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1章

15. (1章完)

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「──ね、ねえ!」
 こちらに背を向けたルーサーに、セシリアは慌てて声を掛けた。
 ルーサーがセシリアを嫌っているのは知っている。
 セシリアだってルーサーは生意気で可愛げもない失礼な男だと思っている。
 ただこの場を見回して、セシリアに向けられた誤解に対し、「違う」「ありえない」と全否定してくれるのは、この男しかいないのだ。

「あ、あなたさえ良ければ是非王都へ来て頂戴! 友好国の王族をとんぼ返りだなんて外聞が悪いで──」
「何で?」
 訝しみ振り返るルーサーの横顔が見えた直後、ミルフォードの爽やかな笑顔と声がセシリアの意識を頭ごと鷲掴みにした。

「王都なら私が行くよ? 陛下方にお話したい事もあるし。けれど君が? ルーサーに? 一体何の話があるのかな?」
(ひ、ひえっ……)
 言葉を一つ区切られる度に、何故かミルフォードの笑顔の迫力が増していく。セシリアはごくっと唾を飲み込んだ。
 
「ル、ルーサー殿下に話があるのではなく……ただ彼は、こ、公平な人だから……その……」
(……ではないわね。私に対して意味が分からない敵対視しているし)
「思うような気がしないでもない気がしていた訳だけれども……」
 どっちだよと呟くルーサーの言葉はササッと無視し、セシリアはそわそわと視線を彷徨わせる。
(それに、ミルフォードがまだ体調が悪いだろうから──なんて事は人前で口にしない方がいいだろうし……んもう、もどかしいわね!)

 とりあえず誤魔化すように空咳を打つ。
「い、いえ……大変失礼致しました。色々ありましたし、我が国も暫く慌ただしくなりますから、王太子殿下のお出迎えには準備が足りないかもしれません。ここはミルフォード殿下もルーサー殿下と共に帰国、という流れが一番ではございません事?」
 本来なら貴賓として招くのが礼儀ではあるものの、状況が状況である。視察で済まずドラゴンは暴れ、ミルフォードは少なくないダメージを負ったのだから。
 このセシリアの発言はミルフォードを気遣ったものにしか取られない筈だ。

 ちらりと視線を向ければルーサーの顔が輝いた。
(よし、これはいけそうね!)
 この際もう、余計な話が父たちの耳に入らないよう、この二人を帰してしまえばいいのだ。
 先程ミルフォードは王都に来ると言っていたが、セシリアはそもそもミルフォードがここにいる事すら知らなかった。なら別に、敢えて連れて帰る必要もないのではないか。
 後で父から叱責を受けても、ミルフォードの負傷の件を話せば咎められる事はない、筈だから……多分大丈夫……

 セシリアは演技がかった仕草で立ち上がり、ミルフォードに礼を取った。
「ブルードラゴン討伐という、我が国の凶事に馳せ参じ、見事払い去った王太子殿下のその勇姿。王弟が三女、セシリア・オッドワークがフォート国が慰問官として改めて感謝の念を捧げます。勿論、この件は国王陛下へご報告させていただきますので、どうぞこのまま国へとお戻りになり、この場の疲れを是非貴国にて癒やして下さいませ。我が国からのお礼は後日改めて──」
(お願いだからこのまま大人しく帰って頂戴!)

 祈るように笑顔を貼り付けていると、ミルフォードの表情が少しだけ柔らかなものになった。
「それでは是非、セシリア公女に送って﹅﹅﹅貰おうかな」
「──はい?」
 因みに何故か、ミルフォードの表情と声音は合っていない。有無を言わさない迫力が身体から迸っているように見える。
「まさか共すらつけずに帰れと? それとも私を英雄と謡い、労い、慰りの言葉を掛けるのは口先だけの偽りなのかな?」
「────はいっ?」
 セシリアは思わず口を丸く開けたまま固まった。
 見送り﹅﹅﹅ではない、ミルフォードはセシリアに国まで送り届けよ﹅﹅﹅﹅﹅と言っているのである。セシリアの喉の奥がぐぅと鳴る。

(誤った……)
 貴族らしくオブラートに包みすぎず、帰れと一言で済ませば良かったのだ。慌ててルーサーに視線を送れば、兄を偽ったのかと意味の分からないブラコンぶりを発揮してセシリアを睨みつけている。

「いやしかしあのですね」
 わたわたと身振りを加えるセシリアに、ミルフォードはこてりと首を傾げた。
「婚姻届」
「はっ?」
 唐突な言葉に、セシリアは間抜けな声を上げた。
「報告次第では必要になるかもね。私が一人で帰って国に伝えてもいいけれど、何があったか仔細説明が必要になるだろうから……ねえ?」

 意味深に細められた青の眼差しに、セシリアは全身の毛穴がぶわりと広がるのを感じた。
 真っ先に浮かんだのは自分とミルフォードの根も葉もない噂である。
 これは当然、アドル国からフォート国に、正式に余計な知らせを入れるという脅しである。
「ち、ちが……」
 全く持って違うのだが、いかんせん人をおちょくるのが好きな男である。放置してはとんでもないデマを流され、セシリアはいい笑い者となってしまうだろう。きっと父からも拳骨だけでは済まないに違いない。

 ミルフォードにとってはセシリアなど都合の良い暇つぶし材料かもしれないが、そんな理由で不本意な噂など当たり前だが持ちたくない。
 セシリアはがくりと肩を落とした。
(し、仕方ない……)
 要するに国の名誉とやらを賭けて、無事に無傷で送り届ければいいのだろう。

「分かったわよ。……お、お送りします……」
 半ば自棄っぱちに頷けば、ミルフォードは満足そうに目を細め、ルーサーは相変わらず嫌そうに顔をしかめている。

(そんなに嫌ならそこの自分の兄を説得してくれたらいいのに)
 恨みがましい眼差しを向け、この盲目男にベリーではなく、とうがらしでも送り付けてやりたい衝動に駆られる。

「──ところで兄上」
 セシリアが内心でぶちぶちと悪態をついていると、ルーサーが不機嫌そうに眉根を寄せている。
「婚姻届とは何事ですか?」
 流石に看過できないという事だろう、ルーサーが余計な一言を付け加えた。
 
 しかし──である。
 朝食の席で何を言うつもりなのか。ギクリと身体を強張らせるセシリアを他所に、ミルフォードは楽しげに顔を綻ばせた。
「ああ、それはね──」
「ち、ちょっと!」
 思わずガタンと音を立て椅子から立ち上がる。
 ブラコンに一体何を吹き込むつもりか、その口を黙らせるべくセシリアは慌ててミルフォードに飛びついた。
 必死にミルフォードの口元に手を伸ばす。
 ルーサーの眦がキリリと吊り上がるが、そんなものを気にする余裕はセシリアにはない。
 そんなセシリアを難なく受け止め、ミルフォードはにっこりと笑みを深める。
「セシリアの姉君のものだね」

「……姉君、ですか?」
「……へ? え? ……お姉様……?」
 ミルフォードにしがみつく形で、セシリアは頓狂な声を上げる。
「そう。ピンクの婚姻届がいいと? そんな話を以前国を越えて話題になったんだよね。我が国の令嬢たちも盛り上がって──試しに我が国の染色技術で作ってみようという話まで来ていて、我が国からの婚姻祝いの一つで──……」
「…………」
「彼女、もうすぐ輿入れされるんだろう?」
「お、姉、様……」
 
 そうでしたか、と冷静に頷くルーサーが視界の端に写るが、それが何故が遠く、違う次元の事のように思う。
「でも嬉しいよ。セシリアが私の身体を心配してアドル国まで付いて来てくれるなんてね。君の気持ちを最優先にさせて、姉君への特別誂えの婚姻届はまたの機会にしようね?」

 ひくっとセシリアの頬が引き攣った。
(どの口が!)
 悪戯っぽく眇められた眼差しはどう見ても確信に満ちている。
 本当にこの男は自分を振り回しおちょくるのに余念がない。
 ぱくぱくと口を開閉させるしかないセシリアは、内心の葛藤のままに、間の悪い姉に向け胸中で叫んだ。

(ぅお姉様──────!!)



※ 次章、セシリアちゃんアドル国に行く。気長にお待ち下さい^_^
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