サーベイランスA

淀川 大

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第2部

2038年5月14日(金) 3

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 商店街の入り口の前の車道に、一台の白いバンが停車している。車内ではスーツ姿の男が黒いスモークガラス越しに双眼鏡で外の様子を覗いていた。彼は運転席のスーツ姿の男に告げた。
「対象者DとFが例の薬局に入った。店主から聞き取り中。視界よし。南に回れ」
 その白いバンは電気エンジンを始動させ、ゆっくりと走り出した。
 アーケードで覆われたその商店街はシャッターを下ろしている店が多かった。営業している店舗もあるが、客で賑っている様子は無い。
 春木と勇一松が訪れた薬屋も同じだった。築浅の綺麗なビルの一階で営業しているその薬局は店構えこそ立派であったが、決して繁盛しているようには見えなかった。そこそこに広い店内には薬箱を疎らに置いた陳列棚が並べられていているだけで、客の姿はない。店の奥からL字に走るショーケースを兼ねたカウンターの上も綺麗に片付けられていて、何も置かれておらず、その前に、カクテルバーにあるような座高の高いスツールだけが並んでいた。光沢のある白い壁には薬品の宣伝ポスターや安売り商品の広告掲示は貼られておらず、その代わりにモダンアートを気取った大きな抽象画が飾られている。シャンデリア風の小奇麗な照明と乳白色に艶めく大理石風のフロアパネルのおかげで店内は明るく見えたが、そのような、まるでデパートの入り口ロビーか宝飾店のように構えた雰囲気が却って客足を遠のかせているようだった。
 店の奥のバックヤードらしき所から白衣姿の中年男が出てきた。彼は大きな段ボール箱を胸の前で抱えて、棚と棚の間の通路を歩いてきた。茶髪のその男は強い香水の匂いがする。そのあまり重そうでもない箱を店先の路上に置いた男は、箱の横にしゃがんだ。彼は箱からガムテープを剥がしながら言った。
「ええ? りょうちゃんのこと? もう何回も答えたでしょ。今更、なに」
 横に立っていた春木陽香は、その男に確認した。
「何回もって、高橋諒一博士のことで、他に誰か尋ねてきたのですか?」
 男は段ボール箱の中からティッシュペーパーの箱を取り出して、しゃがんだまま隣の陳列棚に並べ始めた。彼は忙しそうにティッシュの箱を棚に並べながら答えた。
「ええ。司時空庁の人たちがね。十年以上前だったかなあ。ああ、当時は何とか管理局とか言っていたな」
 春木陽香は電子メモ帳にプラスチック製のペンでメモを取りながら、男に言った。
「国家時間空間転送実験管理局ですね。通称、実験管理局」
 男はその名前に反応して何度も頷く。
「ああ、そうそう。なんか、諒ちゃんが難しい実験で行方不明になったから、探していると言ってたな。ま、その実験が、あのタイムマシンの実験だったんだけどね。で、高校を出てからは、お互い忙しくて会っていないと答えたよ。しかし、あんな大事になるとはなあ」
「あんな大事って?」
 手を止めた男は、しゃがんだまま春木の顔を見上げて言った。
「実験だよ。第一実験と第二実験。田爪博士が悪いんだろ?」
 男は再び商品を並べながら、話を続けた。
「結局、諒ちゃんの説が正しかったんだからさ。田爪博士もさっさと負けを認めりゃ良かったんだよ。そしたら、諒ちゃんも第一実験でタイムマシンに乗るなんて危険なことをしなくて済んだし、ウチの親父だって倒れずに済んだんだ」
 春木陽香はメモの手を止めて、隣に立っている勇一松と視線を合わせた。
 男も再び手を止めると、しゃがんだまま陳列棚にぶら下がるように両手を掛け、春木と勇一松の顔を下から交互に見ながら言った。
「あの第一実験の後だってね、ウチにもマスコミの人たちが大勢押し寄せて、そりゃあ大変だったんだから。テレビカメラを抱えた連中が連日やって来るものだから、客が寄り付かなくなって、当時元気だったウチの親父が随分とマスコミに怒ってねえ。この辺で、いつもカメラに向かって怒鳴り散らしていたよ。嫌だねえ、マスコミって」
 春木陽香は、再び段ボールの中からティッシュの箱を取り出し始めた男に尋ねた。
「お父様は、お具合でも……」
 男は段ボールから残りの箱をまとめて取り出すと、そのまま荒っぽく棚の上に乗せて、立ち上がった。手際よくティッシュの箱を並べながら、質問に答える。
「いや、去年、亡くなりました。諒ちゃんが第一実験で失踪してから一年くらいは、大変でね。親父も心労で倒れたんですよ。ここ、やっちゃって」
 男は春木の顔を見ながら、自分の頭を指差した。
「脳溢血でね、その手術費やらリハビリの費用やら、介護費やらで、いろいろ大変でしたよ。!」
 皮肉っぽくそう言って春木に厳しい視線を向けた男は、屈んで空の段ボール箱を持ち上げると、それをひっくり返し、底のガムテープを剥がし始めた。
 春木陽香は少し下を向いたまま、黙っていた。すると、その隣から勇一松頼斗が男に言った。
「あんた、住まいもここ? 随分と立派なビルねえ。建て替えたの?」
 形が崩れた段ボールを投げ下ろした男は、語気を強めて勇一松に言った。
「何だ、何が言いたい。親父の遺産でここを建て替えたって言いたいのか。冗談じゃない。ここは、俺が銀行から金を借りて建て替えたんだ。今もローンを返している最中だよ。――確かにな、送ってもらった金は使ったよ。親父の治療費とリハビリ代にな。親切で送ってくれた金だ。使って何が悪いんだ。必要だから使ったんだよ」
「お金って……何のことです?」
 そう尋ねた春木に、男は食って掛かった。
「とぼけるなよ。どうせ、その金のことで取材に来たんだろ。誰が送った金かって。言っとくがね、本当に知らないんだよ。誰かが匿名で現金を送ってきたの。だから、ちゃーんと税金の申告だってしたんだからな。新車一台分の額の贈与税を払ったんだぞ。税務署に行って調べてみろよ。本当だから」
 男は話の途中から段ボールを足で強く踏んで平らに広げていく。
 春木陽香は必死にメモを取りながら、男に質問した。
「いつ頃、送ってきたのですか」
 男は足下の潰れた段ボールを拾うと、それを三つ折りにして畳みながら答えた。
「だから、親父が倒れた後だって言ったろ。親父が倒れたのが二〇二八年の正月だったから、金が届いたのは……二〇三〇年だったかな。ちょうど、今頃だったよ」
 男は段ボールを少し力を込めて折り曲げていく。
 春木陽香は首を傾げてから尋ねた。
「現金っておっしゃいましたけど、現金書留ですか。どんな形で……」
 春木が言い終わらないうちに、男は手に持っていた物を強く叩きながら言った。
「段ボールだよ、段ボール。それに帯のついた札束が綺麗に詰められてた」
「段ボール? 段ボール箱にお金ですか?」
「そうだよ。――本当だよ。そういう形で勝手に送られてきたんだ。で、中に手紙も入っていて、『御尊父様のためにお使い下さい』とだけ書いてあった。だから使ったんだよ」
「その手紙、残ってますか」
「もう捨てちまったよ。他に何も書いてなかったし」
「文言は確かですか」
「ああ、その一行しか書いてなかったからな。間違いない」
 春木と勇一松は顔を見合わせた。
 小さく折り畳んだ段ボールに剥がしたガムテープを紐の代わりにして巻きつけながら、男は言った。
「もう、いいだろ。仕事の邪魔だ。帰ってくれ」
 春木陽香は丁寧に御辞儀をして言った。
「お忙しい中、すみませんでした。ありがとうございました」
 勇一松頼斗が男の左手首を指差しながら言った。
「あんた、随分いい時計をしてるわね。それ、『イブ・スッサン』でしょ。高級ブランドじゃないの。仕事中は傷つけないように気をつけなさいよ。値段は新車一台分どころじゃないでしょうから」
 勇一松頼斗は春木の腕を掴んで引っ張りながら、その場を後にした。
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