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序章

5 それは聖剣、そして星剣

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 腕を抑えて、その場に膝をついた。

 「どうして、私を……」
 「守らないと、いけない気がしたから」

 レンがここに来たのと同じだ。説明はできない。でも体は勝手に動いた。

 「腕が」
 「大、丈夫……」

 事前に自己再生の魔術を体に刻んでもらっている。流石に新しい腕が生えてくるなんてことはないが、血ぐらいなら止まる……

 「……なんで、止まらない」

 最初より出血の勢いは収まってきているが止まる気配がない。魔術は起動している。刻印に不備があるというわけでもない。となると考えられるのはあの黒い刃。あれのせいで治癒の力が阻害されている可能性がある。
 甘く見ていたわけではない。けど困った。これが深淵属性の影響だというのなら俺にはどうしようもできない。解決手段がない。
 このままじゃまずい。意識が、消えていく。何もできなくなる。

 「やはりあなたにとって彼女は特別な存在だったんですねぇ。ちょうどよかった。ではそのままそこでご覧ください。私奴という存在が神性へと昇華する瞬間を!」

 ゴルドンは不気味な光を纏う右手で剣の柄を何事もなく掴んだ。
 妨害はない。結界が機能していない。いや、あの右手で無効化されている? 
 どちらにせよ。ゴルドンは触れてはいけないものに触れている。

 「今、私奴の願いは成就する」

 白い剣が、100年もの間守られてきた聖なる剣が、引き抜かれた。
 瞬間、周囲の空気が変わる。
 重く、暗い。異様だ。けど、これには覚えがある。村でみんなを殺したあの異形を見た時も、俺はこれと似た空気を味わっている。

 「これが、斬撃の超越の剣。亡き神が残した聖なる遺物。ああ……美しい」

 周りのことなんて眼中にないゴルドンは、所有権を主張するように英雄の剣を天に掲げ、その剣身を眺めて恍惚とした表情を浮かべていた。

 そんな男の体を、塔から伸びる巨大な白い手が鷲掴みにした。

 「は?」
 「え?」

 レンとゴルドンの出した間の抜けた声。二人とも今の状況を理解できていないようだった。それは俺も同じだ。何故神の塔から腕が生えて、ゴルドンがそれに掴まれているのかわかっていない。わかるわけがない。

 「なんなのだ、これは!! 何故神の塔からこんなものが出────」

 ゴルドンの声を遮って、ぐしゃっと聞きなれないない音が耳に届いた。白かった巨大な手からは赤い血が滴っている。執行者になってから色々なものを見てきたけど、流石に人間が文字通り握り潰される瞬間を見たのは今日が初めてだ。手は握り潰したゴルドンの体をまるでゴミでも捨てるように剣ごと投げ捨てた。

 「何が、起きてるんですか?」

 わからない。理解できる範疇を超えている。
 何も把握できていない俺たちをよそに、塔からもう一本白い巨大な手が生えた。そしてそれから間も無くその両手の本体が、神の塔から這い出て、立ち上がった。
 不気味な巨人だ。全長は10メートルほど。顔には目も鼻もなく歯並びのいい口だけがある。生殖器も見受けられない。形は人と同じだけど、生物として明らかに欠落がある。

 「あアアァァあぁアぁぁァ……」

 いくつもの声が重なったような気味の悪いうめき声を発した巨人は、俺たちに視線を向けた。瞳はない。けど間違いなくこの巨人は俺たちを見た。視認した。

 「レン、逃げて」

 あれは俺たちを殺そうとしている。
 きっとそういうものだ。
 あの巨人がアトルムと同じ世界から存在が許されないモノ、『真の異端』であればなんとかなる。俺の魔力はそういう類いの化け物たちに特攻があるからだ。が、嫌な予感がする。この巨人は根本的におかしい。レンには逃げてもらったほうがいい。

 「シンさんは?」
 「俺は、あれの相手するから」

 立ち上がって巨人を見据える。なんとか体内の魔力を高速で循環させて誤魔化してはいたけど、そろそろ限界が近い。視界がぼやけてきた。

 「ダメです! そんな傷で……」
 「大丈夫、だか、らっ……!?」

 体を掴まれた。ほんの一瞬後ろに意識を向けた隙を狙われて、容易く鷲掴みにされた。全く気づけなかった。なんなんだこいつは。放出している俺の魔力に反応する様子もない。

 「シンさん!!」

 どうする。どうすればいい。何をすればこの状況を打破できる。

 「っ……!?」

 まず、い。
 潰される。
 身動きが全く取れない。
 息を吸うのも苦しい。

 「レ、ン……?」

 朦朧とする視界に、どこかへ走っていくレンの姿が映った。何かを言っていた気がするが、わからなかった。でもとりあえずここから離れてくれたみたいだ。よかった。

 ……よかった?

 レンが生き残ってくれるのは俺にとっていいことらしい。出会ってまだ半日も経っていない相手に、俺はそんな感情を抱く人間だっただろうか。

 「まぁ、いいか」

 どうでもいい。ここから去ってくれたのならなんでもいい。あとは村の方を片付けたティアがなんとかしてくれるはずだ。
 そう、大丈夫だ。大丈夫。
 もう、頑張って意識を保つ必要はない。

 「ぁ……」

 世界が暗くなっていく。
 眠たくなってきた。終わりが近い。

 「………………」

 ……なんだったんだろう。
 なんであの時、あの村で俺は生き残ったんだろう。
 どうしてあの時、俺だけが許されたんだろう。
 わからなかった。結局、あの異形とは会えなかった。何も知ることができなかった。
 
 意味を、知りたかった。
 俺だけが生き残った意味を。
 ただ、それだけだったんだ。それを知るためにこれまで歩いてきた。
 
 でも、もうダメみたい。
 疲れた。こんなに疲れたのは初めてだ。
 休もう。

 
 
 「────聖剣よ」
 
 心地のいい声が、した。


 
 ******
 

 声が聞こえていた。
 ただ一つの物を望む声が、ずっと聞こえていた。
 力がない。策がない。助ける手段がない。
 だからそれに賭けた。賭けて、彼女は地面を蹴る。
 全力で走った。元の世界に帰ることなんて彼女の脳内には微塵もない。孤独から救ってくれた彼のため。彼を助けるために、少女は走って、手を伸ばした。

 「これが……」

 手にしたのは神器。かつてこの地に存在した神が残したとされる剣、世界を救った英雄の振るった聖なる武器。

 「…………助ける力を、ください」

 少女の切実な願い。それに呼応するように聖剣は輝き出す。その刹那、彼女の脳内に情報が流れ込んだ。
 理解ができない。意味がわからない。止まらない。終わらない。
 1秒にも満たないものではあったが、少女からしてみればあまりに長い時間だった。
 苦痛はなかった。だが、気持ち悪かった。
 当然だ。少女に流れ込んだのは記憶。知らない誰かの記憶なのだから。

 けれど、それこそが少女の望んだもの。
 彼を助けるための力。

 「────星剣よ」

 少女は、星を手にした。
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