抱いていた。フィービーやアルドルには杞憂だと言ったが、本当にそうなのだろうか。人間の第六感というものは、下手に無碍にはしていられない。当たる時は当たる。特に、悪い予感の場合は。
「あ、見えてきましたよ」
三日間御者を務めるアルドルも随分と様になっており、冗談なのか、本気なのか、皇太子の地位を降り平民に交じって御者にでもなろうかと口にした。変に有言実行を行う甥の言葉に若干青褪めたオルドーが叱ったのは言うまでもない。
「フィービー。先代侯爵夫妻の他にサンディス家の者はいるだろうか?」
「どうでしょう。伯母一家が領地に戻るのは、夏の時期だけと聞いています。ですが基本はお祖父様とお祖母様、それと世話係が数人暮らしています」
「そうか」
「オルドー様の嫌な予感は、まだ消えませんか?」
「……ああ。フィービーやアルドルの言う通り、ぼくの気にしすぎなだけだ。心配するな」
到着を目前にしても消えないオルドーの予感。ただの杞憂ではなく、現実になるものなら、フィービーは緊張感を持って別荘の到着を待つことにした。
——凡そ数十分後。馬車はサンディス家の別荘に到着。正門前の呼び鈴を鳴らせば、奥の大きな屋敷から人が出て来た。
「私が外に出て話をします」
御者扮するアルドルより、孫のフィービーが出て話をした方がスムーズに進める。フィービーが扉を開けると冷たい風がキャビンに入り、オルドーに当たらないよう外へ降りるとすぐに扉を閉めた。
「あ」
アルドルの座る御者台へ回るとフィービーも知っている執事が出て来ていた。
「フィービーお嬢様。お待ちしておりました」
「テーヴさん!」
先代侯爵夫妻に長く仕え、夫妻が引退後もこうして別荘へ移り住んだテーヴはダイソンと同じでフィービーにとっては大切な執事。
「大旦那様や大奥様には話が通っています。今、正門を開けますので馬車にお戻りください」
「ありがとう。お祖父様やお祖母様はお元気ですか?」
「ええ、とても。フィービーお嬢様が来ると報せが届くとより」
「まあ、嬉しい」
立ち話も程々に、キャビンにフィービーが戻るとテーヴは正門を開けた。アルドルが馬を動かし、馬車は屋敷の前に停車した。
扉をアルドルが開け、オルドー、フィービーの順番に降りた。
帝都のサンディスやウェリタースと違って屋敷の規模は小さいが、それでも別荘という体にしても大きい。アシュフォード程ではないがサンディスも帝国屈指の富豪に入る。
「お二人はサロンで皆様をお待ちです」
「分かりました」
オルドーは兎も角、御者も同行するのかと不思議な目をするテーヴに「彼はぼくの部下でもあります。お気になさらず」とオルドーが説明をすれば、以降何もなかった。
「馬車は他の者に移動させます」
「ありがとうございます」
テーヴが呼んだ若い男性が御者台に乗り、ゆっくりと馬車を移動させた。
三人はテーヴを先頭に邸内に足を踏み入れた。
「フィービーお嬢様が来られるのは、ダイアナお嬢様が亡くなって以来ですね」
「はい。お母様が生きていた頃と変わりませんね」
「多少は家具の新調や配置は変わりましたが大部分は変わっておりません。ダイアナお嬢様のお部屋もずっとそのままです」
「お母様の?」
「大奥様がそのままにしておきたいと」
「……」
亡くなった年月が過ぎようと祖母にとって母は何時までも自分の娘。娘の生きた痕跡を残しておきたいと願うのは自然の摂理。ウェリタース家の屋敷もそう。母が使っていた部屋はそのままにされている。定期的にミラージュが掃除をしていると聞く。ずっと母の側に居続けたミラージュを信頼する父が直接頼んでいたのを覚えている。
玄関ホールに足を踏み入れ、サロンは一階にある為、左に進んだ。いくつもある部屋の扉の内、奥の大きな扉をテーヴが開いた。
暖炉で温まった室内は丁度良い温盛に包まれており、外の冷気に当てられた身体をじんわりと溶かす。
真ん中に置いたテーブルを囲む老夫婦が同時に出入り口を振り向いた。
「おお! フィービー!」
「まあまあ! 久しぶりねフィービー! 随分と大きくなったわ!」
フィービーの顔を見た途端、満面の笑みを見せた先代侯爵夫妻は同時に立ち上がる。
「ご無沙汰しております、お祖父様、お祖母様」
癖というより、身体に染み付いてしまっている。父や兄に植え付けられた“完璧な淑女”になれという言葉が。フィービーの美しい動作を目にした祖母ヴァレリア=サンディスは首を横に振った。
「フィービー。此処はサンディス家。自然体でいていいの。そう固くならないで」
「……はい」
もしも、この場に父や兄がいてもヴァレリアは同じ台詞を紡いだ。“完璧な淑女”は要らない、ただの孫としていてほしい気持ちを感じたフィービーは身体から力が抜け、柔らかな笑みを見せた。
「オルドー殿下。フィービーの手紙で今日のご訪問は伺っております」
「急な訪問にも関わらず、迎え入れていただき感謝する」
「ささ、立ち話もなんです。此方にお座りください」
祖父ジークに勧められた二人は、先代夫妻の向かいの一人掛けソファーに座った。
「其方の方は?」とジークが御者扮するアルドルを不思議そうに見やる。
「彼はぼくの部下です。お気になさらず」
「いえいえ。その方もお掛けになってください。長旅で疲れましたでしょう」
先代当主の言質を取ったからとアルドルは若干声を高くして有り難く座らせてもらった。呆れるオルドーの視線を物ともしないのは、大胆な性格の持ち主故といっても過言じゃない。
「今飲み物を持って来させるわ。好きな物を頼んでください」
ヴァレリアの言葉を受けたテーヴがそれぞれに飲み物を聞いた。
フィービーはチョコレートクリームが載ったホットココア、オルドーは紅茶。アルドルも強制的に紅茶にさせた。今はオルドーの部下という役目の為、文句は言わなかったが黒眼鏡越しから不満げな視線を受ける。
「フィービーが突然此処へ来たいと手紙を送ってきた時は吃驚したよ。オルドー殿下が一緒なのはまたどうして?」
「えっと……。今は、訳あってオルドー様のお世話になっています。帝都の大教会でフィデス司祭にお母様の昔の話を聞いていたので、個人的興味でお母様の昔のことを知りたくなりました」
「ゴーランド君やミリアンは?」
「二人は帝都の屋敷に。お義母様やジゼルもです」
「フィービーだけが?」
怪訝に思われるのは百も承知。次の言い訳を述べようとするも詮索するジークをヴァレリアが止めた。
「あなた、良いではありませんか。フィービーだけいてくれたって構わないではないですか」
「そうだが」
何だか含みのある言い方。父の再婚を二人は反対しなかったと聞く。何度かエイヴァやジゼルも二人と顔を合わせているが険悪な関係になったことは一度もない。
空気を変えたくてフィービーは本題に入った。
「フィデス司祭やオルドー様に、お母様とローウェル公爵の関係を聞きました。二人が幼馴染で……婚約をする寸前だったと……」
「そうか……」
「お祖父様や先代ローウェル公爵でも……皇帝陛下の命令は、どうにもならなかったのですか」
帝国に属する貴族にとって皇帝の命令は絶対であるが異議を唱えることは出来た筈。筆頭公爵家という、確固たる地位にいた先代ローウェル公爵でもどうにもならなかったのは皇帝と共にクリストファーとレティーシャの婚約を押し進める者がいた。
「レティーシャ様やビアトリス様の父、ブルーメール公爵が陛下と共に外堀を埋めてクリストファー君とレティーシャ様の婚約を強制したんだ」
現在も当主の座にあり続けるブルーメール公爵は二人の娘を溺愛していると有名で特にレティーシャを可愛がっている。「レティーシャ様を出産してすぐ奥方が亡くなられたのが原因なんだ。相当な難産だったと聞く。母子共に亡くなっていてもおかしくなかった」
当時、出産の場に医師として携わったのは先代ホワイトゴールド伯爵。母子共に危険な状況で母と子、どちらを優先するかとなった際、ブルーメール公爵は妻の命を優先にと願った。しかし、生まれてくる我が子の命が最優先だと命の危機に瀕する妻の強い言葉により公爵は生まれてくる娘の命を最優先にした。結果、レティーシャは難産の末誕生し、妻はレティーシャを公爵に託すと息を引き取った。
「ブルーメール公爵のレティーシャ様への溺愛振りは有名だった。クリストファー君を恋慕っているレティーシャ様の為に、此方が身を引けと何度も言われたよ」
そして、その度にダイアナとクリストファーは想い合っており、サンディス家やローウェル家は是が非でも二人を婚約させてやりたいとブルーメール公爵を説得した。皆、我が子の為を思っての事。誰も譲らなかった。
「レティーシャ=ローウェルの我儘や傲慢な振る舞いは、ブルーメール公爵の甘やかしのせいという訳か」
「愛妻家として有名でしたからな、公爵は……。亡くなった奥方の忘れ形見であるレティーシャ様をそれはそれは大切にしておられました」
「大切にするのは結構だが、周りが大迷惑を被る愚か者に育てるのはどうなんだ」
「それについては何とも……」
ジークに言ったところでどうにもならないと分かってはいつつも、口にせざるを得なかったオルドー。
「……フィービーの前で言うべきではないかもしれないが……、ダイアナがゴーランド君の求婚を受け入れたのは、自棄に近かった」
「フィデス司祭もそう言っていました……」
愛する人ともうすぐ結ばれる。目の前にあった輝かしい未来を断たれ、目の前が真っ暗になったダイアナはジークの用意する政略結婚を何でも受け入れると感情の無い言葉で紡いだのだ。クリストファーとの縁談が成されなかったと話が出回ると真っ先に打診をしたのがゴーランドだった。
「お祖父様。お父様がお母様を好きになった理由は御存知ですか?」
「確か、ダイアナのデビュタントの時だったかな。会場の熱に当てられて外へ出たダイアナがお酒を飲まされて気分を悪くしていたゴーランド君を見つけたんだ」
祝い酒だと親類に酒を勧められるだけ飲んでしまい、急なアルコール摂取によって吐き気を覚えた父が夜風に当たって休んでいたところに母がやって来たのだ。
急激な気分の悪さに嘔吐した父を嫌な顔一つもせず母は介抱し、ホワイトゴールド伯爵を呼んで診てもらったのだとか。
その時にゴーランドはダイアナに一目ぼれをした。
「お父様がお酒に弱かった……今だとあまりイメージがありません」
「誰だって失敗はある。お酒というものは、飲んでいる内に強くなっているものさ」
「あなた、適当なことをフィービーに言うのではありません。真に受けたらどうするのです」
偶にこうやってお茶目な嘘を混ぜては祖母に叱られる祖父は笑って誤魔化す。この二人のやり取りも随分久しぶりに見た。母が亡くなって以降、こうしてサンディス領に来る機会はめっきり減ってしまい、祖父母とも顔を会わせるのは本当に
久しぶりだった。
「ジーク殿は、ローウェル公爵を名前で呼んでいるが親しい間柄で?」
「オルドー殿下も知っての通り、先代のローウェル公爵夫人の生家とサンディス家の領地は隣同士でね。ダイアナとクリストファー君が別れた後も、定期的に彼を此処へ招いているんです」
病弱であった頃からクリストファーを知り、ダイアナ亡き後も定期的に招いては彼の心情を癒していた。
「……つい最近招いたのは何時ですか?」
オルドーがずっと口にしていた嫌な予感がフィービーやアルドルの中でも大きくなっていく。
緊張の度合いが増した三人とは違い、ジークは穏やかな口調で「最近も何も今我が家に滞在していただいています」と言い。
同時にサロンの扉が開かれた。
人数分の飲み物を運ぶテーヴ——ではなく、件のクリストファー本人が入った。
「……」
オルドーの言っていた嫌な予感が当たってしまった。
フィービーは大きな青い瞳を瞠目させ、オルドーは黄金の瞳を揺らした。アルドルに至っては自分だとバレないよう耳付きニット帽を目深く被った。
三人の変化に気付かないヴァレリアが声を上げた。
「あらあら、テーヴは?」
「まだ厨房に。私が無理を言って運び役を買って出ました」
秋に収穫したハーブティーをジークとヴァレリアに。チョコレートクリームが載ったホットココアをフィービーに。残る紅茶二つをオルドーとアルドルの前に置いた。
「フィービー嬢とオルドー殿下が来ていると聞き、挨拶をと思いまして」
「……領地というのは、母君の生家の方だったのか」
「はい」
皇帝の誕生日パーティーの明朝に領地へ出発したクリストファー。領地とはローウェルではなく、母方のナヴィスのことだったのだ。
「其方の方は? 何だか見覚えがある方のように思いますが」とクリストファーの指摘を受けたのはアルドル。耳付きニット帽を目深く被り、黒眼鏡を掛けているだけあって怪しさ満点。間に入ったオルドーの部下という言葉をクリストファーは追及しなかった。背中を流れた冷や汗にむず痒さを抱きつつも、冷静な振る舞いをと自身に言い付け出された紅茶を口にした。本来なら乾燥させたオレンジの皮を入れて飲むのが好きな為、少々不満な気持ちはあれど味に関してはケチの付け所がなかった。運んだのはクリストファーと言えど、用意したのは屋敷の料理人。美味しくて当然かと紅茶が喉に通った。
「フィービー嬢とオルドー殿下はどうして此処へ」
「お母様の昔のことを知りたくて来ました。……お母様と公爵のことをフィデス司祭やオルドー様に聞いています」
つまり、説明は不要との示し。感情の読めない深緑色の瞳にジッと見つめられ、居心地の悪さを感じながらもフィービーは視線を逸らそうとしない。隣のオルドーは心配げな視線を寄越しているがフィービーの意思を尊重し口を出さないでいた。
「ジーク様、ヴァレリア様。フィービー嬢が来たら、ダイアナが子供の頃に使っていた物を見せたいと仰っていませんでしたか」
「おお、そういえばそうだな。クリストファー君もいることだし、少し席を外すよ」
「すぐに戻って来るわね」
不意に出したクリストファーの話に祖父母は思い出したと言わんばかりに腰を上げ、サロンには四人となった。
「二人は暫く戻って来ない。これで心置きなく話せるだろう」
クリストファーの瞳が御者に扮するアルドルに向き。
「ジーク様とヴァレリア様が戻るまでは、黒眼鏡を外して構いませんよ。皇太子殿下」
「……なんだ、バレていたのか」
あっさりと黒眼鏡を外したアルドルは両手人差し指を目尻に置き、目を吊り上げたり、くるくると回した。ずっと黒眼鏡を掛けていたせいで目が疲れていたのでマッサージを始めた。
「殿下の好きな乾燥したオレンジの皮をお持ちしましょうか」
「気を遣わなくていい。それより、どうしてサンディス領に?」
「秋も中盤に差し掛かった頃、ダイアナの墓参りをしに此処へ来ました。その時にジーク様と久しぶりに会いました」
帝都の情報を敢えて仕入れていないジークは偶然会ったクリストファーの様子を心配し、その後暫くして領地に滞在しないかという誘いの手紙が送られた。
「私に断る理由はありませんからな。お言葉に甘えて滞在をさせていただいている」
「フィービー嬢が此処にいると思ったのでは?」
「フィービー嬢の行方は知りませんでしたよ。アシュフォードかフィデス様、どちらかの手を借りたとまでは考えましたがな」
生粋の貴族の令嬢として育てられたフィービーが一人で家出を実行するのは不可能。帝国一の大富豪であり、他国の王侯貴族とも取引を持つアシュフォード家か、無駄に広い人脈を持つフィデスのどちらかが匿っていると予想されていた。
「フィービー嬢」
改めて深緑色の瞳がフィービーに向けられた。
「君が知りたいことを言うといい。私も、出来る限り答えるようにする」
「……」
夜会で顔を合わせる時のクリストファーの瞳は昏い色を灯し、執着じみた感情が見え隠れしていた。友人や義母が側にいても拭えない恐怖心がフィービーを震わせていた。
しかし、今此処にいるクリストファーにその面影が一切ない。憂いを帯びているが昏い色がどこにもない。視界に映すフィービーの言葉をジッと待っている。
サンディス領に態々来た理由を達成させるのが同行してもらったオルドーやアルドルに示せる誠意。
「公爵。公爵の本当の気持ちを教えてください。ダイアナ様の願い通り、ミゲルの婚約者にしたくて公爵夫人の思惑を看過していたのですか」
意を決して口を開いたフィービーに対するクリストファーの答えは——
「フィービー嬢がオルドー様やフィデス様にある程度聞いている前提で話します。……正直に言うとどうでも良いのが本音です」
言葉通りの声色に三人は背筋が凍り付いた。
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