蓮華

鎌目 秋摩

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大切なもの

第105話 潜伏 ~麻乃 1~

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 あの日から毎日、麻乃は鴇汰の病室を訪れている。
 五番の隊員たちも心配してか、入れ替わり立ち替わりやってくるし、穂高やほかのみんなも立ち寄ってくるけれど、ぽっかり誰も来ない時間があって、その隙を狙っていた。

 みんなが麻乃を探しているのはわかっている。
 修治があちこち訪ねているのもみていた。
 比佐子が洞窟まで来たときにはさすがに驚いたけれど、比佐子の気配は濃い。
 隠れる余裕は十分にあった。

 夜は西演習場の洞窟で身を潜め、昼間はこの中央医療所のそばや、軍部の自分の部屋にこもっていた。
 軍部の部屋には隊員たちや岱胡も顔を出すけれど、来る前に気づくから見つからないようにするのも簡単だ。

 今朝も医療所の近くで様子をみつつ、人がいなくなってから窓に手をかけた。
 病室の向かい側にある廊下の窓からこっそりと忍び入り、ベッドに横になっている鴇汰の顔をみた。
 倒れたときには蒼白だったのが、今では顔色も良くなっている。
 額にかかった髪を指先でゆっくりと払い、手のひらで頬に触れた。

 五日が経つというのに、まだ目を覚まさない。
 毎日、クロムと医療所の先生が鴇汰の容態について話しているのを、こっそりと聞いている。
 病室でなく、廊下で話しをしてくれているのは、クロムが麻乃に配慮してくれているからじゃあないかと思う。
 きっと、聞いているのをわかっているんだろう。

 どこか悪いところがあるわけではないと聞こえてきても、こうも目を覚まさないと心配でたまらなくなる。
 だからといって、こうして訪ねてきているときに、いきなり目を覚まされたら、それはそれで困る。
 ただジッと、寝顔を見つめていた。

 頬に触れた手をそのままに、そっと口づけをした瞬間、廊下と病室の窓の外から人の気配を感じ、麻乃は慌てて病室の窓から飛び出した。
 周辺には人の姿はないけれど、廊下の気配が病室に近づいてくる。
 医療所を離れ、そのまま花丘の奥にある森へと潜んだ。

 この森に人が来ることはほとんどない。
 多くの人が用を足すのは花丘までで、この森には何もないからだ。
 城や神殿に用のある人は、森の手前の道を抜けていく。
 中ほどにある東屋で、麻乃は腰をおろしてゆっくりとため息をついた。

「なんの用?」

 医療所で窓の外に感じたのと同じ気配を感じ、麻乃は声をかけた。
 現れたのはジャセンベル人で、穂高と一緒にいた男だ。
 確か鴇汰が、レイファーと呼んでいた。

「なんの用とはずいぶんな挨拶じゃあないか。久しぶりに会ったというのに」

 レイファーがそういう。
 会った? 久しぶりに?
 麻乃はジャセンベル戦にも出たことはあるけれど、顔を覚えるほどの相手はいない。
 この男は一体なにを言っているんだろうか。

「なんだ? 自分が助けた相手のことなどいちいち覚えちゃあいないか?」

 ――助けた相手?

「……あっ! あんた、ジャセンベルの森で会ったあの子か!」

 七年前、巧の代わりに豊穣でジャセンベルに行ったとき、森で植林をしていて出会った男の子がいた。
 そのとき、どうやら命を狙われていたようで、突然、襲われたところを麻乃が助けた。

「覚えていたか」

「そりゃあね。あんな場所で子どもがいきなり命を狙われるなんて、そうそうあることじゃあないでしょ」

「それもそうだな」

 レイファーはそういってはにかんだような笑顔を麻乃に向けた。

「まさか王族だなんて思わなかったし……そりゃあ命も狙われるよねぇ。それにしても、ずいぶんと立派になったじゃない。あのころは身長だって、あたしとそう変わらなかったのにさ」

「まあな。今は俺がジャセンベルの王だ」

「ふうん……えっ? あんた王さまになったの?」

 驚いた麻乃に、レイファーはうなずいた。
 目の前にいるのがジャセンベルの王……。
 初めて会ったときに、レイファーがあの森の手入れをしていると知った。

「凄いね……あんたはこれから、自分で国を変えていくんだね……」

 自分の手でこの森を広げたいと言っていたことが本当ならば、これからのジャセンベルは大きく変わっていくだろう。
 戦争がなくなり平和になる世の中で、自分の存在意義がなくなってしまう麻乃とは大違いだ。

「今はやることばかりが山積みで、思いばかりが先行しているのが情けないがな」

「そんなことはないよ。思いがちゃんとあるならさ。最も進むのは大変なことだろうけどね」

 森の中はとても静かで、時折、鳥の囀りが響いてくるだけだ。
 穏やかな時間が流れていくこれからは、麻乃は自分がなにをすべきなのか、それさえもわからない。

 ただ――。

 目の前に、大陸で一番大きな国の、しかも今後を大きく左右していくだろう人物がいる。
 恐らく一番、影響力を持つ人物が。

「あのさ……あたし……あんたに頼みがあるんだけど……」

 いぶかしげな目をしたレイファーを、ジッと見つめた。
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