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日向頼子・二

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 頼子が初めて祐馬に会ったのは、頼子の母・操が日向家の昼餐会に招待されたからだ。頼子もともに招かれ、祐馬の母の八重が昼餐会の主人としてふたりを歓迎した。この集まりは祐馬と頼子を引き合わせるためのものであることは、頼子を含めての誰もが知っていた。
 ほかに招かれていたのは新見伯爵の内室とまだ幼い令嬢、そして馬場伯爵の内室。いずれも八重と親しくしている縁で呼ばれたゆえで、この昼餐会の主役は頼子だった。
 頼子は、その日のために桂の花をちりばめた模様の振り袖をあつらえた。化粧は薄く、紅は小さく塗り込めた。支度が出来たときから何度も鏡を覗き込んでは弥生に苦笑された。
「お嬢様、そんなにお気になさらなくとも充分おきれいでいらっしゃいますよ」
「でも、……日向のおばさまにいい印象を持っていただきたいもの」
「頼子さまがお気になっていらっしゃるのは日向のご内室さまではなく、祐馬さまのほうでいらっしゃいましょうに」
 弥生は笑みとともに意地悪くそのようなことを言って頼子を憤慨させた。しかし頼子も本気で怒ったわけではない。浮かれた心を隠す、戯れに過ぎない。
頼子は再び鏡を覗き込む。頼子の目の下にはふたつ、並んでほくろがある。それは生まれながらにあるもので、鏡を見るたびに頼子の目に飛び込んでくるものだ。鏡越し頼子の背後に映る弥生に、頼子は唇を尖らせて見せた。
「そのように言うのなら、お母様に申し上げて弥生はお留守番にしていただくわ」
「まぁ、そんな意地悪をおっしゃらないでくださいませ」
 弥生は本当に困ったように言った。
「頼子さまの背の君になられるお方を、是非とも拝見しなければ。弥生は夜も眠れません」
「なら、もう一回ちゃんと見てちょうだいね。どこかおかしいところはないかしら。おばさまに恥ずかしいところをお見せするのは絶対にいやよ」
「はいはい、どこにも非の打ち所もございませんよ」
「本当に?」
 ふたりは目を見合わせて、そして小さく声を上げて笑った。襖越しに頼子を呼ばわる声がして、返事をすると下女が引き戸を開けた。現れたのは紬姿の操だった。頼子は母を見て、言った。
「お母様、わたくし、おかしなところはございませんかしら」
「大丈夫よ、立ってご覧なさい。わたくしが見てあげましょう」
 頼子は立ち、両手を緩く持ち上げて袖の模様がはっきり見えるようにする。操は頼子を隙のない視線で見つめ、そして満足そうにうなずいた。指を伸ばし、頼子の後れ毛を整えてくれた。
「美しく仕上がったわね。これなら祐馬さまも美しい花嫁をおもらいになれるとお喜びになられるはずよ」
 頼子は湧き上がる喜びを隠すためにうつむき、微笑みを噛み殺した。弥生の弾むような声が聞こえる。
「まったくでございます。この弥生、頼子お嬢様がお輿入れをなさる日を楽しみに、今まで生きて参ったのでございますから」
「本当に、弥生には世話になったわ。これからもまた、世話になるわね」
「もちろんでございます、お任せ下されませ。奥様の分も、あちらのお家でお嬢様のお力になりますつもりでございます」
 言葉を交すふたりの様子を、頼子は嬉しく見つめていた。晴れがましい時間が待っている。夫となる人に会い、気に入られ、結納を交し嫁入りをする。夫に仕え舅に姑に仕え、子供を産み育て婚家を守り、自分も娘を嫁がせる。今まではそのための準備の期間だった。これからが頼子の人生の始まりだ。今日がその一歩だ。
 真新しい衣を身に、慣れない着心地はしかしなんの苦でもなかった。頼子は期待と緊張に乱れがちになる歩を、しとやかに保つことに苦心した。
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