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連載
白は黒へ⑤
人間で上位魔族に勝てる者……少なくともこの帝都にはいない。帝国最強と呼ばれる魔法士長のネメシスも然り。確か末の弟が気に入っている人間が桁違いの魔力持ちで、よく魔力暴走の影響で自然災害を引き起こすと面白可笑しく聞かされたのを思い出す。末の弟がいる王国もまた祝福を授かる国。神か天使かの違い。呼び寄せたはいいものの、何時到着するかだ。仮に現在到着していても未だ地下牢にいるネルヴァでは確認の仕様がない。
「あが、あがあああああああ」
獣とも捉えられない不気味な悲鳴が耳に入り、意識を現実に戻したネルヴァの視界に映ったのは、片頬の肉を剥がれ激痛に苦しみ呻くリューリューの姿。
「リューリュー!」
リューリューに駆け寄り応急処置程度の魔法をかけるネメシス。止血をしようにも神経が剥き出しになった頬に触れようとするだけでリューリューは絶叫し、迂闊に触れられない。すぐにフローラリア公爵夫人を呼ぼうとブランシュが使い魔を放ち、壁に押し込まれたまま平然としているリゼルを憎々し気に睨み付けた。
「魔力封じの枷を嵌められているのにどこからそんな力がっ」
「はあ。馬鹿なのか」
「なっ」
「所詮人間が作った代物。どれだけの最高品質か知らんが魔族のおれには一時凌ぎにすらならん」
人間達に見せ付けるように両手を上げたリゼルは左右に振り一瞬で鎖を千切った。手首に嵌まった枷を片手で外し、身体を拘束している鎖も引き千切り無情に冷たい地に落とした。
上位魔族は上位天使にしか斃せない。帝都にいる天使様に早く助けを、と誰かの思考が過った直後、リゼルの眼前にネメシスが迫った。魔法を起動する術式を省略した超至近距離の攻撃魔法はリゼルを正面から襲う。狭い地下牢で使っていい魔法ではないと咄嗟に結界を張ったブランシュがリューリューを庇いながら文句を飛ばしつつ、舞い戻ったネメシスの確信に満ちた表情で攻撃が確実に当たったのだと喜んだ。
——のも束の間、砂塵が強風によって消え去ると傷を負っていないリゼルが直立不動のままいた。勝利を確信した自信ある相貌は瞬く間にどん底へ突き落された。
「そんな……」
一瞬の隙を突いた威力も効果も高濃度を兼ね備えた攻撃だったのにリゼルには傷一つ付けられなかった。
「はあ……」
退屈で面白味のない溜め息をリゼルが吐く。四方に罅が走り不吉な音が地下牢全体を包み込む。ネメシスの攻撃魔法に地下牢が耐えられなかったのだ。肩を竦めたリゼルは一瞬で三人の後方へ飛び、隠されているネルヴァを拾うなり転移魔法で地下牢を去った。
人の気配がない適当な場所を選んだ先は多数の棚が置かれた備品室だった。包帯や傷薬もあり、丁度いいと拝借した。
「私の計画が泡になった」
「何も考えていなかったくせによく言う」
「失礼だね。考えていたよ」
リゼルに枷を壊してもらい、自由になったネルヴァは手首を擦っていた。人間や天使に尊ばれ崇拝される神族の身で囚人になったのはあれが初めて。リゼルの方も初めてである。
適当な傷薬を投げられ難なく受け止めた。自分で治すのは可能だが、下手に神力や魔力を使って居場所を特定されるのは避けたい。魔族の作った物ではない限り神族でも使用は可能だ。蓋を開けてネルヴァがあることに気付いた。
「へえ」
「なんだ」
「この傷薬、フローラリア家が作った物だね」
帝国で唯一癒しの能力を持つフローラリア家は薬学にも精通していたようで、傷薬の作成も担っていた。作成者は薬の完成度からいってマリアージュで間違いない。人差し指で薬を掬って怪我をしているところに塗り込む。塗った瞬間は痛みを感じるが塗り込んでいると痛みは消え、傷も段々と薄くなっていった。軈て完全に消え、傷薬の効果の高さに感心した。流石フローラリアが作った傷薬。普通の薬師が作った傷薬とは訳が違う。
「リゼ君も使う?」
「もう使った」
「はや」
言われて見るとリゼルの方も目に見える傷は全て消えていた。足下に転がる空になった傷薬の容器を見るに全て使い果たしたのだろう。
はあ、と息を吐いたネルヴァは気持ちを切り替えた。
地上に戻ってユリアの神力をより強く感じるのと同時にキドザエルがユリアを抑えている気配も肌に刺さる。ヨハネスが何処にいるか神力を辿った。
「あ」
急にハッとなったネルヴァが立ち上がってリゼルが反応した直後、扉が勢いよく開かれた。追手が来たのだと構えたリゼルの視線が捉えたのは、抱えているジューリアを下ろして息を切らし座り込んだヨハネスだった。
——ヨハネスに抱えられたまま逃げるジューリア。城の構図を把握しておらず、何処に行けば外へ出られるかも分からないせいで城中を走り回り、体力の限界が訪れたヨハネスが直感で選んだ部屋に逃げ込んだ。扉を閉め、疲れ果てているヨハネスを壁に凭れさせた。
「此処なら誰もいなさそうだよ、ちょっと休憩しよう」
「はあ……はあ……うんっ……」
「水を飲んだ方がいいよね……さっきの温室みたいに何処かにないかな……」
多数の棚が設置され、本に書類、タオルや包帯に傷薬が置かれているのを見るに此処は備品を保管する部屋だと認識した。恐らく此処に水はない。となれば、城のどこかにある水場へ行って調達しないとならない。走り回るヨハネスにしがみつくのに精一杯でどうやってここまで来たか正直覚えていない。
今温室に戻るのは極めて危険。どうすれば……と悩むジューリアを呼ぶ声が。
二人が驚いて声のした方へ向けば、どう見ても怪我をしているのが丸分かりな全身血に濡れたネルヴァとリゼルがいた。一気に顔を真っ青にした二人は傷は塞がっていると傷薬の空の容器を見せられ一先ず安堵するのだった。
「ヴィルの兄者無事で良かった……! ……あれ? 補佐官さんがいるのはどうして」
地下で別れた後をジューリアもヨハネスも知らないがリゼルがいるのはどうしてと強い疑問を持つのは当然。話す気はないのか、見ても視線を合わせてもらえない。まあ、いいかと気にせず、ヴィルは何処に? とネルヴァに訊ねられ答えようとした矢先。疲れ果ててもネルヴァを見た瞬間堪えていた何かが切れたヨハネスは泣きながら飛びついた。
「ネルヴァ伯父さんっ!」
「丁度良い、ヨハネス。お前も感じているだろうけどユリアの神力が上昇している。何があった」
じっとネルヴァを見つめるジューリアはハッとなって連絡が行ってないのだと気付いた。
「連絡?」
「えっと……」
非常に言い辛そうに口籠り、視線を彷徨わせるジューリア。自分が話していいのかという雰囲気が駄々洩れだ。ヨハネスの方は泣き出して話をする状態じゃない。
「お嬢さん、何が起きたか話しておくれ」
「は……はい」
尚も視線を彷徨わせるジューリアだけれど、一度瞬きをすると覚悟を決めたのかネルヴァの目を見た。
「主天使の方宛に天界から連絡が入ったんです……甥っ子さんのお父さんが……死んだと」
気まずげにアンドリューの死を告げられ、銀瞳が大きく見開かれる。側で耳を傾けているリゼルもネルヴァへ向かざるを得ない。
「アンドリューが何故?」
「……母さんが……殺したんだ」
腹に顔を埋めて泣いていたヨハネスは、同じ格好のままアンドリューを殺したのはユリアだと言い、ユリア自身は致命傷を避けたつもりだったとも言っていたと伝えた。ギュッとネルヴァの腹に抱き付いて顔を上げない。
「大体の予想はつく……」
「分かるの?」
「大方、ヨハネスを連れ戻したら遅れた分を取り戻す教育プランをユリアに話し、積もりに積もった不満が爆発したんだ」
「甥っ子さんのお母さんは、致命傷を避けられていなかったのもそのせい……?」
「なんとも言えない。二人の神力の差を考えたら有り得なくはない」
「……」
頭に血が上ったユリアが勢い余ってアンドリューを殺してしまったと解釈も可能だ。未だ泣き続けるヨハネスの頭をそっと撫でながら、思考を巡らせるネルヴァはジューリアを見やった。
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