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24 勇者の暴走

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「ギルヴェクス様! 私なら大丈夫ですから――」
「……うわああああああああ!」

 勇者の絶叫が耳をつんざいた。ギルヴェクスの体から凄まじい量の魔力が放出される。

「きゃあああっ! ――うぶっ!」

 魔法の光が炸裂した次の瞬間、男たちと共にルエリアも吹き飛ばされていた。宙に浮いた感覚を覚えたのは一瞬で、背中に衝撃が走り強制的に息を吐かせられる。暴発した魔法に吹き飛ばされて木の幹に激突したのだった。
 ずるずると地面にずり落ちる中、ほとんど吐息と化した声でつぶやく。

「ギル、ヴェクス様、を、お守り、しなくちゃ……」

 遠くに光の柱が見える。空を貫きそうなほどの長大な円筒の中心で、勇者が天を見上げて咆哮を上げている。
 ルエリアはその姿に手を伸ばしかけたところで、意識を失った。




 ぽつり。
 と、頬に水滴が垂れ落ちてきた感触でルエリアは目を覚ました。

(雨、降ってるの……?)

 やけに重たい目蓋をのろのろと持ち上げる。するとギルヴェクスが涙にまみれた顔で見下ろしてきていた。歯を食いしばり、時折肩を跳ねさせている。泣きじゃくっているようだ。
 襟足から髪に差し込まれた手が後頭部を支えてくれている。腹の上で、そっと手を握ってくれている。どちらからも小刻みに震える感触が伝わってくる。

「うう……」

 途端に体じゅうに痛みがよみがえる。どこもかしこも魔族との戦いですら味わったことのない激痛が走り、『痛い、痛い』と声に出してのたうち回らなければ耐えられそうにないほどに痛かった。
 その言葉を頭の中だけでひっきりなしに繰り返しつつ、目だけを動かして辺りを見る。
 あちらこちらに男たちが転がっていた。中には太い木の枝に引っ掛かっている者までいた。体を二つ折りにした状態で、頭と手足を垂れ下がらせている。誰ひとりとしてうめき声すら発していない。彼らもまた、勇者の凄まじい威力の魔法で吹き飛ばされて気絶してしまったのだろう。
 視線を正面に戻す。ギルヴェクスは顔を真っ赤にして、鼻水まで垂れさせて涙を流していた。少年のように感情をあらわにする様子に、慰めたい気持ちが湧いてくる。うまく動かせない口の端を無理やり持ち上げて、笑みを浮かべようとした。

「ギルヴェクス、様……、お怪我、は……」
「僕はなんともない! 僕は君を、こんなひどい目に――」

 ギルヴェクスが首を振る動きで涙を散らしながら、悲痛な声で何かを叫んでいる。視界が霞んでいき、声が遠ざかっていく。

(私は大丈夫だから、泣かないで、ギルヴェクス様……)

 そう心の中で語り掛けつつ、ルエリアは再び意識を失った。




 ルエリアが目を開くと、そこは室内だった。

「……あれ、私……」

(寝てた……? いつの間に。ええと、なにしてたんだっけ……)

 外にいたはずなのになぜかベッドに横たわっている。そこまで知覚したところで、今いる場所が自室であることを把握する。
 意識がはっきりしてくるにつれ、ギルヴェクスやゼルウィド、ヘレディガー、ヘレナロニカと、大勢に見守られていることに気付いた。
 手元に視線を落とす。すると両手に包帯が巻かれていた。全身の感覚が戻ってきた途端、痛みもよみがえった。

「っ……!」

 思わず顔をしかめる。途端に自分がどれだけ手ひどい暴行を受けたをまざまざと思い出した。そのときに抑え込んでいた恐怖もよみがえり、体の芯が凍りつく。
 痛みの走る両腕を持ち上げ続けているのがつらくなってきて、ぽすっと掛布団の上に落とした直後、白衣を着たゼルウィドがベッドのそばまで歩いてきて顔を覗き込んできた。

「ギルヴェクス様の膨大な魔力を浴びたため、治癒魔法が掛からなかったのです。なので私が処置しました」
「ありがとうございま……いててて」

 仰向けの姿勢で会釈する風な動きをしようとしただけで、全身に激痛が走る。

「まだ動いてはいけません」
「……」

 小さくうなずくだけで返事する。医師に外傷を診てもらった申し訳なさにルエリアが委縮していると、ゼルウィドが説明を続けた。

「事後報告で申し訳ないですが、怪我の治療の際、医療薬を使わせていただきました」
「特にこだわりはないので大丈夫です。ありがとうございます」

 魔力なしが魔法薬を毛嫌いする一方で、魔力持ちの中にも『医療薬には頼りたくない』と治癒魔法を妄信する人がいる。この世にはいろいろな考えを持つ人がいるものの、ルエリアはそこら辺については特にこだわりはなかった。

「みなさんにも、ご心配をおかけしました」

 頬に大きなガーゼを張り付けられているせいで、うまく表情が作れなかった。痛みの走る顔をそれでも無理やり微笑ませると、ゼルウィドがわずかに口元を微笑ませた。しかし目は切なげに細められている。ルエリアは、医師とはいえまだ幼い少年にそんな顔をさせてしまって申し訳ないなと思った。
 その後方に立っているヘレナロニカが、眉をひそめた沈鬱な面持ちで話し出す。

「すまない、ルエリア。ユージン侯爵には逃亡されてしまった。ヴァジシーリ帝国に逃げ込むつもりらしい。かの国に入られてしまってはマヴァロンド王国からは手出しは叶わぬ。マヴァロンド国民は帝国への入国を禁じられているはずなのに、どこかで密かにつながりを築いていたようだ」

 ヴァジシーリ帝国は大河沿いのごく一部の地域以外は不毛な砂漠地帯に広がる国であり、豊かな農地を持つマヴァロンド王国は昔から土地を狙われていて敵対関係にあった。魔王の降臨により各国が協力し合わなければならなくなったせいで侵略の目論見についてはうやむやになっていたが、魔王が現れなければ戦争が起きていただろう――ルエリアは、かつて師匠からそんな話を聞いたことがあった。

「……ルエリア」

 話が一段落したところで、今にも消え入りそうな声で呼びかけられた。
 視線だけをそちらに返す。すると、ゼルウィドの隣で椅子に腰掛けているギルヴェクスが、濃い空色の目を曇らせていた。

「本当に、すまなかった……。魔力を制御できず、君まで傷付けてしまった」
「大丈夫です。私、結構丈夫なんですよ」
「僕は勇者なのに、いつまでも落ち込み続けていて……。そのせいで、ひ弱になって、君ひとりすら守れなかったなんて、勇者失格だ」
「そうご自分を責めないでください。勇者だからって落ち込んじゃいけないなんて、そんなことは決してないんですよ」

 陰りを見せるギルヴェクスの瞳を、ルエリアは一心に見つめた。

「……自分の心の痛みと向き合うのは、本当に勇気がいることだと思います。だから、立ち直るために今すぐにでも向き合わなきゃダメ、なんてことはないんです。例えば、ふと『今日は自分と向き合えるような気がする』って思えたときに、ちらっと自分の心を覗き込んでみるとか、ほんの少しだけでも自分の心の声に耳を傾けてみるとか……。向き合ったり向き合わなかったりを繰り返して、少しずつ自分の心に入ったひびをなぞっていって、そうしていつしか昨日よりかは一歩前に踏み出せている自分に気付くんだと思います」

 それは、一日二日で終わることではない。ルエリアは、自分もまた何年も掛けて心が癒されていって、いつの間にか誰かを励ませるほどには喪失感から立ち直れたんだなと自覚した。

 ギルヴェクスが、ひとつ大きく息を吐き出した。
 ルエリアを見据える目に、かすかな光が宿る。

「……分かった。僕は、僕の心と……向き合ってみようと思う。君の治療法を、お願いできるだろうか」
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