それでも女神は続けたい

ikaru_sakae

文字の大きさ
上 下
7 / 7
チャプター 30 - エピローグ

世界のほかの、どの場所よりも。

しおりを挟む
30

 目の焦点を。そいつの首に。次にアタマに。
 
 距離はかる。七歩で届く! 行く。テンイはさせない!

 あたしの手には、緑の宝剣。貫くよ。これで。あいつのアタマ。

 あたしの脚の筋肉が、あたしの意識に呼応して。

 それは収縮、次に反発。あたしの脚が地を蹴った。

 そいつの視線が、わずかにこっちへ。

 そいつの瞳が、距離をはかった。あいつも距離をはかってる。

 あたしは刃を、背中にかくし。右手の動きを読ませない。

 これが切り札。これで貫く。距離はぐんぐん縮まって。

 そいつが左手、こっちに向けて。魔力を。魔力波。

 放たれたのは、青の波動―― 

 あたしの心臓、まっすぐ狙って打ち抜きに。

 上体ねじる。反転を。反転ッ!! 

 光が、服の胸をかすって。表面こがす。

 けど。抜けた。それはあたしを貫かないッ。かわしたよッ!

 距離はもう、ほぼゼロ。そいつのアタマがもうそこに。

 青の波動が外れたことに。一瞬そいつが驚いて。

 瞳がわずかに見開かれ――

 あたしは右手を、円の軌跡に振り上げて、

 そのままそいつに、突き立てるッ!

 そいつのアタマ。距離はもうない。距離はゼロ。

 そいつが刃先に視線を向けた。けど。もう遅いよッ。


「えッ?? なんでッ??」
 

 右手が。止まった。あたしの右手。
 
 刃先をつかんだ。そいつの右手。刃を。いきなり横から、わしづかみ??
 
 嘘ッ! その速さは、ありえない! 速さの限界、超えてるし!!


「ばかめばかめばかめばかめ、ぶわっかめえいいいいいいぃぃぃ!!」


 そいつが笑った。醜く笑った。青白の瞳、見開いて。

 刃先が、そいつの額にふれる。あと、一押し。

 あと一押しで、そいつの肉に、食い込むはず、なのに。
 
 なのに。そこで。
 
 止まる。止まった。刺さらなかった?? 防がれた???


「転移ぃぃぃぃぃィィィ……!!!!!」


 そいつが叫ぶ。青の魔力がほとばしり――


『ィィィィッィ…???????』


 そいつが、瞳を見開いた。

 牙が貫く。そいつの首を。

 あたしの牙!

 まっすぐ捉える。そいつの喉に、食らいつく。

 このまま行くよ! 突き通す!!

 顎に力を、全力こめて。

 牙の先端。最初に、固い氷の感触あった。

 けど。皮膚貫くと、その感触はなくなった。

 牙の全部が、つきぬけた。

 そいつの皮膚を。そいつの肉を。

 あたしは迷わず、噛み切った。

 舌にそいつの、皮膚の冷たさ。その苦い味。わずかに感じて。

 けど。その感触は、すぐ消えた。舌の上から、消えていく。

 そいつの輝く、像がゆらいで。また青白く、像を結んで。

 カッと瞳を、見開いて。醜く叫ぶ、そいつの像が。しばらくそこで瞬いて。

 瞬いて。そして。


 散る!


 まるで世界の、すべてのガラスが。残らず一度に砕ける――

 大きな音を残して。散った。砕けた。

 そいつの像が。解消していく。散り去っていく。

 まだ消え惜しむように、小さく瞬く青の粒子を――

 緑の風が、さらって。散らして。

 そいつのすべてが、消えてゆく。粒子は世界に、散ってゆく。

 不愉快に、耳の底に残ったそいつの叫びも。

 やがては丘を吹いてゆく、緑の風の風音が。

 遠くに運んで、消し去った。




31

「ふうッ。まにあった、ね?」
 あたしは抱いた。抱きしめた。ユメの肩を。その首を。それから続けてそのアタマ。いい香りのする、その髪も。あったかくて、壊れやすくて。そのユメの肩を。ぎゅっと、ぎゅっと、思い切り抱いて。
「ばかだよ。あんたが死んで、どうするの」
「ササカ…?」
「あいつは、あんたの優しい心に。つけこんだ。あれは嘘だよ。絶対嘘だ。嘘だった。だけどユメは。だけど。優しいから。優しいから。あいつの嘘が、わからなかった」
「嘘…だったのでしょうか? わたしには… でも―― わたしには――」
「嘘じゃなくても。本当としても。でも。だからと言って、ユメが命を、やることはない。それは間違ってる。間違ってるよ。ぜったいぜったい、間違ってるから」
「ササカ…」
 ユメは泣いてる。ぽろぽろ泣いてる。あたしも泣いてる。なんだか泣けてしょうがない。涙が流れてしょうがない。あたしはぼろぼろ、泣きながら。それでもぎゅっと抱き続けた。あたしはぎゅっと、抱くのをやめない。今そこにある、ユメのぬくもり。その体。それはぜったい、なくしちゃダメだと。あたしは思って。あたしは思って。だって。だって。ユメは、ユメの。命を誰かに、わたすとか。ぜったいそれは、間違ってるから――

「おおっ…?」「光?」「なんだ…?」
「いったいこれは…?」「何…?」

 遠巻きに見てた、おおぜいの司書のあいだから。
 声があがった。とまどう声が。

 あたしの足元の、草の上。
 そこに投げ出された、緑の宝剣。
 そこから光が。光の柱が。
 まっすぐ空に立ち上る。音もなく。緑の光が、
 まぶしく、まっすぐ、空にむかって。
 光はあまりに、まぶしくて。あたしは思わず目を閉じて。ただしっかりと、ユメの体を、抱きしめて。その感触を。それだけを頼りに――

 やがて光がおさまって。ようやくあたしは、目を開く。
 そして気付いた。何かが違う。セカイジュの丘の―― 何かが、さっきと違ってる。

「止んだ…?」

 ざわめきが起きる。
 あたしはそこで。そこで見た。
 丘の上にそびえる、セカイジュの幹――
 まわりをとりまき、渦巻いていた―― 
 風が。吹き荒れる嵐が。
 消えた。止まった。
 足もとの草の葉も、すべてぴたりと動きを止めて。
 緑の風が、いま止んだ。

『よくぞ来た、タフーウェルの娘。歓迎しよう』

 声が響いた。空から声が。
 姿は見えない。誰かは見えない。
 けど。知ってる。その声。
 わたしはたしかに、その声を。
 どこかで聞いた。遠くで聞いた。
 くっきりとした―― あの人の声だ。
 それは間違いなく―― 
 緑の―― 女神。

『そしてまた―― よくぞ来た星選の娘。おまえの道は開かれた。さあ、おいで。来るのだ、ここへ。世界樹のもとへ。緑の風は、いまやんだ。再び風がふきはじめる、それまで、束の間。世界樹の門はひらかれた。歓迎しよう。星選の娘。これより2日と、半日のあいだ。緑の風が、おまえを護る。さあ、タフーウェルの娘。ササカよ。星選の娘を。こちらにあんにゃい――』

 そこで声が、いちど止む。がふッ、とか。げほッ、とか。
 言葉にならない、声があいだにはさまって――

『あー、くそッ。噛んだッ! あとちょいでパーフェクトだったのにッ。惜しすぎる―― ん、えっと。おほん。まあ、とにかく。ササカは、とりあえず案内、してくれるかな? 星選者をこっちに? はは。あれだな。神っぽい威厳をつくるのも、少しこれは、面倒だ』

 笑った。小さく笑った、その声が。緑の女神が、声の向こうで微笑んでる。

『さあ、ササカ。僕がまた、どこかで噛んで、女神の威厳を損なわないうちに。そこの娘を、連れておいで。二日と半日、世界樹の幹で休んでおいき。大丈夫。おそれることはない。この地のすべては、君の味方だ。さあ。おいで』


「おい。行ってこい。呼んでるぞ、あいつが」
 レグナがあたしの、背中を押した。
「なんだ。今さらビビってるのか? ここまで来ておいて、それはないだろ。ユメを連れて、さっさとあそこ、行ってこい。なんだ? なにをそこで、迷ってる?」
「え。けど。レグナは…? あんたは来ないの? セカイジュのとこ? あそこだったら、あんたも二日、まもってもらえるよ…?」
 あたしはレグナの、黒い服のはし。ちょっぴり握った。ほんのちょっとだけ。
「バカめ。おれが行ってどうする? おれをまもってどうする?」
 レグナが笑った。両目を閉じて。ちょっぴり顔を下にさげ。左右に首を、三回ふった。やれやれ、おまえはなんにもわかってねぇなあ?とか。なんかそんな、表情で。
「護るのは、ユメだろ。星選者の命だ。おれが世界樹に守られる? バカめ。意味わからんぜ、それ自体」
「けど。あと二日―― まだ、勝敗は、わかんないし。たぶん今ので、女神はだいぶ弱ったかも、だけど。だけど。ほんとに殺したわけじゃない。でしょ? たぶんあいつは、死んでない。また、反撃してくるよ? 怒りくるって。氷の雨とか。降らすかもしれない。氷の巨人で、叩いてくるかも。あんたは二日、護れるの? 死なずにそれを、乗り切れる? あんたは――」
 あたしはレグナを抱きしめた。背中にしっかり、手をまわす。
「バカ。なんだそりゃ。こらササカ。はなせ。なにやってる??」
「ううん。放さない。放さないよ。いまは絶対、放さない。だって。触れるときに、触っとかなきゃ。いつどこで。あんたも消えるか、わかんない。だから。まだここで、消えてないあんたを。生きてるあんたを。ここでしっかり、触っときたい。今はそういう、気分なの。だから。」
「ちっ、」
 舌打ち、したけど。
 レグナはそのまま、立っていた。あたしはレグナの―― 想像以上に、ほっそい体を。
 しっかりしっかり、抱きしめて。そいつの胸に、顔をうずめて。
 それから言った。泣かないように。
「あんた勝ちなよ。勝ち切って。んでから、ぜったい、死なないで。ね? それが条件、だよ?」
「ちっ。うるせえな。死ぬときは、死ぬ。けどまあ、死なねぇように、努力はする、だな」
「…戻るの? あんたの街に? ウルランド、だったっけ?」
「ウルザンドな。いや。今は、そこには戻らない」
「なんで…? お父さんと、妹さん。いまもあそこで、戦ってるよ? 戻らなくていいの? 助けなくていいの?」
「あいつらは負けねぇ。死なないだろうと。期待はしてる」
 レグナが笑った。笑うと、小さな体の震えが。こっちにちょっぴり伝わってくる。レグナの体の、ぬくもりと一緒に。
「おれはあれだ。今はこいつら図書都市の防衛を。できる範囲で、手伝う感じか。なにしろイシュタークも、今はそうとう消耗してる。戦力になるやつが、ひとりでも多く必要だ。だからひとまず、あと二日。そこがおれの前線だ。まあだが。場所はどこだっていいだろ。世界中のあっちこっちで、いま戦いは続いてる。おまえの言う通り、あいつはまだ、どこかで生きているだろう。最後にきっちり倒すまで。あいつをとことん、滅ぼすまでは。おれらの勝利は、決まらない。ま、だから。おれもひとつ、ちょっくら最後に暴れてくるかな。…とかな。ちょっぴりカッコよさげに、言ってみたい気分―― だな。はは」
「最後とか。言わないで。あんたはぜったい、死んではだめ」
「だから死ぬつもりはねぇって。言ってるし。おい。もういいか? いいかげん、行け。緑の風が―― 緑の護りの猛風が。またここの丘に吹き始めたら。あとあと何かとやっかいだ。ゲートが開いてる、いまこのときに。ユメと一緒に行ってこい。ほら。もういいだろ?」
 あたしは小さくうなずいて。レグナの背から手をはなす。体もそっと、うしろにはなした。
 レグナが、こっそりその右手。こっちにゆっくり、さし出して。あたしの肩に―― ためらいがちに、ちょっぴりのせた。しばらくあたしを、まっすぐ見てた。黒の瞳で、まっすぐあたしを。
「ありがとな。いろいろ。おまえには、助けられた」
「ちょっと。過去みたいに言わないで。これからもっと、助けるよ?」
「…ま、じゃ、それはちょっぴり期待しとく… かな?」
 あたしの肩から手をはなし、照れたみたいに。レグナが指で、自分の顔を何度かかいた。
「じゃ、行こう、ユメ」
 あたしはユメの手を取った。ユメはちょっぴり、ためらいがちに。こっくりひとつ、うなずいた。ユメの左の手のひらは。おどろくほどに小さくて。おどろくほどに、やわらかかった。あたしはその手のひらを。しっかり右手で、握ったままで。
 一歩。そちらに、踏み出した。丘の上へ。セカイジュの立つ、丘の上。見事にそびえる、その木の下へ。緑の護りが、ふたりをそこで包んでくれる。そこでは二人は、安全だ。たぶん今は―― 世界のほかの、どの場所よりも。





しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...