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第15話 尾行の先で②

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 その後もおっさんを覗き見すること、早三時間が経過する。

(おっさん……あんた、まじかよ……)

 もう小一時間、子犬の開いた口は塞がっていなかった。

 様子を伺っていると、どうやらおっさんは、梱包作業の仕事をしているらしい。
 おっさんと同じように、作業着を来た中年男性が七人、各々作業台について仕事をしていた。
 折りたたみコンテナという入れ物に入った商品を取り出し、緩衝材を詰めた箱にそれを詰めていく作業だ。

 それはギフト用なのだろうか。
 手のひらサイズでカラフルな小花柄の箱に、ピンク色をした紙の緩衝材を敷いて、そこに袋詰めにされてある洋菓子を三つ入れる。最後に赤いリボンを箱の右上に貼り付ければ完成。というのが、一連の流れらしい。

 作業をしている他の七人は、一見おっさんよりも年上に見える者ばかり。
 中年親父が集まって、ずいぶんとファンシーな物を作っているみたいだ。


(意外、だよな……本当に)

 無気力で無愛想なその風貌で、可愛らしい物を大量生産しているのもそうであるが。
 この三時間、おっさんの手が止まる事は一切ない。
 それどころか、倉庫へ次の商品を取りに行く回数も、出来上がったギフト箱が詰まった段ボールを荷台に運ぶ回数も、誰よりも多いのだ。

(一番真面目じゃん)

 他の同僚は、途中で飲み物を買いにコンビニへ向かったり、携帯を触っていたり。今ではその内の五人が煙草休憩といって、外でかれこれ三十分は談笑している。
 そんな中で、ただ一人。職場を離れることなく、黙々と作業をこなしているのが、おっさんだった。

(おっさん偉いぞ!! 見直した……!)

 その後もおっさんは手を止める事がなく、昼を知らせるベルが鳴った時に、ようやくその作業をやめた。

(まじで俺、今感動してる。まさかおっさんにこんな所があるなんて……)

 同僚七人が集まって、それぞれ持参した昼食を広げている中で、おっさんは一人、工場のすぐ外にある手洗い場へ向かう。
 そして蛇口を捻ると、手を洗い、顔を洗って、水道水をがぶがぶと飲んだ後、おっさんはまた作業台へと戻って行った。

(え、えっ?)

 そのまま、おっさんはすぐに作業を開始した。途中になってしまっていた洋菓子を全て詰めて、箱を閉じると、リボンをつけて、また次の箱を手に取った。

(おっさん、昼飯食わねぇの?)

 子犬はたった今昼食を食べ始めたばかりの同僚達と、一人で働くおっさんに、視線を行ったり来たりさせる。

 結局、一時間ほど経った頃に、ぽつりぽつりと同僚達は作業に戻ってきた。しかし、その間ずっと仕事をしていたおっさんに、一言も声をかける事は無い。

(なんだよ、おっさんここでも浮いてんの?)

 その中でも差があるが、同僚達はみんなそれなりに付き合いがあるようだ。
 ここに来てから、まだ誰とも会話をしていないのは、おったさんだけである。
 おっさんの普段の態度の悪さを見れば、それも納得がいくのだが、子犬の中にどこかやり切れなさが残る。

(そりゃ……絡みにくいのはわかるけどさ。あんたらの仕事って、あそこにあるやつ減らさなきゃなんねぇんだろ?)

 どうやら一人何個というノルマがあるわけではなく、倉庫にある商品を完成させるというのが目標らしい。
 おっさんが頑張れば頑張るほど、同僚の仕事は減っているのだ。
 反対に、同僚がこうして手を止める時間が長ければ長いほど、おっさんの負担が大きくなっている。

(おっさんに、ありがとうぐらい言ってもいいんじゃねぇの?)

 それをヘラヘラ笑いながら、悪気もなく戻って来る事に段々と腹が立って来た。

(てか、あんたらサボり過ぎだろ。おっさんばっかにやらせずに、仕事なんだからちゃんとやれよな!!)

 昼休みらしき時間に、おっさんが作業をしているのは勝手にしている事だとしてもだ。
 それを差し引いても、明らかに休憩時間が長い。全員がとは言わないが、五人ほど、特にそれが目立つものが居る。


 結局、工場内の空気は変わることなく、夕方までそれが続いた。
 終業時刻の数時間前に、勤務態度の悪い男が「あーまだこんなに残ってんのか」と気怠げに言った時には、苛立ちでジリジリと胸の辺りを痛めたものだ。

 最終的には、非常にきわどいところではあったが、本日分の作業は全て終了していた。
 その営業終わりに、おっさん達とは違う黒の制服を着た男がやって来て、今まで働いていたおっさん達に労いの言葉をかけて回る。
 その時、同時に手渡されているのは茶色の封筒で、どうやら今は日払いの給料が支払われているようだ。


 着替えを済ませて、帰ろうとしたおっさんに、同僚である一人の男が近付いていった。

「よぉ、兄ちゃん。今月もちょっと金がピンチでさ、貸してくんねぇかな」

 白髪混じりの短髪で、やたらとガタイの良い四、五十代の男は、馴れ馴れしくおっさんに肩を組んでそう告げる。
 返事も待たずに、おっさんの上着のポケットに手を突っ込むと、男はにっと口角を上げた。

「おっ、あったあった。んー七千五百円か、良かったな、ちょっとずつ給料上がって来てるじゃねぇか! まぁ、兄ちゃんも生活があるだろうから、五千円だけ借りてくわ」

 ほらよと、男から残った給料袋を押し付けられたおっさんは、無言でそれを受け取る。

「兄ちゃん、いつもありがとうな」

 男はそう言って笑うと、ひらひらとおっさんに手を振って、去って行った。
 ほんの数分にも満たない時間で、あっという間に終わったやり取り。


(……は? なんだよ、今の)

 目の前で起きた事を理解するまで、子犬はしばらくの時間が必要だった。
 
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