名探偵桃太郎の春夏秋冬

淀川 大

文字の大きさ
上 下
10 / 70
俺と推理と迷いと春と

第10話だ  あやしいぞ

しおりを挟む
 ウチに帰った俺は、険しい顔で朝食を取っていた。べつに料理が不味かった訳じゃない。陽子さんが用意してくれる朝食は最高だ。最高なのだが、「塩素酸カリウム」が分からん。

 朝食の後、美歩ちゃんの集団登校を見送ってから、彼女の机に行ってみた。「りか」の教科書を開いてみる。

 やはり、小一の教科書には「塩素酸カリウム」も「硫黄」も載っていない。七画以上の漢字が含まれるからだろうか……。

 陽子さんの台所の横の本棚を覗いてみた。うーん。やはり、薬物辞典とか、化学薬品に関する書物は無い。ま、お弁当屋さんの奥さんがそんな本を買い揃えていたら恐いもんな。当然か。こっちの本には……載ってないなあ。

 「ママの手料理ブック。一工夫で美味しさ百倍」には塩素酸カリウムも硫黄も載ってはいなかった。

 こうなると、どうやら容疑者に直接尋ねるしかなさそうだ。強敵だが、仕方あるまい。俺の話術で犯人から直接聞き出すか。


 俺は土佐山田薬局へとやってきた。やはり、化学物質が問題になれば、ここが第一容疑者に急浮上だ。

 薬を買うふりをして店内に入る。

 カウンターの向こうに白衣を着た土佐山田九州男さんと、普段着にエプロン姿の土佐山田伊勢子さんがいる。伊勢子さんは電話中だった。

 俺はカウンターの前の丸いスツールに腰を下ろして、九州男さんに言った。

「おはようさん。どうだい、景気は」

「おやおや、桃ちゃん。なんだい、朝の巡回かい?」

「まあな。ハードな捜査中でな、いろいろと忙しい。昨日もほとんど徹夜だったぜ。元気の出る栄養剤でもあればいいんだが、俺は栄養剤やドリンク剤は飲まない主義なんだ。悪いな。薬ってものが、よく分からないものでな」

 九州男さんは、俺をジロジロと見回している。さては、よほど警戒しているな。

「火傷はしていないみたいだねえ。よかった、よかった。昨日はあんなことがあって、驚いただろう。しかし、桃ちゃんは勇敢だねえ。見直したよ」

 なるほど。話題を変えてきたな。「薬」から話は逸らすが、ボヤ騒ぎのことは気になるようだな。怪しいぞ。よし、ちょっと強引に話題を戻してみるか。

「まあ、探偵があの程度の危険で腰を引いていたら、仕事はできないからな。それより、喉が渇いちまってな。牛乳はあるか。栄養ドリンクは飲まないが、牛乳は飲む。カルシウムってのが豊富だと、陽子さんが言っていたからな。ああ、そうだ。カルシウムって言えば、それと似た言葉で、カリウムってのが……」

「あなた、ちょっと替わってもらえます?」

 伊勢子さんが口を挿んできた。俺と九州男さんの会話を邪魔する気だな。俺が「カリウム」という言葉を口にした途端に。これは、ますます怪しいぞ。

「誰だい?」

「警察署ですよ。鑑識の方が薬剤のことであなたに教えて欲しいって」

 ああ、駄目だ、鑑識のお兄さん。それはいかん。この人は第一容疑者じゃないか。なんでその人に教えを請うているんだ。

 いや、待てよ。警察も俺と同じ考えなのかもな。あえて、第一容疑者本人から話を聞き出して、自供に持ち込もうって作戦なのか。よし、少し話を聞いておこう。

 九州男さんは受話器を耳に当てた。

「あー、もしもし。お電話替わりました。土佐山田です。――ああ、はいはい。どうもどうも。お疲れ様です。――ええ。――ええ。そうなんですか。ええとですね、塩素酸カリウムっていうのは、酸化性が強いものでしてね。うがい薬とか、花火の火薬とかに使用されるんですよ。――ええ、そうですね。マッチにも使われていますよ。他にも重クロム酸カリウムとか。ああ、昨日のお隣の事件でしょ。硫黄は出ていませんでした? ――でしょ。じゃあ、マッチですわ、それ。軸木の頭薬の成分ですもん。燃えカスの軸木が見つかれば、間違いない……赤燐? 妙ですなあ。それは、箱の方に付いている薬物ですからね。ほら、マッチ箱の端の方の茶色い所。擦る部分があるでしょ。あの部分に使用するんですよ。――ああ、そう。見つかってないの。だとすると、摩擦マッチかなあ。――ほら、外国映画なんかで、テーブルの角とか、ブーツの底でシュッて擦って火を点けるマッチがあるでしょ。あれですよ。でも変だなあ。日本ではほとんど製造されていないはずなんだけど……。ああ、いや、いいですよ。このくらいのことなら、またいつでも電話してください。こちらも、栄養剤や絆創膏なんかを定期的に入れさせてもらっている身ですから。協力できることは何でもさせてもらいますよ。――いえいえ。はい。じゃあ、どうも」

 俺は駆け出した。伊勢子さんが背後から叫ぶ。

「あらら、桃ちゃん。どこ行くの。せっかく、景品用の『おつまみセット』を分けてあげようと……」

 おつまみセットどころではない。これは一大事だ。俺の推理が当たっているとしたら……。

 俺は大通りの歩道の上を走った。信用金庫の前を通り過ぎ、喫茶店の前を通り過ぎ、空き地の前で立ち止まる。俺は、車が往来する大通りの向こうの警察署を見つめた。あそこまでもう一度行って、俺の推理を伝えるべきか。しかし……。

 俺は暫らく、そのまま考えていた。車がたくさん走っている。恐い。だが、俺がこの大通りを渡れないのは、そんなことが理由ではない。

 俺はそのままずっと、そこに立ち尽くした。渡るべきか、渡らざるべきか……。






しおりを挟む

処理中です...