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1. 異種族

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 その男は不思議な人族だった。
 魔族という際立つ美貌を持つ自分を、ただの個体として扱った。

「お前は魔性なのか?」

 問いかけには答えないまま、じっと男を見つめる。
 男は苦笑し、彼女に手を伸ばした。

 ◇

 目覚めれば粗末なベッドの上で寝かされていた。
 床には昨日見た男が背中を向けて転がっている。
 ……自分に寝床を譲り、床で寝ているのだ。

 彼女は魔族と呼ばれる存在だった。
 この国では見つかれば処刑の対象となる。
 少し前、自分に懸想した貴族が魔族の疑いを掛け追っ手を放った。
 聖職者と呼ばれる者に取り囲まれ、聖具と言われる物で痛めつけられれば、彼女には成す術が無い。彼女はまだ産まれたばかりの存在で、弱い魔族だった。

 セラハナの木も苦手だった。
 あの木は魔力を吸う。
 まだ魔力の少ない彼女では、近づくだけで動けなくなる。

 彼女はそんな聖職者たちの罠に掛かった。
 彼らは聖職者と名乗っていたけれど、彼女を見る目はギラギラと欲に満ちており、捕まればどうなるかなど火を見るよりも明らかで。

 魔族は美しい。
 人は誑かされる。
 けれど人を意のままに操るのは、成長し高い魔力を備えた者たちであり、彼女にはまだその力は足りなかった。
 捕まれば捕食されるのは彼女の方。

 かといって人外の住む場所では、まだ生きては行け無い。
 そこでも彼女は食べられただろうから。
 だから人の暮らす街に紛れ、静かに暮らしていたけれど。
 ある日戯れに訪れた貴族の男の目に留まった。

 そうして追い回された結果がこれだった。

 人は皆、彼女を羨んだ。
 貴族の元へ行けば贅沢な暮らしが出来ると。
 けれど彼女はそう思わなかったから拒んだ。
 貴族の元へ行けば尊厳を失い、飼われるだけだ。

 しかもその戯れは何年続くのか。
 どう考えても彼女の魔力が溜まる程の時間は稼げないだろう。
 自分の意思と削ぐわない環境で過ごす時間など、彼女には耐えられ無かった。
 けれど貴族が声を掛ければ、皆彼女を捕らえようと手を伸ばす。
 必死で逃げたけれど。
 捕まらない彼女に業を煮やし、貴族は聖職者にも金を握らせた。
 あれは魔族に間違いないと。
 とにかく彼女を捕らえる為に、人手を欲した為だ。

 彼女はセラハナの木に縛られ、身動きが出来なかった。
 そして聖職者たちが自分に手を伸ばした時、野犬が出た。

 彼らは慌てふためき逃げて行った。



 そして少しして訪れたのが、彼。

 彼女は床下の男に目を向ける。
 自分に触れる時、人の男たちが見せる欲望が、彼には宿っていなかった。
 それは魔性と呼ばれる魔族にとっては屈辱に等しく、まだ年若い彼女でも尊厳が傷ついた。

「変な人族」

 ポツリと呟くと、眠っている男が身動ぎし、起き出した。
 彼女は、はっと身を竦める。
 むくりと起き上がった男がこちらを向き、目が合った。

「ああ、起きてたのか。良く眠れたか?」

 彼女は、じっと彼の様子を観察し、一つ頷いた。
 その様子に彼は目を細めた。



 ◇



「俺はここに住んでいる訳では無いんだ」

 顔を洗い、持ち運び出来る食べ物をいくらか取り出し、彼女にも進めた。彼は、魔性も食事を取るのか? と首を傾げたので、彼女は否定した。

 何故か彼に嘘を言っても意味は無いように思った。
 自分が魔族である事を隠せば、彼はそう受け取るだろう。
 けれどそれをすれば、見るからに少ない彼の食事を無駄に減らす事になる。一応助けられた身。何となく図々しいような気がしたのだ。

「一緒に来るか?」

 その台詞に彼女は目を丸くした。
 その様子に彼は罰の悪そうな顔をする。

「仕方ないだろう。性分なんだ。放っておく事は出来ない」

 その顔をじっと見つめ、彼女は頷いた。
 いくらかホッとしたような様子で、彼は首を捻る。

「名前が無いと不便なんだが」

 名前……
 街で名乗っていたものがある。
 けれど、きっと自分はその名で捜索されている。
 目を伏せる彼女に男が提案した。

「セラでいいか? セラハナの木で拾ったから」

 微妙な顔になる。
 苦手なものから捩った名。
 男は気安く笑いかけた。

「まあ、一時のものだ。落ち着いたら好きな名を選べばいい」

 彼女は少しだけ迷ってから、頷いた。
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