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あいうら

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第五章 来栖

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「週末には慧くんのお葬式が行われる予定です。そのときまでに有志で手紙を書いて、慧くんの棺に入れさせていただこうと思っています。有志なので強制はしませんが、もし手紙を送りたい人がいたら、金曜日までに先生に渡してください。もちろん内容は見ませんので、正直に伝えたいことを書いてください」

これは、学年主任が来栖に勧めてきたことだ。

余計なことはしたくなかったが、担任としてそれくらいはやるべきだとも思い、慧の母親から承諾をとった。

何人かは頷いていたが、ほとんどの児童は、まだ気持ちの整理に時間がかかっていて、来栖の言ったことが頭の中をそのまま通過したような顔をしている。

「それから、今日の夜に慧くんの事件について、保護者会を開く予定です。今からプリントを配るので、必ず皆さんのお父さんお母さんに渡すようにしてください。ちなみに、別途メールでも保護者会については案内するつもりです」

廊下側から順に「緊急保護者会の開催について」と書かれたプリントを回す。

全ての列に配ったあとで教室を見渡すと、佑真が後ろの児童から背中を叩かれて、我に返ったような表情でその紙を後ろに回していた。

「はい。それでは帰りの会をこれで終わります」

なんだか子どもたちが不憫に思えてきて、あえて明るく大きな声を出したが、空気を変えることはできなかった。

日直の号令に合わせて挨拶すると、いつもは競い合うように教室を出ていく子どもたちが、ゆっくりと時間をかけながら姿を消していった。

来栖は1人教室に残ると、窓の外を見ながら、保護者会が無事に終わることを祈った。


その夜、体育館に集められた保護者の前で校長と教頭が事件について説明を行った。

学校側は、事件の内容を報告するとともに、犯人がすでに捕まっていることを強調した。

さらに、子どもたちのメンタル面のケアをお願いし、学校側もカウンセラーを通じたサポートを約束した。

来栖は他の教員と一緒に、脇で様子を見ていたが、保護者会は最後まで滞りなく終わったので安心した。

今日の昼頃から事件がワイドショーなどで取り上げられ、その内容がすでに知れ渡っていたため、想定より保護者からの質問も少なかった。

休日に家庭内で起きた事件だったため、学校側に責任があるわけではないが、保護者のなかには何かにつけて学校の責任を追及してくる人がいるから、気が抜けなかった。

校長と教頭も疲れ切った様子だが、肩の荷が降りたような表情だ。

来栖がパイプ椅子を片づけていると、後ろから声をかけられた。

「来栖先生、すみません」

「はい」

振り返ると、そこには佑真の母親が立っていた。

「佑真くんのお母さん。どうも今日はお忙しいところありがとうございました」

「いえ、遅くまでご苦労様です」

軽く会釈をして顔を上げると、少しの間、沈黙が流れた。

来栖が目を見開くと、彼女は慌てたような口調で言った。

「あの、佑真のこと、よろしくお願いします。あの子、慧くんと仲良かったからすごく落ち込んでいるみたいで」

「ああ、はい。そうですよね。学校でもいつも一緒にいましたからね。私も気をつけて見守るようにします」

すると、彼女は声を潜めて聞いてきた。

「ちなみに、今日の佑真の様子っていかがでした?」

「やっぱり落ち込んでいましたよ。ちょっとショックが大きすぎて消化しきれていないような感じがしました」

母親は「そうですか」と呟いて頬に手をあてると、重ねて質問してきた。

「子どもたちにはいつ伝えたのでしょうか?」

「帰りの会で言いました。あまり早い時間に話してしまうと、そのあとの授業に集中できなくなってしまいますから」

「伝える前までの、息子の様子はどうでしたか?」

「伝える前まで、ですか?」

来栖は少し驚いて、彼女の言葉を繰り返したが、彼女は「ええ」とだけ言って、こちらを促してきた。

腕を組みながら斜め上に視線を動かす。

「そういえば、何となくいつもより静かだったかもしれませんね。些細なことなんですが、給食のときに欠席者の牛乳とかデザートをじゃんけんで誰がもらうか決めるんですけど、必ず毎日参加する佑真くんが、今日は席でじっとしていたんですよ。今日の余り物は、本来慧くんが食べるはずのものだったから、仲のいい佑真くんは、絶対俺がもらうって言って参加してくるだろうなと思ったんですけど」

「そうですか」

佑真の母親は心配そうな声で言った。

「何かあったんですか?」

気になって聞いてみると、彼女は少し躊躇してから答えた。

「実は、昨日の夜から佑真がすごい落ち込んでいるみたいなんです。事情はよく分からないんですけど、夕飯ができたから呼びかけても、部屋から出てこなかったんです。今までそんなことなかったから心配で。ただでさえそんな状態だったのに、慧くんにあんなことがあったから、佑真大丈夫かしらって」

「そうでしたか」

来栖は神妙な顔で頷くと、いかにも誠実そうな顔をして、母親の目をまっすぐ見据えた。

「分かりました。私もできる限りのサポートはさせていただきます。明日以降、彼の様子を注意して見ておくようにします。何か変わったことがあれば、逐一お母さんにもご連絡しますので。大変な事態で色々とご心配かと思いますが、佑真くんのために、一緒に頑張りましょう」

「ありがとうございます。先生にそう言っていただけると安心できます。お忙しいとは思いますが、息子のこと、どうかよろしくお願いします」

彼女は少し気持ちが楽になったのか、頬を緩ませると、深々と頭を下げて体育館をあとにした。

来栖は、その後ろ姿を見送ると、やれやれと心の中で呟いて、パイプ椅子の片づけに戻った。









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