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第一話
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祭祀のための重い服を脱いだラティは、深く息をついた。着替えの手伝いをしてくれていた神殿女官は、白い祭祀の衣装を手に頭を下げて、部屋を下がる。ラティは長い銀色の髪を指先で整え、また息を吐く。
十二才のラティには、毎朝の祭祀は退屈で仕方がない。午になれば祭祀は終わり、ラティには勉強の時間がやってくる。勉強はそれほど好きではなかったけれど、ずっと神の像の前に跪いていなくてはいけない祭祀よりはましだ。だからラティは、毎日午の時間がやってくるのを心待ちにしていた。そのようなことを口に出せば、姫巫女らしくないといって叱られるのだろうけれど。
(あの方は、どなただったのかしら)
ラティは、自分の銀色の髪を見やる。銀の髪に赤い瞳。真っ白な肌。ラティはそんな、特殊な外見をしていた。このハルシア王国の住人に、そのような者はいない。ときおり――百年に一度とも二百年に一度とも言われているが――生まれる銀の髪に赤い瞳、白い肌の娘はすなわち神の娘だと言われていて、だからラティは姫巫女で、親兄弟からも遠く、このアウェルヌス神殿に暮らしているのだ。
(今日の祭祀に来ていらした方。美しい金の髪と、青の瞳――)
しかしラティには、自分が姫巫女たるゆえんがわからない。歴代の姫巫女は神の声を聴いたり動物や植物と話をしたりという特殊な能力を持っていた者もあったというが、ラティにはそのような能力はない。銀の髪と赤い目を持っているというだけで、神の声を聴いたこともなければ動物や植物と話ができるということもない。
(あの方は、どなただったのかしら)
「ラティさま」
声をかけてきたのは、ラティよりも少し年嵩の神殿女官だ。
「姫巫女としてのお勤め、本日も無事果たされたよし。お疲れさまでございます」
女官は丁寧に頭を下げて、ラティはそれに応えてうなずいた。
「失礼いたします」
女官が下がったのを目に、ラティは窓の方を向いた。もうすぐ午だ。天には高い陽が昇っていて、部屋にもその眩しい光が差し込んでくる。
その日差しを顔に受けながら、ラティは窓の外を眺めた。このアウェルヌス神殿の庭園は広く、緑の木々が茂っている。今日の緑の色は濃く、その眩しさにラティは目を細めた。
部屋の扉が叩かれる。窓の外を見つめたまま、ラティは生返事をする。
「ラティさま、昼餉の準備が整ってございます」
「ありがとう、運んでちょうだい」
言うと、扉の向こうから盆を捧げ持った女官たちがやってきた。今日の昼餉はパンに乳酪のスープ、野菜の炒めものらしい。
(今まで、見たことのない方だったわ。祭祀にいらっしゃる方となると、王家のどなたかなのだろうけれど)
皆はしずしずと、足音を立てない。部屋の卓に食事を並べ、黙って傍らに立つ。ラティは椅子に腰を降ろし、すると女官たちは計ったように揃って頭を下げる。
「いただきます」
ラティは、小さな声で言った。返事はない。女官たちは目を臥せ、ラティの食事が終わるのを待っている。ラティがひとりの食事をする間彼女たちはずっとそのまま、顔を上げることはない。
(味気ない……)
食事のたびに、ラティは胸の奥でそう思う。世の中には食べるものもなく飢えている人もたくさんいるのだから、そのようなことを思ってはいけない。感謝とともに食事をし、飢える人がひとりでも少なくなるように祈るのが、ラティの仕事のひとつでもある。だから、そんなラティが味気ないなどと思ってはいけないのだけれど。
(でも、誰か一緒に食べてくれたらいいのに)
いつもそう思う。食事のたびに、誰か一緒に食べてくれないか。一緒に話をしながら食べる相手がいてくれないものかと思う。
けれど、ラティは姫巫女だから。聖なる姫巫女は、食事を誰かとともにしたりはしないものだ。二歳のころからこの神殿にいるラティは、そう教えられてきた。誰かとともに食事をするなど、姫巫女のすることではない。
(わたしが姫巫女でなかったら)
ラティはときおり、そのようなことを考える。
(わたしが姫巫女でなかったら、誰かと一緒に食事をしてもいいのかしら)
姫巫女は神秘の紗の向こうにいて、それはそば近く使える神殿女官たちにとってもそうだということになっている。だから彼女たちは、ラティの食事の光景を見ない。まるで目の前の光景はないことであるかのように、そっと目を伏せてじっと控えているのだ。
(せめて、ヘタイラがいてくれたら)
ラティはそう考える。ヘタイラとは先だっての冬までラティの側仕えだった老女官だ。ラティに母の記憶はないが、ヘタイラはその母のような慈愛でラティの世話をしてくれていた。
ヘタイラは、深い雪の日にその命を終えた。それ以来ラティの世話係の女官はほかの者に代わったが、ヘタイラほどに親しみは持てない。ヘタイラはラティの母であり祖母であり、すべての世話を担っていた者だったのだから。
(ヘタイラ……)
ヘタイラのことを思い出すと、つい涙ぐんでしまう。こぼれそうになる涙を拭おうと、匙を持った手を目もとに添えた。
「あ」
匙を取り落としてしまった。からん、と乾いた音がする。女官のひとりが素早くしゃがみ、匙を拾い上げてくれる。
「ありがとう……」
ラティの礼に、女官は黙って頭を下げた。彼女は部屋から辞し、ややあって戻ってくる。新しい匙が手もとに置かれ、ラティはまた礼を言った。
女官は何も言わない。ただ頭を下げただけで、またもとの位置に戻る。そうやって続く静かな食事に、ラティは知らずため息をついていた。
(ヘタイラだって、食事はひとりでするようにと言っていたけれど。食事の間のおしゃべりは、決して許してくれなかったけれど)
野菜をつつきながら、ラティは思う。
(今日は、なぜか特に寂しく感じるのはどうしてかしら? いつものことなのに。今日はなぜか、静かなのが寂しい)
甘い人参にはいい具合に火が通っていて、あまりこの野菜が得意ではないラティの口にも合った。今日の調理係はラティの舌に合う食事を作ってくれるようだ。
(こんなにおいしい料理だからかしら? だからよけいに、誰かと一緒に食べたくなるのかしら)
静かに咀嚼しながら考える。
(それとも……)
部屋に聞こえるのは、ラティの食べものを噛む音だけ。神殿は、どこもかしこも静かだ。歩くときも足音を立てず、衣擦れの音さえも最小限に、身振りにも細心の注意を払う。幼いころはよく足音を立てて走って、叱られたことを思い出す。
(あとで、メダイを見よう)
心密かに、ラティはそう考えた。
(メダイを見たら、きっと心が落ち着くわ。こんなに悲しいのもなくなるはず)
メダイとはヘタイラの残してくれた、小さな丸い、金属の飾りだ。てっぺんに輪がついていて、鎖が通せるようになっている。ラティの母が、娘を神殿に送り出すときに持たせてくれたものだというが、ラティ自身には記憶はない。ただ母の思い出の品だと聞かされて、小さな箱に入れて戸棚の抽斗の片隅に、そっと大切にしまってあるものだ。
メダイは銅でできていて、美しい少女の横顔が彫ってある。ラティは、それを見るのが好きだった。単に美しいというだけではない、見ていると心が落ち着くような気がするのだ。
(このメダイは、決して誰にも見せてはいけませんよ)
ヘタイラの言葉が蘇る。
(お母さまの、大切な思い出の品です。決して誰にも、私以外の者に見せてはなりません)
ヘタイラは、そう何度も言っていた。それを聞くたびにラティはうなずき、ぎゅっとメダイを握りしめた。今ではそのメダイは、顔も知らない母の思い出というよりも、ヘタイラの思い出の品としてラティの戸棚の片隅にしまってある。
食事が終わって女官たちが下がれば、メダイを見よう。そう思いながら、ラティは再び乳酪のスープを啜る。啜る音にも気をつけて、その間も女官たちは微動だにしない。
そのうちのひとり、一番幼いラティと同じくらいの歳の女官の金の髪は、今日の祭祀に初めて顔を見せたあの少女を思い起こさせる。その金色を目に、ラティの口は自然に開いた。
「ねぇ……」
いつもは声をかけたりしないのに。ラティは女官たちに話しかけた。女官たちははっとしたようにラティを見て、しかしすぐに顔を伏せた。
「今日、新しく神殿に来ていたお方。あの方はどなたか、知ってる?」
女官たちは、ラティの質問に答えていいものか迷っているようだ。ここに古参の女官がいれば、食事中に話すことなど許されないと叱られるところだが、ここにいる女官たちは皆年若く、規律にはうるさくないようだ。もっとも年長の女官が、答えてくれた。
「国王陛下の第二王女、アストライアさまにございますれば」
「アストライアさま?」
ラティは聞き返した。女官は目を伏せたまま、小さくうなずいた。
「十二才におなりになったので、離宮から王都にお移りなされたのでございます」
「十二才? わたしと同じだわ」
ついラティは、声を弾ませた。
「おきれいなお方だったわよね。美しい金の髪で、大きな青い目をしてらして」
「ラティさま、お静かにお食事なさいませんと」
たまりかねたように、別の女官が声をあげた。
「今は、お話の時間ではございません」
「だって、気になったんだもの……」
ラティは、少し唇を尖らせた。そしてまた食事に戻る。残りの食事を片づける間、また部屋は静寂に包まれた。ラティの脳裏には、聞いたばかりの名前が焼きついている。
(アストライアさま……よく灼けた肌をしておいでだったわ。すっごく、おきれいな)
ラティの真っ白な肌とは対照的だ。ラティの髪は銀で、目は赤で、肌は白くて。何もかもがアストライアとは違い、アストライアの気の強そうな青い目を思い浮かべるだに、その性質もまったく反対であるように思える。
(あの方と、お話ししてみたい。あの方をもっと近くで見る機会が、この先あるかしら)
その希望は、とても叶えられるとは思わなかったけれど。アストライアが神殿の祭祀に来ることがあっても、ふたりの席は離れている。ラティは祭壇の向こう、アストライアは参列席。ラティが目を向けたときアストライアは神妙に頭を下げていて、彼女の青い瞳を見たのも一瞬のことだった。
(また、来てくださるといいのだけれど……)
そう思いながら、スープの最後のひと口を飲み下した。今日の料理番とは、気が合いそうだ。ひとりだけの食事は味気ないとはいえ料理は美味で、ラティは満足のため息をついた。
アストライア・カリスト・シャハリート。それが彼女の名前だった。
「十二才になったから、離宮から王都にいらっしゃったのだと聞いたけれど。本当なの?」
「そのとおりですよ、ラティさま」
答えたのは、ラティの家庭教師であるレーシンだ。赤みがかった黒髪に浅く灼けた肌、目は紫がかった青の彼女は、二十三才。ラティの部屋で教書である書簡を開きながら、そう言った。
「王子と王女は、十二才まで離宮で育つのが決まりですから。先日初めて王都においでになったのですよ」
「わたし、初めてお目にかかったわ。お目にかかったとはいっても、わたしがちらりと見ただけなのだけれど。とてもきれいな、青の瞳と金色の髪をしておいでね」
「そうですね」
うなずいて、レーシンは書簡をラティの前に広げる。見せられた面を目に、ラティは小さく眉をしかめた。今日の勉強は数術で、ラティはあまり得意ではないのだ。
「わたし、アストライアさまと同じ年なのよ」
少し胸を張って、ラティは言った。
「何だか、ご縁があるようで嬉しいわ」
言って、ラティは書巻に目を落とす。今から苦手な勉強に取りかからなくてはいけないのに、アストライアのことが頭から離れない。目をつぶると彼女の金の髪、青い瞳がよぎるように思う。
「お友達になりたいわ、わたし」
そう言ったラティを、驚いたようにレーシンは見た。
「アストライアさまと、お友達になってみたいの」
「そんな、アストライアさま」
レーシンは、少し肩をすくめる。その仕草に、そのようなことは不可能だと言われているような気がして、ラティはがっかりとうつむいてしまう。
「無理よね……わかってるわ」
レーシンは、ヘタイラ亡きあとラティが胸のうちを打ち明けることのできる、数少ない相手だ。だからラティはなおも話し続けた。
「姫巫女が、お友達なんて。許されないのはわかっているわ。それでも、お話ししてみたいの。少しだけでいいわ、アストライアさまと言葉を交してみたい」
「姫巫女は、神殿から出てはいけない決まりですよ」
わかりきっていることを、レーシンは言った。
「アストライアさまがお訪ねくださるのならともかく、ラティさまが神殿から出ては……」
「わかっているわ」
ラティは、深く息をつく。
「もし出ても、この髪と瞳ですもの。すぐに姫巫女だとわかって連れ戻されてしまうわね」
書簡の文字を、指先でなぞる。くねくねとした文字を指でなぞっているうちに、何となく楽しい気持ちになってその先をなぞっていく。
「ラティさま、もうよろしいでしょう。お勉強に入りますよ」
「はい」
ラティは、肩をすくめた。小さくうつむいて、上目遣いにレーシンを見る。
「お願いします、先生」
そして、授業が始まった。しかし勉強は、苦手な数術のものだ。その難しさに閉口して、ラティの気分はだんだん下向きになってしまった。
祭祀は毎日行われる。七の曜日ごとには王族が祭祀所に集まり、貴の祭祀が行われる。
今日は、貴の祭祀の日だ。ラティは祭壇の前で顔を臥せ両手を組み、神の像に向かって祈りを捧げる。神殿長が説法を述べる。その間もラティは、神に祈りを捧げ続ける。神殿長の言葉が、神に届くように。
聖なる姫巫女は、神と参列する者たちをつなげる役目を負う。祈りは長く続き、神殿長が説法の終わりを告げる小さな咳払いをするまで、祈りは続いた。
ラティの祈りが終わる。祭祀はそれを合図に終わりとなる。神殿女官に手を差し伸べられて、ラティは立ち上がる。参列者の方を向き、ゆっくりと丁寧に頭を下げる。
「姫巫女の祝福を」
神殿長の言葉に、ラティは顔を上げた。そして顔を伏せているはずの参列者の中、まっすぐな青い瞳がこちらを向いていることに気がついたのだ。
(アストライアさま……!)
ラティは、息がとまりそうになった。アストライアと、真っ正面から目が合ったのだ。
話をしてみたいと思っていたアストライア、友達になりたいと願ったアストライア。その彼女が、まっすぐ自分を見ている。その表情には薄い笑みが浮かんでいて、それは王女たる威厳にふさわしい、高貴な笑みだと思った。
(どうして、わたしを……?)
アストライアの隣にいるのは、王妃だ。王妃はアストライアが顔を上げているのに気がついて、そっと衣の裾を引っ張っている。アストライアはいたずらが見つかったというような顔をした。その表情は先ほどの笑みとは一転、親しみやすくかわいらしくさえあって、ラティは思わず笑ってしまう。
(アストライアさま、お友達になれそうな方なのに)
姫巫女の身分を、残念に思った。自分が姫巫女でさえなければ、祭祀のあと祭壇を降りていって、手を差し出したのに。お話しをしましょうと誘ったのに。
(つまらない……姫巫女なんて)
ラティは、誰にも気づかれないようにため息をついた。
(お友達になりたい方に、声をかけることもできないなんて)
神殿女官に付き添われたまま、ラティは祭壇の横に立っている。王族たちは従者に案内されて、祭祀所を出る。
アストライアがり返った。驚くラティを見て、にっこりと微笑んでくる。
(アストライアさま……?)
胸が大きく跳ねた。それを押さえつけるように、ラティは胸もとに手を置く。
(わたしを見て、笑った……?)
確かに、アストライアはラティを見た。確かにラティに笑いかけたのだ。ラティの胸は、再び大きく高鳴る。ラティは大きく息をついた。
(アストライアさま……)
アストライアは、すぐに踵を返してしまった。ほかの王族たちと祭祀所を出る。ラティの目は、彼女の後ろ姿を追っていた。見事の長い金色の髪。少年のように伸びた肢体。長い手足に、颯爽とした歩き方。
ラティの目は、アストライアに注がれたままだった。彼女が祭祀所から出ていく間もずっと見つめていて、女官に声をかけられてはっと我に返った。
「ラティさま、ご退室を」
「ええ……」
ラティはうなずいた。視線はアストライアの出ていった方向に向けたまま、ラティは女官の先導する方向に足を向ける。
(アストライアさまと、お目にかかりたい)
心底、そう考えた。
(けど、わたしは姫巫女なのだから。この神殿から、出ることを許されないのだから)
そのことが、重く心にのしかかった。ラティは大きく息をつく。祭祀の衣装の裾をさばき、そのままアストライアたちが出ていったのとは違うところから、祭祀所の外に出て行った。
今日の夜は、月夜だった。
ラティは、窓際に座って外を見ていた。表を満たすのは月の明るい光、それに照らされた木々の緑の濃い色を見つめながら、ラティはひとつ息をついた。
(アストライアさまは、わたしを確かに見た)
ラティは、胸の中で小さくつぶやく。
(わたしを見て、微笑んでくれた。そのことが、なぜだか……とても嬉しい)
そのことを思い出すだけで、胸が湧く。胸に手を置いて抑えておかないとあふれ出てしまいそうなくらいに、喜びが満ちているのだ。
(こんなに嬉しく思うのは、なぜなのかしら)
ラティは、自分の胸に問いかける。
(とても嬉しいの……あんなふうに、笑いかけていただくだけで。それだけでこんなに嬉しいのに、実際にお話ししたら、心の臓が飛び出してしまうんじゃないかしら)
そんなばかげたことを考えてしまうくらいに、ラティはアストライアに惹かれている。まだ一言も言葉を交したこともないのに、惹かれているだなんて。それでもあの気の強そうな青い瞳、美しい金髪とすらりとした肢体を前に、彼女の惹かれない者がいるのだろうか。彼女を見て、何も思わない者があるのだろうか。
またラティはため息をつく。自分の銀の髪に指を絡め、ゆっくりと引く。月明かりに銀が光って、織物を作るための糸のようだ。
(でも、わたしはこの容姿だもの)
そう思うと、またため息が洩れる。
(アストライアさまがわたしを見たのは、この容姿に驚いたからかもしれないわ。離宮から初めて王都にやってきたということですもの……銀髪に赤い目の姫巫女を初めて見て、驚いただけかもしれない)
その考えは、ラティをずんと落ち込ませる。
(ほかに、こんな容姿の者はいないもの。物珍しくて……ご覧になっただけかも)
それでも、とラティは自分を鼓舞した。
(でもあのお顔は、気味が悪いと思っているお顔ではなかった。気味が悪いと思われないのは、よかったけれど……)
銀髪の赤い瞳は、姫巫女の証。その聖なる徴を前に、しかし気味が悪いと目を背ける者もあるのだ。そのような視線を受けるたびに、ラティの胸は深く抉れる。
(でも、アストライアさまはそのような方ではなかった。わたしをまっすぐに見てくださって、笑ってくださって……)
また、月明かりを見やる。アストライアのことでいっぱいになった頭は、月明かりの美しさを以前ほどは感じない。きらめく光はアストライアの金髪を思い出させ、空に浮かぶ丸い月は、アストライアの瞳を思い起こさせる。
(わたし、どうしてあの方のことばかり……)
それは、ラティの姫巫女としての日常の中に突然降りてきた。このままずっと、永遠に続くのだと思っていた姫巫女としての生活の中に、まるでひとひら舞い降りてきた鮮やかな花びらのように――。
ラティの心を、変えていった。
十二才のラティには、毎朝の祭祀は退屈で仕方がない。午になれば祭祀は終わり、ラティには勉強の時間がやってくる。勉強はそれほど好きではなかったけれど、ずっと神の像の前に跪いていなくてはいけない祭祀よりはましだ。だからラティは、毎日午の時間がやってくるのを心待ちにしていた。そのようなことを口に出せば、姫巫女らしくないといって叱られるのだろうけれど。
(あの方は、どなただったのかしら)
ラティは、自分の銀色の髪を見やる。銀の髪に赤い瞳。真っ白な肌。ラティはそんな、特殊な外見をしていた。このハルシア王国の住人に、そのような者はいない。ときおり――百年に一度とも二百年に一度とも言われているが――生まれる銀の髪に赤い瞳、白い肌の娘はすなわち神の娘だと言われていて、だからラティは姫巫女で、親兄弟からも遠く、このアウェルヌス神殿に暮らしているのだ。
(今日の祭祀に来ていらした方。美しい金の髪と、青の瞳――)
しかしラティには、自分が姫巫女たるゆえんがわからない。歴代の姫巫女は神の声を聴いたり動物や植物と話をしたりという特殊な能力を持っていた者もあったというが、ラティにはそのような能力はない。銀の髪と赤い目を持っているというだけで、神の声を聴いたこともなければ動物や植物と話ができるということもない。
(あの方は、どなただったのかしら)
「ラティさま」
声をかけてきたのは、ラティよりも少し年嵩の神殿女官だ。
「姫巫女としてのお勤め、本日も無事果たされたよし。お疲れさまでございます」
女官は丁寧に頭を下げて、ラティはそれに応えてうなずいた。
「失礼いたします」
女官が下がったのを目に、ラティは窓の方を向いた。もうすぐ午だ。天には高い陽が昇っていて、部屋にもその眩しい光が差し込んでくる。
その日差しを顔に受けながら、ラティは窓の外を眺めた。このアウェルヌス神殿の庭園は広く、緑の木々が茂っている。今日の緑の色は濃く、その眩しさにラティは目を細めた。
部屋の扉が叩かれる。窓の外を見つめたまま、ラティは生返事をする。
「ラティさま、昼餉の準備が整ってございます」
「ありがとう、運んでちょうだい」
言うと、扉の向こうから盆を捧げ持った女官たちがやってきた。今日の昼餉はパンに乳酪のスープ、野菜の炒めものらしい。
(今まで、見たことのない方だったわ。祭祀にいらっしゃる方となると、王家のどなたかなのだろうけれど)
皆はしずしずと、足音を立てない。部屋の卓に食事を並べ、黙って傍らに立つ。ラティは椅子に腰を降ろし、すると女官たちは計ったように揃って頭を下げる。
「いただきます」
ラティは、小さな声で言った。返事はない。女官たちは目を臥せ、ラティの食事が終わるのを待っている。ラティがひとりの食事をする間彼女たちはずっとそのまま、顔を上げることはない。
(味気ない……)
食事のたびに、ラティは胸の奥でそう思う。世の中には食べるものもなく飢えている人もたくさんいるのだから、そのようなことを思ってはいけない。感謝とともに食事をし、飢える人がひとりでも少なくなるように祈るのが、ラティの仕事のひとつでもある。だから、そんなラティが味気ないなどと思ってはいけないのだけれど。
(でも、誰か一緒に食べてくれたらいいのに)
いつもそう思う。食事のたびに、誰か一緒に食べてくれないか。一緒に話をしながら食べる相手がいてくれないものかと思う。
けれど、ラティは姫巫女だから。聖なる姫巫女は、食事を誰かとともにしたりはしないものだ。二歳のころからこの神殿にいるラティは、そう教えられてきた。誰かとともに食事をするなど、姫巫女のすることではない。
(わたしが姫巫女でなかったら)
ラティはときおり、そのようなことを考える。
(わたしが姫巫女でなかったら、誰かと一緒に食事をしてもいいのかしら)
姫巫女は神秘の紗の向こうにいて、それはそば近く使える神殿女官たちにとってもそうだということになっている。だから彼女たちは、ラティの食事の光景を見ない。まるで目の前の光景はないことであるかのように、そっと目を伏せてじっと控えているのだ。
(せめて、ヘタイラがいてくれたら)
ラティはそう考える。ヘタイラとは先だっての冬までラティの側仕えだった老女官だ。ラティに母の記憶はないが、ヘタイラはその母のような慈愛でラティの世話をしてくれていた。
ヘタイラは、深い雪の日にその命を終えた。それ以来ラティの世話係の女官はほかの者に代わったが、ヘタイラほどに親しみは持てない。ヘタイラはラティの母であり祖母であり、すべての世話を担っていた者だったのだから。
(ヘタイラ……)
ヘタイラのことを思い出すと、つい涙ぐんでしまう。こぼれそうになる涙を拭おうと、匙を持った手を目もとに添えた。
「あ」
匙を取り落としてしまった。からん、と乾いた音がする。女官のひとりが素早くしゃがみ、匙を拾い上げてくれる。
「ありがとう……」
ラティの礼に、女官は黙って頭を下げた。彼女は部屋から辞し、ややあって戻ってくる。新しい匙が手もとに置かれ、ラティはまた礼を言った。
女官は何も言わない。ただ頭を下げただけで、またもとの位置に戻る。そうやって続く静かな食事に、ラティは知らずため息をついていた。
(ヘタイラだって、食事はひとりでするようにと言っていたけれど。食事の間のおしゃべりは、決して許してくれなかったけれど)
野菜をつつきながら、ラティは思う。
(今日は、なぜか特に寂しく感じるのはどうしてかしら? いつものことなのに。今日はなぜか、静かなのが寂しい)
甘い人参にはいい具合に火が通っていて、あまりこの野菜が得意ではないラティの口にも合った。今日の調理係はラティの舌に合う食事を作ってくれるようだ。
(こんなにおいしい料理だからかしら? だからよけいに、誰かと一緒に食べたくなるのかしら)
静かに咀嚼しながら考える。
(それとも……)
部屋に聞こえるのは、ラティの食べものを噛む音だけ。神殿は、どこもかしこも静かだ。歩くときも足音を立てず、衣擦れの音さえも最小限に、身振りにも細心の注意を払う。幼いころはよく足音を立てて走って、叱られたことを思い出す。
(あとで、メダイを見よう)
心密かに、ラティはそう考えた。
(メダイを見たら、きっと心が落ち着くわ。こんなに悲しいのもなくなるはず)
メダイとはヘタイラの残してくれた、小さな丸い、金属の飾りだ。てっぺんに輪がついていて、鎖が通せるようになっている。ラティの母が、娘を神殿に送り出すときに持たせてくれたものだというが、ラティ自身には記憶はない。ただ母の思い出の品だと聞かされて、小さな箱に入れて戸棚の抽斗の片隅に、そっと大切にしまってあるものだ。
メダイは銅でできていて、美しい少女の横顔が彫ってある。ラティは、それを見るのが好きだった。単に美しいというだけではない、見ていると心が落ち着くような気がするのだ。
(このメダイは、決して誰にも見せてはいけませんよ)
ヘタイラの言葉が蘇る。
(お母さまの、大切な思い出の品です。決して誰にも、私以外の者に見せてはなりません)
ヘタイラは、そう何度も言っていた。それを聞くたびにラティはうなずき、ぎゅっとメダイを握りしめた。今ではそのメダイは、顔も知らない母の思い出というよりも、ヘタイラの思い出の品としてラティの戸棚の片隅にしまってある。
食事が終わって女官たちが下がれば、メダイを見よう。そう思いながら、ラティは再び乳酪のスープを啜る。啜る音にも気をつけて、その間も女官たちは微動だにしない。
そのうちのひとり、一番幼いラティと同じくらいの歳の女官の金の髪は、今日の祭祀に初めて顔を見せたあの少女を思い起こさせる。その金色を目に、ラティの口は自然に開いた。
「ねぇ……」
いつもは声をかけたりしないのに。ラティは女官たちに話しかけた。女官たちははっとしたようにラティを見て、しかしすぐに顔を伏せた。
「今日、新しく神殿に来ていたお方。あの方はどなたか、知ってる?」
女官たちは、ラティの質問に答えていいものか迷っているようだ。ここに古参の女官がいれば、食事中に話すことなど許されないと叱られるところだが、ここにいる女官たちは皆年若く、規律にはうるさくないようだ。もっとも年長の女官が、答えてくれた。
「国王陛下の第二王女、アストライアさまにございますれば」
「アストライアさま?」
ラティは聞き返した。女官は目を伏せたまま、小さくうなずいた。
「十二才におなりになったので、離宮から王都にお移りなされたのでございます」
「十二才? わたしと同じだわ」
ついラティは、声を弾ませた。
「おきれいなお方だったわよね。美しい金の髪で、大きな青い目をしてらして」
「ラティさま、お静かにお食事なさいませんと」
たまりかねたように、別の女官が声をあげた。
「今は、お話の時間ではございません」
「だって、気になったんだもの……」
ラティは、少し唇を尖らせた。そしてまた食事に戻る。残りの食事を片づける間、また部屋は静寂に包まれた。ラティの脳裏には、聞いたばかりの名前が焼きついている。
(アストライアさま……よく灼けた肌をしておいでだったわ。すっごく、おきれいな)
ラティの真っ白な肌とは対照的だ。ラティの髪は銀で、目は赤で、肌は白くて。何もかもがアストライアとは違い、アストライアの気の強そうな青い目を思い浮かべるだに、その性質もまったく反対であるように思える。
(あの方と、お話ししてみたい。あの方をもっと近くで見る機会が、この先あるかしら)
その希望は、とても叶えられるとは思わなかったけれど。アストライアが神殿の祭祀に来ることがあっても、ふたりの席は離れている。ラティは祭壇の向こう、アストライアは参列席。ラティが目を向けたときアストライアは神妙に頭を下げていて、彼女の青い瞳を見たのも一瞬のことだった。
(また、来てくださるといいのだけれど……)
そう思いながら、スープの最後のひと口を飲み下した。今日の料理番とは、気が合いそうだ。ひとりだけの食事は味気ないとはいえ料理は美味で、ラティは満足のため息をついた。
アストライア・カリスト・シャハリート。それが彼女の名前だった。
「十二才になったから、離宮から王都にいらっしゃったのだと聞いたけれど。本当なの?」
「そのとおりですよ、ラティさま」
答えたのは、ラティの家庭教師であるレーシンだ。赤みがかった黒髪に浅く灼けた肌、目は紫がかった青の彼女は、二十三才。ラティの部屋で教書である書簡を開きながら、そう言った。
「王子と王女は、十二才まで離宮で育つのが決まりですから。先日初めて王都においでになったのですよ」
「わたし、初めてお目にかかったわ。お目にかかったとはいっても、わたしがちらりと見ただけなのだけれど。とてもきれいな、青の瞳と金色の髪をしておいでね」
「そうですね」
うなずいて、レーシンは書簡をラティの前に広げる。見せられた面を目に、ラティは小さく眉をしかめた。今日の勉強は数術で、ラティはあまり得意ではないのだ。
「わたし、アストライアさまと同じ年なのよ」
少し胸を張って、ラティは言った。
「何だか、ご縁があるようで嬉しいわ」
言って、ラティは書巻に目を落とす。今から苦手な勉強に取りかからなくてはいけないのに、アストライアのことが頭から離れない。目をつぶると彼女の金の髪、青い瞳がよぎるように思う。
「お友達になりたいわ、わたし」
そう言ったラティを、驚いたようにレーシンは見た。
「アストライアさまと、お友達になってみたいの」
「そんな、アストライアさま」
レーシンは、少し肩をすくめる。その仕草に、そのようなことは不可能だと言われているような気がして、ラティはがっかりとうつむいてしまう。
「無理よね……わかってるわ」
レーシンは、ヘタイラ亡きあとラティが胸のうちを打ち明けることのできる、数少ない相手だ。だからラティはなおも話し続けた。
「姫巫女が、お友達なんて。許されないのはわかっているわ。それでも、お話ししてみたいの。少しだけでいいわ、アストライアさまと言葉を交してみたい」
「姫巫女は、神殿から出てはいけない決まりですよ」
わかりきっていることを、レーシンは言った。
「アストライアさまがお訪ねくださるのならともかく、ラティさまが神殿から出ては……」
「わかっているわ」
ラティは、深く息をつく。
「もし出ても、この髪と瞳ですもの。すぐに姫巫女だとわかって連れ戻されてしまうわね」
書簡の文字を、指先でなぞる。くねくねとした文字を指でなぞっているうちに、何となく楽しい気持ちになってその先をなぞっていく。
「ラティさま、もうよろしいでしょう。お勉強に入りますよ」
「はい」
ラティは、肩をすくめた。小さくうつむいて、上目遣いにレーシンを見る。
「お願いします、先生」
そして、授業が始まった。しかし勉強は、苦手な数術のものだ。その難しさに閉口して、ラティの気分はだんだん下向きになってしまった。
祭祀は毎日行われる。七の曜日ごとには王族が祭祀所に集まり、貴の祭祀が行われる。
今日は、貴の祭祀の日だ。ラティは祭壇の前で顔を臥せ両手を組み、神の像に向かって祈りを捧げる。神殿長が説法を述べる。その間もラティは、神に祈りを捧げ続ける。神殿長の言葉が、神に届くように。
聖なる姫巫女は、神と参列する者たちをつなげる役目を負う。祈りは長く続き、神殿長が説法の終わりを告げる小さな咳払いをするまで、祈りは続いた。
ラティの祈りが終わる。祭祀はそれを合図に終わりとなる。神殿女官に手を差し伸べられて、ラティは立ち上がる。参列者の方を向き、ゆっくりと丁寧に頭を下げる。
「姫巫女の祝福を」
神殿長の言葉に、ラティは顔を上げた。そして顔を伏せているはずの参列者の中、まっすぐな青い瞳がこちらを向いていることに気がついたのだ。
(アストライアさま……!)
ラティは、息がとまりそうになった。アストライアと、真っ正面から目が合ったのだ。
話をしてみたいと思っていたアストライア、友達になりたいと願ったアストライア。その彼女が、まっすぐ自分を見ている。その表情には薄い笑みが浮かんでいて、それは王女たる威厳にふさわしい、高貴な笑みだと思った。
(どうして、わたしを……?)
アストライアの隣にいるのは、王妃だ。王妃はアストライアが顔を上げているのに気がついて、そっと衣の裾を引っ張っている。アストライアはいたずらが見つかったというような顔をした。その表情は先ほどの笑みとは一転、親しみやすくかわいらしくさえあって、ラティは思わず笑ってしまう。
(アストライアさま、お友達になれそうな方なのに)
姫巫女の身分を、残念に思った。自分が姫巫女でさえなければ、祭祀のあと祭壇を降りていって、手を差し出したのに。お話しをしましょうと誘ったのに。
(つまらない……姫巫女なんて)
ラティは、誰にも気づかれないようにため息をついた。
(お友達になりたい方に、声をかけることもできないなんて)
神殿女官に付き添われたまま、ラティは祭壇の横に立っている。王族たちは従者に案内されて、祭祀所を出る。
アストライアがり返った。驚くラティを見て、にっこりと微笑んでくる。
(アストライアさま……?)
胸が大きく跳ねた。それを押さえつけるように、ラティは胸もとに手を置く。
(わたしを見て、笑った……?)
確かに、アストライアはラティを見た。確かにラティに笑いかけたのだ。ラティの胸は、再び大きく高鳴る。ラティは大きく息をついた。
(アストライアさま……)
アストライアは、すぐに踵を返してしまった。ほかの王族たちと祭祀所を出る。ラティの目は、彼女の後ろ姿を追っていた。見事の長い金色の髪。少年のように伸びた肢体。長い手足に、颯爽とした歩き方。
ラティの目は、アストライアに注がれたままだった。彼女が祭祀所から出ていく間もずっと見つめていて、女官に声をかけられてはっと我に返った。
「ラティさま、ご退室を」
「ええ……」
ラティはうなずいた。視線はアストライアの出ていった方向に向けたまま、ラティは女官の先導する方向に足を向ける。
(アストライアさまと、お目にかかりたい)
心底、そう考えた。
(けど、わたしは姫巫女なのだから。この神殿から、出ることを許されないのだから)
そのことが、重く心にのしかかった。ラティは大きく息をつく。祭祀の衣装の裾をさばき、そのままアストライアたちが出ていったのとは違うところから、祭祀所の外に出て行った。
今日の夜は、月夜だった。
ラティは、窓際に座って外を見ていた。表を満たすのは月の明るい光、それに照らされた木々の緑の濃い色を見つめながら、ラティはひとつ息をついた。
(アストライアさまは、わたしを確かに見た)
ラティは、胸の中で小さくつぶやく。
(わたしを見て、微笑んでくれた。そのことが、なぜだか……とても嬉しい)
そのことを思い出すだけで、胸が湧く。胸に手を置いて抑えておかないとあふれ出てしまいそうなくらいに、喜びが満ちているのだ。
(こんなに嬉しく思うのは、なぜなのかしら)
ラティは、自分の胸に問いかける。
(とても嬉しいの……あんなふうに、笑いかけていただくだけで。それだけでこんなに嬉しいのに、実際にお話ししたら、心の臓が飛び出してしまうんじゃないかしら)
そんなばかげたことを考えてしまうくらいに、ラティはアストライアに惹かれている。まだ一言も言葉を交したこともないのに、惹かれているだなんて。それでもあの気の強そうな青い瞳、美しい金髪とすらりとした肢体を前に、彼女の惹かれない者がいるのだろうか。彼女を見て、何も思わない者があるのだろうか。
またラティはため息をつく。自分の銀の髪に指を絡め、ゆっくりと引く。月明かりに銀が光って、織物を作るための糸のようだ。
(でも、わたしはこの容姿だもの)
そう思うと、またため息が洩れる。
(アストライアさまがわたしを見たのは、この容姿に驚いたからかもしれないわ。離宮から初めて王都にやってきたということですもの……銀髪に赤い目の姫巫女を初めて見て、驚いただけかもしれない)
その考えは、ラティをずんと落ち込ませる。
(ほかに、こんな容姿の者はいないもの。物珍しくて……ご覧になっただけかも)
それでも、とラティは自分を鼓舞した。
(でもあのお顔は、気味が悪いと思っているお顔ではなかった。気味が悪いと思われないのは、よかったけれど……)
銀髪の赤い瞳は、姫巫女の証。その聖なる徴を前に、しかし気味が悪いと目を背ける者もあるのだ。そのような視線を受けるたびに、ラティの胸は深く抉れる。
(でも、アストライアさまはそのような方ではなかった。わたしをまっすぐに見てくださって、笑ってくださって……)
また、月明かりを見やる。アストライアのことでいっぱいになった頭は、月明かりの美しさを以前ほどは感じない。きらめく光はアストライアの金髪を思い出させ、空に浮かぶ丸い月は、アストライアの瞳を思い起こさせる。
(わたし、どうしてあの方のことばかり……)
それは、ラティの姫巫女としての日常の中に突然降りてきた。このままずっと、永遠に続くのだと思っていた姫巫女としての生活の中に、まるでひとひら舞い降りてきた鮮やかな花びらのように――。
ラティの心を、変えていった。
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