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青出 風太

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薄青と記憶 36

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―リエール―

「逃げてください」

 彼女に強く言ったつもりはなかった。叫んだつもりもない。だが、思いの外、余裕がなかったのか、声は会議室中に響いていた。

「何を言ってるんですか!恵冬はここで仕留めなくては……!これ以上、組織に損失を出すわけには!」

 ライースが躊躇うのも最もだ。彼女が本当に1人でここに来ているのなら、これは好機でもある。

 今を逃せば単騎の彼女とやり合える機会はもうないかもしれない。

 しかし、リエールの目は既に彼女の攻撃を捉えきれなくなっていた。これ以上恵冬が暴れればリエールにも抑えられない。そして、リエールが倒れてしまえば――

(私の仕事は今も昔も、貴方をお守りする事、ですから)

 リエールは彼を逃すため、意を決して語気を強める。

「バカ言わないでください。私では防ぐのが精一杯です。貴方を失えばそれこそ組織は終わりますよ。……今の組織には貴方が必要です!」

 彼を逃がせれば希望がつながる。今の組織はオーバーワークもいいところなライースの貢献によって維持されていると言っても過言ではない。それに恵冬は時折リエールの隙を突いてライースの方へと抜けようとする。それを遮るために動いていたのでは、いつまでも後手のまま。それでは限界も近い。

 ライースの実力は達人クラスのリエールに武力では遠く及ばず、ライースの援護射撃は十分に役に立っていたが、直接的な決定力はない。

 彼が離脱すればリエールも守りに徹する必要がなくなる。

 組織を守るためにも、そして自身が生き残るためにもリエールには彼を離脱させる必要があった。


 ライースはなにか言い返そうと逡巡していたが、何も言わずにやめた。

 眉間に皺を寄せ、彼は声を絞り出す。

「……それしか、ないのか?」

 ライースにとって彼女はただの生徒でも護衛でも秘書でもない。

 もっと特別な……

 欲を言えば勝てずとも2人で戦いたかった。しかし、それは彼女を否定することでもある。

 ライースは迷っていた。彼が迷うことなど滅多なことではない。それは常に彼に付き従うリエールも知っていた。だが、今。リエールの目には恵冬のナイフだけが写っていた。幸いというべきか、彼女の言葉に戸惑うライースの顔は写っていなかった。

「――っ、頼みます!」

 ライースは彼女の言葉を信じることに決めた。後ろ髪を引かれる思いで、取っ組み合いをしている恵冬とリエールの脇を走り抜けて会議室を飛び出した。





「あのまま行かせちゃって良かったの?この場で2人仲良く楽~にしてあげたのに」

 恵冬は部屋を出ていくライースをしり目に言葉を投げかける。

「貴女まで、バカなことを言わないで下さい。その前に私が貴女を倒しますよ」

「あら?あんなこと言ってたのにこの状況から勝てるつもりでいたの?」

 彼女は目を見開き、驚いたと言わんばかりに口元に手を当てる。そのわざとらしい仕草からやはり彼女は恵冬なのだとリエールは確信した。

「はっ!よく言うわ“おまけ”付きで互角だったのに」

 大見得を切ったもののリエールは自分でも力の差を感じていた。真っ当な1対1ならまず自分に勝ち目はないことも。

 ライースと2人なら、彼女を倒せていたかもしれない。でも、一歩間違えれば2人とも死んでいたかもしれない。そんなリスク、司令部のトップの護衛として看過することはできない。

 それならば"護衛"としてやることは1つ。

(ライースだけは……)

 なんとか恵冬を少しの間抑えておくだけなら出来そうだと判断したリエールはライースを逃すことを選んだ。

 彼を逃がしきれば自分のことに集中できる。

「舐めた事してくれるじゃない」

「お互い様ですよ。2対1になる事を覚悟でのこのこ1人で来ている貴女こそ、我々を舐めているのでは?貴女の技にも時期慣れます」

(いや、慣れてみせる……!)

 ナイフを捌き、去なしながらリエールは返す。



「……何故ですか恵冬。何故あなたは組織を抜けた?」

 リエールは取っ組み合いの最中、かつての親友に問いかける。

「何故って……あの“スズメちゃん”から何も聞いてないの?とんぼ返りしたはずよ?」

 リエールは“スズメちゃん”とあだ名される人物を知らない。

 組織はAIの進出を防ぐため、他国の諜報機関とやり合うこともある。そのため他国から組織の工作員がなんと呼ばれているかについても把握していたのだが、“スズメちゃん”の名でピンとくる者はいない。

 が、今の組織で恵冬が生かして組織に帰したのは六花だけだ。咄嗟に六花のことを思い出す。

「いえ何も。もしや、『ビオラ』が気に入らなかったのですか?」

 『ビオラ』とは彼女たちが訓練をしていた時に恵冬用のコードネームとして考えていたものだ。

 同期の蔦美樹つみきがリエール、華恋かれんがプロテア、そして恵冬けいとがビオラ。3人で決めたコードネームだった。

 恵冬は笑って違うと答える。

「アンタ知らないでしょうけど。組織は私のコードネームを決めてたのよ?組織がコードネームを決めるなんて滅多にないわ」

 彼女の言う通り、組織は工作員をアルファベット+4桁の数字で管理している。

 工作員間で呼び交わす『名前』にはさして興味を示さない。だが、稀に“上”から『名前』を指定されるケースがある。それが、オクタやヘキサ、テトラのような数字のコードである。

 選定基準や必要な能力についても不明。しかし、上から指定されればそれ以外のコードを使う事は許されない。そもそもそれに逆らう理由も権利もないが。

「……ほぅ、では、あなたも数字を?」

 2人は言葉を交わしながら一進一退の攻防を繰り返す。

 恵冬はやれやれと頭を振って答えた。

「――コードネーム『ハイドラ』。組織はAIに対抗する旗印に私を選んだ。しかも、自然の象徴、大地の化身の名を“作った孤児”に与えようとしていたのよ?笑えてくるわ」

「作った……孤児」

 恵冬は嘲笑気味にリエールを押し除けた。

「そうよ。アンタでも知らないことがあるのね……っと、流石におしゃべりがすぎたわね」

「どう言う意味です?」

 恵冬の雰囲気が変わった。リエールもそれに呼応して意識を引き締めた。

「いやね、最後だと思うと、何にも知らないで死んでいくのはアンタが可哀想だと思っただけよ。私たちトモダチでしょ」

 恵冬はさてと言ってナイフを回し始めた。

「おしゃべりに付き合ってやってたとは言え、ここまで粘れるんだからやっぱりアンタはそこそこ優秀よね」

「なにを言って」

「そこそこね」

 言うや否や恵冬のナイフの動きが滑らかに変化した。今度こそ目で追うことなどできない、それほどの剣速。感覚を頼りに身を躱わしてやり過ごした。

(恵冬のナイフと銃は一対。それ以外が無いというが不幸中の幸いですね)

 およそ十年ぶりに再開した彼女の剣捌きは衰えるどころか、更なるスピードを会得していた。

(くっ、やはり早い!)

 リエールは必死に全神経と己の感覚を頼りに致命傷になりそうなものを見抜き、捌く。

「センセの戦闘術が優秀ってだけなのが悲しいとこよね~」

 刀身煌めく嵐の中、一振りの殺気が明らかに増した。先程まで致命傷にならないと感覚的に無視してきた一振り。何手も前から見えていたが無視してきたその一撃。

 それが急に無視のできない存在として突如目の前に出現した。なぜ今の今までそれを危険だと認識しなかったのか不思議でならないほどだ。

 ナイフの放つ怪しげな光は鮮烈で。全身に鳥肌を立て、電撃が駆け抜けたような衝撃を与えるというのになぜ、それを無視できていたのか。

 恵冬の技術によって当たる寸前まで巧妙に隠された殺意の刃。


 間違いない。これこそ、フェイントの嵐に隠された致命の一撃だ。

 本能が理解した。どうやっても躱しきれない。急所に直撃する。

(――あれを、食らったら不味い)

 リエールの持ちうる全神経を集中させて滑るナイフの一筋を捌きにかかった。

 これまで注意してきた

 『一つの殺気に飲まれず、常に視野を広く保つ』

 という対恵冬戦における鉄則が崩れた瞬間。

「ほら、もう見えてないじゃない」


 恵冬は勝ちを確信し言葉を漏らす。殺気を放つナイフ。かつての親友に突き立てるために強く、強く引く。その動作を利用して、反対の左手で顎先を狙った攻撃を繰り出す。



「――悪い癖……抜けてませんね」

 リエールはナイフが引かれたその瞬間、敢えて死を受け入れることで殺気を振り払った。生物として不自然を通り越した理不尽なほどの理性。自分を動かす強靭な意志の力。

 それがリエールに活路を開いた。

 視界が一気に晴れる。攻撃のため防御を緩めた恵冬と視線が重なった。

 恵冬の繰り出す左腕の掌底に意識を移すとすかさず身体を捌き、恵冬の腕を巻き込んで技を仕掛けた。
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