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第1章

第05話 その王子、笑顔の裏には毒がある

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「ガーネットお嬢様、どうか今日だけは一族の体裁を考えて、婚約解消のお話はなさらないで下さいな。それにしても。度重なる『不幸の手紙攻撃』に気づいていらして、敢えて高飛車な態度をとっていらしたんですね。私達、使用人に心配かけないように」
「えっ? ううん、クルル達が不幸の手紙を人知れず闇に葬ってくれていたおかげで、さっきの話を聞くまで全然気づかなかったわ。お父様達のところに、先祖霊から婚約取りやめのメッセージが届いているのだって初耳よ!」

 クルルは、ガーネットが本当は心優しく純粋でこれまでの高飛車な態度も、嫌がらせ行為に対抗するための演技だと思い始めたようだ。正直言って、ブランローズ家ほどの大富豪なら、権力と引き換えに様々なトラブルもあるだろうし、それほど気にしたことすら無かった。
「本当に優しいお方なのですね、お嬢様は。けど、もう心を病む必要はありません。今日、お見舞いにいらっしゃるヒストリア王子は大変ガーネット様を心配されているとか。結婚を急ぎ、いっそのこと次の十七歳の誕生日パーティーを婚約指輪プレゼントの場にする気のようです。あと少しの辛抱ですよ」

 だが、昨日の悪魔憑き事件でガーネットがおかしくなったせいで、本当は気に病んでいたという設定が加えられてしまう。
 しかも、ヒストリア王子に至っては、よりによって断罪予定日に婚約指輪をプレゼントしてくれる気らしい。

(あれっ? 悪役令嬢がもらう予定だった婚約指輪を乙女ゲームのプレイヤーが奪うルートがあったような。一体、どのルートだっけ)

「おはようございます。お身体がご無事で何より。込み入った話になっているようですが、無理は禁物ですよ。ガーネットお嬢様」
「め、メイド長! おはようございます」

 すると、廊下付近で話し込んでいたのがよく無かったのか、一連の流れをメイド長が立ち聞きしていたようだ。ガーネットが幼少の頃から、お嬢様教育を施してきたメイド長。ですわ口調や過剰なまでのティータイム狂い設定も、第三王子と婚約を取り付けるためにメイド長が仕込んだものである。

 だが、そのメイド長が珍しくうっすらと目に涙を浮かべて、私とクルルの間に入り、話をまとめ始める。

「ふふっ。お嬢様ったら、そうやっていつも周りに気を遣われて。お嬢様はこれまで好きで高飛車を行なっていた……脅迫にも気づいていなかった。そういうことにしたいなら私達メイドも話しを合わせます」
「えっ? 話を合わせる……ですか」
「でも、不安な気持ちをもう隠さないで下さい。あなたは、なんだかんだ言ってこの屋敷の人達に愛されているのですから。剣士の見習いになりたいというお話は、明日ご主人様達が海外からお帰りになられてから決めましょう。さぁ朝食を食べたら、ヒストリア王子がいらっしゃる前に、ヘアメイクですよ」

 何かを悟りきったような達観した表情で、勝手に話を進めるメイド長。ちょっとの誤解が大きな勘違いを生み、もはや、メイド長達の中ではこれまでのガーネットの傍若無人ぶりはすべて演技という設定で片付けられそうだ。
 しかも、最後までその『演技』に付き合うつもりらしい。メイド長達は、乙女ゲームの断罪シナリオのことなんか知らないんだろうし。きっと、ヒストリア王子との結婚が上手くいくと確信しているのだろう。


 * * *


 結局、せっかく思いついた剣士見習いの修行をする話は、一旦中断されてヒストリア王子のお見舞い訪問を待つことになった。

 一応、昨日倒れたばかりの病人設定だが、公爵令嬢の身だしなみとして自宅用の清楚なワンピースと薄化粧を施された。病人感をアップさせるために、自慢の赤い髪はサイドで束ねて品の良い水色のリボンで飾る。

 療養っぽさをアピールするために、自室のベッドで聖なる教本を読みながら、王子の来訪を待つ。

 よく考えてみたら、公爵令嬢ガーネットとしてはヒストリア王子に年に数回お会いしているが、彼の記憶はうっすらとしたものばかり。転生前の記憶を取り戻し『中身が早乙女紗奈子になったガーネット』としてはリアルに会うのは初めてだ。

(一体、本物のヒストリア王子はどういう人なんだろう? 乙女ゲームの世界では、攻略対象の中心人物で人気キャラであることには変わりないけど)

 乙女ゲームプレイヤーとしては、憧れの攻略対象の1人にリアルで会えるなんて夢のような話のはずだ。けれど、自分のポジションは婚約破棄される悪役令嬢。ゲームの主人公で、イケメン達に愛されるプレイヤーの立場ではない。

(そういえば、ヒストリア王子ってゲームの主人公とは進展しているのかな? 私がガーネットとして転生しているのだから、乙女ゲームの主人公だってどこかに存在しているよね)

 考えれば考えるほど、断罪の不安は尽きない。運命を変えたかったのに、刻一刻とその日は迫って来る。誕生日の日に婚約指輪を貰ったとしても、ゲームのシナリオ通りなら。おそらくプレイヤーに婚約指輪ごと奪われるのだろう。

 パラパラと捲る聖なる教本の内容は、まるっきり頭に入ってこない。ガーネットに必要なのは聖なる教本ではなく、乙女ゲームの攻略コンプリート本か何かだろう。ゲームのシナリオを先取りして、不幸の回避を目指すのに役立つはずだ。

(ヒストリア王子、彼のプロフィールを思い出さなきゃ)

 早乙女紗奈子時代の記憶を辿り、ヒストリア王子の情報を必死になって思い出す。だが、記憶の肝心な部分には鍵がかかっているのか、すべての情報にはアクセス出来ないのであった。辛うじて、思い出せた彼の情報は以下の通り。

 ヒストリア・ゼルドガイア――魔法国家ゼルドガイアの第三王子にして、黄金の賢者と謳われる天才。年齢は、ゲームの時間軸では十九歳。平日は学生として勉学に勤しんでおり、魔法大学に所属している。金髪碧眼の誰もが振り向く美青年で、柔らかな微笑みは天使のようだと評判。

(あれっ? わりと一般的な王子様の情報だったな。もうちょっと何か、特徴があった気がするんだけど)

 コンコンコンッ! 扉を叩く軽快な音が聞こえる。

「ガーネット、ベッドで休んでいるのかい? 君が倒れたと聞いてとても心配したよ。入っていいかい」

 甘く優しげなテノールの声が、扉の向こうから響いてきた。声だけでも扉越しでこの美しさなら、側で聞く彼の声は一体どのようなものなんだろう? どうせ、婚約破棄になるのにその甘い声を聞いた時から、彼に心がときめいてしまう。

「は、はいっ。どうぞ、お入りください」

 扉を開けて現れたヒストリア王子は、成人した天使が地上に舞い降りたような神々しいオーラを周囲から放っており、身長はスラリと高くバランスが取れていて想像以上のカッコよさだった。柔らかな微笑みは、見つめられたら思わず何でも言うことを聞きたくなるくらいの破壊力。

 前世では、推しでも何でもなかったはずなのに。実物に会ってみると、印象はガラリと変わるものだ。彼が手にした豪奢な花束はお見舞い用と言うよりも、プロポーズ用のものに見えなくもない。

「この花束を君に、早く良くなってほしくて。キス……してもいいかな? もちろん、手の甲に……ねっ」
「えっ……あっはいっ。も、もちろんですっ」

 さらに、私のオトメゴコロにトドメを刺すように、そっと手の甲に優しくキスをして来た。甘い言葉を紡ぐ端正な唇が、手の甲に名残惜しいくらい吸い付く。

(ナニ、この王子ッ? メチャクチャイケメンじゃんっ。マズイよ、このままじゃ完全にハートが堕とされちゃう!)

「ふふっ。療養中みたいだけど、思ったほど顔色も悪くないし。ちょっとだけ、お話ししよう? いいよね」

 そっと顔を引き寄せて耳元で囁くヒストリア王子を断れるはずもなく、照れながら無言で頷くことしか出来ない。

 以下は、紗奈子が思い出せずにいる情報の続きである。

 裏情報――ヒストリア王子は、オレ様腹黒王子とも呼ばれており、表の顔は天使のようですが、裏の顔は悪魔をも従えると言われている闇の賢者です。プライドと自己顕示欲の強い彼のご機嫌を損ねないように、丁重に扱いましょう。


 私は前世の知識を取り戻し始めたにも関わらず、その場の雰囲気にのまれてしまい、ヒストリア王子攻略時の注意事項を失念していた。
 だから、私を引き寄せる彼の口角が一瞬だけ、支配欲に満ちながら上がるのに気づかなかった。


 ――……その王子、笑顔の裏には毒がある。
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