ラスト・チケット

鎌目 秋摩

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三上 靖

第6話 俺の六日目

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――六日目――

「なあ、真由美。どんなもんなんだろうな? だって妙じゃあないか」

 今朝も俺は家事をせっせと進める真由美に声をかける。
 聞こえてはいないとわかっていても、どうにも話しかけずにはいられなかった。

「平日に三日も俺につき合って出かけようなんて。あの人だって仕事があるだろうに」

 夏の休みにはまだ早い。最も大きい会社なら、一斉に休みを取らずに交代で取るのかもしれないが。
 それにしたって、こんなオヤジにつき合って三日間も、うまいものが食べられるからなんて理由も妙だ。

「ただな、俺をどうにかしようってんなら、もっと早くにどうにでもできただろうし、そんな雰囲気でもないんだよな」

 ブフ~と大きくため息をつく。
 洗濯物を干していた真由美の手が止まり、突然こちらを振り返った。

――耳鳴りかしら? 変な音が聞こえた気がするけど……。

「なんだよ? おまえは。俺のため息にだけ反応しすぎじゃあねえか?」

 思わず苦笑する。
 あれこれ考えてみたところで、染川さんのことは染川さんにしかわからない。
 結局のところ、知りたければ聞くしかないんだろう。

「さて……と。今日はな、よっちゃんと工藤くどうさんのところに寄ってから、あの店にも行ってくるわ。今日はそんなに遅くならないからな」

 どっこらしょ、と立ちあがって表に出ると、もう染川さんが店の前に待っていた。

「あれ? また車をだしてくれるのかい?」

――うん。そのほうが楽でしょ。いろいろ話しもできるしさ。電車で話したら、俺、独り言いってる変な人みたいになりそうじゃない?

「それもそうだな」

 俺は染川さんに行き先を教え、早速向かってもらった。
 よっちゃんは一番最初に勤めた中華街の店で、一緒に修行した仲間だ。今は空港の近くで俺と同じように自分の店を切り盛りしている。
 工藤さんは、俺が務めた二軒目の店で一緒に働いていた先輩だ。
 店を出すときに、手続きやら資格のことやら、いろいろと助言をしてくれてお世話になった。こちらもやっぱり今は自分の店を出している。場所は少し遠くて、東京といっても山に近いほうだ。
 二人ともきっと、真由美から連絡がいって明日のお通夜に来てくれるだろうと思う。
 その前に、きちんと会ってお礼を伝えておきたかった。といっても一方通行ではあるけれど……。

――は~。どっちもおいしい店だった。でもやっぱりオヤジさんのところと似た味だったかな。

「そりゃあそうだろうさ。一緒に修行した仲だからな」

――へえ……仲間か。そういうの、いいね。

「染川さんにもいるだろう? 仕事仲間なんてのが」

 染川さんは、そんなのいないといって寂しそうに笑った。
 今度はまた都心に戻り、百貨店の中にある中華料理店へ入った。ここは全部が個室の店だ。

「ここでな、俺はかみさんにプロポーズしたんだよ」

 当時、俺はどうプロポーズしていいのか悩み、円卓の料理の脇に指輪のケースを置き、くるりと回して真由美の前で止めると、たった一言、『結婚してください』といった。
 真由美は唖然とした顔をしたあと、烈火のごとく怒った。

『こんなプロポーズのしかたある? こんな指輪の渡しかた! ムードもなにもありやしないじゃあないの!』

 まあ、なだめるのに苦労した。とんだ思い出になったけれど、プロポーズは受けてくれたから、今では笑い話にできる。
 染川さんはこの話しを聞いてゲラゲラ笑った。

――そりゃあ、オヤジさんが悪いよ。笑っちゃ悪いんだろうけど、この話しはヤバいね。

「俺は必死だったんだけどなぁ……」

――でも、結局は結婚してるじゃない。俺なんて、ムードたっぷりにプロポーズしたけど断られちゃったよ……。

「そうなのか……そいつは辛かったな」

――まあね……仕事もさ、まあいろいろと酷くて。オヤジさんはうすうす気づいているみたいだから言うけど……。

 そういって染川さんは、自分が勤めていたのがいわゆるブラック企業だったといった。
 もう何年も辞めたいと思いながらもズルズルと勤め、やっと辞められたものの、次の仕事がなかなか見つからずに今は無職だという。
 地元から離れて友だちと呼べるような相手もろくにいない。こっちで知り合った友人だと思っていた相手に、プロポーズした彼女を奪われた上に、騙されて危うく借金まで背負わされそうになったらしい。
 実際、借金は免れたけれど、自分にはなにもない。もう疲れたという。
 いっそ死んでしまおうか……そう思って最後の旅行に出たところで俺と会ったということだ。
 たんたんと話すけれど、どうやらほかにも相当嫌な目にあっているようだった。

「いろいろと酷い目にあったんだな。そう考えても仕方ないと思うほどに」

――オヤジさんをみていたらさ、やっぱりそれもいいのかな、って思っちゃうよね。本当に死んでしまったオヤジさんにこんなこと、いっちゃあいけないんだろうけど……。

「そりゃあそうだ。俺は死にたいなんてこれっぽっちも思っちゃいなかったからな。もっとうまいもんを作って、みんなに喜んでほしかったよ」

――俺にもそんなふうに思えるものがあれば良かったな……。

「あんたはまだ若いんだ。その気になりゃあ、いくらでも見つかるさ。それにな、月並みなセリフだけど……」

 死んだら本当にそれで終わりで、なにもできやしないこと、誰にもなにも伝えたくても伝えられないこと、それがどれだけ寂しくて辛いかを話した。
 染川さんは納得のいかない様子であれこれ問いかけてきたけれど、俺はただ懇々と諭した。
 気がつけば二時間が過ぎていて、俺たちはいったん店を出ると、近くの公園で話の続きをした。

「あとな……俺のこの七日間にもルールがあってな。人にとり憑いたりすると大変なことになるらしいんだよ」

――えっ……? でも、この状態って……。

「そう。良くないと思う。しかも憑いた相手から味を奪っているしな」

――やばいじゃない。大変なことって一体なんなの?

「それはわからない。ひょっとすると、地獄行きとかな」

 スッと染川さんの表情が曇った。

「死んで地獄になんて行ったら、もしかすると生きているほうがずっとマシかと思うほどしんどいかもしれないぞ」

 生きているときより楽だったら、なんの罰にもならないだろう。楽なわけがない。 
 それに、たまに聞くことがある。自死は良くないと。
 楽になりたくて自ら命を絶ったとして、死んでなお辛い目に合うんだとしたら、それはどうなのか。

「頑張って探してみなよ。絶対になにか見つかる。あんたはいい人だしな。俺が保証するよ」

 気づけば日付が変わるまであと少しで、俺は染川さんを促して家に戻った。
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