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俺とポエムと彼女と秋と
第10話だ 色と色
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外の片付けと掃除を終えた後、陽子さんはいつもどおり、お弁当の準備に取り掛かった。今日は炊き込みご飯だ。それにしても、その日の陽子さんは忙しそうだった。おかずの品数が多い気がした。
その日も琴平さん宅にお弁当を配達した。もちろん、俺もついていった。
昨日と同じように玄関から上がってリビングに入ると、テーブルの上に紅茶と牛乳が用意されていた。陽子さんは気を遣わないよう琴平さんに言って、ダイニングテーブルの上にお弁当を置いた。
「おかずを別々の種類にしました。焼き鮭がメインの和食と、ハンバーグがメインの洋食です」
陽子さんはそう言った。なぜ別々にしたのかは不明だ。
琴平さんはソファーに腰掛けた陽子さんに尋ねた。
「お宅は被害がなかったのですか。結構、強い風でしたから」
陽子さんはティーカップを持ち上げながら答える。
「ええ、大丈夫でした。こちらは?」
「なんともなかったわ。知人がよくしてくれましたし、お隣さんも気に掛けてくださいましたので、お蔭様で」
「そうですか、心配していました」
「わざわざ、お電話までいただいて、御免なさいね」
「いいえ。何かあったら、お一人では大変だろうと思って。娘も心配していましたし」
「美歩ちゃんだったかしら、小学一年生だったわよね。かわいい盛りね。昨夜はどうでした?」
「すごく恐がっていました。この辺では何年ぶりかの台風の接近ですから、あの子にしてみれば初体験のようなもので」
「災難だったわね。よく眠れたかしら」
「時間が来たら、知らぬ顔でぐっすりと寝ていました。私は外が気になって眠れなかったのに」
「一睡も?」
「ええ、まあ。でも、お借りした詩集のお蔭で、少しは気も紛れました」
「あら、お読みになられて。いかがでした?」
「はい、すごく良かったです。まだ、全部は読んでいませんけど、どれも温かくて、やさしい詩だと感じました。でも、何となく悲しくて、寂しくて……」
「そんな風に感じて下さる方とお知り合いになれて、うれしいわ。私も同じよ」
その後、二人はアポリネールの詩の話で盛り上がった。俺も口を挿んでみた。
「俺も読んだぞ。あの猫の詩がいい。短かったし。このアルペンルートとかいう男、孤独な奴だったのか?」
「彼の詩は豊栄先生も好きだったの。詩も、生き方も好きだった」
だから、無視するな。アルペンルートはわざとだ、わざと。ウケを狙っただけだ。
「とよさか先生?」と陽子さんが聞き返すと、琴平さんはサイドボードに顔を向け、そこに置かれているモザイク模様のガラスの皿を見つめながら説明した。
「私に美術の手解きをしてくれた方よ。ステンドグラス美術の専門家で、『色の魔術師』と呼ばれた方。配色の基本を私に教えてくれた人なの。芸術家新人賞も獲得されておられる方なのよ」
豊栄先生か。豊かに栄える、いい名前だな。色の手品師とは言わずに、魔術師と言うところをみると、本物の実力者なのだろう。トリック無しだからな。という俺の感心を余所に二人の会話は続く。
「では、琴平さんは、もともとはステンドグラスの方がご専門なのですか」
「いいえ。ガラスは難しいわ。固定された既存の着色ガラスを詳細にカットして一枚ずつ繋ぎ合わせなければならないから」
「へえ。着色ガラスって言うんですか」
「ええ。単に色ガラスとも言うわね。でも、一言で色ガラスと言っても、無数の色種があるし、材質や透明度なども様々。同じ色で同じ質感のガラスでも微妙に色彩が異なる事さえある。それに、光の入る量や時間の経過、周囲の影の具合で見え方が異なる物もあるわ」
「そうなんですね。すごい」
「しかも直接色と色とを隣り合わせに並べられない。半田で繋ぐから間に敷居ができてしまうでしょ。色と色との間にどうしても仕切りができてしまう。それで見る人の心を熱くする作品を描き出したり、形作ったりするのは至難の業なのよ。何度も挑戦しているけど、豊栄先生のようには出来ないわ」
「へえ、奥が深い芸術なのですね」
俺はもう一度口を挿んだ。
「ここの商店街と同じだな。違う業種が軒を連ねている。ブロック塀で仕切られて……なんてな」
「芸術と言うものは、全てそうよ。何十年やっていても、底も天井も見えない」
「また無視か」
「まるで、人間社会の投影ですね。隣り合っていても、近くにいても、どこかに壁というか、何かの仕切りがある」
「おい陽子さん、それは俺がさっき似たような事を言ったぞ」
「そうね。光を通して美しさを見せるはずの物が、逆に影を受け止めて醜状を見せているのかもしれないわね」
「でも、人はそれに美しさを感じるのですよね。なんだか、皮肉ですね」
「そうね、皮肉ね……」
老女は悲しそうな顔でそのガラスの皿を見つめていた。
その日も琴平さん宅にお弁当を配達した。もちろん、俺もついていった。
昨日と同じように玄関から上がってリビングに入ると、テーブルの上に紅茶と牛乳が用意されていた。陽子さんは気を遣わないよう琴平さんに言って、ダイニングテーブルの上にお弁当を置いた。
「おかずを別々の種類にしました。焼き鮭がメインの和食と、ハンバーグがメインの洋食です」
陽子さんはそう言った。なぜ別々にしたのかは不明だ。
琴平さんはソファーに腰掛けた陽子さんに尋ねた。
「お宅は被害がなかったのですか。結構、強い風でしたから」
陽子さんはティーカップを持ち上げながら答える。
「ええ、大丈夫でした。こちらは?」
「なんともなかったわ。知人がよくしてくれましたし、お隣さんも気に掛けてくださいましたので、お蔭様で」
「そうですか、心配していました」
「わざわざ、お電話までいただいて、御免なさいね」
「いいえ。何かあったら、お一人では大変だろうと思って。娘も心配していましたし」
「美歩ちゃんだったかしら、小学一年生だったわよね。かわいい盛りね。昨夜はどうでした?」
「すごく恐がっていました。この辺では何年ぶりかの台風の接近ですから、あの子にしてみれば初体験のようなもので」
「災難だったわね。よく眠れたかしら」
「時間が来たら、知らぬ顔でぐっすりと寝ていました。私は外が気になって眠れなかったのに」
「一睡も?」
「ええ、まあ。でも、お借りした詩集のお蔭で、少しは気も紛れました」
「あら、お読みになられて。いかがでした?」
「はい、すごく良かったです。まだ、全部は読んでいませんけど、どれも温かくて、やさしい詩だと感じました。でも、何となく悲しくて、寂しくて……」
「そんな風に感じて下さる方とお知り合いになれて、うれしいわ。私も同じよ」
その後、二人はアポリネールの詩の話で盛り上がった。俺も口を挿んでみた。
「俺も読んだぞ。あの猫の詩がいい。短かったし。このアルペンルートとかいう男、孤独な奴だったのか?」
「彼の詩は豊栄先生も好きだったの。詩も、生き方も好きだった」
だから、無視するな。アルペンルートはわざとだ、わざと。ウケを狙っただけだ。
「とよさか先生?」と陽子さんが聞き返すと、琴平さんはサイドボードに顔を向け、そこに置かれているモザイク模様のガラスの皿を見つめながら説明した。
「私に美術の手解きをしてくれた方よ。ステンドグラス美術の専門家で、『色の魔術師』と呼ばれた方。配色の基本を私に教えてくれた人なの。芸術家新人賞も獲得されておられる方なのよ」
豊栄先生か。豊かに栄える、いい名前だな。色の手品師とは言わずに、魔術師と言うところをみると、本物の実力者なのだろう。トリック無しだからな。という俺の感心を余所に二人の会話は続く。
「では、琴平さんは、もともとはステンドグラスの方がご専門なのですか」
「いいえ。ガラスは難しいわ。固定された既存の着色ガラスを詳細にカットして一枚ずつ繋ぎ合わせなければならないから」
「へえ。着色ガラスって言うんですか」
「ええ。単に色ガラスとも言うわね。でも、一言で色ガラスと言っても、無数の色種があるし、材質や透明度なども様々。同じ色で同じ質感のガラスでも微妙に色彩が異なる事さえある。それに、光の入る量や時間の経過、周囲の影の具合で見え方が異なる物もあるわ」
「そうなんですね。すごい」
「しかも直接色と色とを隣り合わせに並べられない。半田で繋ぐから間に敷居ができてしまうでしょ。色と色との間にどうしても仕切りができてしまう。それで見る人の心を熱くする作品を描き出したり、形作ったりするのは至難の業なのよ。何度も挑戦しているけど、豊栄先生のようには出来ないわ」
「へえ、奥が深い芸術なのですね」
俺はもう一度口を挿んだ。
「ここの商店街と同じだな。違う業種が軒を連ねている。ブロック塀で仕切られて……なんてな」
「芸術と言うものは、全てそうよ。何十年やっていても、底も天井も見えない」
「また無視か」
「まるで、人間社会の投影ですね。隣り合っていても、近くにいても、どこかに壁というか、何かの仕切りがある」
「おい陽子さん、それは俺がさっき似たような事を言ったぞ」
「そうね。光を通して美しさを見せるはずの物が、逆に影を受け止めて醜状を見せているのかもしれないわね」
「でも、人はそれに美しさを感じるのですよね。なんだか、皮肉ですね」
「そうね、皮肉ね……」
老女は悲しそうな顔でそのガラスの皿を見つめていた。
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