悪女は可哀想な婚約者を解放してやりたい

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誠実であろうとするノアン

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 艶やかな黒髪を左耳に掛け、自信無さげな黒い瞳が向かいに座るヒルデガルダを映す。レイヴン=ランハイドは突然の訪問を詫びつつ、どうしても話を聞いてほしいと縋った。追い帰す気も、話を聞かない気もないヒルデガルダはソファーに座らせ用件を訊ねた。
 薄々勘付いていたがレイヴンがヒルデガルダを訪ねたのはやはりヒリスが理由だった。


「サンチェス公爵令嬢もご存知の通り、第二王子殿下とマクレガー公爵令嬢は幼い頃から婚約を結んでいて相思相愛の仲だと有名でした。それが僕との婚約が王命によって決められたと知ったマクレガー公爵令嬢が部屋から一切出て来なくなったとマクレガー公爵に言われて……」
「ランハイド殿はマクレガー家に行ったのですか?」
「え、ええ。王命で決められてしまった以上、ランハイド家もマクレガー家も従うしかないと受け入れたのですがご令嬢だけは……」


 無理矢理婚約破棄された当初からいつか必ずノアンの隣を取り戻すと息巻いていたヒリスの事だ。ノアンとの再婚約の道が消え去り、自暴自棄になってしまったと見える。


「ランハイド殿には、亡くなられた婚約者がいましたね。実際のところ、ランハイド殿もこの婚約は不本意だったのでは」
「……僕もいつかは彼女以外の誰かと婚約しなければならないとは覚悟していました。ランハイド家の後継者として。僕個人よりも家を重きに置くのが普通だから。マクレガー公爵令嬢となら、お互い最愛の人と結ばれなかったという共通点があるから、傷の舐め合いであろうと時間をかけていって関係を築いていければと思っていました」
「ふむ」


 レイヴンの方はさすが侯爵家の跡取りとあって正確な思考を持っており、自身の気持ちにも折り合いをつけている。内心はどうあれヒリスとの婚約は受け入れている。


「今日私を訪ねたのは?」
「サンチェス公爵令嬢に、第二王子殿下とマクレガー公爵令嬢の逢い引きを許してほしくて。こんな事……サンチェス公爵令嬢に頼むのは失礼なのは重々承知しています。僕の父ランハイド侯爵とマクレガー公爵が話し合って出した苦肉の策がこれしかなかったんです……」
「構いませんわ」
「え」


 思考する間もなくあっさりと承諾して見せると驚きの声と面持ちを出されてしまう。高位貴族の当主が考え抜いた策がそれしかないのなら、息子でまだ後継者の時点でしかないレイヴンにどうこう言うつもりはない。
 ノアンとヒリスは恋愛小説から飛び出してきたような理想の男女だ。オシカケの言うような悲恋で終わられると後味が悪い。美しい絵画は最後まで美しくあってほしい。


「私は抑々ノアン様をどうこう思っておりませんの」
「マクレガー公爵令嬢が第二王子殿下といると毎回嫌がらせをしていると聞きますが……」
「マクレガー公爵令嬢は側にノアン様がいると私に突っ掛かって来るのでそれが面白くてつい虐めてしまうだけです。大人しくしているのなら、私だって何もしません」
「本当に第二王子殿下をどうとも……?」
「ええ。私がノアン様を恋慕っているなら、マクレガー公爵令嬢が二度と外に出られるなくなるくらい追い詰めますわ」


 魔導公爵と名高いサンチェス公爵の養女は悪女と社交界では名高い。ノアンを愛しているなら、ノアンに愛されているヒリスを排除するのはヒルデガルダにとって造作もない。声や様子からしてもノアンを好きな要素が一切ない為レイヴンは信じた。


「一つ聞いても?」
「ええ」
「マクレガー公爵令嬢以外に婚約者となってくれるご令嬢はいなかったのですか?」
「歳の近いご令嬢は殆ど相手がいる方ばかりでして……それと爵位の低いご令嬢となると僕の父が首を縦に振らず……」
「そうですか」


 ランハイド家は王国一の穀倉地帯を持つ貴重な貴族。歴史ある名家に高貴な血以外混ざりたくないのが侯爵の本音というところ。レイヴン自身、前の婚約者を病で亡くして以降社交界にはあまり出ず、人付き合いも程々にしていたせいで伝手がなかったのも痛い。


「ランハイド殿は、マクレガー公爵令嬢とは今後も婚約をし続けたいですか?」
「王命ですから覆りはしないでしょう……僕としては、これも何かの縁だと思って良好な関係を築いていきたいとは思います」


 レイヴンの反応は至って普通。普通の貴族令息の台詞。問題なのはヒリス。現在マクレガー公爵の頼みでノアンが話をしている最中だと言うとレイヴンは驚かず、そうでしょうと零した。ヒリスを説得するには、ノアンの協力は欠かせない。


「貴族に愛人の一人や二人は付き物なのが暗黙の了解とはサンチェス公爵令嬢もご存知の筈」
「構いません。ノアン様が何人愛人を作ろうが。ランハイド殿も良いのですか?」
「それでマクレガー公爵令嬢の精神が守られるのなら。僕にとって最愛の人は、もうこの世にいませんから」


 死者を蘇らせる方法は外法しかなく、術を知るだけで禁忌に触れるとされ王国では重罪となる。魔族であっても死者の蘇生は叶わない。死体を操る術はあれど、器に魂はなく、生前の面影も消え失せる。
 魔界の王の座に就いても死者を蘇らせる術は分からない。蘇らせたい相手がいなかったので調べる気もなかった。


「ノアン様には、マクレガー公爵からお伝えしてほしいと伝言を頼めますか? どうせ私が行ったところで聞く耳を持ちませんから」
「分かりました。サンチェス公爵令嬢、ありがとうございます。本来なら、貴女にこんな失礼な頼みをする事自体間違っていると僕も分かっているのですが……」
「お構いなく。まあ、上手くいくといいですわね」

  

  

 ——……と夕刻、昼間レイヴンの訪問と話した内容を夕食の席でオーギュストに伝えたヒルデガルダは焼けたロブスターの殻から身をラウラに取り出してもらっていた。熱々で香ばしい香りのロブスターへの期待値を大きくして身を頂いた。言葉にならない美味が口の中を充満し、分厚い身は歯応えがありいつまでも咀嚼していられる。
 最後まで口を挟まず、黙って話を聞いていたオーギュストはヒルデガルダの意識がロブスターに移ったところで盛大な溜め息を吐いた。

 ヒルデガルダの側に控えるオシカケも然り。


「ええ……受け入れっちゃンですか? お嬢」
「ああ。妾とランハイドの後継者が黙認さえしておけば、日陰ではあるがあの二人は元の関係に戻れるんだ。感謝されても非難される謂われはない」
「いや~絶対怒ると思いますよあの王子」
「何故だ。妾やランハイドの後継者は黙認するというのに」
「だってほら、王子って真面目じゃないですか。お嬢のことをよく思っていないにしても、ちゃんと義務は果たそうとしてましたし」
「ふむ」


 言われると一理ある。一国の王子という身分がノアンを誠実でいさせようと束縛する。オシカケの言う通り、弱い相手を見下し、傲慢に振る舞うヒルデガルダをノアンは嫌っているが最低限の義務だけは果たそうとする姿勢は何度も見て来た。先日のパーティーもノアンは婚約者を迎えに来た。それを嘲笑い、迎えに来たノアンを置いてオシカケを同乗させ会場に向かったのはヒルデガルダ。入場もダンスも共にしなかったのはヒルデガルダによるもの。元魔族なだけあって悪役は慣れっこで罪悪感の欠片も感じない。
 よくよく考えてみると後から怒りの訪問を食らいそうだ、とやれやれと笑った。呆れるような、面倒くさそうな、そんな笑みを。


「話を変えるが……オーギュスト。件の子供はどうなった?」
「例の孤児院には既に足を運んだ。子供達の中で魔力を持っているのはその子だけだったのでな、私の養子として引き取る手続きを今している最中だ。アイゼンの手紙にあった通り、母親は大層美しい娘だったんだろう。子供にも濃く表れていた」
「ほう」


 性別は男の子。美しい黄金の髪と海のような淡く透き通るアクアマリン色の瞳を持っており、顔立ちも非常に美しかったとか。院長によると孤児院に来た当初は全身泥まみれでやせ細っており、医師や職員の献身的な介護の甲斐あって年相応の体型に戻れた。来た当初は怯えるだけで何も話そうとしなかったが大人達の優しさや周りの子供達のお陰で静かではあるが喋る様になったとか。
 ただ、出自については一切話そうとしないらしい。


「オーギュストの他に引き取りたい者はいなかったのか」
「つい最近までずっと医務室で生活していたようだからな。件の子供が他の子供と共同生活を始めてから来た貴族は私だけだったらしい。幸いだったな」
「ああ」


 子供の容姿からして母親は人間界でも高貴な身分だった筈。人間を餌として見下すばかりが魔族じゃなく、好んで人間界で生活している魔族もいる。人間界で悪さをされると静かに暮らしたい魔族にとってはかなり目障りな存在となる。


「子供の父親の魔族は、今頃碌な目に遭っていないだろうな」
「そうなのか?」
「人間界を好む魔族にとって、人間界を荒らす魔族は目障りだからな。やらかしを知れば近い内に粛清される。アイゼンが知ったのであれば、今頃制裁を受けている最中だろう」


 周りに魔族だとバレぬよう魔力は最小限にまで抑え、人間社会に溶け込む。一か所に長く留まらないのも忘れない。人間と違い、寿命が長い魔族は定期的に場所を変えては生活をする。世界は広い、新しい場所は何処にでもあるもの。

  

  

  


 翌日の事。件の子供を引き取る手続きの為、孤児院へ行ったオーギュストを見送ったヒルデガルダは一緒に見送ったオシカケに振り向いた。


「今から城に行くぞ。体を動かしたくてうずうずしているんだ」
「あーはいはい。魔法士団のとこ行って討伐依頼が来ているか見に行くンですね」
「ああ。お前も来い、どうせ暇だろう」
「ええ、ええ、暇ですよ、おれは」


 ぶつくさ文句を言いつつも馬車の手配をしてくると邸内に戻って行くオシカケ。拾った当初は瀕死の状態で目を離すとすぐ死んでしまいそうだった。あの時のヒルデガルダは退屈過ぎたせいか、瀕死の汚い塊が元通りになるまで回復するよう世話をした。それが今では自分が世話をされている。
 小さく笑みを浮かべたヒルデガルダは暫くそこに立ち止まったままでいた。

 馬車で登城したヒルデガルダはオシカケを連れて魔法師団の建物に足を踏み入れていた。王国直属の魔法士達がオシカケを連れて魔法師団団長の部屋へ向かうヒルデガルダを見ると足を止めて皆振り向いていた。史上最年少で魔法競技を優勝し、以降は毎年優勝するサンチェス公爵の養女。ピンクがかった銀髪と濃い青の瞳を持つ絶世の美女であるから皆振り返る……のではなく、今からヒルデガルダが会おうとしている魔法士団団長への同情からだった。
 団長室の扉を勢いよく開けたヒルデガルダは真っ直ぐ部屋の奥にある執務机に腰掛ける中年の男性の許へ歩き、渋い顔で此方を見上げる男性に一言申した。


「団長殿。魔法士団が抱えている案件を幾つか私に譲っていただけますか?」と。

 すると男性は——

「ない!」ときっぱりと言い放った。


「ないわけがないでしょう」とヒルデガルダは鼻で笑うが男性は「ないものはない」と鋭い口調で述べた。


「手柄は貴方方にちゃんと渡しているでしょう」
「そういう問題じゃない。サンチェス公女、貴女が張り切って魔法士団の任務を熟すせいで今我々が抱えている案件は皆無に等しい」
「うん?」


 最近起きている魔物の発生についての主な担当はサンチェス公爵家が担当している。その他に起こる事件は魔法師団が担当していた。しかし体を動かしたいヒルデガルダが張り切って任務を熟してしまったせいで現在魔法士団が出向く案件が全て無くなっていた。
 呆然とするヒルデガルダの後ろ、オシカケは額に手を当て呆れの溜め息を吐き、魔法士団団長に頭を下げるとヒルデガルダを連れ退室した。

 そのまま外へ出るとヒルデガルダは漸く我に返った。


「妾はそんなに働いたのか?」
「団長がそう言うならそうなのでは」
「案外少ないものなんだな」
「お嬢が張り切っちゃうと不眠不休で三日は動けますからね……」


 付き合わされる側の身にもなれ、と小声で呟くも今回はヒルデガルダの耳には入らなかった。


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