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忘れたい愛ほど、深い愛 第一話
scene1 向日葵探偵事務所での日常
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『今世紀最大の流れ星が見られるかもしれません。四日後の午前〇時頃、しし座流星群の極大が予想されています。その時間のお天気は、雲一つない快晴とされていて、月明りの心配もなく、今年ははっきりと見ることができるでしょう』
そんなフレーズを一、二年前にも聞いた気がしていた。確かそのときにはもう、この事務所を構えていて、ここから空を見上げていた。結局、町の明かりとか月とかが明るすぎて、よく見えなかった。
そんなことを思いながら、僕は三つ目のドーナツを手に取った。
ここは向日葵探偵事務所――――桜が丘という町にある小さな探偵事務所である。所員は二人、所長にして探偵の僕こと九条創真と探偵見習いの逢坂はるねちゃんである。彼女はちょうど一か月前に起こった『マーメイド・ユートピア失踪事件』で出会った少女で、女子高生にして巨大財閥逢坂財閥総裁の娘。狭い事務所に舞い込む依頼は、ペット探し、人探し、身辺調査、事件解決など、危険をはらむものもある。日々、それらの依頼をこなして生きているのである。
「こら、創真! ドーナツは一日二つまでって約束でしょ! なんで三つも買ってるのよ!」
事務所を開けて一時間、誰も来ない事務所で好物のドーナツを頬張っていると、はるねちゃんが鬼の形相で言った。この時間、いつもは学校でいない彼女だが、今日は日曜日だから朝からここにいるのだ。
「三つじゃないよ、五つ買った」
「どっちでもいいわよ! とにかく今は仕事がなくてお金がないんだから! あたしのときの報酬だった二百万は三か月で底をついちゃったし、せっかく取ってきた仕事でもらった報酬も半分はドーナツで消えてくのよ! だから、ドーナツ厳禁令を出したのに!」
何度目の説教だか、もう分からない。
仕事はもう十日ほどしていない。毎日のようにチラシを配ったりして宣伝活動に勤しんでいるのだが、全く効果がない。電話さえ来ない。こんなのは何か月かぶりだったが、やはりはるねちゃんの依頼でもらった報酬に甘えすぎた。
そういうわけで、一週間前にドーナツ厳禁令が出されて、僕は一日にドーナツを三つ以上買ってはいけないことになった。余計な出費を減らそう、ということらしい。一応、僕が所長で彼女の師匠なのだが、なぜか財布は弟子で平(ひら)所員のはるねちゃんに、完全に握られている。ドーナツ代くらいは許してほしい。
はるねちゃんは食べかけのドーナツと残りが入っている袋を取り上げた。
「残りはあたしが全部食べるから。厳禁令を破った罰よ」
「えー、やだ」
「やだじゃない! 法律を破ったら、罪を償わなきゃいけないでしょ。それと同じよ」
はるねちゃんは嫌らしくドーナツをかじった。どうやら僕は性格の悪い弟子を持ってしまったようだ。
さて、口が寂しくなった僕は紅茶に口を付けた。寒くなってきたから、温かい紅茶だ。スティック砂糖とミルクを入れていて、好みの味になっている。香り高いし、甘くて美味しい。
「もう、なんで創真はお金の使い方が下手なの? 高校生のときとかお小遣いもらってたりしなかったの?」
まだ言っている。というか、超巨大財閥のお嬢様にそんなことを言われたくない。僕より絶対派手な使い方をしているはずだ。
「よくホームレスにならなかったわよね」
「高校生のときは、ずっと幼馴染に買い物とか付き合ってもらってたんだ」
「夏治さんのこと?」
夏治とは、石清水夏治という刑事のことだ。桜が丘署刑事課勤務の警察官にして僕の幼馴染だ。
「彼じゃないよ。夏治よりずっと昔から付き合いがあるんだ」
「ふうん。どんな人?」
「まあ、十年くらい連絡もしてないから、今はどうなってるか分からないけど、昔はわがままな子で、加えておてんば娘だったから、いろいろ振り回されたかな」
「女の人なんだ」
「高校生のときは一緒に出かけたりしたよ。僕の地元、田舎だったから電車乗ってお出かけしたり、高校二年の夏は旅行とか行ったかな」
「もしかして、恋人だったの?」
「まあ、初恋の相手、みたいな……?」
思い出したら、何だか恥ずかしくなってきた。ここで話を遮るように紅茶を飲み干した。
「昔話はここまで。今日も元気にチラシ配りに行こうか」
僕は空のマグカップとデスクに積まれたチラシを持って立ち上がった。今日も依頼が来なかったら、そろそろ経営破綻(はたん)の危機に陥ってしまう。今日は本腰入れて、頑張ることにしよう。
はるねちゃんにもチラシを半分渡して、ようやく今日の仕事に出かけた。
と、扉を開けたそのとき。「いてっ!」と女性の声がした。僕は反射的に「すみません」と謝りながら、声の主を目視した。
「九条創真って探偵がいるの、ここですか?」
声の主であろう女性は、頭を撫でながら聞いてきた。僕は「僕が九条ですけど」と返すと、女性は顔を上げた。そして僕は初めて彼女の顔を見た。
「……紫織?」
僕は彼女の顔を見て、呟いた。
そんなフレーズを一、二年前にも聞いた気がしていた。確かそのときにはもう、この事務所を構えていて、ここから空を見上げていた。結局、町の明かりとか月とかが明るすぎて、よく見えなかった。
そんなことを思いながら、僕は三つ目のドーナツを手に取った。
ここは向日葵探偵事務所――――桜が丘という町にある小さな探偵事務所である。所員は二人、所長にして探偵の僕こと九条創真と探偵見習いの逢坂はるねちゃんである。彼女はちょうど一か月前に起こった『マーメイド・ユートピア失踪事件』で出会った少女で、女子高生にして巨大財閥逢坂財閥総裁の娘。狭い事務所に舞い込む依頼は、ペット探し、人探し、身辺調査、事件解決など、危険をはらむものもある。日々、それらの依頼をこなして生きているのである。
「こら、創真! ドーナツは一日二つまでって約束でしょ! なんで三つも買ってるのよ!」
事務所を開けて一時間、誰も来ない事務所で好物のドーナツを頬張っていると、はるねちゃんが鬼の形相で言った。この時間、いつもは学校でいない彼女だが、今日は日曜日だから朝からここにいるのだ。
「三つじゃないよ、五つ買った」
「どっちでもいいわよ! とにかく今は仕事がなくてお金がないんだから! あたしのときの報酬だった二百万は三か月で底をついちゃったし、せっかく取ってきた仕事でもらった報酬も半分はドーナツで消えてくのよ! だから、ドーナツ厳禁令を出したのに!」
何度目の説教だか、もう分からない。
仕事はもう十日ほどしていない。毎日のようにチラシを配ったりして宣伝活動に勤しんでいるのだが、全く効果がない。電話さえ来ない。こんなのは何か月かぶりだったが、やはりはるねちゃんの依頼でもらった報酬に甘えすぎた。
そういうわけで、一週間前にドーナツ厳禁令が出されて、僕は一日にドーナツを三つ以上買ってはいけないことになった。余計な出費を減らそう、ということらしい。一応、僕が所長で彼女の師匠なのだが、なぜか財布は弟子で平(ひら)所員のはるねちゃんに、完全に握られている。ドーナツ代くらいは許してほしい。
はるねちゃんは食べかけのドーナツと残りが入っている袋を取り上げた。
「残りはあたしが全部食べるから。厳禁令を破った罰よ」
「えー、やだ」
「やだじゃない! 法律を破ったら、罪を償わなきゃいけないでしょ。それと同じよ」
はるねちゃんは嫌らしくドーナツをかじった。どうやら僕は性格の悪い弟子を持ってしまったようだ。
さて、口が寂しくなった僕は紅茶に口を付けた。寒くなってきたから、温かい紅茶だ。スティック砂糖とミルクを入れていて、好みの味になっている。香り高いし、甘くて美味しい。
「もう、なんで創真はお金の使い方が下手なの? 高校生のときとかお小遣いもらってたりしなかったの?」
まだ言っている。というか、超巨大財閥のお嬢様にそんなことを言われたくない。僕より絶対派手な使い方をしているはずだ。
「よくホームレスにならなかったわよね」
「高校生のときは、ずっと幼馴染に買い物とか付き合ってもらってたんだ」
「夏治さんのこと?」
夏治とは、石清水夏治という刑事のことだ。桜が丘署刑事課勤務の警察官にして僕の幼馴染だ。
「彼じゃないよ。夏治よりずっと昔から付き合いがあるんだ」
「ふうん。どんな人?」
「まあ、十年くらい連絡もしてないから、今はどうなってるか分からないけど、昔はわがままな子で、加えておてんば娘だったから、いろいろ振り回されたかな」
「女の人なんだ」
「高校生のときは一緒に出かけたりしたよ。僕の地元、田舎だったから電車乗ってお出かけしたり、高校二年の夏は旅行とか行ったかな」
「もしかして、恋人だったの?」
「まあ、初恋の相手、みたいな……?」
思い出したら、何だか恥ずかしくなってきた。ここで話を遮るように紅茶を飲み干した。
「昔話はここまで。今日も元気にチラシ配りに行こうか」
僕は空のマグカップとデスクに積まれたチラシを持って立ち上がった。今日も依頼が来なかったら、そろそろ経営破綻(はたん)の危機に陥ってしまう。今日は本腰入れて、頑張ることにしよう。
はるねちゃんにもチラシを半分渡して、ようやく今日の仕事に出かけた。
と、扉を開けたそのとき。「いてっ!」と女性の声がした。僕は反射的に「すみません」と謝りながら、声の主を目視した。
「九条創真って探偵がいるの、ここですか?」
声の主であろう女性は、頭を撫でながら聞いてきた。僕は「僕が九条ですけど」と返すと、女性は顔を上げた。そして僕は初めて彼女の顔を見た。
「……紫織?」
僕は彼女の顔を見て、呟いた。
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