転生公爵令嬢改め、乙女剣士参ります!

星井ゆの花(星里有乃)

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第2章

第05話 彼とは違う清らかな香り

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 香久夜御殿での話し合いが終わった翌日、私とヒストリア王子は守護天使様2人とともに東方の中心地である『東の都』を目指して出立することになった。

「本来なら東の都への移動手段は、3つのルートから選ぶことが可能だったんだけど……」
 ヒストリア王子が、資料を片手に難しそうな顔でルートを検討する。

 1つ目は、最も近道となる飛空挺による上空の移動ルートだが、数年に一度のペースで起こるドラゴン達の渡りの時期と被ってしまい使用することが出来ない。
 2つ目は、この大陸の中央にある巨大湖を避け迂回して、東方に入国するルート。標高の高い山を越えるこのルートは、レジャーを楽しみたい冒険者にとっては楽しいコースだがあいにく夏限定だ。冬場は、雪の精霊の影響で遭難する可能性もあり、今年に限っては飛空挺が使用出来ないため救助もすぐには用意出来ないだろう。

「残念なことに最短ルートとなる飛空艇のルートは、ドラゴン達が周遊している時期と重なってしばらくは使えない。冬場に雪の精霊が漂う危険な登山は問題外……と、なると……。もう一つの近道で大陸の中心にある巨大湖を船で渡り、東方へと入国するしかないけど」
 湖とは名ばかりで、かなり大きな面積を誇っており、下手すれば数日は船の中で生活することになるだろう。加えてモンスターの出没も確認されているが、それでも危険な冬の山脈を迂回するルートよりは安全だ。

「巨大湖って、外洋につながっていないだけで殆ど海のようなサイズのあの湖? 確か、ハイランクモンスターが出没するから、そっちも避けて大陸から遠回りする人が多いらしいけど仕方がないか」
「上空でドラゴンに攻められたら、流石に僕達でも手こずるだろうけど。魔法力で守られた船に乗り、【乙女剣士のチカラ】を駆使して戦えば、万が一モンスターに出くわしても大丈夫だよ。というか、迂回ルートは冬山を越えなきゃいけないから、今の時期はもっと大変だろうしね」

 乙女剣士のチカラを発動するには、パートナーとして仮契約を行ったゼルドガイア王家の男性とキスを交わす必要がある。初回契約のみが唇同士を重ねることで、それ以降の発動条件はキスをする場所は手の甲でも頬でも構わない。アルサルが倒れた今、もう1人の仮契約者であるヒストリア王子が発動のパートナーとなる。

「うん……アルサルに塗った香油には時間制限があるし、彼が礼拝堂で仮死状態で眠っていられる時間は3ヶ月のみ。迂回ルートは無理よね。分かったわ……!」
「急ぎの旅になるから、ちょっと普段は通らない裏通りを使うことになるけど。大丈夫?」
 ヒストリア王子は、私のことをまだ世間知らずのお嬢様だと思っているのか。治安がそれほど良くない地域を通過することを、躊躇しているように見えた。

「ええ。これでも剣士の修行をしているのよ! 多少、道のりがいつもと違くても平気」
「うん……何かあったら、僕が守るよ」
「ありがとう……!」

 この時までは、ヒストリア王子が本当は何を不安に感じているのか理解していなかったのだ。そして、やはり私はまだまだ世間知らずのお嬢様だということも。


 * * *


「巷の話題はアルサルのことで持ちきりっぽいから、紗奈子嬢もヒストリア王子もあまり世間の声を気にしないほうがいいですよ。守護天使からの忠告です」
「世間の声か……。そういえば、今回は旅行用のバスを使うのよね。うん……いろいろ聞こえてきても気にしないようにする」

 守護天使フィードの心配は、見事に的中していた……もしかすると、天使様の能力で既に状況を察知済みだったのかも知れない。魔法国家ゼルドガイア国王の隠し子であることが半ば公になっていたアルサルが倒れたことは、国内ですぐに噂話になっていた。

 幸い、冬特有の防寒装備で帽子やマフラーなどを着用すれば、私の赤い髪やヒストリア王子の金髪碧眼のやや目立つ容姿を隠すことが出来る。ごく普通の旅行者という恰好で歩いていれば、年の若いカップルか家族旅行にしか見えないだろう。
 取り敢えずは、転移魔法で裏通りがある地域のゲートまで移動し、旅行代理店の窓口でチケット購入。身分証などを提示しなくても大丈夫な気軽なチケットだというが、その分、お客さんも様々な職業の人が乗り合わせる。

「すみません、船旅付きのバスチケット4人分。購入したいのですが……」
「あいよ! おや、もう学生は冬休みに入ったのかぁ……ご家族で旅行かな。ちょっと、この辺りは治安が良くないが、うちのバスと船で行けば安全だよ。気をつけてな、イケメンの兄ちゃん」
「あはは、ありがとうございます」

 もし私とヒストリア王子の2人だけだったら、特定されやすかったかも知れないけれど。守護天使様2人が加わることで大衆に紛れやすくなっていた。誰もヒストリア王子については触れず、ただの大学生の冬休み家族旅行とみなしているようだ。
 バスを待っている間も、行商人のおじさん達や旅行者風のマダムがアルサルの話題をしている。

『ねえ……聞いた? 国王の隠し子という話のアルサルさん。隣国で病気になって倒れたとかで……』
『その噂なら、知ってるわよ。けど、病気というのは嘘で本当は毒殺されそうになって、倒れたんじゃないかって……』
『ああ……せっかくのイケメンが、そんなことに。恐ろしいわねぇ……これは、ブランローズ公爵の娘との婚約話は噂だけで終わりそうだわ』

(また、アルサルの噂話……。この数ヶ月で随分とアルサルの存在は、認識されるようになっていたのね)

 なんせアルサルは、ゼルドガイア王家の血のみならず隣国王家の血も引いているため、ある意味ヒストリア王子よりも権力を握る可能性を持っていた。隣国には正式な王位継承者は1人もおらず、アルサルが継承するかもしくは新国家を樹立するか……の二者択一だと言われていたからだ。
 その重要なポジションを占めているアルサルが倒れたとなれば、様々な噂が飛び交うのも無理はない。

『えーブランローズ公爵の娘って、あの前世は地球とかいう余所の世界の人間だっていう? 結局、ヒストリア王子との婚約破棄の話はどうなったの。本来のガーネット嬢は、石像になって亡くなられているのよね。今いる紗奈子さんという娘の方が、正式に結婚するの?』
『実は……アルサルさんと紗奈子嬢を結婚させる運びだって噂だったけど、契りを交わすのを紗奈子嬢の方が言い訳して延期していたらしいし……。まぁ何だかんだ言って、周囲もヒストリア王子とまとめたいんだろう』
『兄弟間の派閥争いも、酷いらしいよ。ブランローズ公爵の娘も、妙な争いに巻き込まれたものだね』

 バスロータリーで聞こえてくる噂話、私にとっては思わず耳を塞いでしまいたくなるような酷いものも多かった。だが、急を要する旅は、なるべく近道を使わなくてはいけない。

「バスが来たよ……ほら、早く乗ろう」
「えっ……あ、うん」

 思わず噂話に気を取られていて、バスに乗りそびれそうになっていた私の手をヒストリア王子がキュッと握って、ようやくバスの中へ。お互い手袋越しに手を繋いでいるが、ヒストリア王子とこうして手を繋いで歩くのなんて初めてだ。

『乙女剣士の風習のためとはいえ、いきなり婚約させられて魔法陣の中で純潔を捧げるっていうのもなぁ。紗奈子嬢は覚悟が出来なくて、契るのを延期していたって噂じゃないか? かといって、ゼルドガイア王家と遠戚にあるブランローズ公爵の血族じゃなければ、【乙女剣士】になれないだろうし』
『紗奈子嬢のことは、以前パーティーでチラッと見たことはあるわよ。容姿は磨かれているだけあって、可愛らしいけど……。まだ幼いというか、子供っぽいというか。身体つきも華奢だし、儀式で大人の男と契りを交わすのは怖かったんじゃないかしら? 気持ちの面でも大人になるまで待って、自然とヒストリア王子と結婚させとけばいいのよ』

 これまで、乙女剣士の本契約である風習についてあまり考えないようにしていたけど。純潔を捧げたら、世間にも知れ渡る仕組みになっていたわけで。私とアルサルが『本契約という名の契り』を交わしていないのは、明白だった。
 結局私が乙女剣士として選ばれたのも、間違いなく儀式が成功するようにと……。ゼルドガイア王家と縁戚関係にあるブランローズ公爵一族だから、
選んだというのが定説のようだ。なんだか世間からすると、政略結婚のオンパレードのような組み合わせみたいである。

『まぁそうだよなぁ。アルサルさんの方は娼館で女を間に合わせたり、一夜限りの抱かれたメイドが何人もいるとか……って噂もすごかったし』
『紗奈子嬢への嫌がらせだって、ヒストリア王子だけが原因ではあるまい。アルサルさんには散々いろいろ遊ばせておいて、結婚相手は公爵令嬢の生娘を……っていうのも都合が良いというか、男としては羨ましい……。いや、なんでも』

 噂話は次第に病の話よりも、アルサルの娼館通いや抱かれたメイドが何人居たかなどの下世話な話に……。半分くらいは嘘だが……もう半分は思い当たるフシがいくつもある。そして、ヒストリア王子結婚についての話題へと移行する。
 バスという密室と言っても、過言ではない狭い空間で……。其処彼処から、聞こえてくる悪意のある噂。それは、私の心を絶え間ない拷問のように、傷つけていった。

(昔から囁かれていたアルサルの娼館通い、何人ものメイドさんとの肉体関係……。爵位のある大人の男性は、普通にそういうのがあると周りの大人が励ましてくれることがあったけど。まさか、こんなに酷く言われていたなんて。私はアルサルだけに全てを……純潔を捧げようと思っていたのに、分かっていたけど胸が痛い)

 ぽた、ぽた……と、自然と涙が溢れてくる。アルサルは大人の男性だから、過去に肉体関係を持った女性が何人かいるのは当たり前……と自分に言い聞かせてきた。だけど、今回はその現実を突きつけられた気がする。

(馬鹿なんだ……私は。アルサルが時折、他所の女性の香りを漂わせていても。それでも、アルサルのことが好きだったなんて)

 すると、隣の席に座るヒストリア王子が私の耳を塞ぐように、自分の側へと引き寄せてそっと抱きしめた。

「紗奈子、大丈夫だよ……こっちおいで」
「ごめんなさい、私……やっぱり辛くて」

 誰も2人が噂話の中心となる紗奈子とヒストリア王子であるなんて、想像もつかないだろう。彼からは、ヒストリア王子からは清潔感あふれる香りがした。アルサルとは違う、清らかな優しい香り。

 とくん、とくん……と伝わってくる温もりは距離を置いて付き合っていた2人にとって、いつもなら感じられないくらい近い。腹黒王子なんて悪口を言われていても、やはりヒストリア王子は優しいのだ。

『まあ毒殺にしろ病気にしろ、アルサルさんが倒れているには違いない。それにこの国はたまたま今は国家として形成されているから、ブランローズ公爵もただの貴族扱いだが。以前の制度のような大公国なら間違いなく、ゼルドガイア国王とブランローズ公爵はほぼ同じ立場だ。権力の全てを隣国の血を引くアルサルさんに、手渡すような真似はしないだろうし』
『頼りなさげな優男だが、ヒストリア王子は天使様のような美形だし。子供っぽいと噂の紗奈子嬢には、そっちがお似合いだろう。アルサルさんみたいな遊び男じゃ、結婚してから苦労するよ』

(どうして……どうして、みんなアルサルのことを悪く言うの? 胸が痛いよ……)

「紗奈子……耳を塞いで……何も聞かなくていいから。僕が守ってあげるから」
「うん……」

 ヒストリア王子は、私の零れ落ちる涙をすくい取って、頭を撫でてくれる。キュッと抱きしめてきて、全ての悪意から守ってくれるヒストリア王子に、私は身体を寄せるだけではなく心も依存していた。グラグラと揺れるのは不安定なバスの動きだけじゃないことに、私は何処かで気付き始めていた。

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