月下美人  頑張った母ちゃんの闘病記

酒原美波

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第一章 ただ一度会いたくて

月下美人

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1.月下美人
 元気だった頃の母には、憧れの花があった。月下美人である。だが当時は近所に花屋もホームセンターもなく、市街地へ出ても、取り扱っている花屋は見つからなかった。だが偶然、苗を見つけた。

 父は花も好きだが酒も大好き。その2つを満たせる場所が、再開発によって隣の市に誕生した。父がもっとも好んだ幻の地酒は生産数が少なく、酒造のある周辺の市にのみ卸されたが、私たちが暮らす市は対象外だった。馴染みの酒屋に仕入れをお願いしても、酒造から断られたという。それ故、隣の市までわざわざ遠征して、隣の市の小さな酒屋でこれまでは購入していた。だが初めて訪れた隣の市の出来て間もないショッピングモールの酒屋で、その酒を見つけた父は狂喜乱舞した。
 ショピングモール近くには、大きな花屋があって、珍しい花や木が充実していた。父は花が好きだが育てるのは嫌いなため、育てるのは私の役目だった。母も花を買ってきては世話を私に丸投げ、兄に至っては果木を買ってきて押し付けた。いくら私が花好きでも、みんな、押し付け過ぎだ。
 気まぐれで始めた家庭菜園でトマトとキュウリとナスとシシトウの苗を植え付けて育て、店頭ではあまり見かけない品種のジャガイモの種芋は、プランターで育ててみた。初めてにしては、よい収穫だった。
 それを見た兄は「今度は西瓜がいい」と言い出し、母は「ジャガイモが美味しかったから、また同じものを作って」と言う。猫の額ほどの畑で、そんなに色々できるはずがないが、この市外の大きな花屋は春になると、珍しい野菜苗も充実する。私は安定の品種を世話できる程度に選んだが、一緒に来た家族は次々と珍しい野菜苗をカートに入れていく。結局、畑だけでは間に合わないため、大型プランターを追加購入する羽目になった。
 花屋に行ってからショピングモールのフードコートでうどんを食べて、食料品と酒の買い物が、退職してから病になるまでの、父のルーティンだった。
 買い物には母も同行した。「もっとゆっくり見て回りたい。うどんばかりでなく、レストラン街で食事したい」と母は愚痴をこぼしていたが、車を運転する父に置いていかれると、バスと電車をそれぞれ2回ずつ乗り継がないと帰れないため、仕方なくうどんを食べた後、母は食料品売場のみに集中した。

 あるとき、市外の大きな花屋に月下美人の苗が入荷され、母は迷わす購入した。だが蕾のついていない苗の購入は、初心者にはハードルが高かった。母に苗を押し付けられた私は、本を片手に試行錯誤の末、2年目にしてようやく蕾が開花に至るまで成長した。それまでは小さな蕾がついても落下するの繰り返しだった。
 だが運悪く、初開花直前、私は友人達と旅行へ行く予定が入っていた。帰宅まで咲かないでとお願いして出かけたが、出かけたその夜に「開花した」との連絡が携帯電話にきて、私は膝から崩れ落ちた。懸命に本やテレビ特集を参考にして育てた私が最初の開花を見れず、家族が興奮しながら写真をバチバチ撮り、その写真を帰宅後に虚しい気持ちで見た私の心情を想像できるだろうか?
 開花間近の蕾は3つ付いていて、2つが旅行初日、残り1つが翌日の夕方から開花を始めたという。「凄く幻想的で、香りもよくて、もう夢見心地だったわよ」と、帰宅後の私に自慢気に話す母。
 私は月下美人の鉢に、文句を言った。「何で育てた私が花を見れないわけ?ふざけんじゃないわよ!」
 すると月下美人は翌月にも花をつけた。手のひらより大きな花で、妖艶な香りはアーモンドがかすかに混じったような匂いだった。一夜限りの花だが、肥料食いな価値は充分にあった。

2.母の生い立ち
 若い頃の母は、とにかく好戦的と言うか、特に子供に対しては、口よりも手が出る方が早かった。生意気だった子供時代の私は何度、母の平手を食らっただろうか。
 いまにして思えば、母の心情もわからなくもない。母は通常より早く更年期を迎えて、発汗だけでなく、苛立ちを制御できなかったのだ。
 母は私を出産した数年後、卵巣膿腫にかかって卵巣摘出手術を受けた。さらにその数年後、婦人科系の病気で、もう一度手術を受けた。その時まだ子供だった私は、何の手術だったか知らされず、いまも後の手術の内容は知らない。
 ただこれだけは言える。私は小学校の授業で初めて生理のことを知った。女性にそんなものがあるのはショックだったし、女子トイレの小さなゴミ箱の意味がようやく分かった。我が家のトイレに、物心ついた頃から、そんなものはなかったのだ。

 母が勝ち気な完璧主義者の鎧を被ったのも、母の生い立ちに起因する。母の父、つまり祖父は私の記憶の中では陽気なお祖父ちゃんだった。
 しかし軍人だった祖父は、戦後、立場を失って自暴自棄となり、博打に走ったらしい。らしいという疑問形のは、母があまり過去を語りたからず、母がときおり漏らした断片的な記憶をかき集めたものだからだ。
 祖母は良家の出身だったらしく、着物や指輪も良いものを持っていたと言うが、4人の子供を育てるために、戦後、ほとんどを食料と交換したという。母の宝物だった御殿飾りの雛人形も二束三文で食べ物に変わり、とても悔しかったとか。
 僅かに残しておいた指輪も、祖父が換金してしまったと母は悔しがっていたが、それが祖父の博打の金に化けたのか、母の姉の治療費に化けたのか、あるいは祖母の胃がん治療費になったのかまでは、母すらも分からなかったようだ。
 母の姉は生まれながらにして体が弱く、祖父は長女の写真を撮りたがらなかったらしい。母が形見に持っていたのは、祖母に抱かれた幼い母の姉の写真1枚のみ。母の姉は、17歳の若さで世を去った。
 そして母と2人の弟の心の支えだった祖母も、胃がんを患い、母が高校生だか中学3年生だったかの頃に亡くなった。戸籍を見て計算すれば、母が何歳のときに亡くなったか分かるだろう。
 4歳年下の長男弟、8歳年下の次男末っ子。母は学生ながらに、弟を守らねばならない立場となった。長男弟は物静かだがしっかり者。末っ子弟は陽気で人付き合いがうまく、お菓子屋で割れたせんべいを格安で譲ってもらってきては、3人姉弟で食べたという。どこからか、何かを調達してくるのが末っ子はうまかったと、母は言っていた。

 戦中の話はごくたまに、母から聞かされた。疎開先の仙台で、庭で煮炊きをしていたところ、戦闘機にミサイルで母と祖母は狙われたという。ミサイルを向ける操縦席の敵兵まで見えて、その時は「もう駄目だ」と母と祖母は覚悟したらしい。だが身を寄せ合う若い祖母と子供だった母に哀れみを感じたのか、戦闘機はそのまま去っていったとか。
 また、疎開先で貴重な砂糖壺を見つけて姉弟で食べ尽くした時には、曾祖母に凄まじい勢いで怒られたのを、祖母が身を挺して庇ったという。母は「母(祖母)だって甘いものには飢えていただろうに」と、たまに寂しげに呟いていた。
 祖母はとにかく子供に好かれるタイプだったようで、母の幼馴染も、実母より慕っていたとよく言っていた。些細なことで母と幼馴染は疎遠となり、住所が分からず、母の死を報せることさえ叶わなかった。陽気で楽しい小母さんだったので、縁が切れたのは残念だった。
 祖母は幼稚園の先生をしていたと聞いたことがあるが、それが婚前か、それとも結婚後かは不明だ。あるいは勤めていたこと自体が、本当はなかったのではないかとも思っている。たまたま遺品整理のときに見つけた祖母の女学校名簿には、他の生徒は進路先あるいは死亡が記載されていたが、祖母の箇所は空白だったからだ。
 だがキリスト教系の幼稚園で働いていたのだと母は言って、家事をしながら「荒野の果てに~」と賛美歌をよく口ずさんでいた。祖母が好きで、よく歌っていたらしい。
 祖母の女学校卒業証書は、母が亡くなった半年後に世を去った、長男叔父の棺に納めた。それぐらいしか、祖母の遺品はなかった。
 ちなみに母の棺には、祖母の生け花師範の証明焼印入り木製板と(まな板の縦半分程度の大きさ)、唯一の母の姉の写真、そして母が写真立てに入れて毎朝欠かさず拝んでいた色褪せた祖母の写真を入れた。遺しておいた父の名前入り会社作業着と共に。

3.若かりし母
 母は負けず嫌いだった。そして将来を子供である私に託そうとした。だが残念ながら、私は人に指図されるのを嫌うタイプで、納得しないことにはともかく反抗的だった。小学校の通知表にずっと書かれていたのは、「もっと協調性を持ちましょう」だった。
 母が私を秀でた人間したかったのは、私の父方と母方共、従兄弟や従姉妹がなまじ優秀だっただけに、悔しかったのだろう。そして母にはコンプレックスがあった。
 優しく穏やかだった私の兄は、今で言うところの軽い発達障害があった。普通の学校に通いがてら、週に一度の放課後、街なかの特別支援教室へ通っていた。6歳違いの私は、たまに連れて行かれる校舎の中に、砂場や遊具があったのが印象的だった。
 兄の分まで巻き返す、これが母の抱いた野望だった。
 保育園に通いがてら、週に一度の火曜日の午後、皆が体育で楽しく遊んでいるときに母が迎えに来て、オルガン教室に嫌がる私を引っ張っていった。母は保育園のときはオルガンを、小学校に入学したらピアノを習わせたかったようだ。自分が若い頃、音楽を習いたかったが、経済的余裕がなかったからだと言っていた。ならば私に無駄な月謝を使わず、自分で習えば良かったものを。
 人並み以上に自己主張が激しかった私は、不貞腐れながら教室でオルガンを弾き、家のオルガンにもほとんど手を付けなかった。結局、音を上げたのは母で、私はオルガン教室卒業と同時に、ピアノ科へ進級することもなかった。
 それでも懲りない母は、私に英語教室、そろばん教室、習字教室に通わせたが、習字以外は全て続かなかった。習字が続いていたのは、仲の良い友達が一緒に通っていて、ノルマをこなせば近くの林で教室仲間と思いっきり遊べたからである。
 母は私を私立中学へ通わせたかったと言っていたが、成績的にも性格的にも無理だった。そもそも親なら、子供の性格と頭の出来に、早くから気づいてもよいと思うのだが。

 私は幼い頃からアレルギー性鼻炎を患っており、月に1度か2度通院していた。成長とともに鼻炎症状は治まって通院の必要はなくなったが、耳鼻科は昔も今も診察までの待ち時間が長い。今にして思うと、私の鼻の不調は、当時は知られていなかった花粉症だったのではと思えなくもない。
 学校が終わってからの通院だったので、終わる頃にはとっぷり日も暮れていた。田舎の家へ帰るバスを待つ間、母はバス停前の宝石店のショーウィンドーのエメラルドの指輪を眺めるのが好きだった。そしてよく言っていた。
「母(祖母)は変わったデザインの宝石の指輪を持っていて、同じタイプの指輪を見たことがない。あれば、どんなに無理をしても手に入れたい。戦後の食料交換のときでさえ、それだけは母(祖母)は手放さなかった。私にもう少し知恵があれば、あの指輪を隠して、父(祖父)に売り飛ばされないようにすることも出来たのに」
 祖母の形見の指輪への執着、いまなら私も理解できる。母が持っていた数少ないアクセサリーを、断腸の思いで、生活費を工面するために売った。たったひとつ残した、父から母への婚約指輪のシトリントパーズの指輪は、さんざん迷った末、母の遺体の指にはめて荼毘にふした。
 母がコツコツお金をためて購入したアメジストの指輪。いま、私はあの指輪を売ったことを後悔している。当時は仕方なかったが、それでも時々、頭をよぎる。母があの指輪を、浮腫んではめられなくなるまで、外出時には身につけていた。紫は好みでないといいつつ、アメジストを選んだのは、父の誕生石だったからだった。
 そして母の婚約指輪のシトリントパーズは、母の誕生石だった。
 
3.母への思い
 正直、母を語るのは時期尚早だと思う。思い出の記録さえ開くのは苦痛だ。
 だがお盆を過ぎてから、母の事を書き記したいと言う気持ちが高まった。母がそれを望んでいるのだろうか。
 私を忘れないでではなく、私を乗り越えて先へ進みなさいと、母の叱咤のような気がする。

 やっと先日、母との思い出の店で、蕎麦を食べるのを克服したばかりなのに、まったくウチの母は亡くなってからも容赦がない。
 昨年、母が旅立った後、買い物や通院帰りによく立ち寄っていた店に何気なく入って、いつも母と一緒に食べた天ざる蕎麦を頼んだ。しかし口にした瞬間、ブワッと涙が溢れ出し、蕎麦の味なんてこれっぽっちもしなかった。ただ涙の塩辛さと、胸をえぐる思い出を何とか抑え込みながら完食すると、すぐに会計をして足早に立ち去った。
 大晦日の年越し蕎麦は、友人と店で蕎麦焼酎を飲みながら、オタク話に花を咲かせた。程よく酒が回り、温かい鴨南蛮蕎麦は美味しかった。この店もまた、母と年に一度、参拝帰りに立ち寄った店だった。だが友人と一緒だったお陰で、涙の味はしなかった。そうでなければ、思い出の店で、年越し蕎麦なんて食べる気力さえなかっただろう。
 この蕎麦屋は、関東三大不動のお寺の参道にある。毎年母と参拝するようになったきっかけは、母が知人の四十九日の際に貰ったローズクォーツのブレスレットだった。パワーストーンが好きな私に、ということだったので、早速つけてみた。だがその夜からずっと、若い女性の悪夢に、私はうなされた。
 母の知人、正確には知人の息子のお嫁さんが事故死して、その四十九日の納骨の後に貰ったのだが、ビニールに包まれた未使用だったものの、そのお嫁さんのために購入した品だったのではないかと推測した。それで有名な不動尊に相談し、ブレスレットをお焚き上げしてもらったのだ。その日からピタリと悪夢は止んだ。
 それ以来、毎年、正月松の内の間に参拝し、母が病気になってからは、護摩焚きの御札も授与していただくようになった。母はこちらで購入したカーネリアンの数珠ブレスレットを、出かけるときは必ずつけていた。ゴムが伸びて2代目のブレスレットを授与していただき、認知症が酷くなって補聴器を無くしたりしても、この数珠ブレスレットだけは必ず忘れず身につけていた。母の死後、さすがに母のお棺に石のブレスレットは入れられなかったので、感謝と共にお寺に返納した。
 我が家の宗派は浄土真宗、不動尊は真言宗だった。この国の自由な宗教観には、心から感謝申し上げたい。
 私はあの一件以来、ブレスレット恐怖症になっていた。だが母が亡くなってから神社参拝が可能となる五十日を過ぎた後、母の鞄につけていた病平癒のお守りの返納の際、ある有名神社の御守り授与所でたまたま見つけた水晶ブレスレットをつけて始めて以来、ブレスレット恐怖症は消えた。むしろ今では、玩具の延長のような指輪や首飾りより、安く購入した好きな石のブレスレットをその日の気分で付け替えている。

 表題にした月下美人は、両親の希望で挿し木にして、一時は7鉢まで増やした。月下美人は1メートル以上にならないと開花しないため(本職なら小さくても開花出来る)、冬場は凍りつかないよう、室内に入れねばならない。冬場でなくとも、開花直前に戸外から玄関の中に運び込む。開花の時期は大抵が満月の前後。
 育成マニュアル本には、明るい日陰で肥料をたっぷり与えて切らさないと書かれていて実行していたが、別の本を立ち読みしたとき、暑さに徐々に慣らせば直射日光に当てて育てほうが開花株になると記載されていて、その方法に切り替えた。その結果、月下美人の鉢は秋になると数回、たくさんの蕾が夜になると花開いた。その芳しい匂いは家中を満たし、沢山ありすぎると少々匂いがキツかったが、家族は幻想的な花の祭典をいつも楽しみにしていた。
 父が亡くなってから、徐々に月下美人をはじめとする花木の鉢を減らし始めた。この家に暮らせるのは私が独りになるまでと、察していたからだ。月下美人は、一鉢だけ残していた。
 そして物心ついたときから育った自宅を去る前に、知人にその月下美人を託した。引っ越し先の賃貸ワンルームのベランダでは、育てるスペースがなかったからだ。
 月下美人の花言葉には、「妖艶な美人」、「儚さ」がある。だがもう一つ、印象的な花言葉がある。「ただ一度会いたくて」。
 もう一度、家族に再会できるなら、沢山のお礼と謝罪をしたい。もう一度、家族になりたい。家族と、3匹の愛犬を含めて。
 タイトルの花の写真は、母の生前、最後に咲いた1輪。最後に残した鉢は、かなり小さく仕立てていたが、それでも母のために芳しい香りを放ってくれた。母はその花を眺めて喜んでいた。亡くなる前年晩秋のことである。
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