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第1話 テンパる神様

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(嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ…っ!)

    全く反応を示さなくなった契約陣に、ガタガタと体が揺れるのは、先ほどまでの歓喜に震えていたそれとはまるで異なる。
    脳内は完全に大パニックで、はぁはぁと浅い呼吸を繰り返しているのも同じなのに、状況も精神も一変していた。
    200年生きてきたが、ここまで感情がジェットコースター状態に陥るのは人生で初めてで、高低差が激し過ぎて目眩がする。


「震えてるじゃねぇか」

   そう言って抱き上げようと、おっさんが伸ばしてきた手を全力で拒絶する。

「触るな!!」

   キッと睨みつければ、目を見開いて距離を置かれた手。とにもかくにも、今はこんな薄汚れたおっさんに構っている暇はないのだ。

「待ってくれよ、もう一回。もう一回だけ」

   やり直させて頂きたい。そうだこれはちょっとした手違いなのだ。可愛いミスじゃないか。誰しもそんなミスを繰り返して、大人になるのだここは寛容にいこうじゃないか。
   そんな願いを込めながら、一度契約陣を出て、再び中へと入ってみるが、何も起こらない。

「…ここは一回使ったから駄目なのかも」

   そう思いついて、時が満ちるまで待てなさ過ぎて、辺り一面に書いた狂気的なミステリーサークルと化した契約陣のひとつへと飛び込む。

「頼むよ、まだ時間内のはずだろ?」

   やばいやばいと呟きながら、全ての契約陣に乗り終えた子犬は、絶望に打ちひしがれた。

「最悪だ……」

   ぽてんと尻もちをついて、項垂れていれば、カチンと金属音が聞こえて、顔を上げる。
   そこには火を付けた煙草をゆっくりと吸い込んで、大きく煙を吐いたおっさんが居て、ふつふつとこの状況に対しての怒りが込み上げてくる。

「どうしてくれるんだよおっさん!!あんたのせいだぞ!」

   すくっと立ち上がり、ふわふわの尻尾を立てて、子犬は声を荒げる。

「この日をずっと待ってたのに、こんな汚いおっさんと契約なんて…」

   ぎゃんぎゃんと文句を言い続けていても、おっさんは子犬を見下ろして煙草をふかしているばかりで、返事はかえってこない。

「おい、なんとか言ったらどう…」

    そこまで言いかけて、子犬はふと天界での記憶を思い出す。
    誤って一般人に見られた場合の対処法。自分のことばかりで、このおっさんのことを今の今まで考えていなかったが、きちんとした対処をしなければ、大問題に発展する可能性が高いと、耳にタコができるほど習っていたではないか。

    じっとおっさんの様子を窺ってみるが、とりあえず叫ぶ、助けを呼ぶ、逃げる等、天界で習ったよくある人間の反応は見られない。

    ひとまずそれに安堵した子犬は、見た目はまともとは言えないが、意外と落ち着きのあるちゃんとした人間なのかもしれないと、おそるおそる口を開いた。

「急に怒って悪かったよ。な、なぁ、あんたさ」

   すると、じーっとただ子犬を見下ろしていたおっさんは、ジャケットのポケットから携帯灰皿を取り出して、短くなった煙草をしまい込む。
    そして、ゆっくりと肺に残っていた煙を吐き出して、最後に子犬を一瞥すると、おっさんはくるりと踵を返して歩き始めた。

「……は?」

    こちらにはもう見向きもせずに、去って行くおっさんに、子犬は慌ててその後を追いかける。

「お、おい!どこ行くんだよ!?」

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