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一投目
「いるよ、好きな人」
しおりを挟む辺りはすっかり薄暗くなっていた。
まだ新緑の美しい5月の後半に入ったばかりだというのに、部活終わりのユニフォームは汗でべっとりだ。
「はぁ、惜しかったよなあ」
「惜しかった?」
ふと顔を上げる。
発信源は、俺の右隣で着替えをする龍馬だ。
「もう少しで女子とティック〇ック撮れそうだったのに~」
あー、あなたまだ朝のそれ引きずってんのね。
「じゃあ自分から撮ってーって誘うのは?」
「無理だよ。今朝のは滉大がいたからこその棚からぼたもちであって……」
「それは、なあ……」
「だろ~?」
うんと答える代わりに、苦笑いを浮かべておいた。実際、ほとんどの女子は滉大目当てだろうしな。
……って、なんか考えてるだけで虚しくなってきたんですけど。
因みに、俺と滉大の動画というとボツになった。あれだけ喧嘩をしてしまったんだから、当然だ。
でもまさか、あんな言い合いになるとはなあ。
滉大とあそこまでバラバラになったのも、初めてだし──。
「ん? どうした大智」
「ううん、なんでも」
ま、そんな時もあるよなとズボンのベルトを締めたその時、ガチャと音がした。
「あれ、大智と長谷二人だけ?」
突如ゆっくりと開いた扉から姿を現したのは、先程声を響かせた滉大と、同じ3年の〝もっさん〟こと山本だった。
二人はさっきまで監督からの呼び出しを受けていたらしい。
「げ、ほんとだ。もーみんな着替えんの早すぎなあ」
「いや、大智が遅いんだよ」
むーっと口を尖らせる俺に、滉大が笑ってツッコむ。
そういえば、以前も何度か部室の施錠が俺の着替え待ちなんてことも、あったり、なかったり……。
考えずとも浮かんできた数々の記憶を辿っていると、ロッカーに置かれたもっさんのエナメルバッグから、ぽろっと白いなにかが滑り落ちるのが見えた。
「おい、もっさん。なんか落ちたぜ」
そう言って拾い上げる。
「ほらよ」
「お、ありがと」
ボール?
フェルトの生地でできたそれは、よく見ると野球ボールの形をしており、上部にはストラップが付けられている。おそらく、手作りの……。
「「御守り?」」
意図せず龍馬と声が重なった。
ちらっと〝必勝〟という文字が見えたから、きっと間違いない。
へぇ、もっさんも本気で頑張ってるもんな。
自然と頬が緩むのを感じていると、龍馬がもっさんの返事を待たずに、「あ」と声を響かせた。
「これってまさか、彼女に作ってもらったとか?」
キラリ、黒縁メガネが鋭く煌めく。
「なあ、どうなんだよもっさん~」
おいおい、よくもそんなずけずけと……。
強引さに少しばかり焦る俺だったが、どうやら龍馬の勘は的中したようだ。
「実は……」と言い終える途中で、もっさんの耳はボンっとりんごみたいに真っ赤に染まった。
「「そっかぁ~」」
手作りの御守りかあ。青春だなあ。
てか俺、もっさんに彼女いるの今知ったんだけど。
そこからは根掘り葉掘りの大合戦だ。
「いつから付き合ってんの?」
とか、
「学校一緒なの?」
とか。
好奇心むき出しの龍馬の質問攻撃が、毒牙の如くもっさんに襲いかかる。
「じゃあ、次は──」
「はっ、長谷くんたちは? 好きな人とか、いないわけ?」
質問10個目。というところで、ついにもっさんが反撃に出た。
まさかこっちに振ってくるとは。
けれど残念。俺には彼女どころか好きな人もいない。
「んー、俺は野球一筋かな」
そうまず答えたのが、俺。
次に龍馬だったが、
「俺は気になってる人ならいるよ。まずは2組の齋藤さんでしょ? で3組の瀬賀さん。あとは──」
気が多いにも程がある。
そして、最後。
「千早くんは?」
もっさんが興味津々に訊ねる。
わかるぜ、その気持ち。学校一のモテ男の恋愛事情、気にならないわけないもんな。
でもこれも残念。
「滉大もいねーって。てか、いるわけねーよな?」
俺は滉大の肩に手を回し、自信たっぷりに口角を上げた。
前に二人きりの時言ってたんだ。
『甲子園に行くまでは、野球のことだけ考えようぜ』
って。
「な、滉大?」
滉大のことならなんだってわかる。俺が一番、よく知っている。たとえ言葉がなくたって、いつだって通じ合える。
だって俺は、アイツの唯一の専属投手なのだから。
そう、今朝のハートはたまたま合わなかっただけで──。
「いるよ」
え。
「いるよ、好きな人」
………………は?
その時聞こえた声は、幻か本物か。
今の俺には、正しく判断する力が残されていなかった。
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