ラヴィニアは逃げられない

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32話

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 複数の拘束によって平伏されていたブラッドラビットから拘束が解かれた。ゆっくりと起き上がった巨体は唸り声を上げ、牢内にいる人間二人を憎悪と殺意の溢れた赤い目で睨んでいた。腰を抜かして抱き締め合う後妻とプリシラは口だけはまだまだ元気で、フラム大公夫人とプリムローズ以外唖然としている貴族達に助けを求め叫び続けた。
 マリアベル扮するヴァシリオスはゆったりと牢に近付いた。


「シ、シルバース夫人! どうか助けてください!」
「フラム大公夫人が貴女達を牢に入れた理由は違えど、私も貴女達母娘が嫌いだから見物しようかしらね」
「なっ!」


 あんまりだと言いたげな顔を披露した二人へ妖艶に微笑むマリアベル(仮)を周囲は息を呑んで見守った。フラム大公夫人とプリムローズだけが、先日とは打って変わって態度を変えたシルバース夫人を警戒するもどことなく安堵していた。漸く分かってくれたのだと思っているのだろう。


「私の可愛い息子の婚約者をフラム大公夫人とその娘共々様々な手段を使って虐めてくれたじゃない」
「な、なにを」
「ラヴィニアちゃんは隠していたつもりのようだけれど、キングレイ家には我がシルバース家の密偵を紛れ込ませているの。あの子が貴女達から受けた虐待は全て私の耳に入っているわ」


「え」と鞄の中にネズミになって様子を窺うラヴィニアは知らない話を聞き気の抜けた声を出してしまった。キングレイ家にシルバース家の密偵? 恐らくだが誰も気付いていない。一体何時からいるのか。メルを見ても知らないらしく、首を振られた。もしもメルが知っていたら、食事抜きや数々の酷い行いを知らない筈がない。


「侯爵が長期間不在の時は食事を一日一回にし、自分に従う使用人や侍女を使ってラヴィニアちゃんにゴミを被せ水を浴びさせてそのままである事を強制して、挙句、お腹を空かせたラヴィニアちゃんを椅子に縛って貴女達は御馳走を食べるのを見せ付ける……幾らラヴィニアちゃんがキングレイ侯爵に嫌われているからと言って、やり過ぎではなくて?」

「なんて酷い……」「あんまりだ……」「侯爵も奥方が死んだのを受け入れられないなら、ご令嬢を奥方の生家の養子にでもすればいいものを……」「もしや侯爵もグルなのでは……」


 話を聞いた貴族達はあまりにも酷いラヴィニアへの行いに同情すると共に、美しさと可憐な容貌で酷い行いをする後妻とプリシラへ冷ややかな視線を投げかけた。一緒になってラヴィニアを虐めていたフラム大公夫人とプリムローズまで周囲と同じように二人を冷笑していたので、遠慮なく此方にも披露しようとする前に後妻が叫び出した。


「な、何よ!! 旦那様は毎日言っていたわ! 何故子供が生き残って妻が死んだのだと!! だから私は毎日旦那様を奥方が死んだのは、奥方の命を奪って生まれた娘のせいだと言ってあげたの! 元々、奥方にそっくりなくせに奥方を死なせた娘を旦那様は愛せる自信がないと言っていたから、あっという間に愛情を捨ててくれたわ!」


 招待されている貴族の中には、出産で妻を失った夫や、身内に出産と同時に命を落とした女性がいる者だっている。残された子供を亡くなった母親の代わりに沢山の愛情を注ぎ育てている側からすれば、キングレイ侯爵は唯一娘を守り育ててくれるであろう妻の願いと思いを台無しにした挙句、後妻とその娘と一緒になってラヴィニアを虐待していた事になる。

 夫の気持ちを語れば味方が現れると信じていた後妻は益々冷たく、軽蔑する眼差しを向けられ困惑とする。何故誰も助けてくれないのか、と。


「貴女達も問題だけれど、フラム大公夫人とプリムローズ様も大概ですわ」
「何ですか急に!」
「フラム大公家の茶会を開いては、そこの後妻と娘と一緒になってラヴィニアちゃんを虐めていたじゃない。私が知らない筈がないでしょう? 頻繁に呼びつけていたのを止めたのはこの私だもの」
「っ」
「性悪な貴女達の所に大事な一人息子を預けるわけにはいかない。メルをプリムローズ様の婚約者にしない理由を分かってくれた?」


 平気で他人を虐め、貶める人間を嫁にする程シルバース家に寛容な人間はいない。


「プリムはずっとメル様だけを想ってきたのですよ!? プリムが可哀想だと思わないのですか!」
「思わないわ。それを言うなら、ラヴィニアちゃんに一途なメルの気持ちはどうなるの?」
「ラヴィニア様ばかり会わせるから、メル様は他の相手を知らないのです! 実の父親に嫌われた令嬢を娶ってシルバース家になんの利益があると」
「プリムローズ様を嫁に貰っても、我が家にさして利益はないわ。いいえ、不利益を被るかしら」
「酷いですわ!!」


 プリムローズは大粒の涙を幾つも零しながら、潤む瞳でマリアベル(仮)に必死に訴えかけた。男女は思い思われてこそ幸福で、自分とメルは正に理想の男女なのだと。鞄の中で未だ大人しくしていないとならないメルは勝手な妄想を語るプリムローズへの嫌悪感が頂点に達していた。ラヴィニアに怖いところを見られたくなくて優しくしてきたツケは色んな場面で回ってくる。心配そうに見て来るラヴィニアの頭を小さな手でそっと撫で、興奮収まらないプリムローズの声に耳を傾けた。


「わたくしならメルの欲しい物を何でも用意できる!!」
「メルの欲しい物? あの子、欲しい物なんてあったかしら」
「わたくしが陛下にお願いすれば、皇太子をエド兄様からメルに変えてくれる。陛下にメルを婚約者にしたいから皇太子の地位をメルにあげてって言ったら、いいよって言って下さったわ」


 途端に静かになった周囲の場面がありありと浮かぶ。誰もが言葉を失っている。鞄の中にいるメルとラヴィニアも然り。多分だが泣いてメルと婚約したいと叫ぶプリムローズを落ち着かせようと皇帝は言っただけでは、と考えられる。本気で皇太子をエドアルトからメルにする気はない。……筈だと信じたい。

 これにはマリアベル扮するヴァシリオスも絶句した。あの馬鹿はそこまで馬鹿だったのかと。頭痛で頭が痛いとはこういう事なのだろう。


「プ、プリム、本当なの……?」
「わたくしは嘘は言いません! エド兄様にもお願いしたもの! メルを婚約者にしたいから、皇太子の地位を降りてって!」


 ……段々、エドアルトが執拗にメルを敵視する背景が見えてきた気がするラヴィニアは心底呆れ果て遠い目をするメルに同情した。彼の預かり知らぬところで勝手に名前を出され、知らぬ間に憎まれていた。当然エドアルトが了承する筈もなく、断られた時は大泣きしてエドアルトを罵倒したプリムローズは大公家の令嬢なのかと疑問が多分に出てきた。

 眉間を指で挟み、深い溜め息をマリアベル(仮)が吐いた時、後妻とプリシラの悲鳴が響いた。皆プリムローズの規格外の言葉に放心して忘れていたがブラッドラビットが閉じ込められた牢内には二人がいる。腰を抜かしながらも迫りくるブラッドラビットから逃げ回っていた。


「っ!」


 大嫌いだろうが、どうなってしまおうがラヴィニアにとってはどうでもよくても、父にとったら家族は二人しかいない。「ラヴィニア!?」呼び止めるメルの声に振り向かず、ネズミのまま鞄から抜け出した。急に現れたネズミに悲鳴を上げるフラム大公夫人とプリムローズに構わず、走りながら元の姿に戻ったラヴィニアは牢の前に来た。


「ラヴィニアさん!? あ、貴女何時……!」
「そんな事より助けてよお姉様! 殺される!」


 ブラッドラビットから逃げ回りながらラヴィニアに命乞いと罵倒を交互に放ってくる器用さを発揮する二人に呆れつつ、魔法防止が掛けられた牢から二人を助け出す術を探した。簡単なのは鍵を持っているであろうフラム大公夫人かプリムローズから鍵を奪う事だが、どちらが持っているかになる。


「ラヴィニア!」


 後を追い掛けメルも元の姿に戻り、牢の前にいるラヴィニアの許へ。


「メル!」
「危険だから離れて、中の二人は俺が出す」
「どうやって」
「鍵が無くても錠は壊せる」

「ラヴィニアちゃん、こっちにおいで」マリアベルから元の姿に戻ったヴァシリオスに呼ばれ、メルを心配しつつ言われた通りにした。口を何度も開閉させるフラム大公夫人とプリムローズに微笑んだヴァシリオスは隣にラヴィニアが来ると左手の人差し指で空中に円を描いた。大公夫人とプリムローズの足元に瞬く間に蔓が伸び、二人をきつく拘束した。喚く二人を地面に転ばせ、驚愕に面を染める夫人に深い笑みを見せたヴァシリオスは顔面蒼白ものの言葉を紡いだ。


「貴女方とフラム大公、それとロディオン殿を魔法監査室に連行する。そこでは安全の為、あらゆる魔法効果が無効化される。この意味を貴女ならお解りになるでしょう?」


 あっという間に顔を青くした夫人は声にならない悲鳴を上げ、母の様子から魔法監査室が恐ろしい場所だと想像したプリムローズが泣き叫び懇願するもヴァシリオスは見向きもせず、駆け付けた魔法騎士団に二人の身柄を渡した。


「馬鹿は馬鹿でも、手に負えない大馬鹿なら仕方ない」
「公爵様?」
「面倒は嫌いなんだがね……皇帝とフラム大公家仲良く表舞台から退場してもらおう」


 怪物と名高いシルバース公爵が言う言葉に二言はない。連行されていくフラム大公夫人とプリムローズを見ながらヴァシリオスは淡々と紡いだ。


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