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第三章 闇デリバリー編
31:沈黙の誓い、カグヤの決意
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奥多摩ダンジョンでのあの一件から、ダンジョンの空気は一変した。
表向きは「物流特区のさらなる発展」を掲げるギルドだが、その実態は闇デリバリーという目に見えない毒に侵食されつつあった。
その日の朝、俺とユウキはギルド本部の特別応接室に呼び出されていた。
重苦しい沈黙が流れる中、職員の釘山が机の上に一枚の書類を叩きつけるように置く。
「いいか、二人とも。よく聞け。……この件はもう、君たちの手に負える範疇を超えた」
釘山の声は、いつになく冷徹だった。
「……どういう意味ですか、釘山さん」
俺が問い返すと、彼は鋭い視線を向けてきた。
「闇デリバリーの背後には、複数の大規模組織が絡んでいることが判明した。警察、および防衛省の特務班が本日付で本腰を入れて動くことになった。
……そこでだ。天野 蓮《レン》、そして早見 結希《ユウキ》。君たちには、今後、闇デリバリーに関するあらゆる独自調査、および接触を『全面禁止』とする箝口令が敷かれた」
「全面禁止……!? なんでだよ! あたしたち、あいつに煽られて、しかも先輩は……っ!」
ユウキが椅子を蹴る勢いで立ち上がる。しかし、釘山はそれを手で制した。
「これは命令だ。君たちの能力は『届ける』ことであって、犯罪捜査官じゃない。不法な現場に首を突っ込み、もし君たちの身に何かあれば、ダンジョン物流そのものが停滞する。……天野君、分かったな? 返事を聞こう」
「…………。了解、しました」
俺は膝の上で拳を握りしめた。爪が掌に食い込み、微かな痛みが走る。
俺が捜しているのは犯罪者じゃない。たった一人の弟なんだ――そう叫びたかったが、今の俺にそれを証明する手段は一つもなかった。
◆◆◆
それからの数日間、俺はただ機械的に仕事をこなした。
朝六時に起床し、機材の点検を行い、ユウキと合流して指定された座標へ荷物を運ぶ。
ユウキは新スキル【ハンターズ・パス】を駆使し、豪快に泥を撥ね飛ばして道を作っていく。彼女なりに、沈んでいる俺を励まそうとしているのは伝わってきた。だが、今の俺にはその風の感触も、タイヤが路面を噛む確かな手応えも、どこか遠く、虚空を漕いでいるような感覚しかなかった。
あの日、崖下へ消えていった漆黒の自転車。
一瞬だけ目が合った、あの冷たい瞳。
十数年前、大氾濫の混乱の中で俺の手を離れていったレイは、まだ幼い子供だった。今のあいつが、どんな声で笑うのかさえ、俺は知らない。
走り方から確信を得たわけじゃない。あんな重力を無視した異次元の走りは、俺の知る幼いレイとは結びつかない。
だが――心が、胸の奥がざわつく。
理屈じゃない。魂が「あそこにいるのは、お前の弟だ」と叫び続けていた。
「……はぁ」
ルナ・コート・レジデンスの広大なバルコニー。
夜景を見下ろしながら、俺は深い溜息をついた。手元のコーヒーはすでに冷めきっている。
そんな俺の背後に、気配もなく彼女が現れた。
「らしくないわね、レン。そんな暗い顔をしていては、幸せが逃げていくわよ」
カグヤだった。
彼女はいつもの華やかなドレスではなく、ゆったりとしたシルクのガウンを纏い、俺の隣に並んだ。夜風に彼女の長い髪がなびき、甘く落ち着いた香水の香りが漂う。
「カグヤ……。すまない、少し考え事をしていた」
「隠し事は無しよ。私の目は、どんな嘘も見逃さないわ」
カグヤは俺の顔を正面から覗き込んできた。その瞳は、すべてを見透かすように澄んでいて、同時に深い慈愛に満ちていた。
「何に悩んでいるの? 闇デリバリーの件でギルドに釘を刺されたこと? ……それとも、あの時にすれ違ったドライバーに心当たりがあるのかしら?」
俺は黙り込んだ。ギルドの禁止命令が頭をよぎる。しかし、カグヤの真剣な眼差しを前に、俺の心の中で堰き止めていた感情が、決壊したダムのように溢れ出した。
「……直感なんだ」
「直感?」
「あの日、すれ違った瞬間……全身の血が逆流するような感覚があった。あいつの顔なんて、十数年前に別れたきりだ。身長も、体格だって、俺の知ってるレイとは全然違う。
……でも、心が、魂が揺さぶられたんだ。あそこにいるのは、俺がずっと捜していた弟だって……俺の中の何かが、そう断言してるんだ」
俺は震える声で、すべてを吐き出した。
弟が生きていたかもしれないという喜び。だが、それが「闇デリバリー」という犯罪の片棒を担がされているかもしれないという恐怖。そして、警察に任せろと言われ、何もできない自分への無力感。
カグヤは、俺が語り終えるまで、一度も口を挟まなかった。
ただ、静かに、優しく俺の話を受け止めていた。
「……話してくれてありがとう、レン。十数年も離れていても消えない絆が、あなたの心に火をつけたのね」
「カグヤ……。俺はどうすればいい……。ずっと探していたあいつが、俺のことを覚えてもいないとしたら……」
「安心しなさい。……あなたの直感がそうだと言っているなら、それが正解よ」
カグヤの瞳に、見たこともないほど鋭く、冷徹な光が宿る。何かを考えを秘めている時のカグヤだ。
「私の誇る最高の運び屋に、こんな湿気た顔をさせた報いは受けてもらうわ。
……ギルドが動けない、いいえ、動かないなら、私が動く。裏に潜む闇……すべて暴いてあげる」
「カグヤ? 何を……」
「これ以上は、レディの秘密よ」
カグヤはそっと指を俺の唇に当て、小さく微笑んだ。
「私に任せて。あなたは明日も、迷わず前を向いて走りなさい。……弟さんの元へたどり着くための道は、私が整えてあげるわ」
そう言い残すと、カグヤは夜の帳に溶けるようにその場を去っていった。
翌朝。
リビングには、カグヤの姿はなかった。
書き置き一つなく、彼女は愛用の日傘と専属の護衛たちを連れて、姿を消していた。
俺は、彼女が遺した微かな香りの名残を感じながら、デリバリーランサーのハンドルを強く握りしめた。
「……ああ。俺は走るよ、カグヤ」
光の当たる道を走る俺と、闇の深淵に消えた弟。
二つの道が再び交わる時、何が現れるのか。そして、消えたカグヤは何をしようとしているのか……
心に蟠りを残しつつも、俺には走ることしかできなかった。
表向きは「物流特区のさらなる発展」を掲げるギルドだが、その実態は闇デリバリーという目に見えない毒に侵食されつつあった。
その日の朝、俺とユウキはギルド本部の特別応接室に呼び出されていた。
重苦しい沈黙が流れる中、職員の釘山が机の上に一枚の書類を叩きつけるように置く。
「いいか、二人とも。よく聞け。……この件はもう、君たちの手に負える範疇を超えた」
釘山の声は、いつになく冷徹だった。
「……どういう意味ですか、釘山さん」
俺が問い返すと、彼は鋭い視線を向けてきた。
「闇デリバリーの背後には、複数の大規模組織が絡んでいることが判明した。警察、および防衛省の特務班が本日付で本腰を入れて動くことになった。
……そこでだ。天野 蓮《レン》、そして早見 結希《ユウキ》。君たちには、今後、闇デリバリーに関するあらゆる独自調査、および接触を『全面禁止』とする箝口令が敷かれた」
「全面禁止……!? なんでだよ! あたしたち、あいつに煽られて、しかも先輩は……っ!」
ユウキが椅子を蹴る勢いで立ち上がる。しかし、釘山はそれを手で制した。
「これは命令だ。君たちの能力は『届ける』ことであって、犯罪捜査官じゃない。不法な現場に首を突っ込み、もし君たちの身に何かあれば、ダンジョン物流そのものが停滞する。……天野君、分かったな? 返事を聞こう」
「…………。了解、しました」
俺は膝の上で拳を握りしめた。爪が掌に食い込み、微かな痛みが走る。
俺が捜しているのは犯罪者じゃない。たった一人の弟なんだ――そう叫びたかったが、今の俺にそれを証明する手段は一つもなかった。
◆◆◆
それからの数日間、俺はただ機械的に仕事をこなした。
朝六時に起床し、機材の点検を行い、ユウキと合流して指定された座標へ荷物を運ぶ。
ユウキは新スキル【ハンターズ・パス】を駆使し、豪快に泥を撥ね飛ばして道を作っていく。彼女なりに、沈んでいる俺を励まそうとしているのは伝わってきた。だが、今の俺にはその風の感触も、タイヤが路面を噛む確かな手応えも、どこか遠く、虚空を漕いでいるような感覚しかなかった。
あの日、崖下へ消えていった漆黒の自転車。
一瞬だけ目が合った、あの冷たい瞳。
十数年前、大氾濫の混乱の中で俺の手を離れていったレイは、まだ幼い子供だった。今のあいつが、どんな声で笑うのかさえ、俺は知らない。
走り方から確信を得たわけじゃない。あんな重力を無視した異次元の走りは、俺の知る幼いレイとは結びつかない。
だが――心が、胸の奥がざわつく。
理屈じゃない。魂が「あそこにいるのは、お前の弟だ」と叫び続けていた。
「……はぁ」
ルナ・コート・レジデンスの広大なバルコニー。
夜景を見下ろしながら、俺は深い溜息をついた。手元のコーヒーはすでに冷めきっている。
そんな俺の背後に、気配もなく彼女が現れた。
「らしくないわね、レン。そんな暗い顔をしていては、幸せが逃げていくわよ」
カグヤだった。
彼女はいつもの華やかなドレスではなく、ゆったりとしたシルクのガウンを纏い、俺の隣に並んだ。夜風に彼女の長い髪がなびき、甘く落ち着いた香水の香りが漂う。
「カグヤ……。すまない、少し考え事をしていた」
「隠し事は無しよ。私の目は、どんな嘘も見逃さないわ」
カグヤは俺の顔を正面から覗き込んできた。その瞳は、すべてを見透かすように澄んでいて、同時に深い慈愛に満ちていた。
「何に悩んでいるの? 闇デリバリーの件でギルドに釘を刺されたこと? ……それとも、あの時にすれ違ったドライバーに心当たりがあるのかしら?」
俺は黙り込んだ。ギルドの禁止命令が頭をよぎる。しかし、カグヤの真剣な眼差しを前に、俺の心の中で堰き止めていた感情が、決壊したダムのように溢れ出した。
「……直感なんだ」
「直感?」
「あの日、すれ違った瞬間……全身の血が逆流するような感覚があった。あいつの顔なんて、十数年前に別れたきりだ。身長も、体格だって、俺の知ってるレイとは全然違う。
……でも、心が、魂が揺さぶられたんだ。あそこにいるのは、俺がずっと捜していた弟だって……俺の中の何かが、そう断言してるんだ」
俺は震える声で、すべてを吐き出した。
弟が生きていたかもしれないという喜び。だが、それが「闇デリバリー」という犯罪の片棒を担がされているかもしれないという恐怖。そして、警察に任せろと言われ、何もできない自分への無力感。
カグヤは、俺が語り終えるまで、一度も口を挟まなかった。
ただ、静かに、優しく俺の話を受け止めていた。
「……話してくれてありがとう、レン。十数年も離れていても消えない絆が、あなたの心に火をつけたのね」
「カグヤ……。俺はどうすればいい……。ずっと探していたあいつが、俺のことを覚えてもいないとしたら……」
「安心しなさい。……あなたの直感がそうだと言っているなら、それが正解よ」
カグヤの瞳に、見たこともないほど鋭く、冷徹な光が宿る。何かを考えを秘めている時のカグヤだ。
「私の誇る最高の運び屋に、こんな湿気た顔をさせた報いは受けてもらうわ。
……ギルドが動けない、いいえ、動かないなら、私が動く。裏に潜む闇……すべて暴いてあげる」
「カグヤ? 何を……」
「これ以上は、レディの秘密よ」
カグヤはそっと指を俺の唇に当て、小さく微笑んだ。
「私に任せて。あなたは明日も、迷わず前を向いて走りなさい。……弟さんの元へたどり着くための道は、私が整えてあげるわ」
そう言い残すと、カグヤは夜の帳に溶けるようにその場を去っていった。
翌朝。
リビングには、カグヤの姿はなかった。
書き置き一つなく、彼女は愛用の日傘と専属の護衛たちを連れて、姿を消していた。
俺は、彼女が遺した微かな香りの名残を感じながら、デリバリーランサーのハンドルを強く握りしめた。
「……ああ。俺は走るよ、カグヤ」
光の当たる道を走る俺と、闇の深淵に消えた弟。
二つの道が再び交わる時、何が現れるのか。そして、消えたカグヤは何をしようとしているのか……
心に蟠りを残しつつも、俺には走ることしかできなかった。
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※この話は小説家になろう様へも掲載しています
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