【BL】Without boy

明日葉 ユイ

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#1

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 人の気配に流が振り向くと、たばこをくわえた男子生徒と目が合った。放課後、人気のない駐輪場の奥。主人に捨てられた廃棄チャリの間に、彼は膝を抱えて座り込んでいた。
「……目黒、竜」
 名前を呼ぶと、目黒は少し口を歪ませ、たばこをアスファルトに押し付けて火を消した。
「…ぼくの名前知ってたの?」
「去年まで、部活一緒だったろ」
「そうだけど、君と話したことないし」
「話したことなくても、名前ぐらい知ってるさ」
「……意外」
 目黒が立ち上がる。流は彼に背中を向け、自分の自転車探しを再開する。従兄弟のハギが借りパクしていなければ、この辺りに置いてあるはずだった。
「部活もないのに、こんなに暗くなるまで何してたの?」
 目黒の問い掛け。
「…チャリ置き場でたばこの吸殻が見つかったから、佐川に呼び出されてたんだよ」
「………こんな時間まで?」
「そうだよ」
「…へぇ」
 思わずため息が出た。誰のせいだと思って。目の前にあったサドルを拳で叩く。
「……証拠隠滅くらいちゃんとしろよ、優等生」
 目黒が立ち上がる。
「神原は吸わないの?」
「吸わない」
「どうして?」
「苦くて美味しくないから」
「そんな理由?」
「そうだよ、悪いか」
 切れかけの蛍光灯が明滅する。光に誘われた二匹の蛾が戯れるように、蛍光灯の周りを飛び、時折その体を光にぶつける。
「それは、甘くて美味しければ、神原もたばこ吸うってこと?」
 目黒の言葉に振り返ると、彼は流のすぐ目の前に立っていた。「はぁ?なに言ってんだよ、おまえはー」
 瞬間。目黒の左手が流の両目を覆った。そして、その手を振り払う間もなく、唇に唇が重ねられた。事態を理解出来ず、流の思考は停止する。



 その美しい立ち姿に、一瞬で目を奪われた。決して屈強ではない、華奢で白肌の腕が、ゆっくりと弓を引く。静寂。その場にいる誰もが、彼に魅了されていた。忘れもしない夏。一筋の汗が頬に光る。
 彼の放った矢が的の中心に射る。拍手は起こらなかった。彼は真っ直ぐな目で、微動だにせず、ただ的を見つめていた。
 ああ、キレイだ。そう思った。



「目黒ぉ~?」
 誰かの声が聞こえ、流は我に返った。右足を上げ、目黒の腹を思いっきり蹴り飛ばす。不意打ちを食らった彼は、呆気なく地面に転がった。
「目黒?」
 男子生徒がやってきたのは、そのタイミングだった。
「おい、大丈夫かよ!?」
 地面に蹲る目黒を見て、慌てた様子で駆け寄る。
「おまえ、こいつになにして」
 流に掴みかかろうとした男子生徒が、はたと動きを止める。視線は流の右手。目を落とす。流の右手には、たばこの箱が握られていた。
「………やっぱりおまえなんじゃん、神原流」
 苦々しげにそう呟いた男子生徒は、硬直したままの流をスマホのカメラで撮影した。
「これ、証拠写真として、明日佐川先生に提出するから」
 目黒は何も言わなかった。
「ほら、行くぞ、目黒」
 こちらを見もしなかった。
  
 翌日の放課後。生徒指導室に呼び出されたのは、もちろん、目黒ではなく、流だった。
 男子生徒が撮影した「証拠写真」を流の鼻先に突き出し、学年主任の佐川は額に幾重もの皺を寄せた。「俺じゃない」と言葉にするのは容易だが、佐川を納得させる説明をするのは容易ではない。だから、流は肯定も否定もせず、写真に写っているたばこの箱を眺めていた。
「本来なら、停学処分にするとこなんだがな」
 どうやら教師たちは、今回の件を大事おおごとにしたくないらしい。流に課せられたのは、原稿用紙五枚分の反省文を書くことだった。
「反省文って、小学生じゃあるまいし」
「つべこべ言うな。期限は明後日までだ」
「はいはい」
 差し出された原稿用紙を鷲掴み、生徒指導室を後にする。
「神原の場合、停学処分にしても、その間になにをしでかすか分からないし」
「あそこの家庭は、親の呼び出しも出来ないですしね」
 教師たちのそんな会話が、隣の職員室から聞こえてきた。わざと音を立てて乱暴に扉を閉めると、会話はピタリと止み、代わりに後頭部を佐川にはたかれた。
「なにをしてるんだ、おまえは」
「…ああいう陰口、俺嫌いなんだよ」
 佐川は小さくため息をつくと、流の肩を二回強く叩いた。
「なんだよ」
 向かいの棟から、吹奏楽部の演奏が聞こえてくる。流行りのアニソンメドレー。誰かが失敗して演奏が止まる。
「…本当のことだろうが」
 シンバルの落下音。「すみません」という女子生徒の声。
「停学中に問題起こすのも、おまえの保護者を呼び出せないのも、本当のことだろうが」
 もう一度流の頭をはたくと、佐川は職員室へ入って行った。

 授業中に隠れて反省文を書いていたら、教科の担当教師に見つかり没収され、ついでに再度佐川に呼び出された。今日は昼休みの呼び出し。
「おまえはバカなのか」
 反省文は二枚追加され、流は合計七枚分の反省文を書くことになった。期限は変わらず。さすがに「やったのは俺じゃない」と言いたくなったが、やっぱり信じてもらえないだろうと思い、口を閉じた。
「……最悪」
 七枚分もなにを書けばいいのか。ちなみに書き終えていた二枚は、「大変申し訳ございませんでした」と「誠に申し訳ございませんでした」の二フレーズで埋めた。そんな姑息なやり方を、佐川が容認するはずはない。そのまま提出したとしても、結局はやり直しだっただろう。
「…どーすっかなあ~」
 筒状に丸めた原稿用紙を制服のお尻に挿し、流は放送室へ向かった。職員室の真下。放送部が廃部になってから、物置同然の扱いになっている一室は、流たちのたまり場だった。
 建付けの悪い扉を開けると、従兄弟のハギが机の上であぐらをかいて、漫画雑誌を読んでいた。毎週月曜日発売の週刊誌。ハギの生き甲斐。
「今日の弁当買えたか?」
 流が話しかけると、ハギは雑誌から一瞬だけ目を上げ、
「…あ~、忘れてました。さーせん」
と茶色に染められた頭をかいた。
「いや、さーせんじゃねーし。俺の昼飯どーすんだよ」「今から売店行けば、パンとキャラメルくらいは買えるんじゃないスかね」「他人事かよ」「他人事です」「調子いいな、おまえ」
 月曜日のハギは、優先順位第一位が漫画雑誌のため、てんで役に立たない。流は肩を竦め、ひとまず備え付けのコンポを操作して音楽をかけた。
「なんの呼び出しだったんですか?」
「反省文だよ、反省文」
「反省文??」
 ハギが雑誌から顔を上げる。
「リュウさん、最近なにかしましたっけ?」
「あ~、……たばこ吸ってたのがバレてさ」「………へ?」
「反省文七枚って、マジしんどい」
「………え?」
「つか無理だよな、明日期限とか」
「………は?」
「まーいっか。とりあえず売店行ってくるわ」
「いやいや!待ってくださいよ!」
 ハギが机から飛び降りる。その拍子に、膝の上に広げていた雑誌がバサバサと落下した。
「なんだよ」
「……吸わないじゃん。リュウさんは、たばこ」
「久しぶりに吸いたくなったんだよ」
「…でも」
「そういう時ってあるだろ、たまには」
「それでも」
 ハギの靴が、床に落ちた雑誌を踏み潰す。
「おい、ハギ。おまえ、自分の一番大事なもん踏んでるぞ。いいのか」
「それでも、リュウさんは吸わない」
「…」
「絶対に…吸わない」
 ハギの表情は真剣だった。笑い飛ばして誤魔化したかったのに、口角が上がらない。こいつは、俺のほとんど全てを知っている。喜びも、悲しみも。だから、嘘をついてもすぐに見抜かれる。流は両手を上げ、降伏のポーズを見せた。
「ああはい。大正解。俺は吸ってない」
「やってないのに、なんで反省文引き受けちゃうんですか」
「いいだろ。佐川を納得させるよりは、よっぽどこっちの方がラクなんだよ」
 嘘ではない。しかし本当の理由ではない。
「……まぁ、リュウさんがいいならいいですけど」
 ハギは一応納得したらしい。これでこの話題はおしまいだ。ほっとする。
「ということで、ハギのノルマは三枚な」「嫌ですオレ作文苦手なんで無理です」「マジかよ、使えねー」
「リュウさん、そういうの誤魔化してこなすの得意じゃないですか」「まーなー。ほら、ハギ。おまえに踏まれて、ジャンプがボロボロになってんぞ。いいのか」「え!?まじで!?」
 シワの寄ってしまった雑誌を伸ばそうと四苦八苦するハギを尻目に、流は売店へ向かう。

 今日は品物数がいつもより少なかったらしい。
「ごめんねぇ」
 売店のおばちゃんは謝りながら、明日の弁当チケットと残っていたキャラメルをくれた。有難く受け取る。無いものは無いのだ。仕方がない。
「でもハギはしめる」
 売店にないのであれば、校則違反にはなるが、近くのコンビニまで買いに行くしかない。 午後の最初の授業が体育であることを思い出し、さぼっても問題ないと判断した流は、一応職員室から見えない場所を歩いて、校門を出た。怒られるのが怖いのでは決してない。面倒なことになるのが嫌なだけだ。
 学校から徒歩五分。青い看板のコンビニは、昼休み中のサラリーマンや工事現場の作業員などで混雑していた。
 流は、弁当を買おうとコーナーを探したものの、その隣に陳列されているスパゲッティに注意を逸らされた。さらにその横にはラーメン。上の段には巻き寿司も並んでいる。
「選択肢が多いのも考えもんだな…」
 色々と悩んだ結果、今日はペペロンチーノを食べることに決めた流は、陳列されている商品に手を伸ばした。
「…っ痛!」
 不意に、伸ばした手がはたかれる。そして、別の手がペペロンチーノを持ち上げた。今日の最後の一つ。反射的にばっと顔を上げ、息を呑む。
「……目黒」
 後ろに立っていたのは、紛れもなく目黒竜だった。
「ごめん。今日はぼく、ペペロンチーノの気分なんだ」
 謝りながらも、その目は全く笑っていない。



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