クローントクローン

近衛瞬

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出逢い編

自由の権利

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 薄暗い部屋の窓から少しずつ光が差し込んできた。カーラが出かける直前に閉めたカーテンを少年は勝手に開け、少しでも外の景色を見ようとしていたのだ。しかし、柵が思ったより高く、街を見下ろすことはできなかった。少年はテレビゲームの画面の明るさを少し上げ、ゲームを再開しようとした時、玄関の扉が開いた。疲れた様子の家主が現れ、少年が挨拶すると、何か言いたげな表情で少年の挨拶に答える。

「仕事はもう済んだの?」

 少年は笑顔で尋ねた。

「もう終わってたわ」

 少年は言葉の意味が分からなかったので素直に受け取った。

「優秀だね」

「あんたは何してたの?」

「ゾンビハザード22」

「それクソゲーだからやめときなさい。ゾンビの動きがラグいの」

「リメイク版も?」

「そっちは神ゲー。ゾンビが出てこないから」

「じゃあ、それにするー」

 少年はそう言うと、またコントローラーを手に取り、さっきまでとは別のゲームをスタートさせる。その姿を見ていたカーラに、一通のメールが届く。同僚のヒロトからだった。

[俺は北区と東区を探しているから、お前は西区と南区の捜索を頼む]

 適当な返事を返しながら、カーラは自身のしたことが正しいことなのか自問していた。逃亡期間が長ければ、その分事が大きくなり、少年に対する罰は大きくなる。場合によっては、この少年のクローン体にまで処分命令が下るかもしれない。当初の命令は、可能なら捕獲とのことだった。もし今彼を軍に引き渡せば、廃棄処分は免れるかもしれない。いずれにせよ決断は早く済ませるべきであった。

「銃はどこで手に入るの?」

 カーラの皮肉を理解していない少年は、彼女に必要のない銃の在り処を聞く。カーラは先程からの少年の厚かましい態度に驚きつつ、同時に彼の境遇に同情を感じていた。

(きっと必要最低限の知識だけ教えられたから中身は赤ん坊なのね)

 そんな彼は外でのこの数時間で、いくつも新しい知識を習得した。そんな状態で彼は元の生活に帰ることができるのであろうか、カーラは思考を巡らせた。

(いや、不可能だ。第一他のクローンへの影響を考えたら、接触さえゆるされないだろう。となると、軍が彼を生け捕りにしたい理由は単なる調査のため。それが終わればこの子は……)

「カーラ、やっぱりさっきの続きをしようよ」

 先のゲームに飽きた様子の少年は、笑顔のままカーラに言った。それはまるで子供が親に甘えるような態度であった。その視線の先にいたカーラは冷蔵庫の中を漁っていた。

「ゲームは後でしてあげるからとりあえず昼ご飯を食べましょう」

「お腹ぺこぺこ~。何作るの?」

 ただでさえ丸い少年の目が、更に丸に近づいた。

「ラーメンよ。すぐ出来るからそこの椅子に腰かけて待ってなさい」

 少年が席について間もなく、ラーメンが運ばれてきた。少年は自身が想像していたものと違っていたためか、困惑した表情を浮かべている。

「これ食べられるの?」

「文句はあんたの職場の隣ね」

 少年はカーラの発言に触れずに、言葉を重ねる。

「ご飯って角ばったものしかないと思ってた」

 カーラは軽はずみな発言をしたことを後悔した。技能クローンは個性を出ないように、変化の無い生活を送っていると聞いていたが、そこまでとは想像をしていなかったのだ。そんな中、初めてのラーメンをおいしそうに頬張る少年の姿を見ると、カーラの心はさらに締め付けられる。無言のカーラを見て、少年が口を開いた。

「カーラはどこの工場で働いているの?」

 その言葉でカーラは焦点を少年に戻した。

「いや、私は外で銃を使って人を助けているの」

 また、少年の顔に好奇心が浮かんできた。

「ゾンビはどこにいるの?」

「あれはゲームの中だけ」

「残念ー」

 そういうや、彼の興味は食べかけのラーメンに戻った。

「それでどう? 外の世界は?」

「知らないことばかりですごく楽しいよ。銃生産もいいけど、変化があった方がおもしろいね」

 歯に付いたネギを見せながら少年は答えた。カーラはずっと気になっていた質問をぶつけた。

「あなたはどうして、工場を抜け出したの?」

 彼女が聞いた話では、技能クローンの職場環境は一般人からすれば過酷だが、彼らに無理を迫るようなスケジュールにはなっていないらしい。娯楽は無いらしいがそもそも彼らには娯楽という概念も無いはずなので、カーラは脱走の切っ掛けを見出せずにいた。

 少年はカーラから少し目を逸らし、少し考えた後にこう答えた。

「んーよくわかんない。そうするべきだと思ったからかなー」

 その答えはカーラの期待していたものとは違ったが、少年を助けた正当な理由を持ち合わせていない彼女にとっては印象的なものであった。

「周りの人たちは、なぜ逃げなかったの?」

 少年は、自分と瓜二つの姿をした同僚達を思い返していた。

「話したらダメだし、話したいと思ったこともないなー。外の世界に興味がないんじゃない?もったいないよねー」

 自分には関係のないことだと言わんばかりに、少年は食事を続ける。そんな姿を見たカーラはずっと言わなくてはいけないと思っていたことを伝えるために、改まった様子で口を開いた。

「あなたにはつらいことだけど、あなたはこの社会で生きていけないの」

 少年の箸の動きが止まった。少年は驚きゆえ、カーラの顔を直視できなかった。しばしの沈黙の後、カーラが話を続けた。

「このままではあなたは、全国で指名手配になり、今朝のような人たちがあなたを死ぬまで追いかけまわす。あなたには自由は無いの」

「そうなんだ……」

 少年が小さく呟く。そんな彼を見かねて、カーラは優しく声をかける。

「だから別人として生きましょう」

 少年が驚いて顔を上げると、悪戯っぽい表情を浮かべたカーラが彼を見つめていた。



「ホントにそんなこと可能なの?」

 疑惑と希望が入り混じった表情で少年はカーラに詰め寄る。その勢いに気圧されたカーラは上体を少し逸らす。

「え、ええ。今の時代顔を変えることは難しくないの。後で病院に行きましょう。それに、こんな自我の強い技能クローンは見たことがないから、整形後は誰もあなたが彼らの一人だとは思わないわ」

 少年の目から不安の色はまだ消えない。

「ホントに? ホントに?」

「ホントのホント」

「カーラの安月給でも大丈夫なの?」

「ええ、任せて。でも勝手に人の通帳を見ない」

 テーブルに身を乗り出していた少年は少し落ち着きを取り戻し、別の疑問をぶつけた。

「病院の後はどうするの?」

 カーラはテーブルの上のグラスを手に取り、水を少し口に含んだ。

「孤児院で暮らすといいわ。私、仕事が仕事だけに家にいないことが多いの」

 その発言を聞いた少年は少し寂しそうな顔をし、小さい声で呟いた。

「でも僕、カーラと暮らしたい」

 それを聞いたカーラに旋律が走った。ほんのり紅潮した顔は固まり、少し考え事を巡らした後、ゆっくり口を開いた。

「あんた、ゲームしたいだけでしょ」

 少年の顔が引きつる。

「え? そ、そんなことないよ……」

 核心を突かれ明らかな動揺を見せる少年を横目に、カーラは残りの水を流し込み、上がった体温を下げる。

「孤児院にもゲームはあるから、多分……」

「一応持っていっとこ」

 少年が単に純粋なのか厚顔なのか、カーラは判断に困った。
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