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第二章 貴族は皆、息吐くように嘘をつく
第48話 流れる時間の中で
しおりを挟むゼフラーダ領へは馬車で片道七日掛かる。
以前から構成が難航していた、転移陣の研究への取り組みに絶対に名乗り出ようと、リヴィアは痛む腰を摩りながらささやかに決意した。
ここに着く前、アーサーはフェリクスとライラを連れ、リサベナ領の軍の執務室へで調査報告の詳細を確認しに行った。
ライラは便宜上連れて行ったらしい。
手持ち無沙汰なリヴィアは、リサベナの望遠陣をちゃっかり借りて覗かせて貰い、ゼフラーダの結界陣を確認した。
なるほど確かに陣に綻びが見られる。ただこれは魔術の素養を持たない者には通じない話だろう。
「恥ずかしながらゼフラーダ辺境伯夫人からの密使がなければ把握出来ませんでした」
準導士の青年は申し訳なさそうにリヴィアに告げた。
同じ魔術院勤めであると話してから、同志を迎えるように接してくれている。気安い対応にリヴィアはほっと肩の力を抜いて挨拶をした。
「仕方無いんじゃねえの。結界陣の支障なんて建国以来聞いた事無かったし」
耳に指を突っ込みながら話すのはセドである。
「そう言っていただけると少し気持ちが軽くなります」
人の良い青年はセドの砕けすぎている態度にもさして気にする風もなく、控えめに返している。
国からの各領土への干渉が過剰では、領主からの反発がある。今回の件に関しては、軍や皇族の直接的な介入を許したゼフラーダの落ち度となるだろうが、それが今後のゼフラーダの他領との関係性にも関わってくる。
それを見越して国は内々の訪問でゼフラーダに恩を売る目的もあるのではないか。つまり今のところ他領へ口実を元に踏み込むような案件が無いのだろう。
この件はここだけで片付けられ、事は早く済みそうだが、気になるのは夫人からの密使という話だ。
リヴィアはふと考える。どんな人なのだろう。父の想い人は……
◇ ◇ ◇
つまらない。
リサベナに着き、魔術師長代理としてライラはアーサーに並び立つ思いで軍のリサベナ支部長室へと踏み込んだ。
理解しなければならない事がいまいち掴めないものの、ようは陣を修復すればいいと思うのだ。
労働は平民の仕事なので、ライラは名目上立ち会えば良い話だ。
だが何故ゼフラーダの到着時間や現地の人間関係。昔の話に皇都への調査員の派遣。果ては教会の場所なんて話に登るのか。
ライラは次第に長くなる議論に辟易し、窓の外に視線を移した。
何もない空。
皇都のように鮮やかな色の建物や、著名な建築家が建てた美術館などあるはずも無く、空は高く街並みは長閑だった。
静かに暮らすには良いだろう。
ライラも嫁いだばかりの頃は穏やかな街並みに、皇都で口さがない者たちから受けた心労を癒してもらった。
◇ ◇ ◇
夫と二人、勝手の分からない領地に放り出されたものの、皇都で人疲れしたライラには療養にうってつけの地であった。
少しずつ心が回復していく中で、義母の勧めでお茶会や夜会に参加するようになった。
新たな人間関係。
長年皇都で過ごしたライラには難しい社交とは感じかなったけれど、ゼフラーダ辺境伯夫人はライラの苦手とする人物だった。
年齢を感じさせない美しさと、穏やかだけれど賢く厳しい貴婦人。
義母はライラが辺境伯夫人に気に入られなかった事を酷く気にしていた。
社交は難しい。こちらに悪意がなくても嫌われる時は嫌われる。どれほどそつなくこなしても相性が悪ければ馬は合わないものだ。
ライラにしてみればそれだけの話だが、この地方領主には、辺境伯は皇族と同等という認識でもあるのだろうか。本物の皇族を知っているライラには理解できなかったが、ライラのその態度が彼らを下に見ているように思われたのかもしれない。
元々皇子の婚約者候補だった女性を娶った事を、皇都で公爵夫人の立場である義母は、あまり良い顔をしなかった。
その上領地での立ち振る舞いも義母のお眼鏡には敵わなかったようで、ライラは滅入った。
最初は自分を構う義母に付き合い、愛想良く振る舞っていたが段々と疲れてきた。疲れれば隙もできる。またかまたかと責められる度、ライラはここにいるのが嫌になってきた。
人に疲れて領土に引っ込んだのに、今度は義母一人に振り回される日々。もう皇都へ帰って欲しいと夫を通してやんわりと頼んだが、デヴィッドはそもそも義母とあまり関わろうとしない。
最初は優しかった義母も、変わらないライラに苛立ち始め、地方は皇都とは違う。笑っているだけで、良い服を着ているだけでは認められないと叱り出すようになった。
皇都にいた時もそんな社交はしていなかったと言い返したいのを堪え、何とか如才なく立ち回れるように振る舞った。
ライラは疲れていた。婚姻を結んだ夫も慣れない領地経営に余裕が無さそうだった。甘える事も許されず、ひとり心細さに歯を食いしばった。出来心だったのか、仄暗い嫉妬だったのかは分からない。
◇ ◇ ◇
ライラがリヴィアの婚約のことを知ったのはただの偶然だ。
昔、兄のフェリクスの婚約者を探していた時に父が持ってきた縁談相手がリヴィアだったのだ。ただ相手には既に婚約者がいた。それが理由で纏まらなかった。というような話だったと思う。それをライラは執務室の前で偶然立ち聞きしてしまったのだ。
どうやら人に聞かれてはいけない内容だったようで、その場を後にして知らないフリをしたが、あのリヴィアが婚約していた事にとても驚いた。
ライラと同じように魔術院に通う令嬢。最初ライラは自分と近しい感情を彼女に持っていた。
きっと自分と同じで嫌々通っているに違いない。
ライラは魔術の素養ありの希少な人間として、父に言われ研究の手伝いをしに魔術院に通っていた。
自分が価値ある人間というのは悪い気はしなかったが、同じ年頃どころか、貴族令嬢は皆無というこの環境で、子どもの頃は恥ずかしくて仕方なかった。
だからリヴィアが嬉々として魔術院に馴染み、平民と親しげに研究に励んでいると聞いた時は、裏切られたような感覚を覚えた。
なんとも貴族令嬢らしからぬ女性だ。次第に同じように扱われるのが嫌で、ライラは必死に社交術を磨いた。自分とリヴィアは違う。だが聞こえてくるのはリヴィアの高い評判だった。
古典主義の貴族たちからの評価は低かったが、新しいものや流行のものに目がないのは貴族とて同じだ。
しかも皇太子妃やその子どもたちが、リヴィアの魔道具を気に入っているという話はその評判を底上げした。
「どうして……」
ライラはひとり呟く。貴族令嬢は労働などしない。夫に従い家を守り尽くす。それが貴族会の常識の筈だ。自分はそれに倣い貴族らしく生きてきた。
なのにどうして。
アーサーが軍に入隊してからライラは惨めな社交が続いていた。せめて正式な婚約を結んでから行ってくれたら良かったのに。
本当は結婚などしないのではないか。アーサーに大事にされていない。そんな話がライラを取り巻いた。
それでも笑顔で社交に応じ、軍に入ったアーサーの無事を思った。そうして躊躇いながらも手紙を送っては、返事が来たことにどれ程安堵したか。
アーサー
初めて会った時に傅かれ、この美しい男の子と結婚するのだとライラは喜んだ。
饒舌に喋る人では無いけれど、自分を慈しんでくれているのが良く分かった。
第二皇子という自分の立場からこの国の行末を思い、必死に己を律し努力していた。そしていつもその未来には自分が含まれていてライラは嬉しく思った。
◇ ◇ ◇
3歳年上のアーサーはその環境から少しずつ忙しくなりだした。12歳になった彼は皇子教育の一環として学校に通いだした為だ。
アスラン皇太子殿下のように家庭教師ではいけないのかと口にしたが、この国の次代を担う人物を確認しておきたいと行ってしまった。
ライラも段々と侍女頭からの教育が厳しくなる。未来の皇子妃となるのでしょうと侍女頭は手を抜かなかった。
母が恋しい……きっと生母ならここまで容赦なく追い詰めないだろうに。厳しい侍女頭を恨めしく思いながらライラはアーサーを思った。
きっとアーサーは自分にここまで求めてなどいない。側にいるだけで笑ってくれるのだ。ライラだってアーサーに近づける女性は自分だけと自負しているし、それだけで何よりも嬉しい。アーサーが良ければいいのでは無いか?
父や兄に母の話をすると家の中の空気が悪くなる。自分が生まれたのが原因で母が亡くなったと聞いている。赤子だったライラのせいでは無いとは思うものの、口にすると侍女頭に叱られた。
アーサーと会える時間は殆どない。それでも忙しい彼が皇城に戻る時に少しでも自分に時間を割いてくれているのだ。それだけで本物の婚約者のようだとライラは喜んだ。
ライラはそれとなく、自分の皇子妃の教育は過剰ではないかとアーサーに話した。アーサーは驚いていたが、辛いなら休めばいい。時間は沢山あるから。そう言っていつもの様に未来を見据える瞳で微笑んだ。ライラはそっとその瞳の中を伺い見る。
……ねえアーサー。あなたの見ているその未来で、そこでわたくしも笑っているのかしら────
ぽつりと思い、首を横に振った。
夫となる人に意見するなど、淑女のすべき事ではない。
古参の侍女頭に貴族の在り方を躾けられ育ったライラには、その価値観がアーサーの未来と共にあるかなど、考える事は出来なかった。
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