虎と姫ぎみ――異彩奇譚

月森あいら

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終章

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 夏の終わりの、涼しさを含んだ風がさやさやと流れる。
 くすくす、くすくす、と笑い声がする。女の声だ。女というよりも、少女のような。少女の笑い声が、大気を伝って聞こえてくる。
 子供たちは、あたりを見回す。見回して、笑いの主を捜す。しかし誰も笑ってなどいない。話を聞かせてくれた老人が、微笑んで子供たちを見やっているばかりだ。
「……あ」
 ひとり、何かに気づいたかのように声をあげた。皆がそちらを見る。声をあげた子供は老人のもたれかかる灌木を指差した。
「あの、花って」
 皆が、灌木のつけた花を見る。赤い花。まるで夏の陽射しを吸い込み、それを精気として開いたような澄んだ赤、瑞々しい赤。
「無窮花だ!」
 誰かが言った。そう言った子供に老人は顔を向け、にこりと微笑む。その笑みは、そう言い当てた子供を褒めるかのようだ。
「無窮花だ! 文秀と、旅をしてきた」
「文秀を守ってきた、無窮花だ! 文秀の、眷属だ」
 眷属、との言葉が出たときだけ、笑い声は途切れた。老人のもたれる灌木が、少し揺れたように見えるのに、子供たちは声を聞いたような気がした。眷属なんかじゃないんだから。そんなふうに言わないでちょうだい!
 そんな声を聞いたような気がしたものだから、子供たちはますます確信した。老人は何も考えずに、ただそこいらにあった灌木にもたれかかったのではないのだ。それが無窮花だから。彼の眷属である無窮花だから、だから老人は、あえてこの場所を選んで座ったのだ。
「ずっと一緒にいたんだね」
 老人は頷いたのかもしれなかった。そうなのか、そうでないのか、子供たちには読み取れない微妙な表情で彼はまわりを見渡し、振り向いて無窮花の灌木を見やる。そっと手を差し出し、赤い花を指先で撫でる。
 くすくす、くすくす、と。少女の笑い声がひときわ高くなったように聞こえた。老人は目を細め、無窮花の灌木を見やり、また子供たちを見て。
 子供たちは、口をつぐんだ。老人が、新しい話を口にしようとするのがわかったからだ。
「また、別の話をしようか。今度は、男と、花と。風と雨と、雲の話を」
 風が吹いた。夏の終わりを知らしめる、わずかに涼しさを含んだ風だった。


<終>
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