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16.ありがと
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目覚めたら好きな人が同じ部屋にいる。
天国以外のなにものでもない。一面に咲くのは太陽の光をまとった真っ白な花。
などとメルヘンなことを考えていたが、控えめに言って天国以上だと感じていた。
「柊真ってコーヒー好きだよな」
双葉の家は玄関入ってすぐに台所がある。古いけれどしっかりと広さもあるそこは、あまり整理整頓されていない。ボウルやらおたまやら調理器具が無秩序に並んでいて、地震が来たら崩れそうだ。
汚いのはともかくとして、双葉が怪我をしたら嫌だ。片付けはさせてもらおうかな、と横になったままぼんやりと思う。
「柊真? 寝ちゃった?」
流し台の前に立っていた双葉が振り返る。恥ずかしがりやの彼らしくしっかりとパジャマを着ている。夜の名残をもう少し感じていたかった俺としてはちょっとだけ不満だ。
その俺の鼻をくすぐるのは深呼吸したくなるような滑らかなコーヒーの香り。
「いい匂い」
「……部屋の匂いの話ならもうやめろってば」
電気ケトルを手にした双葉の顔が赤くなる。ああ、可愛いな、とにやけかけて、俺は顔を整える。
「部屋の匂いもそうだけど、今はコーヒーのこと。お前の部屋サーバーなんてあったんだな」
「こう見えてコーヒー専門店でバイトしていますので」
わざとらしく敬語で言いつつ、双葉は手慣れた仕草で電気ケトルから熱湯をドリッパーに注ぐ。
「起きろよ。今日のこれ、ハワイ・コナ。知ってる? めっちゃ高いの」
「ああ、買ったことはないけど。というか、コーヒー苦いの飲めないんじゃなかったっけ。なんでそんな高いの置いてるの? 勉強?」
「なんでって」
電気ケトルをとん、と戻し双葉がこちらを振り向く。少しだけ頬が赤かった。
「柊真、コーヒー好きだし。淹れてやりたかった、から」
カップ二個ないから湯飲みでいいかあ、などと言いつつ、双葉は再び流し台のほうを向く。その細い背中を見ていたらどうにもたまらなくて俺はベッドから飛び起きた。
大股で部屋を横切る。そのまま食器棚から湯飲みとマグカップひとつずつを手にした双葉を背後から抱きしめた。
「ちょ! びっくりした! なんだよ急に」
「俺のため?」
そうっと耳元へ声を滑り込ませる。くすぐったかったのかふっと双葉の首が竦む。
「お、お前のためってか、ロスになるからってもらったの! ただそれだけ! こら! 放せってば!」
「くっつくの、いや?」
訊いておきながらも俺は双葉の答えを予想している。双葉はきっと。
「いや、じゃない」
ああ、やっぱりこう答えてくれた。
腕の中で双葉が恥ずかしそうに俯く。その耳に差すふわりと柔らかい紅にくらくらしながら唇をそっと触れる。
なんて自分はねっとりしているのだろう。全部許してくれたのだから満足すればいいのに、許されたから余計に腕の中へ囲い込みたくなってしまう。
柔らかい髪が頬に触れる。俺とは全然違う質感の髪。すうっとその香りを確かめようとした俺の鼻先をコーヒーの香りがくすぐった。
「コーヒー、冷めるな」
本当はまだ離れたくなかったけれど自分を叱咤して腕を解く。すると無意識のように双葉の背中がきゅっと俺の胸に押し当てられた。まるで離れたくないと言わんばかりの仕草にとっさにもう一度腕を回す。
「飲ませてくれないの?」
「あ、いや、違くて。その……ほら! お前、シャツ着てないし! 寒いかもって思っただけ!」
……なんだろう、この愛らしい言い訳は。
「ほんと不用意。こんな可愛いのが俺以外の目に触れるのかと思ったら本気でここから出したくなくなる」
「ちょ、は?!」
物騒なことを囁いてしまったせいか双葉が身をよじる。それを一度きゅっと腕で拘束してから俺はするっと体を離した。
「朝飯、作るって約束だったな。何食べたい?」
俺の胸に背中を預けていた双葉の体をくるっとひっくり返し、こちらに向かせると、双葉は大きな目を伏せた。双葉? と呼びかける俺の耳に、フレンチトースト、と声が聞こえた。
「前に……お前の家、則正と一緒に行ったとき、作ってくれたやつ、美味かったから」
「食パンと牛乳と卵、ある? あと砂糖も」
「……ん、ある」
こくんと細い首が振られる。まだこちらを見てくれない彼の顎をすっと掬い上げると、朝陽に照らされて琥珀色に瞳が透けて見えた。
誘われるようにそうっと腰を屈め、唇を唇で掬う。深く沈みたくなるのをぎりぎりでこらえ、そうっと離す。赤く色づく双葉の頬をそうっと撫で俺は囁く。
「ありがと」
「え、なにが」
「そういう顔、見せてくれて」
そういう……の意味を数秒考えた後、一層双葉が赤くなる。このまま再び腕に閉じ込めてしまいたくなったけれど、さすがにやめておいた。
昨日だって満足に食べないまま寝てしまったのだ。これ以上双葉を空腹にするわけにはいかない。名残惜しさを覚えながら体を引き、床に落ちていたシャツを拾って羽織る。ボタンを留めている俺の背後でコーヒーを注ぐ音がする。
部屋を包むコーヒーの香り。目を細めた俺の耳に、俺も、と小さな声がくすぐった。
「同じこと思ってるから」
振り向く俺に背中を向けたまま付け足されるのは愛しい人のはにかみ声。
「ありがと」
幸せ過ぎる光景にやっぱりここは天国だ、と改めて思った。
天国以外のなにものでもない。一面に咲くのは太陽の光をまとった真っ白な花。
などとメルヘンなことを考えていたが、控えめに言って天国以上だと感じていた。
「柊真ってコーヒー好きだよな」
双葉の家は玄関入ってすぐに台所がある。古いけれどしっかりと広さもあるそこは、あまり整理整頓されていない。ボウルやらおたまやら調理器具が無秩序に並んでいて、地震が来たら崩れそうだ。
汚いのはともかくとして、双葉が怪我をしたら嫌だ。片付けはさせてもらおうかな、と横になったままぼんやりと思う。
「柊真? 寝ちゃった?」
流し台の前に立っていた双葉が振り返る。恥ずかしがりやの彼らしくしっかりとパジャマを着ている。夜の名残をもう少し感じていたかった俺としてはちょっとだけ不満だ。
その俺の鼻をくすぐるのは深呼吸したくなるような滑らかなコーヒーの香り。
「いい匂い」
「……部屋の匂いの話ならもうやめろってば」
電気ケトルを手にした双葉の顔が赤くなる。ああ、可愛いな、とにやけかけて、俺は顔を整える。
「部屋の匂いもそうだけど、今はコーヒーのこと。お前の部屋サーバーなんてあったんだな」
「こう見えてコーヒー専門店でバイトしていますので」
わざとらしく敬語で言いつつ、双葉は手慣れた仕草で電気ケトルから熱湯をドリッパーに注ぐ。
「起きろよ。今日のこれ、ハワイ・コナ。知ってる? めっちゃ高いの」
「ああ、買ったことはないけど。というか、コーヒー苦いの飲めないんじゃなかったっけ。なんでそんな高いの置いてるの? 勉強?」
「なんでって」
電気ケトルをとん、と戻し双葉がこちらを振り向く。少しだけ頬が赤かった。
「柊真、コーヒー好きだし。淹れてやりたかった、から」
カップ二個ないから湯飲みでいいかあ、などと言いつつ、双葉は再び流し台のほうを向く。その細い背中を見ていたらどうにもたまらなくて俺はベッドから飛び起きた。
大股で部屋を横切る。そのまま食器棚から湯飲みとマグカップひとつずつを手にした双葉を背後から抱きしめた。
「ちょ! びっくりした! なんだよ急に」
「俺のため?」
そうっと耳元へ声を滑り込ませる。くすぐったかったのかふっと双葉の首が竦む。
「お、お前のためってか、ロスになるからってもらったの! ただそれだけ! こら! 放せってば!」
「くっつくの、いや?」
訊いておきながらも俺は双葉の答えを予想している。双葉はきっと。
「いや、じゃない」
ああ、やっぱりこう答えてくれた。
腕の中で双葉が恥ずかしそうに俯く。その耳に差すふわりと柔らかい紅にくらくらしながら唇をそっと触れる。
なんて自分はねっとりしているのだろう。全部許してくれたのだから満足すればいいのに、許されたから余計に腕の中へ囲い込みたくなってしまう。
柔らかい髪が頬に触れる。俺とは全然違う質感の髪。すうっとその香りを確かめようとした俺の鼻先をコーヒーの香りがくすぐった。
「コーヒー、冷めるな」
本当はまだ離れたくなかったけれど自分を叱咤して腕を解く。すると無意識のように双葉の背中がきゅっと俺の胸に押し当てられた。まるで離れたくないと言わんばかりの仕草にとっさにもう一度腕を回す。
「飲ませてくれないの?」
「あ、いや、違くて。その……ほら! お前、シャツ着てないし! 寒いかもって思っただけ!」
……なんだろう、この愛らしい言い訳は。
「ほんと不用意。こんな可愛いのが俺以外の目に触れるのかと思ったら本気でここから出したくなくなる」
「ちょ、は?!」
物騒なことを囁いてしまったせいか双葉が身をよじる。それを一度きゅっと腕で拘束してから俺はするっと体を離した。
「朝飯、作るって約束だったな。何食べたい?」
俺の胸に背中を預けていた双葉の体をくるっとひっくり返し、こちらに向かせると、双葉は大きな目を伏せた。双葉? と呼びかける俺の耳に、フレンチトースト、と声が聞こえた。
「前に……お前の家、則正と一緒に行ったとき、作ってくれたやつ、美味かったから」
「食パンと牛乳と卵、ある? あと砂糖も」
「……ん、ある」
こくんと細い首が振られる。まだこちらを見てくれない彼の顎をすっと掬い上げると、朝陽に照らされて琥珀色に瞳が透けて見えた。
誘われるようにそうっと腰を屈め、唇を唇で掬う。深く沈みたくなるのをぎりぎりでこらえ、そうっと離す。赤く色づく双葉の頬をそうっと撫で俺は囁く。
「ありがと」
「え、なにが」
「そういう顔、見せてくれて」
そういう……の意味を数秒考えた後、一層双葉が赤くなる。このまま再び腕に閉じ込めてしまいたくなったけれど、さすがにやめておいた。
昨日だって満足に食べないまま寝てしまったのだ。これ以上双葉を空腹にするわけにはいかない。名残惜しさを覚えながら体を引き、床に落ちていたシャツを拾って羽織る。ボタンを留めている俺の背後でコーヒーを注ぐ音がする。
部屋を包むコーヒーの香り。目を細めた俺の耳に、俺も、と小さな声がくすぐった。
「同じこと思ってるから」
振り向く俺に背中を向けたまま付け足されるのは愛しい人のはにかみ声。
「ありがと」
幸せ過ぎる光景にやっぱりここは天国だ、と改めて思った。
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