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青春を目撃
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成人式の為に振袖を買ってもらったとき、お店のキャンペーンで浴衣を一着頂けることになり、後日祖母と選びに行った。
お店に行くとキャンペーンでもらえる浴衣の種類には限りがあって、それらよりもうちょっといい生地のものはキャンペーンの対象外だったのだが、結局祖母のこだわりにより余分にお金を出してもらっていい生地のものを買ってもらうことになった。大人っぽくなりたくて、黒の浴衣を選んだあの日のことを、今でも鮮明に覚えている。
気づけばそれから十年以上の月日が経ってしまった。その浴衣は、一度も着ないまま和箪笥の中に仕舞われている。そしてもう、着付けができる祖母はこの世にいない。
あの夏。人の顔色を伺ってばかりの私は、付き合っている人に「浴衣を着て花火を見に行きたい」と言えない弱虫だった。
「人多いし面倒くさいよ」
と言われるんじゃないかと恐れて、それが現実の会話になってしまったら悲しいから言わなかった。
「それでも行こうよ」
と言ってみればいいだけのことだったのかもしれない。そんな選択肢があるとも思っていなかった。私にとっては、自分の希望を通すとことより彼と意見の食い違いのない日々を過ごすことの方が大事なことだった。だからただひたすらに面倒くさくない女でいることを心がけていた。けれどそんな日々もやがて終わりを迎えてしまった。私は泣いた。その人とその浴衣を着て過ごす夏の日が、本当に欲しかった。
そういう思い入れがあって、それから数年後に別の人と、またその数年後にさらに別の人と花火を見に行くことがあっても私は普段着のまま花火を見た。
そうして年を追うごとにその浴衣を着ることへのハードルは上がっていった。あれを着るのなら、世界で一番好きな人と。そういう願望だけがずっと箪笥の中で燻っている。
そんなことがあって、その少年を見かけた時も私は普段着で他県の花火大会に来ていた。多すぎる人の群れ、昼間の間に熱を蓄えたアスファルトと湿気にまみれた暑い夏。花火会場のある川沿いの土手から駅に向かう 帰り道、あまりの暑さに時々コンビニに入って涼んだりしないと倒れてしまいそうなほどだった。
浴衣ではない、ゆったりとした服装なのに人酔いのせいか軽い熱中症のようなもので気持ち悪くなってしまった。
真っ直ぐで長い道のりをひたすら歩き続ける道すがら、突然ある青春が目の前に巻き起こった。そこにいたのは小学六年生くらいの男の子が二人。なにやら後方の人と大声で話しているようなので振り返って見ると道の脇の小さな駐車場に浴衣姿の数人の女子が固まっている。
「いや、なんも話す事ねーって」
男子二人は恐らくその女の子たちのところに戻るかどうか、ゆるく前に進みながらも話し合っている。
大勢の人が波のように駅に向かって押し寄せる中、意思を持って反対方向に歩き出さなければ人に流されるまま前方に進んでしまうような状況で、立ち止まることもできなかった。
どこの誰とも知らないけれど、私はつい彼らを応援したくなってしまった。がんばれよ! と念じてみるも、もちろんそんな心の声は彼らに届くことなんてことはなく、二人は前へ前へと進んでしまう。でもそうしている間にも女の子たちがいたところから少しずつ距離ができていく。
「いや、だから話すことねぇって」
なんだかんだと話し合っていたが、一人がそう結論づけると彼らは振り向くのをやめて前に歩きだしてしまった。それはまるで線香花火の火の玉が、ふいにポトンと地面に落ちてしまったかのような、あっけない幕切れだった。花火大会もこれでお終い。あとはお家に帰るだけ。夏休みの夜の青春よ、さらば。
ただ後ろで聞いていただけなのだけれど、人が何かを諦める瞬間に立ち会うというのは無性に切ない。
と、勝手にセンチメンタルな気分に浸っていたのも束の間。物語はまだ終わっていなかった。しきりに「話すことがない」と主張していた右側の少年が突然思い切り振り返って大声をあげた。
「待って橋本がなんか言ってる!」
少年は、そのままものすごい勢いで後ろに向かって走り出した。
ついさっきまでの落ちて光を失った線香花火とは比べ物にならない打ち上げ花火のような爆発力。私はただただ圧倒された。橋本は多分、何も言っていない。でもいいんだ、よかった。あの沈黙の数歩の中で彼の中の何かが決意をしたのだから。
浴衣を着ていなかった私は、少年のことが心底羨ましかった。
お店に行くとキャンペーンでもらえる浴衣の種類には限りがあって、それらよりもうちょっといい生地のものはキャンペーンの対象外だったのだが、結局祖母のこだわりにより余分にお金を出してもらっていい生地のものを買ってもらうことになった。大人っぽくなりたくて、黒の浴衣を選んだあの日のことを、今でも鮮明に覚えている。
気づけばそれから十年以上の月日が経ってしまった。その浴衣は、一度も着ないまま和箪笥の中に仕舞われている。そしてもう、着付けができる祖母はこの世にいない。
あの夏。人の顔色を伺ってばかりの私は、付き合っている人に「浴衣を着て花火を見に行きたい」と言えない弱虫だった。
「人多いし面倒くさいよ」
と言われるんじゃないかと恐れて、それが現実の会話になってしまったら悲しいから言わなかった。
「それでも行こうよ」
と言ってみればいいだけのことだったのかもしれない。そんな選択肢があるとも思っていなかった。私にとっては、自分の希望を通すとことより彼と意見の食い違いのない日々を過ごすことの方が大事なことだった。だからただひたすらに面倒くさくない女でいることを心がけていた。けれどそんな日々もやがて終わりを迎えてしまった。私は泣いた。その人とその浴衣を着て過ごす夏の日が、本当に欲しかった。
そういう思い入れがあって、それから数年後に別の人と、またその数年後にさらに別の人と花火を見に行くことがあっても私は普段着のまま花火を見た。
そうして年を追うごとにその浴衣を着ることへのハードルは上がっていった。あれを着るのなら、世界で一番好きな人と。そういう願望だけがずっと箪笥の中で燻っている。
そんなことがあって、その少年を見かけた時も私は普段着で他県の花火大会に来ていた。多すぎる人の群れ、昼間の間に熱を蓄えたアスファルトと湿気にまみれた暑い夏。花火会場のある川沿いの土手から駅に向かう 帰り道、あまりの暑さに時々コンビニに入って涼んだりしないと倒れてしまいそうなほどだった。
浴衣ではない、ゆったりとした服装なのに人酔いのせいか軽い熱中症のようなもので気持ち悪くなってしまった。
真っ直ぐで長い道のりをひたすら歩き続ける道すがら、突然ある青春が目の前に巻き起こった。そこにいたのは小学六年生くらいの男の子が二人。なにやら後方の人と大声で話しているようなので振り返って見ると道の脇の小さな駐車場に浴衣姿の数人の女子が固まっている。
「いや、なんも話す事ねーって」
男子二人は恐らくその女の子たちのところに戻るかどうか、ゆるく前に進みながらも話し合っている。
大勢の人が波のように駅に向かって押し寄せる中、意思を持って反対方向に歩き出さなければ人に流されるまま前方に進んでしまうような状況で、立ち止まることもできなかった。
どこの誰とも知らないけれど、私はつい彼らを応援したくなってしまった。がんばれよ! と念じてみるも、もちろんそんな心の声は彼らに届くことなんてことはなく、二人は前へ前へと進んでしまう。でもそうしている間にも女の子たちがいたところから少しずつ距離ができていく。
「いや、だから話すことねぇって」
なんだかんだと話し合っていたが、一人がそう結論づけると彼らは振り向くのをやめて前に歩きだしてしまった。それはまるで線香花火の火の玉が、ふいにポトンと地面に落ちてしまったかのような、あっけない幕切れだった。花火大会もこれでお終い。あとはお家に帰るだけ。夏休みの夜の青春よ、さらば。
ただ後ろで聞いていただけなのだけれど、人が何かを諦める瞬間に立ち会うというのは無性に切ない。
と、勝手にセンチメンタルな気分に浸っていたのも束の間。物語はまだ終わっていなかった。しきりに「話すことがない」と主張していた右側の少年が突然思い切り振り返って大声をあげた。
「待って橋本がなんか言ってる!」
少年は、そのままものすごい勢いで後ろに向かって走り出した。
ついさっきまでの落ちて光を失った線香花火とは比べ物にならない打ち上げ花火のような爆発力。私はただただ圧倒された。橋本は多分、何も言っていない。でもいいんだ、よかった。あの沈黙の数歩の中で彼の中の何かが決意をしたのだから。
浴衣を着ていなかった私は、少年のことが心底羨ましかった。
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