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第2章
彷徨える霊魂アルサル目線:02
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久しぶりに、かつて愛していた紗奈子と再会した日の夕刻。オレは悪魔であり芸術家でもあるデイヴィッド先生とともに、ブランローズ庭園の管理館で仕事の合間の珈琲を愉しんでいた。
「綺麗な夕焼けだな、アルサル。今日は大きな仕事を取り付けることが出来たし、余計にお前が淹れてくれた珈琲が旨く感じるよ。んっ……どうした。ホムンクルスの肉体でも嗜好は良好のはずだが」
「はい。今の身体でも感覚も良く、だいぶ馴染んでいます」
人間だった頃のオレは、もっぱら自分で育てたハーブティーばかり飲んでいたが少し変化したらしい。以前よりも珈琲の芳醇な香りに酔いしれるようになったし、甘さよりも苦味を好むようになった気がする。
オレの個人的な承認欲求としては、自分が育てたハーブティーを毎日デイヴィッド先生にも飲んで欲しい気持ちがあったが。デイヴィッド先生曰く、『商品であるハーブティーは美味しいけれど今は貴重だから、お客様向けの在庫を切らさないように手をつけないでおこう』とこのこと。悪魔を名乗っている割に、庭造りを中心とした芸術活動やハーブティーの販売などのビジネスに関心が高く、人間社会での生活に満足しているようだった。
「おっと。そろそろ教会庁から報告が来る時間だから、来客用にお茶と菓子を用意してくれ……それこそ、アルサルが作ったハーブティーを振る舞おう!」
「分かりました。すぐに……」
時計の針が6時を指すと、ちょうどピッタリのタイミングで転移魔法の光がブランローズ庭園に現れた。かなり高度な魔法だが、教会庁直属のエリート魔法使いなら、これくらいは使いこなせるのだろう。
管理の館の応接室へ教会庁の魔法使いを招いて、ハーブティーと茶菓子を振る舞う。
「さすがはブランローズ庭園の手作りハーブティーですね、香りも味わいも素晴らしい」
「ありがとうございます。薔薇の季節はローズティーが人気ですが、このブレンドハーブティーは通年人気なんですよ」
彼が持って来てくれた報告書には、オレの以前のタイムリープの時間軸における『遺体の納められた棺』に関する記述もあった。お茶の話題もほどほどに、本題へと移行しなくてはいけない。デイヴィッド先生がチラリと書類に目をやると、教会庁の使いが慌てて報告書を読み上げる。
「以前の時間軸からあぶれてしまったアルサルさんの遺体は、教会庁が厳重に管理をして守るように努めますからご安心を。それにしても不幸中の幸いですね、こうしてアルサルさんが健在で……素晴らしいハーブティーをたくさん作れる方ですし、きっと神様が守ってくださったのでしょう」
使いの男は心の奥底から神様を信仰している様子で、今回の不明瞭な棺の件も『神様が奇跡を起こして、魂を救い出してくれた』と信じているようだ。
「あはは、そうだと嬉しいですね。ところで今日は兄のヒストリアがそちらにお伺いしたと思うのですが、何か変わった事は? 守護天使様は何か仰っていましたか」
「すみません、教会庁の上層部が直接お話ししただけですので、我々にはヒストリア王子の情報は何も。ただ守護天使様達は今回のタイムリープに関して、細かく調査を受けているとか」
するとデイヴィッド先生は、守護天使様の話題にぴくりと端正な顔を歪ませて、やや遠慮がちに質問をぶつけた。
「もしかして、守護天使様って。ナルキッソス君とフィード君……かな?」
「えっ……は、はい。おそらくその二人の守護天使様達で合っているはずですが」
「そっか……いや、健在ならそれで何より。まぁ、上層部も全ての責任を彼らに、押し付けるような真似はしないだろうし」
その後は、ゼルドガイア国の教会活動の監査、通年のイベントに向けてどのような花々を提供するかなどの話し合いが行われた。話し合いが終わると時刻は夜の8時を過ぎており、夕食に誘おうとするが『教会庁にとんぼ返りしなければいけないので』とのこと。
「ではお気をつけて……」
「ところで、ナルキッソス君やフィード君……いや守護天使様達にもお会いしたら、よろしくお伝え下さい」
「ええ、デイヴィッドさんがよろしくと……伝えておきますね。それでは!」
夜空に魔法陣の光が輝き、教会庁の使いは一瞬で消えていった。悪魔であるはずのデイヴィッド先生が教会庁と親しく、こうして頻繁に連絡を取っているなんて想像もしなかった。だが、こうして実際に教会庁から報告書を受け取ると、デイヴィッド先生の伝手が様々なところにあるのだと分かる。
「あの、ところでデイヴィッド先生。守護天使様達とは顔見知りなんですか?」
「んっ……あぁ言ってなかったか。ナルキッソス君とフィード君、あの二人は幼馴染みなんだよ。オレが堕天する前のな」
少し寂しそうにニッと笑うデイヴィッド先生からは、かつて天使だったことを窺わせる柔らかさを秘めていた。
彼は天使達が忌み嫌い、そしてもっとも恐れている『堕天使』というものだった。結局生まれついての悪魔など存在せず、『天使が堕天すると悪魔と呼ばれる』ことをオレはデイヴィッド先生に出会って知ったのだ。
* * *
夕食は管理の館で仕事をしながら食べられる簡単なものを……と考えていたが。ブランローズ邸のシェフが、子羊のポワレやビーフステーキなどをメインにした豪華弁当を用意してくれた。邸宅で振る舞われる料理を弁当用にアレンジして、わざわざ館まで届けてくれたのだ。
「すみません、こんなに良いものを用意していただいて」
「いやいや、ブランローズ庭園をより良くするために毎日お忙しいでしょう。それに、我々に出来るのはこれくらいですし。次は紗奈子嬢とヒストリア王子の庭園を改築されるのだとか。アルサルさんもこれからもっと腕を磨けますね……応援していますよ」
先鋭的なデザインの庭園を造るデイヴィッド先生にはブランローズ公爵をはじめ、邸宅の使用人にもファンが多い。既に隣国でも様々な賞を受賞しているから、なおのこと。偶然出会った悪魔に弟子入りしただけなのに、大物の師匠を持ってしまった。
以前から、庭造りを指南してくれている隣国の庭師もかなり有名な先生だったが。最新のデザインを次々発表するデイヴィッド先生は、いわゆる『時の人』だった。
(今思えば庭師業界で、デイヴィッド先生はかなり知られている人だったのに、何故初めて会った時にただの悪魔だと思ってしまったのだろう。やはり魂だけの存在になると、認識力が曖昧になるのだろうか)
いろいろと疑問は尽きないが、今はオレ自身の肉体をこのホムンクルスに馴染ませることで精一杯だ。余計な感情は魂の乱れになるというし、極力自分を律して生活しなければ。
仕事部屋に戻ると教会庁の書類と睨めっこしていたデイヴィッド先生の姿が目に入る。一旦仕事を切り上げて、一緒に差し入れの豪華弁当を頂くことに。
「うん! やはり、子羊のポワレはいつ食べても魂に染み入る味だ。シェフもだいぶ、オレの好みを把握してきているな……恐れいるよ」
「デイヴィッド先生。ビーフステーキも弁当用に最初から切り分けられていて、食べやすいですよ。野菜の付け合わせもなかなか……」
こうして一緒に食事をして、仕事をして、たわいもない会話も出来るとなると。デイヴィッド先生が例え悪魔であろうと、オレの肉体がホムンクルスであろうと、たいした問題は無い様に感じられた。
人造体であるホムンクルスになってから、あんなに恋い焦がれていたはずの紗奈子が兄のヒストリアと夫婦になったにも関わらず、オレの心は何も感じなかった。
* * *
その日の夜中に見た夢は、いわゆる人様の情事を彷徨う霊魂の状態で見てしまうという下世話な悪夢だった。運の悪いことにそのカップルこそが、オレが愛していた紗奈子と兄のヒストリアだ。
紗奈子は全てを信用しきった表情でヒストリアに身体を捧げ、ヒストリアもまた紗奈子に普段は見せない男の欲を尽きるまでぶつけていた。
(今日、握手をした時に触れた紗奈子の手、今はもう兄貴の手を掴んで離さない……。どうして、どうしてなんだっ。紗奈子はオレのものだったのにっ)
心ゆくまで果てない愛を身体で確かめ合う夫婦二人に、嫉妬や憎悪の念を抱くオレがいて……。
――オレはまだ『紗奈子の恋人だったアルサル』が、自分の魂に息づいていることを実感するのだった。
「綺麗な夕焼けだな、アルサル。今日は大きな仕事を取り付けることが出来たし、余計にお前が淹れてくれた珈琲が旨く感じるよ。んっ……どうした。ホムンクルスの肉体でも嗜好は良好のはずだが」
「はい。今の身体でも感覚も良く、だいぶ馴染んでいます」
人間だった頃のオレは、もっぱら自分で育てたハーブティーばかり飲んでいたが少し変化したらしい。以前よりも珈琲の芳醇な香りに酔いしれるようになったし、甘さよりも苦味を好むようになった気がする。
オレの個人的な承認欲求としては、自分が育てたハーブティーを毎日デイヴィッド先生にも飲んで欲しい気持ちがあったが。デイヴィッド先生曰く、『商品であるハーブティーは美味しいけれど今は貴重だから、お客様向けの在庫を切らさないように手をつけないでおこう』とこのこと。悪魔を名乗っている割に、庭造りを中心とした芸術活動やハーブティーの販売などのビジネスに関心が高く、人間社会での生活に満足しているようだった。
「おっと。そろそろ教会庁から報告が来る時間だから、来客用にお茶と菓子を用意してくれ……それこそ、アルサルが作ったハーブティーを振る舞おう!」
「分かりました。すぐに……」
時計の針が6時を指すと、ちょうどピッタリのタイミングで転移魔法の光がブランローズ庭園に現れた。かなり高度な魔法だが、教会庁直属のエリート魔法使いなら、これくらいは使いこなせるのだろう。
管理の館の応接室へ教会庁の魔法使いを招いて、ハーブティーと茶菓子を振る舞う。
「さすがはブランローズ庭園の手作りハーブティーですね、香りも味わいも素晴らしい」
「ありがとうございます。薔薇の季節はローズティーが人気ですが、このブレンドハーブティーは通年人気なんですよ」
彼が持って来てくれた報告書には、オレの以前のタイムリープの時間軸における『遺体の納められた棺』に関する記述もあった。お茶の話題もほどほどに、本題へと移行しなくてはいけない。デイヴィッド先生がチラリと書類に目をやると、教会庁の使いが慌てて報告書を読み上げる。
「以前の時間軸からあぶれてしまったアルサルさんの遺体は、教会庁が厳重に管理をして守るように努めますからご安心を。それにしても不幸中の幸いですね、こうしてアルサルさんが健在で……素晴らしいハーブティーをたくさん作れる方ですし、きっと神様が守ってくださったのでしょう」
使いの男は心の奥底から神様を信仰している様子で、今回の不明瞭な棺の件も『神様が奇跡を起こして、魂を救い出してくれた』と信じているようだ。
「あはは、そうだと嬉しいですね。ところで今日は兄のヒストリアがそちらにお伺いしたと思うのですが、何か変わった事は? 守護天使様は何か仰っていましたか」
「すみません、教会庁の上層部が直接お話ししただけですので、我々にはヒストリア王子の情報は何も。ただ守護天使様達は今回のタイムリープに関して、細かく調査を受けているとか」
するとデイヴィッド先生は、守護天使様の話題にぴくりと端正な顔を歪ませて、やや遠慮がちに質問をぶつけた。
「もしかして、守護天使様って。ナルキッソス君とフィード君……かな?」
「えっ……は、はい。おそらくその二人の守護天使様達で合っているはずですが」
「そっか……いや、健在ならそれで何より。まぁ、上層部も全ての責任を彼らに、押し付けるような真似はしないだろうし」
その後は、ゼルドガイア国の教会活動の監査、通年のイベントに向けてどのような花々を提供するかなどの話し合いが行われた。話し合いが終わると時刻は夜の8時を過ぎており、夕食に誘おうとするが『教会庁にとんぼ返りしなければいけないので』とのこと。
「ではお気をつけて……」
「ところで、ナルキッソス君やフィード君……いや守護天使様達にもお会いしたら、よろしくお伝え下さい」
「ええ、デイヴィッドさんがよろしくと……伝えておきますね。それでは!」
夜空に魔法陣の光が輝き、教会庁の使いは一瞬で消えていった。悪魔であるはずのデイヴィッド先生が教会庁と親しく、こうして頻繁に連絡を取っているなんて想像もしなかった。だが、こうして実際に教会庁から報告書を受け取ると、デイヴィッド先生の伝手が様々なところにあるのだと分かる。
「あの、ところでデイヴィッド先生。守護天使様達とは顔見知りなんですか?」
「んっ……あぁ言ってなかったか。ナルキッソス君とフィード君、あの二人は幼馴染みなんだよ。オレが堕天する前のな」
少し寂しそうにニッと笑うデイヴィッド先生からは、かつて天使だったことを窺わせる柔らかさを秘めていた。
彼は天使達が忌み嫌い、そしてもっとも恐れている『堕天使』というものだった。結局生まれついての悪魔など存在せず、『天使が堕天すると悪魔と呼ばれる』ことをオレはデイヴィッド先生に出会って知ったのだ。
* * *
夕食は管理の館で仕事をしながら食べられる簡単なものを……と考えていたが。ブランローズ邸のシェフが、子羊のポワレやビーフステーキなどをメインにした豪華弁当を用意してくれた。邸宅で振る舞われる料理を弁当用にアレンジして、わざわざ館まで届けてくれたのだ。
「すみません、こんなに良いものを用意していただいて」
「いやいや、ブランローズ庭園をより良くするために毎日お忙しいでしょう。それに、我々に出来るのはこれくらいですし。次は紗奈子嬢とヒストリア王子の庭園を改築されるのだとか。アルサルさんもこれからもっと腕を磨けますね……応援していますよ」
先鋭的なデザインの庭園を造るデイヴィッド先生にはブランローズ公爵をはじめ、邸宅の使用人にもファンが多い。既に隣国でも様々な賞を受賞しているから、なおのこと。偶然出会った悪魔に弟子入りしただけなのに、大物の師匠を持ってしまった。
以前から、庭造りを指南してくれている隣国の庭師もかなり有名な先生だったが。最新のデザインを次々発表するデイヴィッド先生は、いわゆる『時の人』だった。
(今思えば庭師業界で、デイヴィッド先生はかなり知られている人だったのに、何故初めて会った時にただの悪魔だと思ってしまったのだろう。やはり魂だけの存在になると、認識力が曖昧になるのだろうか)
いろいろと疑問は尽きないが、今はオレ自身の肉体をこのホムンクルスに馴染ませることで精一杯だ。余計な感情は魂の乱れになるというし、極力自分を律して生活しなければ。
仕事部屋に戻ると教会庁の書類と睨めっこしていたデイヴィッド先生の姿が目に入る。一旦仕事を切り上げて、一緒に差し入れの豪華弁当を頂くことに。
「うん! やはり、子羊のポワレはいつ食べても魂に染み入る味だ。シェフもだいぶ、オレの好みを把握してきているな……恐れいるよ」
「デイヴィッド先生。ビーフステーキも弁当用に最初から切り分けられていて、食べやすいですよ。野菜の付け合わせもなかなか……」
こうして一緒に食事をして、仕事をして、たわいもない会話も出来るとなると。デイヴィッド先生が例え悪魔であろうと、オレの肉体がホムンクルスであろうと、たいした問題は無い様に感じられた。
人造体であるホムンクルスになってから、あんなに恋い焦がれていたはずの紗奈子が兄のヒストリアと夫婦になったにも関わらず、オレの心は何も感じなかった。
* * *
その日の夜中に見た夢は、いわゆる人様の情事を彷徨う霊魂の状態で見てしまうという下世話な悪夢だった。運の悪いことにそのカップルこそが、オレが愛していた紗奈子と兄のヒストリアだ。
紗奈子は全てを信用しきった表情でヒストリアに身体を捧げ、ヒストリアもまた紗奈子に普段は見せない男の欲を尽きるまでぶつけていた。
(今日、握手をした時に触れた紗奈子の手、今はもう兄貴の手を掴んで離さない……。どうして、どうしてなんだっ。紗奈子はオレのものだったのにっ)
心ゆくまで果てない愛を身体で確かめ合う夫婦二人に、嫉妬や憎悪の念を抱くオレがいて……。
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