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第11話 子犬はお留守番

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「なんだよ、なんだよ……っ!!」

 子犬の声が揺れるのは、憤りなのか、悲しさからなのか、あるいはその両方からか。
 気持ちを抑えきれない子犬は、声を荒げて叫んだ。

「俺は、おっさんに人型見せただけじゃねぇか! そっちの方が、おっさんがわかりやすいと思って、無理して! それなのに……」

 神力が枯渇している状態で、それでもふり絞って、その姿を見せたというのに、何がそんなに不満だったというのだろうか。

「頭が痛いのは、俺の方だっての!!!」

 人型になり、ただでさえゼロに近かった神力がそれを下回ってしまった。
 その代償で、先ほどから頭の芯がズキズキと痛む。呼吸も辛く、しばらくは立つこともままならないだろう。

「それなのに……俺といると、頭が痛くなるって……なんだよ、それ……」

 心に深く残ったその言葉に、次第に声は小さくなっていき、気持ちもすっかりと沈んでしまった。

 あの人間は、昨日からなぜああも怒っているのかが理解出来ない。
 そして、覇気のないおっさんから、醸し出される全面拒否感はなんなのか。
 子犬は人間を幸せに導くためにきた神で、それを夢見て生きてきた神なのだ。だが、その相手である人間がこんな態度では、こちらも為すすべがない。


「俺だって、あんなおっさんと契約なんてするつもりなかった」

 数年前に、契約する家が決まっていた。前任者となる神から、今回その契約が子犬に引き継がれるはずだったのだ。
 心待ちにして、何度もこっそりと様子を見に行ったその家族に、会える日を楽しみにしていたのに。
 きっと契約不可となり、今も引き続き、その神が家族を見守っていることだろう。

「そこが俺の居場所だったはずなのに……誰がホームレスのおっさんと好き好んで契約なんかするかよ!」

 過ごしてみると、神社は思いのほか住みやすくはあるが、それでも本来契約する筈だった人達を思えば、おっさんの生活も人格も、まるで話にならない。


「あの時、おっさんに触られたりしなけりゃ……今ごろは」

 契約陣に乗って、いよいよそこに向かう途中に、おっさんに触れられた事で、全てを狂わせてしまった。

「そりゃ俺にも非があるかもしれないけどさ」

 おっさんは契約の事など何も知らないのだから、事情を知っているこちらが気を付けなくてはいけない。確かにそうだ。

「天界でもそう教わったさ。でも、俺だってちゃんと確認したじゃんか」

 契約日に日付けが変わって、神社へ訪れた子犬は、鳥居から参道、手水舎に拝殿まで、誰もいない事を確認した。
 拝殿の中を隅々まで見るだけでなく、念を入れて屋根の上まで登ったというのに。
 普通に神社へ参るだけなら、五分あれば足りてしまう広さの神社を、たっぷり二時間かけて見て回ったのだ。

「そもそもここって、人間が寄り付きにくい場所じゃなかったのかよ……」

 天界で聞いていた話では、聖域の持つ力が、そうさせているはずだった。

「つーか、立ち入り禁止区域だろうが。おっさんそんなとこに入るなよな」

 鳥居の前には、でかでかと<立ち入り禁止>という看板が立てられている。
 どんなに見ないようにしたって、目に入るそれをおっさんは気にかけなかったのだろうか。

「結界だって張ったし……」

 神社一帯を取り囲む結界も、きちんと張った。それ以降、神社に立ち入るものがいれば、虫一匹だって感知出来たのだ。そう、中にさえいなければ。
 準備は、万全だった。あとは正午まで待って、契約が成立する。それで全てが終わって、また始まりでもあったはずなのに。
 あの時を思い返せば、ふつふつと怒りすら覚える。

「どこの誰が、御神木に住み着いてる奴がいるなんて思うんだよ!!」

 天界で習ったことは、違いなく順序通りに行った。それどころか、細心の注意を払ったといってもいい。もはやこれは、天界の指導不足ではないのか。

「俺が悪いけど、俺悪くなくね?」

 完全に特異なおっさんが原因にあるだろう。これでただ注意不足だと責められても、釈然としないのだ。
 今度、天界に伝えておかなくてはいけない。注意事項に<御神木に住み着いた人間がいる可能性有り。要注意>と記載しておけと。

 もしも天界で、手違いで契約した子犬のことを馬鹿だと笑う者がいれば「お前は御神木一本一本、人間がいると仮定して確認したんだな?」と言ってやる。
 そうでなければ、その程度の確認で何事もなく、契約を終えれた事に感謝するといい。運良くホームレスのおっさんと、出会う事がなかっただけなのだから。

「はぁ……くそ、なんでこうなるんだよ」

 もっと確認をしていたら、回避出来ていたかもしれない。
 結界を張ったあと、どうして油断してしまっていたのか。
 目の前の事に胸がいっぱいで、おっさんの接近に気付く事が出来なかったこと。
 昨晩から、何度後悔して、責めたところでもう何もかもが遅い。

 二百年待って、あとほんの少しで叶うはずだった夢は、もう遥か遠くにいってしまった。
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