アピコンプレクサゴブリン

蘭爾由

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ゴブリンとウートゥルメール

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魔力とは目に捉えることの出来ない小さな小さなエネルギー体で、常に短く素早く動き生滅を繰り返しており、魔法とは物理と真逆の概念で施術され、その概念にたどりつける者を魔導士と呼ぶ。

覇気とともに魔力を体内に取り込み施術を行う者を魔闘士と呼び、剣技による魔法と物理のバランス型を魔戦士という。

そして一握りの魔導士は四大属性(水、火、土、風)を自在に操り、趣味の領域となる単一の属性に特化した変態魔導士は更に数が少なく、この国にはたった一人だけ。

人嫌いの偏屈で奇異な、水の大魔導士ウートゥルメールラピスラズリ

女か男か、人か人ならざる者か、正体不明の大魔導士は、人里から山を三つ超えた山脈のいただきに、清らかな泉が湧き出る池の側で一人、家を建てて住んでいる。
池には水色の綺麗なカエルが一匹。真の王ヴレロワという名前で呼ぶことを許されている。

ウートゥルメールは山奥に籠り研究を続けている。
家の中には大小不揃いな瓶が並び、見たこともないような植物の鉢植えや、色鮮やかな昆虫の標本など、雑多に積み上げられた分厚い本の隙間を利用して配置され、今にもウートゥルメールの肘やお尻が本の山をかすめて雪崩を起こしそうなのだが、ひょーい、すいすーい、と交わしてぶつかりそうでぶつからないのが不思議だ。

「けろけろ」ヴレロワが一鳴きひとなきして池に飛び込んだ。ウートゥルメールはハッとして、ピアノを奏でるような指使いで魔力を操作し、木の窓を閉じて回り、開け放っていた扉を閉めるとほぼ同時にドドババッと大雨が降り出した。

簡素なログハウスのような家はウートゥルメールの魔法で雨漏りはしない。家の下には地脈を利用した冷暖房があり、冬は温泉が流れ暖かく、夏は山の清水がせせらぎ涼しく過ごしている。

腹が減れば小動物が持ってきた木の実を食べ、暗くなれば眠る。
朝は小鳥に起こされ、窓を開けて陽の光を家にまねき、扉を開けて外に出ると、池の蓮の葉にヴレロワが丸くなってまだ寝ている。

ウートゥルメールは朝の新鮮な空気を吸って吐き、背伸びをする。視線の先には、求愛ダンスを品定めする小鳥。
パタタタ。飛んでいってしまった。
ガーン、と失望に硬直する小鳥。
一部始終を見ていたウートゥルメールは、突如無表情で走り出し家の中へ、転がっている小瓶を二つ三つ掴んで調合し始める。

失敗すれば爆発する時もあり、成功して論文を書籍化出来ても、その内容はウートゥルメール語(専門用語)で書かれているので誰も解析出来ないという、都の魔導士達が匙を投げたお墨付き。
売る為に研究しているわけじゃない、と言うがウートゥルメールが出版した魔法書は何故か高く売れる。
理解は出来なくとも価値がある事は分かるやり手の商人が、マニアなコレクターに売りつけているのだろうとウートゥルメールは踏んでいる。
当たらずしも遠からずである。

そして新しい論文を書き上げたウートゥルメールの家の扉をノックする人影。
それはとても小さかった。人間の平均的な五歳くらいの子供と同じ背丈だろうか。認識阻害を付与したコートのフードを深く被り、昨日から降り続く雨が小雨になった午後、扉を開けて客を出迎えたウートゥルメールが見たのは、コートのフードを外す、好奇心の強い妖精ゴブリンだった。

ウートゥルメールは驚いて尻餅をついた。

一般的な知識としてゴブリンは、狡猾で陰険、同族意識が強いが格差や序列といった権力構造もあり、人間を攫って奴隷にするという社会を形成する。表皮は緑色をしており、立ち耳はウサギのように長いが毛はなく、二足歩行だが長い腕を膝あたりまでぶら下げて歩く。平たい顔に潰れた鼻、目の色は血のように赤い。
爆発的な繁殖力を持ち短期間で集落を形成するので、過疎地にある村が略奪、蹂躙される被害が絶えない。これはゴブリンが人間に対する強い嫌悪と、邪悪な種族の性質と相まって、宿敵対象にあると推測出来る。対する人間側は、単体としては犬より弱い魔物という扱いの為、危険ランクはS~Fの、初級冒険者に当たるDという低さにとどまる。
しかしながら集落となるとドドンと上がりAである。単体で行動するゴブリンなど滅多に見ないにも関わらずだ。
何百年も昔に作られた危険ランクはそれから一度も更新されていない、それが現実だ。

それらを踏まえてウートゥルメールはここに住んでいる。この池の側に。
この池はこの辺一帯の聖域であり、山の主の棲家であり、魔物は魔力が池に吸い取られる為ここには近付いて来ない。

なのにだ。目の前には、ゴブリンがいる。

ウートゥルメールはゴブリンを凝視する。

雨でしたたるコート。長い耳は雨に濡れた子犬のように垂れ下がり、口には八重歯のような牙がちょこんとのぞき、目は月明かりのように黄色く潤潤(うるうる)と涙が滲み、肌の色は新緑の瑞々しさに負けない美しさがある。毛はなく、その様を一言で表現するならば、可愛い、だ。

あれ?ゴブリンじゃない?

なんか思ってたのと違う。
ウートゥルメールは無言で立ち上がり、少し気不味いといった風に両手を握る。
しかしそれ以上に目の前のゴブリンはもじもじとしながら恥じらっている。
絶対ゴブリンじゃない。

違うんです。ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったんです。
ぶつぶつと謝るゴブリン。あ、人間の言葉を話すんだ。声まで可愛い。

これ。引越しのご挨拶に、持って行って来いと、母に言われて。
手には、ガサガサと音がする袋。

あ。聞き覚えのある音だ。山のぬしにお土産をと思って、袋に虫を入れた時の音。あ、あの袋の中は。察し。

この子供ゴブリンは、母親から山の主に挨拶して来いと言われて、ウートゥルメールに挨拶に来たのだ。山の主のヴレロワは葉っぱの上でまだ丸くなっていた。

山の主はまだ寝てるから、とりあえず中でお茶でもどう?ウートゥルメールは扉を大きく開いて部屋の中を見せる。
ごっちゃりとした部屋のどこでお茶を?と思いながらゴブリンは中に入った。濡れたコートを脱いで壁掛けに引っ掛ける。ちゃんとマナーも躾けられていてゴブリンとは思えない。

部屋の右側に出入り口があり、その向こうは整えられたキッチンで、そのギャップに二度見するゴブリン。え?え?こっちの部屋はこんなに汚いのに、あっちは凄く綺麗。え?
潔癖症なのかな、と言いながらお茶の用意をするウートゥルメール。
さっきは腰抜かすほど驚いていたのに、ウートゥルメールは少しお値段が張る美味しいお茶を戸棚から出し、フリーズドライしておいたラズベリーチップの蜂蜜寒天も用意した。

和やかにお菓子を出し、お茶を飲み、ゴブリンは笑顔で帰って行った。また来ると言い残し。
いやいや、きっとゴブリンじゃないけどね。あんな可愛いゴブリン、いるわけない。
可愛い子が置いていった虫はヴレロワが美味しく頂いた。

次の日。

その両親とその子が扉をノックして立っていた。
その後ろではヴレロワが既に貢ぎ物を頂いて、口から虫の足がはみ出ていた。
結果からいうと彼等はゴブリンだった。
父エクラタン、母エズ、子エミュ。ウートゥルメールの知るゴブリンとは似ても似つかぬ可愛らしさだ。

彼等は人間に会ったことはないが、知識としては、獰猛で傲慢、性欲に卑しく繁殖力と生命力が強く、ゴブリン族を魔物と認識し撲滅対象としている。絶対に関わってはならない、危険ランクSSSという。
ま、間違ってはいない気もするが、なんだか恥ずかしい。
人間が特別好きという訳ではないが、人間のように暮らしているウートゥルメールは、申し訳ない思いで気持ち肩をすくめると、エクラタンがつるつるの頭を掻きながら、ゴブリン族に言い伝えられている物語を話してくれた。

その昔、ある集落が全滅し、一頭のゴブリンが逃げ延びたらしい。高熱に一週間うなされ、結局亡くなってしまったそのゴブリンは、亡くなる前に語ったのだとか、何があったのか。
それは、山で迷子になっていた人間を集落が保護したことから始まった。
人間は、オルファンと連呼しており、集落は人間をオルファンと呼んだ。
集落で人間はゴブリン語を学び、人間がカタコトで話せるようになった頃、立ち入り禁止の渓谷に行きたいと人間が言い出した。そこは、神が棲まう渓谷とされ、穢れた身で立ち入れば呪われると伝えられる場所だった。けれど、人間にそそのかされた二頭のゴブリンと人間は渓谷に入り、金色に輝く岩を幾つか持ち帰ってきた。
二頭のゴブリンと人間は宴だ宴だと酒をあおり夜中も騒ぎ通し、朝になっても獣のように叫んでいた。また夜になってやっと静かになったと思ったら、家から出てきたのは二頭のゴブリンだけで、人間は家の中で屍となっていた。
全身血だらけの姿で、耳が両方切り落とされていた。
その後は、二頭の狂ったゴブリンによって集落は全滅し、狂った二頭のゴブリンは金の岩とともに姿を消した。それからだ。人間を襲うゴブリンという魔物を、人間が退治し始めたのは。
ゴブリン族は人間に蹂躙されるのを恐れて山深くに隠れ住むようになった。それでも人間はゴブリンを追ってきた。逃げる為に仕方なく、ゴブリン族は人間を学ぶことにした。
コートで身を隠し人の生活を覗き、闇夜に紛れて砂金を置いて書物を拝借した。
人の言葉を学んで、あの時人間が言っていたのは純金オルファンだったのだと知った。
純金を求めてやって来た人間は、神の呪いを撒き散らして死んだ。

ウートゥルメールは息を飲んだ。
息苦しさに息をするのを忘れていたのだと気付いた。

エクラタンはこうも語る。人間が来なくてもいずれそうなる運命だったのか、たまたまその時人間がキッカケとなったに過ぎないと。あの渓谷にはゴブリンを狂わせる何かがいる。それは神か、悪魔か。
全ての人間が傲慢で獰猛だとは思っていない、それはゴブリンも同じだと知ってほしい。ゴブリンの家族はそう言って帰って行った。

勿論、ウートゥルメールはこの話を書籍化するつもりだが、それよりも興味が湧いたのは、渓谷にいる神か悪魔の存在だ。金塊の採取、研究には密封空間を形成し、絶対に外部に漏洩しない精密かつ強力な魔力展開による……ぶつぶつぶつ。

ウートゥルメールがほとんど部屋に篭って季節が一回りした。

「けろけろ」ヴレロワが葉っぱの上で鳴く。
あーっはっはっはっはっはっはっはっ!
やったわ!ついに見つけたわ!
ヴレロワが見つめる山小屋から雄叫びが聞こえてくる。
この!水の大魔導士!ウートゥルメール様が!
おーっほほほほほほほほほほ!
ヴレロワの瞳が細く引き延ばされ、ぽちゃん、池に飛び込んだ。
ドドン!ざばばばばば!ピシャーンッ
大雨が叩きつけ、雷が近くに落ちた。
あ。すいません。うるさかったですよね、静かにします。
通り雨だったのか、曇り空が晴れ、青空が広がる。

ウートゥルメールが世紀の大発見をした日。世界は変わらず回っていた。


アピコンプレクサゴブリン類。
それが悪魔に名付けた名前だった。
細胞内絶対寄生性生物アピコンプレクサゴブリン類は、ゴブリンの持つミトコンドリアに寄生しミトコンドリアDNAが変異し凶暴化する。寄生生物に寄生する生物だ。
こいつに取り憑かれたせいでゴブリンが凶暴化、魔物化する。

元来がんらいいたずら好きな性格といわれる妖精ゴブリンは、朝露に輝く新緑のような肌と、夜空をともす月のような金色の瞳をしており、その美しさを表す言葉を選ぶなら私は「エメラルドの妖精」とたたえるだろう。

決して、アピコンプレクサゴブリン類に寄生された魔物と同一視してはならない。


ウートゥルメールの書籍はいつも通り、マニアに売れ、書店はいつも通り、本棚に置かれた砂金を回収した。

世界はいつもと変わらず静かに回る。

ただ、辺境の山奥では、美しいエメラルドの肌をしたゴブリン族に、小難しい魔法書が大人気となり、ウートゥルメールの魔法書は珍しく増刷された。

増刷版には、最後に小さく添付された文章が新たに付け加えられているので、この話のオチとして楽しんでいただければ幸いである。


追記
なお、稀に人間にも寄生する。

Fin
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