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第6章
最終話 その薔薇は異世界で咲き誇る
しおりを挟む薔薇の花びらの砂糖漬けは、気高く甘い公爵令嬢の乙女心のようだ。
すぐ側にあったガーネット・ブランローズ嬢のアイデンティティに、思わず涙が溢れていた。
「私、どうしてこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。心の何処かで、異世界転生者の私は除け者なんじゃないか、本当は憑依者扱いされる自分が消えるのが正しいんじゃないかって思っていたの」
「サナ、貴女……実は異世界から転生することに、罪悪感を抱いていたんですのね」
「うん。ガーネット嬢の人生を奪って、聖女としての役割も果たさず。何も成せずにゲームのシナリオを繰り返すだけのタイムリープに、疑問を感じていたんだわ」
女性向け異世界転生の王道といえば、乙女ゲームのキャラクターに転生するものだ。私の場合は、悪役令嬢ポジションのガーネット・ブランローズ嬢でありながら、実は瓜二つの聖女サナでもあった。
「けど、貴女は因果を断ち切る乙女剣士に成ろうと、せめてそうであろうとずっと努力していたじゃない。いばらの中で眠っている間、ずっと貴女のことを夢に見ていたわ。もう一人の私が苦悩しながら心の剣を奮う姿を私はずっと見守っていた」
「ロード、けど……私、結局ちゃんとした乙女剣士には成れなかった。運命の王子様を見つけることも出来ずに、状況に流されてひたすら漂っていただけなの」
「違うわ、サナ。だって、貴女はこうして私の元へとやって来てくれたじゃない。貴女が断ち切るべき運命の因果は、おそらく私を封じ込めているいばらなのだから」
ヒロインの聖女と悪役令嬢の両方を兼任した存在として生きていくには、新たな肩書きが必要となる。それが、運命の因果を断ち切る乙女剣士という職業なのだろう。
そして、ロードの指摘通り断ち切らなくてはいけない運命の因果は、いばら姫を守りながらも封じるいばらそのものなのだ。
「鏡の世界でロードライトガーネット嬢と融合した日から、ずっと私とロードは因果を断ち切る旅をして来たのかな? 私達の因果を断ち切った先には何があるんだろう。私ね、本当は地球で目覚めるのが怖いの。あんまりいい思い出も無いし。ずっとこの異世界で答えを見つけずに漂っていたい、異世界で本当の剣士になれたらきっと幸せなんだろうなって……叶わない夢なのに」
「ねぇ、サナ。私もね、いばらの封印から目覚めるのが怖いの。だって、この世界は私に優しく無い。悪い魔女の生まれ変わりと魔女裁判にかけられて、国民に侮辱されながら最後はギロチンで死ぬ。地獄のような最期を迎えた場所で、もう一度やり直すような勇気も度胸も持っていない」
目覚めることに恐れを抱いていたのは、私だけではなくロードも同じだった。彼女を傷つけた人々と、もう一度共に生きることはロードにとって生き地獄でしか無いのだろう。
「そっか、私だけが目覚めるのを拒否しているわけじゃなかったんだ。私達は二人とも、目覚めたくなかったんだ」
「うん。だけどね、サナ。私は目が覚めた時に地球に生きる普通の女の子だったら、幸せだったんだろうなって思うよ。高校に通って進路で悩んで、学校帰りにクレープを食べて。魔法なんて誰も使えないから、魔女狩りで殺されることもなくて。ねぇサナは、目覚めた時に異世界の乙女剣士の状態だったら、嬉しい?」
ロードの青白い細い手が、私の手をぎゅっと握る。体温はあまり感じられず、冷たく、今にも消えてしまいそうな頼りない手。
「えっ……? それってどういう」
「サナは私で、私はサナ、なんでしょう」
ロードの言わんとしていることの意味が、徐々に心の奥底に浸透していく。私がロードで、ロードが私なのであれば……。目覚めた時にロードが私になっていても問題ない、私がロードになっていても問題はないはずだ。
「本当に、本当にそれでいいのロードライトガーネット。貴女が地球の女子高生【早乙女紗奈子】になって、私が異世界の乙女剣士サナ・ガーネット・ブランローズ嬢になっても……未練はないの?」
「今世に未練はないから、異世界でやり直したい。それにね……ふふっ普通の女子高生、早乙女紗奈子がどんな暮らしをしていたのか興味もあるし!」
「もうっ……ロードったら」
私達は顔だけじゃなく感受性まで近いのか、涙を零しながら自然とお互いの顔を見合わせて笑っていた。
「ふふ……泣きながらでも、前に進むことは出来るんだね私達。サナ、貴女の剣で運命の因果を、いばらを断ち切ってくれる?」
「もちろんよ、ロード。心の迷いがようやく消えたわ。私は地球には戻らず、異世界で生きる。地球で眠る早乙女紗奈子はロードライト・ガーネット嬢の新たな依代となればいい。貴女は私、私は貴女なのだから」
乙女剣士が断ち切るべく運命の因果の正体を、私はこの時をもってようやく知ったのだ。
最後の契約とも取れるやり取りを俯瞰的な立場で見守っていた女神像ガーネットは、ここで全ての物語が一旦終幕を迎えることに安堵と憂いの表情を浮かべた。
* * *
――数日後、いばらを断ち切る儀式が、数人の立ち会いのもと密やかに執り行われた。
「サナちゃん、乙女剣士は……ゼルドガイア王家の者と契約を交わさないと本来の力が出せないというけど。本当に大丈夫?」
「アルダー王子、この儀式だけは私とロード二人のチカラで行わなければならないの。本来のいばら姫お話しでは、姫の眠りを目覚めさせるには、王子様の口付けが必要だけど。それだけじゃ、大きな運命の楔を切ることなんて出来ないんだわ」
「紗奈子お嬢様、僕は信じていますよ。きっと神様がお二人の運命を守って下さるって」
せっかく回復したばかりのアルダー王子が一緒にいるのに、乙女剣士の真の力を発揮させるための契約『王子様との口付け』を断ったのは多分、ロードの心を守るためだ。
ロードは今でも心の何処かで、婚約者のリーアさんを想っているはず。けれど、断罪の折に破綻した記憶を持つロードは、彼とは再会せずにそのまま地球へと転生したいのだという。
「最初で最後のお願いよ、私の剣……運命のいばらを、すべて散らして!」
ロードライト・ガーネット嬢の棺を守るように、塔の上で絡まるいばらを一閃の剣技で断ち切っていく。
すべてのいばらを断ち切ると、美しい赤い薔薇の花びらが部屋中に散らばる。気がつけば私の魂は完全に、異世界に留まることになっていた。
* * *
薔薇の花が咲く五月が近づいたある日、交通事故により生死の境を彷徨っていた一人の少女が目を覚ました。それは、薔薇がようやく花開くように、今この瞬間に少女が世界に目を開いたのだ。
「おはよう、眠りすぎて寝坊しちゃったみたい」
「紗奈子、良かった。目が覚めて……おはよう紗奈子!」
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「嗚呼、彼女は本当に画面の向こう側に行ってしまったのか。いや、女神であるキミが見守る異世界で、これから冒険の旅へと出るのかな?」
弔いの花は、生まれ変わったであろう彼女に相応しい白い薔薇の花束。風に揺られて、ブランローズの花びらが散る。
蒼穹の下で、誇らしげに笑うサナの姿が見えた気がした。きっとその薔薇は、異世界で咲き誇るのだろうと、ヒストリアは心に想い描いた。
* * *
――同刻、ゼルドガイア所有の船にて。
穏やかな風が吹く船上で乙女剣士サナは、次のクエストのスケジュール表を眺めていた。彼女のサポート役として付き添うエクソシストのクルーゼも一緒である。不安定だった彼の魂も、いばらの呪いが解けるのと同時に、こちら側のパラレルワールドに定着したのだ。
彼は華奢で可愛らしい顔のせいで未だ少女と間違えられることも多く、まるで赤毛の少女サナと亜麻色の髪の少年クルーゼのクエストは、少女二人の気ままな物見遊山のようだった。
「けど紗奈子お嬢様、本当に未練とか無いんですか? これからはずっと、本物の乙女剣士を目指してギルドクエストに追われる日々ですよ」
「平気よ……地球の私はロードに任せておけばいいわ。だって、私はロードでロードは私なんだから! さっクルル、ようやく東方地域のクエストに挑戦出来るわ。もちろん、ついてきてくれるわよね」
結局、運命の王子様を選べなかったサナだが、それが一番正しい選択だったと今では信じていた。女神ガーネットや運命の片割れであるロードの相手を奪うのは不本意であったし、アルサルのように女遊びと本命を分ける男に添い従う人生も違うと感じていたからだ。
おそらくサナにとって本当に必要な存在は、友人として、仲間として、裏切らず、最後まで連れ添ってくれる者なのだろう。
「まったく……何処までもお供しますよ、お嬢様」
サナが白い手をクルーゼに差し出すと、苦笑いしながらも期待に応えるため、クルーゼは彼女の前に跪く。そして、密やかな所有印を示すように、手の甲にそっと口付けた。
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